そして、この機体は小さめの飛行機によく見かけるドーサルフィンがございませんね!
あと主翼端の部品は、ウィングレットの一種でしょうか?
そして、この機体は小さめの飛行機によく見かけるドーサルフィンがございませんね!
あと主翼端の部品は、ウィングレットの一種でしょうか?
主翼の付け根は渦の発生を防いで抗力を減らすフィレットでしょうか。
あと、この昇降舵についている小さな出っ張りが何なのか分かりませんでした(3枚目)
それから真後ろから見た時に垂直安定板が偏って見えるのは、単に方向舵を右に傾けて設置しているからでしょうか。
1回目のあいち航空ミュージアム訪問時に室屋さんの機体が展示されていましたが、この機体も同様に垂直安定板が右側に傾けてあるように見えました。
主翼の付け根は渦の発生を防いで抗力を減らすフィレットでしょうか。
あと、この昇降舵についている小さな出っ張りが何なのか分かりませんでした(3枚目)
それから真後ろから見た時に垂直安定板が偏って見えるのは、単に方向舵を右に傾けて設置しているからでしょうか。
1回目のあいち航空ミュージアム訪問時に室屋さんの機体が展示されていましたが、この機体も同様に垂直安定板が右側に傾けてあるように見えました。
解説の上仲鈴子氏の他、朴敬元氏、松本キク氏、馬淵テフ子氏が長距離飛行に乗った機体なので、私には女性の飛行機の印象があります。
尚、朴機 → 青燕号、松本機 → 白菊号、馬淵機 → 黄蝶号と、彩りよく名付けられていたのは素敵だと思います。
上仲機も大阪→東京間を無着陸で飛んだので、名前がついていればよかったのに、と少し残念。
あと彼女は日本軽飛行機倶楽部の出身なので、解説文には設立した伊藤音次郎氏の名前を記載して欲しいな、というのは私の博物館側の細やかな要望です
解説の上仲鈴子氏の他、朴敬元氏、松本キク氏、馬淵テフ子氏が長距離飛行に乗った機体なので、私には女性の飛行機の印象があります。
尚、朴機 → 青燕号、松本機 → 白菊号、馬淵機 → 黄蝶号と、彩りよく名付けられていたのは素敵だと思います。
上仲機も大阪→東京間を無着陸で飛んだので、名前がついていればよかったのに、と少し残念。
あと彼女は日本軽飛行機倶楽部の出身なので、解説文には設立した伊藤音次郎氏の名前を記載して欲しいな、というのは私の博物館側の細やかな要望です
戦後の話で吉井川邑久滑空場(旧)開港までの詳細なエピソードもあります
さて次は、平松さんが最初に定期便の操縦士として就職した川西機械製作所の日本航空のエースパイロット後藤勇吉氏の本を読むことにします
戦後の話で吉井川邑久滑空場(旧)開港までの詳細なエピソードもあります
さて次は、平松さんが最初に定期便の操縦士として就職した川西機械製作所の日本航空のエースパイロット後藤勇吉氏の本を読むことにします
デアイシングは橙色、アンチアイシングは緑色の薬剤で、それぞれ色が違うんですね!
デアイシングは橙色、アンチアイシングは緑色の薬剤で、それぞれ色が違うんですね!
今までとにかく市場から本を調達していたのがひと段落したので、この一年間はじっくり積読を崩していこうかと思っています
#大正民間航空開拓物語
今までとにかく市場から本を調達していたのがひと段落したので、この一年間はじっくり積読を崩していこうかと思っています
#大正民間航空開拓物語
富士重工式 FA-200型 エアロスバル
と
ロッキード式 エレクトラ(型が分かりません💦)
が挙げられます。
ここまで書いて、エレクトラがどの星だろうと調べたのですが、
よく見かけるプレアデス星団の写真の右側2個の明るい星は姉妹ではなく、姉妹のご両親なんですね
今まで勘違いしていました。ハズカシイ...
