shop : https://morikenichi.base.shop/
単純化することには違和感がある。
ジンメルやゴフマンを参照すれば、
擬人化は
一貫した物語を与える操作ではなく、
関係性の中で立ち上がる役割を
仮に固定する行為としても読める。
それが明らかにするのは、
物語の自然さではなく、
その虚構性なのかもしれない。
単純化することには違和感がある。
ジンメルやゴフマンを参照すれば、
擬人化は
一貫した物語を与える操作ではなく、
関係性の中で立ち上がる役割を
仮に固定する行為としても読める。
それが明らかにするのは、
物語の自然さではなく、
その虚構性なのかもしれない。
擬人化も、その力を借りていると思う。
ただ、その分、
本来は複雑な関係性が、
価値付けや切り捨てによって
単純化されてしまうこともある。
曼荼羅や禅画を見ていると、
物語は語られていないのに、
多くの要素が同時に立ち上がってくる。
絵画的な思考は、
物事を「筋」ではなく
「関係」として捉える方法なのかもしれない。
いまは、
ストーリーで見えなくなった要素を
拾い上げる作業に惹かれている。
擬人化も、その力を借りていると思う。
ただ、その分、
本来は複雑な関係性が、
価値付けや切り捨てによって
単純化されてしまうこともある。
曼荼羅や禅画を見ていると、
物語は語られていないのに、
多くの要素が同時に立ち上がってくる。
絵画的な思考は、
物事を「筋」ではなく
「関係」として捉える方法なのかもしれない。
いまは、
ストーリーで見えなくなった要素を
拾い上げる作業に惹かれている。
その両方から、いま自分が生きてきた時代を見返している。
どんなことでも、異なる状況と比べてはじめて、自分の置かれている状況が浮かび上がる。
未来から見れば、戦後レジームの中で生きてきた世代は、
無責任で、どこかヘンテコな時代に映るかもしれない
一方で、私たちから見れば、
これからの社会は、戦前の社会がそうであったように、
どこか恐ろしく感じられるはずだ
少なくとも戦後世代は、
それなりに自由を保障された社会の中で、暴力や政治を「外部化」できた、稀有な時間を生きていたのだと思う
その価値について、良い面も悪い面も含めて、いま改めて考えている
その両方から、いま自分が生きてきた時代を見返している。
どんなことでも、異なる状況と比べてはじめて、自分の置かれている状況が浮かび上がる。
未来から見れば、戦後レジームの中で生きてきた世代は、
無責任で、どこかヘンテコな時代に映るかもしれない
一方で、私たちから見れば、
これからの社会は、戦前の社会がそうであったように、
どこか恐ろしく感じられるはずだ
少なくとも戦後世代は、
それなりに自由を保障された社会の中で、暴力や政治を「外部化」できた、稀有な時間を生きていたのだと思う
その価値について、良い面も悪い面も含めて、いま改めて考えている
ひとつの明確なテーマを掲げて制作しているわけではない。
ただ、いくつかの問いや違和感があり、
それらが絡み合ったまま、
簡単には解けなくなっている感覚がある。
過去と未来、政治と感情、
制度と技術革新、歴史と反復、大人と子供。
それらはもはや、
別々のものとして扱えるものではなくなってきた。
作品制作とは、
答えを示すことではなく、
関係性を確かめ続け、
結び目の前にとどまり続ける姿勢なのかもしれない。
しばらくは、完成よりも、
その途中で起きている思考や制作のプロセスを記録していく。
ひとつの明確なテーマを掲げて制作しているわけではない。
ただ、いくつかの問いや違和感があり、
それらが絡み合ったまま、
簡単には解けなくなっている感覚がある。
過去と未来、政治と感情、
制度と技術革新、歴史と反復、大人と子供。
それらはもはや、
別々のものとして扱えるものではなくなってきた。
作品制作とは、
答えを示すことではなく、
関係性を確かめ続け、
結び目の前にとどまり続ける姿勢なのかもしれない。
しばらくは、完成よりも、
その途中で起きている思考や制作のプロセスを記録していく。
感覚と意味、技術と身体、欲望と思考、
そしてアイデンティティについて考えてきました。
これらはいずれも、
対立する側面を併せ持つ問題です。
安易に決着をつけるのではなく、
時間をかけ、さまざまな角度から向き合うこと。
その姿勢自体を、制作の前提にしていました。
Base shop モリケンイチgallery
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感覚と意味、技術と身体、欲望と思考、
そしてアイデンティティについて考えてきました。
これらはいずれも、
対立する側面を併せ持つ問題です。
安易に決着をつけるのではなく、
時間をかけ、さまざまな角度から向き合うこと。
その姿勢自体を、制作の前提にしていました。
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Not trusting convenient self-narratives,
but looking toward what is hidden or suppressed.
The self may not be a fixed core,
but something that keeps shifting.
Perhaps identity lies in attending to that instability.
Not trusting convenient self-narratives,
but looking toward what is hidden or suppressed.
