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Tu fui, ego eris.
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ヨムスヴァイキングの首領パルナトケは弓の名手であったが、それを聞いたデンマークのハーラル1世青歯王はパルナトケの息子の頭上に林檎を置き、それを射落とすよう強制した。パルナトケは矢を三本取ると、ただ一矢で見事に林檎を射落とした。
パルナトケの弓の腕前を見届けたハーラル王は「なぜ三本矢を取ったのか」と尋ねた。パルナトケは「もし射損なった時は、残り二本の矢であなたに復讐するつもりでした」と答えたという。
一説によれば、後年ハーラルが息子のスヴェン(双叉髭王)に反乱を起こされた際にハーラルを討ったのがパルナトケとされる。
November 17, 2024 at 8:53 PM
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息子の頭上の林檎を射落とすヴィルヘルム・テル。
同様の矢と林檎の逸話はゲルマン諸国の伝承に見られるという。射手は我が子の頭上に置いた林檎を射落とすよう強制され見事に成し遂げるが、予備の矢を持っていたことを咎められると「失敗したならばお前に復讐するためだ」と言う。
November 17, 2024 at 8:47 PM
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伝承によれば、ヴィルヘルム・テルが代官ゲスラーに強いられて息子の頭上にある林檎を矢で射抜いた日が1307年11月18日とされる。
November 17, 2024 at 8:46 PM
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1558年11月17日、ロンドンのセントジェームズ宮殿においてイングランド女王メアリー1世が没する。敬虔なカトリック信者であり、在位中はプロテスタントを迫害し「血まみれのメアリー」(Bloody Mary)と呼ばれた。メアリーの命日は、その後200年間「圧政から解放された日」として祝われた。
November 16, 2024 at 9:58 PM
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375年11月17日、ローマ皇帝ウァレンティニアヌス1世が没する。パンノニアにおいてクァディ族との和平交渉に臨んでいる最中、相手の尊大な態度に激昂して倒れ、それが原因で亡くなったという。ウァレンティニアヌスはひどい癇癪持ちだったといわれ、死因は脳卒中と考えられている。
November 16, 2024 at 9:57 PM
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1724年11月16日、タイバーンの処刑場においてジャック・シェパードが絞首刑に処される。官憲を散々に振り回した盗賊、追い剥ぎとして悪名を轟かせたが、また幾度投獄されてもその度に脱獄を繰り返し、民衆の間でカルト的な人気を博した。
ジャック・シェパードは処刑場に向かう道中でも隠し持ったペンナイフで脱走を企てたが、看守が実行直前にナイフを発見したため失敗に終わった。処刑直後、ジャックの仲間や外科医により蘇生が試みられたが、失敗に終わったという。
November 15, 2024 at 10:06 PM
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1632年11月16日、ライプツィヒ南西のリュッツェンにおいてスウェーデン王グスタフ2世アドルフ率いるプロテスタント同盟とヴァレンシュタイン率いるカトリック連盟の間で会戦が行われる。激戦の末にプロテスタント軍はカトリック軍を敗走させたが、グスタフ・アドルフは乱戦の中戦死した。
November 15, 2024 at 10:03 PM
ハンガリーの無濾過白ビール。
とてもバナナの香りがする。
November 15, 2025 at 6:38 AM
キリマンジャロとかぼちゃのチーズケーキ。
November 15, 2025 at 6:37 AM
1316年11月15日、同年6月に死去したフランス王ルイ10世の遺児ジャン1世が誕生する。出生後直ちにフランス王として即位することとなったが、11月19日に死去。当時の乳幼児死亡率は高かったが、ジャンの死には暗殺説も付きまとうことになった。「誕生から死まで君臨したフランス唯一の王」とも呼ばれる。
November 14, 2025 at 9:53 PM
黄桜ラッキーシバ。
干支シリーズだと思っていたビールだが、最近動物シリーズであることが分かってきた。
November 14, 2025 at 9:47 AM
ガトーショコラ。
November 14, 2025 at 4:30 AM
1635年11月14日、ロンドンにてオールド・パーことトマス・パーが152歳で死没する。
80歳で結婚し子供を儲けるも、幼くして死別。105歳の時に別の女性と不義の子を儲け、逮捕される。最初の妻が死別した後、122歳で再婚した。
死後解剖が行われたが、どの臓器にも不全は見つからなかったという。
November 13, 2025 at 10:16 PM
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1263年11月14日、ウラジーミル大公アレクサンドル・ネフスキーが没する。北方十字軍やドイツ騎士団を打ち破り正教会の聖人とされたが、一方でジョチ・ウルスには臣従を誓い領内への侵攻やそれに伴う荒廃を防ぐなど、硬軟巧みな外交によって勢力を拡大した。
November 13, 2024 at 8:48 PM
満足した。
November 13, 2025 at 3:43 AM
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1002年11月13日、イングランド王エゼルレッド2世がイングランド全土においてデーン人の殺害を命ずる。後に「聖ブライスの日の虐殺」として知られる事件であるが、犠牲者の中にデンマーク王スヴェン1世の妹グンヒルドも含まれていたことから、デンマーク軍による復讐を招くこととなった。
November 12, 2024 at 8:41 PM
さつまいもとチキンのカレー。
November 11, 2025 at 3:56 AM
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11月11日は聖マルティヌスの日。冬の始まりの日であり、また収穫祭の日でもある。かつてはその年の収穫で作られた最初のワインを共同体で分け合う習慣があった。ピーテル・ブリューゲルの「聖マルティンのワイン祭り」は、その情景を描いている。
聖マルティヌスの日はガチョウを食べる日でもある。かつてマルティヌスがトゥールの司教位を受けるように要請され、気の乗らないマルティヌスはガチョウ小屋に隠れていたがガチョウが騒ぎ立てたため見つかってしまい、やむなくトゥール司教に就いたという。ガチョウが食べられるのはその時の罰だという。
November 10, 2024 at 8:35 PM
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397年(あるいは400年)11月11日、トゥールの聖マルティヌスが没する(埋葬日あるいは誕生日ともいう)
ローマ帝国の軍人であったが、物乞いに自ら着ていたマントを裂いて与えたのがきっかけとなり受洗、西方教会初となる修道院(リグージェ修道院)を建設した。
聖マルティヌスは、フランク王国の守護聖人とされる。11月11日の「聖マルティヌスの日」は収穫祭の日であり、冬の始まりの日ともされる。
聖マルティヌスはロワール川流域における葡萄栽培の先駆者とされ、イタリアではワインの守護聖人でもある。酩酊を避けたい時も、聖マルティヌスに祈りを捧げる。
November 10, 2024 at 8:34 PM