富士重工式 FA-200型 エアロスバル
と
ロッキード式 エレクトラ(型が分かりません💦)
が挙げられます。
ここまで書いて、エレクトラがどの星だろうと調べたのですが、
よく見かけるプレアデス星団の写真の右側2個の明るい星は姉妹ではなく、姉妹のご両親なんですね
今まで勘違いしていました。ハズカシイ...
室屋義秀さん、飛んでいらっしゃるかな〜と期待したのですが、残念ながらその日の飛行はなし。
でもモーターグライダーに会えたので大満足でした。C172のような飛行機に比べてエンジン音、低めに感じたのですが実際どうなのでしょう?
室屋義秀さん、飛んでいらっしゃるかな〜と期待したのですが、残念ながらその日の飛行はなし。
でもモーターグライダーに会えたので大満足でした。C172のような飛行機に比べてエンジン音、低めに感じたのですが実際どうなのでしょう?
私はこの一年間、このカレンダーに元気をもらって過ごす予定です💪
私はこの一年間、このカレンダーに元気をもらって過ごす予定です💪
まるで一昨年公開されたスタジオジブリの映画"君たちはどう生きるか"の主人公が経験した一場面のようでした
劇中、主人公の実家が航空機製造関係の会社であることを伺わせる場面があり、それを観てこの時代の航空機産業について調べてみようと思ったのが、私が戦前の民間航空に興味を持ったきっかけでした
なので、この鷺を目の前で見たときに、自分がまるで不思議な世界に迷い込んだかのような錯覚に陥りました
まるで一昨年公開されたスタジオジブリの映画"君たちはどう生きるか"の主人公が経験した一場面のようでした
劇中、主人公の実家が航空機製造関係の会社であることを伺わせる場面があり、それを観てこの時代の航空機産業について調べてみようと思ったのが、私が戦前の民間航空に興味を持ったきっかけでした
なので、この鷺を目の前で見たときに、自分がまるで不思議な世界に迷い込んだかのような錯覚に陥りました
彼も伊藤音次郎の元で航空人としてのキャリアをスタートさせました
井上長一さんは戦後も航空会社『極東航空』を設立し、これは現在のANAのもう一つのルーツとなる会社です
場所は南海鉄道の駅が最寄駅となっているのですが、この南海鉄道は川西系日本航空を設立した坂東舜一さんたちが、後に日本国際航空工業を立ち上げる時に出資してくれた会社の一つです
#大正民間航空開拓物語
彼も伊藤音次郎の元で航空人としてのキャリアをスタートさせました
井上長一さんは戦後も航空会社『極東航空』を設立し、これは現在のANAのもう一つのルーツとなる会社です
場所は南海鉄道の駅が最寄駅となっているのですが、この南海鉄道は川西系日本航空を設立した坂東舜一さんたちが、後に日本国際航空工業を立ち上げる時に出資してくれた会社の一つです
#大正民間航空開拓物語
正直残念だなぁと感じたのは、説明には川西や日本航空の文字が見られなかったこと
(日本航空輸送株式会社の木津川飛行場は元々、川西系日本航空の使用していた木津川尻飛行場が元になっているはず。彼らは主に水上機の運用でしたが...)
でも、100年くらい前にここから川西式K-7やK-10といった輸送機が『空の郵船』を目指して飛び立ったのかと思うと感無量でした!
#大正民間航空開拓物語
正直残念だなぁと感じたのは、説明には川西や日本航空の文字が見られなかったこと
(日本航空輸送株式会社の木津川飛行場は元々、川西系日本航空の使用していた木津川尻飛行場が元になっているはず。彼らは主に水上機の運用でしたが...)
でも、100年くらい前にここから川西式K-7やK-10といった輸送機が『空の郵船』を目指して飛び立ったのかと思うと感無量でした!
#大正民間航空開拓物語
空港敷地に隣接しているカフェaero labさんにも立ち寄ったのですが、店員さんの御厚意で、店内に展示されているご隠居された機体のエンジンカウリングの中を見せて頂きました
Lycomingのエンジンを間近に拝見するのは初めてでした
O-320かIO-360だと思うのですが、どちらでしょうか...?