The self may not be a fixed core,
but something that keeps shifting.
Perhaps identity lies in attending to that instability.
Urban life, detached from blood ties and local roots,
confronts us daily with the question of who we are—
a question without a final answer,
echoing “know thyself.”
Under personalization, algorithms, and platforms,
this question only seems to grow.
Urban life, detached from blood ties and local roots,
confronts us daily with the question of who we are—
a question without a final answer,
echoing “know thyself.”
Under personalization, algorithms, and platforms,
this question only seems to grow.
自分自身が自分の探偵になる、という像を置いた。
都合のいい物語や情報で組み立てられた自己ではなく、
嘘や抑圧、隠蔽された側面にも
目を向けるために。
自己とは、一枚岩の存在ではなく、
状況のなかで揺れ続け、生成変化するものなのかもしれない。
その揺らぎを見つめ続ける行為そのものが、
アイデンティティの中心なのではないかと思っている。
自分自身が自分の探偵になる、という像を置いた。
都合のいい物語や情報で組み立てられた自己ではなく、
嘘や抑圧、隠蔽された側面にも
目を向けるために。
自己とは、一枚岩の存在ではなく、
状況のなかで揺れ続け、生成変化するものなのかもしれない。
その揺らぎを見つめ続ける行為そのものが、
アイデンティティの中心なのではないかと思っている。
地縁や血縁から解き放たれた都市の生活は、
自分が何者なのか、
つまり「汝自身を知れ」という、
本来は答えの出ない問いの前に、
私たちを日常的に立たせているように思える。
パーソナライズという言葉のもと、
産業やアルゴリズム、プラットフォームが
自己像に強く介入する現在、
この問いはむしろ大きくなり続けている。
地縁や血縁から解き放たれた都市の生活は、
自分が何者なのか、
つまり「汝自身を知れ」という、
本来は答えの出ない問いの前に、
私たちを日常的に立たせているように思える。
パーソナライズという言葉のもと、
産業やアルゴリズム、プラットフォームが
自己像に強く介入する現在、
この問いはむしろ大きくなり続けている。
hesitating within their own ambivalence.
I am not trying to fix their meaning,
nor aiming for critique.
I only wanted to hold, within these symbols,
the point where tensions are already at work.
hesitating within their own ambivalence.
I am not trying to fix their meaning,
nor aiming for critique.
I only wanted to hold, within these symbols,
the point where tensions are already at work.
Whether it is a self-generated force,
or something demanded by society and its systems,
is still not entirely clear to me.
Wealth, capital, eros.
The symbols placed on the surface
are not answers,
Whether it is a self-generated force,
or something demanded by society and its systems,
is still not entirely clear to me.
Wealth, capital, eros.
The symbols placed on the surface
are not answers,
それが自発的な力なのか、
社会や制度によって要請されたものなのか、
いまでも、はっきりとは分からない。
富や資本、エロス。
画面に置かれた象徴は、
答えではなく、
それらがもつ両義性に戸惑う思考の痕跡だ。
意味を固定したいわけではない。
批判をしたいわけでもない。
ただ、現実にせめぎ合いが起きている地点を、
象徴の中に、そのまま留めておきたい。
それが自発的な力なのか、
社会や制度によって要請されたものなのか、
いまでも、はっきりとは分からない。
富や資本、エロス。
画面に置かれた象徴は、
答えではなく、
それらがもつ両義性に戸惑う思考の痕跡だ。
意味を固定したいわけではない。
批判をしたいわけでもない。
ただ、現実にせめぎ合いが起きている地点を、
象徴の中に、そのまま留めておきたい。
I try to hold the gap between
embodied technology
and the world it produces—
as a single,
hesitant gaze.
I try to hold the gap between
embodied technology
and the world it produces—
as a single,
hesitant gaze.
Yet it cannot exist without its relation to the unstable human body.
Hands that operate, eyes that verify, voices and ears.
At the center of technology, there is always a body—
even though this fact is so often forgotten.
Yet it cannot exist without its relation to the unstable human body.
Hands that operate, eyes that verify, voices and ears.
At the center of technology, there is always a body—
even though this fact is so often forgotten.
近代世界を形づくる主要な要素として語られる。
しかし実際には、
技術は不安定な人間の身体との関係を抜きにしては存在できない。
操作する手、確認する目や思考、声や耳。
形は違っても、技術の中心にはつねに身体がある。
それにもかかわらず、
この事実はしばしば忘れ去られてしまう。
この人物像では、
身体性と、技術が生み出す世界とのあいだに生じるズレを、
戸惑うひとつの眼差しとして引き受けている。
近代世界を形づくる主要な要素として語られる。
しかし実際には、
技術は不安定な人間の身体との関係を抜きにしては存在できない。
操作する手、確認する目や思考、声や耳。
形は違っても、技術の中心にはつねに身体がある。
それにもかかわらず、
この事実はしばしば忘れ去られてしまう。
この人物像では、
身体性と、技術が生み出す世界とのあいだに生じるズレを、
戸惑うひとつの眼差しとして引き受けている。
and the meanings carried by imagery as fundamental premises.
