お役に立てて幸いでした!
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私は全く校正のことは分からないですが、数学記号の<(小なり)、>(大なり)と似ているなと思いました。
「小なりの方が小さくする」と覚えるのはどうでしょうか……⁉︎
といっても、小なりと大なりもややこしいですよね。
私は、中学校の数学の先生から、くっぽい方が小なりだから「ちくしょう!!」って覚えなさいと言われたので、毎回ちくしょうちくしょう言いながら思い出してます。
私は全く校正のことは分からないですが、数学記号の<(小なり)、>(大なり)と似ているなと思いました。
「小なりの方が小さくする」と覚えるのはどうでしょうか……⁉︎
といっても、小なりと大なりもややこしいですよね。
私は、中学校の数学の先生から、くっぽい方が小なりだから「ちくしょう!!」って覚えなさいと言われたので、毎回ちくしょうちくしょう言いながら思い出してます。
山形市長賞(最優秀賞)を受賞したそうです。観れて良かった。
山形市長賞(最優秀賞)を受賞したそうです。観れて良かった。
・北原さんが個人的に大ファン。イハのソロアルバム(おそらくLet it come down)がすごく良かった(山下監督の作品に響くと思った)のでオファーを試みた
・作品規模的にも正面突破は難しそうだったので、個人的な繋がりに頼る作戦でいった。友達のイハがプロデュースする洋服ブランドのディレクターにお願いして、作品への思いを綴った手紙を作成して、ダメ元でオファーを出してみた結果、イハから快諾の返事をもらえた
・イハもオファーを喜んでくれたようで、アメリカにおける自身の境遇と映画を重ねて見てすごく共感した、と言っていた
・北原さんが個人的に大ファン。イハのソロアルバム(おそらくLet it come down)がすごく良かった(山下監督の作品に響くと思った)のでオファーを試みた
・作品規模的にも正面突破は難しそうだったので、個人的な繋がりに頼る作戦でいった。友達のイハがプロデュースする洋服ブランドのディレクターにお願いして、作品への思いを綴った手紙を作成して、ダメ元でオファーを出してみた結果、イハから快諾の返事をもらえた
・イハもオファーを喜んでくれたようで、アメリカにおける自身の境遇と映画を重ねて見てすごく共感した、と言っていた
いのち動的平衡館を支えるのは、外周を巡る鋼鉄のリングである。
内側に曲げられたリングと外側のリングを網状のワイヤーで繋ぎ、張力で自律的に支える構造になっている。釣り合いは複雑なバランスで成り立っており、全てのワイヤーとリングが繋がってはじめてバランスが取れるようになっている。
www.asahipress.com/bookdetail_n...
いのち動的平衡館を支えるのは、外周を巡る鋼鉄のリングである。
内側に曲げられたリングと外側のリングを網状のワイヤーで繋ぎ、張力で自律的に支える構造になっている。釣り合いは複雑なバランスで成り立っており、全てのワイヤーとリングが繋がってはじめてバランスが取れるようになっている。
www.asahipress.com/bookdetail_n...
漫才でよく言われるテンポの良さや関西弁の言葉の強さは、そのまま聴き心地の良さだし、コント漫才のズレと訂正は、善的な心地よさに通じてるんじゃないかな。
かまいたち山内がよく言う「この状況自体が面白い」っていうのは、理解しがたい不条理な状況への崇高な感情に近い気がする。
その上で、ブラマヨのボーリングとか笑い飯の奈良県立民族博物館とかが、正解がないお笑いの世界で、これ以上のものがないと感じさせるような完全性があって、美しさを感じるんだと思った。
(美の感覚が民族とかコンテクストによって変わるっていうのも、漫才から容易に予想できる)
漫才でよく言われるテンポの良さや関西弁の言葉の強さは、そのまま聴き心地の良さだし、コント漫才のズレと訂正は、善的な心地よさに通じてるんじゃないかな。
かまいたち山内がよく言う「この状況自体が面白い」っていうのは、理解しがたい不条理な状況への崇高な感情に近い気がする。
その上で、ブラマヨのボーリングとか笑い飯の奈良県立民族博物館とかが、正解がないお笑いの世界で、これ以上のものがないと感じさせるような完全性があって、美しさを感じるんだと思った。
(美の感覚が民族とかコンテクストによって変わるっていうのも、漫才から容易に予想できる)
(感想)
これらの議論以外に、美しさ、崇高さ、善の概念の議論が面白かった。
依存症については、ある物質への依存癖がある人がその物質を絶ったとしても、別の物質への依存をはじめてしまうと言われていることからも、苦痛そのものへのアプローチが何かしら必要だろうと思っていたが、こういう整理ができるのかと驚きだった。
最近では物質への依存だけでなく、人への依存(トー横界隈とか、あんまり問題視されてないけど推し活にも感じることがある)も昔より深まっているのではないだろうか。
(感想)
これらの議論以外に、美しさ、崇高さ、善の概念の議論が面白かった。
依存症については、ある物質への依存癖がある人がその物質を絶ったとしても、別の物質への依存をはじめてしまうと言われていることからも、苦痛そのものへのアプローチが何かしら必要だろうと思っていたが、こういう整理ができるのかと驚きだった。
最近では物質への依存だけでなく、人への依存(トー横界隈とか、あんまり問題視されてないけど推し活にも感じることがある)も昔より深まっているのではないだろうか。
例えばアルコールはそれ自体は美味しいもので快適であるが、ストレスを忘れるための手段とされうる。何か日常や過去のつらさから逃れるために酩酊状態を継続的に生み出す手段としている場合、人はアルコール依存症に陥っている。
依存症へのこういった解釈は最近注目されている「自己治療仮説」とも密接な関係がある。この仮説の本質は、依存症を「心理的苦痛の緩和」と捉える点であり、この苦痛への対抗策として、依存症が他の方法ではなくその物質に頼ってしまった経緯や環境のことも考えなければ、依存症の治療はあり得ないと考える点である。
例えばアルコールはそれ自体は美味しいもので快適であるが、ストレスを忘れるための手段とされうる。何か日常や過去のつらさから逃れるために酩酊状態を継続的に生み出す手段としている場合、人はアルコール依存症に陥っている。
依存症へのこういった解釈は最近注目されている「自己治療仮説」とも密接な関係がある。この仮説の本質は、依存症を「心理的苦痛の緩和」と捉える点であり、この苦痛への対抗策として、依存症が他の方法ではなくその物質に頼ってしまった経緯や環境のことも考えなければ、依存症の治療はあり得ないと考える点である。
その4つとは、
・快適なもの
・美しいもの
・崇高なもの
・善いもの
である。
このうち、快適なもの(嗜好品を楽しむようなこと。快とは別定義) は、「目的」からも「手段」からも自由である。
しかし、快適なものは容易に手段化されうる。
例えば、健康はそれ自体が快適であるが、「健康を善いもの」と言うためには、健康が手段化され、目的達成の満足において捉えられることになり、どこか不純なものにされる。
その4つとは、
・快適なもの
・美しいもの
・崇高なもの
・善いもの
である。
このうち、快適なもの(嗜好品を楽しむようなこと。快とは別定義) は、「目的」からも「手段」からも自由である。
しかし、快適なものは容易に手段化されうる。
例えば、健康はそれ自体が快適であるが、「健康を善いもの」と言うためには、健康が手段化され、目的達成の満足において捉えられることになり、どこか不純なものにされる。