スパークプラグの一系統は下側にあるんですね〜 フムフム
飛行機が軽いとは知っておりましたが、カウリング、方向舵の一部を触れらせて頂いて、こんなに薄く作られているとは!!
空港敷地に隣接しているカフェaero labさんにも立ち寄ったのですが、店員さんの御厚意で、店内に展示されているご隠居された機体のエンジンカウリングの中を見せて頂きました
Lycomingのエンジンを間近に拝見するのは初めてでした
O-320かIO-360だと思うのですが、どちらでしょうか...?
スパークプラグの一系統は下側にあるんですね〜 フムフム
飛行機が軽いとは知っておりましたが、カウリング、方向舵の一部を触れらせて頂いて、こんなに薄く作られているとは!!
この白蛇伝の本、児童書ながらお気に入りです
強いけれど、ちょっと抜けたところがある白娘が可愛いし、巻末には白蛇伝の詳しい文化的な解説も載っています
この白蛇伝の本、児童書ながらお気に入りです
強いけれど、ちょっと抜けたところがある白娘が可愛いし、巻末には白蛇伝の詳しい文化的な解説も載っています
今年もよろしくお願いします
さて2025年は伊藤音次郎氏が1915年に千葉県の稲毛海岸に伊藤飛行機研究所を設立してから110年目の年です
写真は伊藤式恵美号飛行機の名前の由来になった大阪の恵美寿町の街並みです✈️
今年もよろしくお願いします
さて2025年は伊藤音次郎氏が1915年に千葉県の稲毛海岸に伊藤飛行機研究所を設立してから110年目の年です
写真は伊藤式恵美号飛行機の名前の由来になった大阪の恵美寿町の街並みです✈️
私にとって今年は、年始にこの『空気の階段を登れ』に出会い、大正〜昭和初期にかけての民間航空の面白さを知り、それを夢中になって追いかけた一年でした
2025年も引き続きお付き合い下されば幸いです!
あ、もう少し飛行機以外の呟きも増やそうかとも考えております...
私にとって今年は、年始にこの『空気の階段を登れ』に出会い、大正〜昭和初期にかけての民間航空の面白さを知り、それを夢中になって追いかけた一年でした
2025年も引き続きお付き合い下されば幸いです!
あ、もう少し飛行機以外の呟きも増やそうかとも考えております...
この写真はFA-300 model 700ですが、実はmodel 710という後継機があって、まだ飛行している機体があるなら、是非この目で見てみたいと思っています
というのも空冷水平対向型発動機の出力限界は450馬力と言われていて、実際Lycomingの一番高い出力の発動機もその馬力となっているのですが、
この最高出力の発動機を積んだのが、どうやら後にも先にも、このFA-300 model 710のみっぽいんですよね..
どれだけパワフルな音を出すんでしょう...(笑)
この写真はFA-300 model 700ですが、実はmodel 710という後継機があって、まだ飛行している機体があるなら、是非この目で見てみたいと思っています
というのも空冷水平対向型発動機の出力限界は450馬力と言われていて、実際Lycomingの一番高い出力の発動機もその馬力となっているのですが、
この最高出力の発動機を積んだのが、どうやら後にも先にも、このFA-300 model 710のみっぽいんですよね..
どれだけパワフルな音を出すんでしょう...(笑)
(2冊一緒に買ったわけではなく、ここ数ヶ月間の買い物です。流石にそんなに💰ない….)
すごい点は平松さんは1989年に亡くなっていて、ご自身の存命中の出来事である、日航機123便事故で現れた日本の航空業界のまずさを1929年の川西日本航空の解散と絡めて批判しているところなんですよね
#大正民間航空開拓物語
(2冊一緒に買ったわけではなく、ここ数ヶ月間の買い物です。流石にそんなに💰ない….)
すごい点は平松さんは1989年に亡くなっていて、ご自身の存命中の出来事である、日航機123便事故で現れた日本の航空業界のまずさを1929年の川西日本航空の解散と絡めて批判しているところなんですよね
#大正民間航空開拓物語