It does not feel right to prioritize one at the expense of the other.
and the meanings carried by imagery as fundamental premises.
It does not feel right to prioritize one at the expense of the other.
どちらかを優先すれば済む問題ではない気がしている。
身体を持ちながら、意味や制度の世界に生きているという、この人間特有の在り方。
それを絵画としてどう扱えるのかは、いまだに明確ではない。
制作は答えを示すというより、問いを持続させるための行為なのだと思う。
どちらかを優先すれば済む問題ではない気がしている。
身体を持ちながら、意味や制度の世界に生きているという、この人間特有の在り方。
それを絵画としてどう扱えるのかは、いまだに明確ではない。
制作は答えを示すというより、問いを持続させるための行為なのだと思う。
Once again, the face emerged as a central motif.
Having worked as a portrait painter, I remain deeply attached to faces. They are not merely appearances, but places where relationships with others and society are condensed.
Once again, the face emerged as a central motif.
Having worked as a portrait painter, I remain deeply attached to faces. They are not merely appearances, but places where relationships with others and society are condensed.
今回も「顔」というモチーフが自然に中心に残った
かつて似顔絵師として、また肖像画を描いていた時期があり、顔という対象には個人的にも造形的にも強い関心がある。顔は単なる外見ではなく、他者や社会との関係が最も集約される場所だからだ
現在の関心は、様式化された顔立ちとリアリズムをどう接続するか、という点にある。それは技法の問題であると同時に、実在しながら宗教や制度、物語といった共同幻想の中で生きる、人間の両義的な存在様式を示唆している
現実には存在しないが、現実を指し示してしまう顔。その曖昧さを、小品という形式の中で、もうしばらく探っていきたい
今回も「顔」というモチーフが自然に中心に残った
かつて似顔絵師として、また肖像画を描いていた時期があり、顔という対象には個人的にも造形的にも強い関心がある。顔は単なる外見ではなく、他者や社会との関係が最も集約される場所だからだ
現在の関心は、様式化された顔立ちとリアリズムをどう接続するか、という点にある。それは技法の問題であると同時に、実在しながら宗教や制度、物語といった共同幻想の中で生きる、人間の両義的な存在様式を示唆している
現実には存在しないが、現実を指し示してしまう顔。その曖昧さを、小品という形式の中で、もうしばらく探っていきたい
世界も日本も、確実に大きく変わりつつある。
この変化の中で、
自分はどの位置に立ち、
どんな表現を引き受けるのか。
それを考えることが、
いま制作の前提になりつつある気がしている。
世界も日本も、確実に大きく変わりつつある。
この変化の中で、
自分はどの位置に立ち、
どんな表現を引き受けるのか。
それを考えることが、
いま制作の前提になりつつある気がしている。
both the world and Japan are clearly shifting.
In the midst of that shift,
I keep asking myself
where I stand,
and what kind of expression I am willing to take on.
It feels as if this question itself is becoming a premise of my work
both the world and Japan are clearly shifting.
In the midst of that shift,
I keep asking myself
where I stand,
and what kind of expression I am willing to take on.
It feels as if this question itself is becoming a premise of my work
「買いやすさ」を担う位置に置かれがち。
でもプロセスエコノミーの中では、小品の方がむしろ
今の思考や技法が露骨に出る気がしている。
問題は、密度を落とさずに
どこまで即興性を許せるのか。
このバランス、
どう考えるべきだろう。
「買いやすさ」を担う位置に置かれがち。
でもプロセスエコノミーの中では、小品の方がむしろ
今の思考や技法が露骨に出る気がしている。
問題は、密度を落とさずに
どこまで即興性を許せるのか。
このバランス、
どう考えるべきだろう。
流行や即効性から距離を取りながら、
自分なりの方法で、丁寧に追っていく。
That’s why this year, I’ll follow one theme throughout,
keeping distance from trends and quick results,
and pursue it carefully, in my own way.
流行や即効性から距離を取りながら、
自分なりの方法で、丁寧に追っていく。
That’s why this year, I’ll follow one theme throughout,
keeping distance from trends and quick results,
and pursue it carefully, in my own way.
引き受けて、組み立てていくこと。
Not optimizing by separating things,
but taking responsibility and assembling them.
引き受けて、組み立てていくこと。
Not optimizing by separating things,
but taking responsibility and assembling them.
専門分野も、人間関係も含めて、
自分の人生と世界をどう構築するか、という一つの問題として考えたい。
This is not only about creation.
It includes my field, my relationships—
how to build my own life and world as a whole.
専門分野も、人間関係も含めて、
自分の人生と世界をどう構築するか、という一つの問題として考えたい。
This is not only about creation.
It includes my field, my relationships—
how to build my own life and world as a whole.