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越境:反響 振動の渦中で
Beau is afraidについて語ろうとするとミッドサマーの消費のされ方とBeau is afraidの広告のされ方について触れない訳にはいかなくて。絶対自分が「怒」に振れるのが分かりきってるから(それってやらない方がよくない…?)となだめすかしている…(でもそれが逆に筋トレになってしまってる予感もある…)
November 22, 2025 at 2:40 PM
自分が無意識に「個人としての母はどこで存在できるのだろうか」という問いを忍ばせてしまっていることに気づいた。自分のこういうところが押し付けがましい…どこまでいってもマザコンだあ…
November 22, 2025 at 2:14 PM
対お子さんの私がアッパーで、知人の前の私がローで…知人との関係も元々はロー同士のゆるっとした感じでぇ…
お子さんの前の知人がローを維持したままなのもなんか…関係継続していけるだろうかと不安を煽る。
November 19, 2025 at 2:18 PM
遊びをせがまれると嬉しい気持ち〜と、それはそれとして関係性の主軸を見失ってもいいのか?!みたいな焦り…お子さんたちが私に見向きもしなくなった頃、もう一度知人とまったり時間を過ごせるような余地を失ってしまうことが怖い…
November 19, 2025 at 2:06 PM
あの映画の何を誠実と感じたのか、おそらく「話そうとする姿勢」を感じたからだ。ミッドサマーがフィクションとして食い尽くされたのちに、伝わらなかった切実さをかき集めたようなあの映画がとても大切だ。
November 19, 2025 at 3:14 AM
であれば、私は「どうすればいいのか?」…父の圧力に屈しないでいられる磐石な生活基盤と財力と体力…コミュニティといってしまうとなんだか味気ないが、友人や知人との繋がり(好きなことが多くて良かった)を大事にしていたい、というのが今のところの返答だ。あのタイトルに、私は返答する資格などないけれど…せめて携えていきたいと思うのだ。
September 30, 2025 at 4:16 PM
記しておくべきだろうと思う事柄は、
父は生粋の九州男児であり、当然のことながら親や親族の姿をみて内面化された文化において、彼の現状も認識も「正しい」のだ。これを否定せずに変容させることは非常に困難だ。彼自身、長男として多くの重圧に晒され、耐え諦めてきたものが沢山あるはずで、それは私の想像の及ばない不自由であっただろう。
September 30, 2025 at 4:01 PM
と、なってくると老後になって急に「家族」に取り組みだした父に対し、私は思いの丈をぶつけたくなる。私が十分大人と呼べる年齢になったので対話を始めた父のことを内心白い目で見ている私に気付きもしない姿、家族団欒の風景に満足げな姿は十分に腹立たしい。団欒が欲しかったんなら関係構築をショートカットすんなよという怒りがある。
September 30, 2025 at 3:50 PM
こうして自分の現状と重ねてみたときに、やはり母親というもののの孤独を思うと、少なくとも私は、私の母でもある彼女個人に、これ以上何かを求めたくない、と思ってしまう。これは私の父の子ども嫌いによるものなのだが、母への父の愛情や接触を奪ったのは間違いなく私なのだ。
September 30, 2025 at 3:39 PM
「そんな酷いこと」と言う撮影者のお母さんは、おそらくはお父さんと同様に、お父さんの意見を尊重することで様々な折り合いをつけてきた筈なのだ。過去を否定されたと感じて傷ついていたのかもしれない。
September 30, 2025 at 3:32 PM
なんで今これを記しているのかというと、今の自分の家庭環境が近しいからだ。私は実家を出ているので適度に距離をとれているが、それでも私の生き方に父からの圧力がかかることがある。私も最初は母に現状の家族のあり方について相談したけれど、母が父の…おそらくは私の知り得ない内面を慮って躊躇していることが伝わる。離れて暮らしている以上、父の苦痛に巻き込まれるのは母なのだ。無責任に押し付けることはできない。
September 30, 2025 at 3:25 PM
こうなってくると、手を加えようという心がくすぐられる。丈を詰めたり袖を絞ったり…なるべく前の方にならって生地は断たないように、折り紙式で。今となってはかえってその方が手間そうではあるんだけど、まあ前人者のDIY精神に当てられたのだから仕方ない。しばらく手慰みが出来そうで良かった。
September 30, 2025 at 7:12 AM
端切れの様な値段で買ったし、自分も雑に羽織る室内着として着用してきた。用途はあっていた。襟まわりの目につく箇所はしっかり作ってあるので、本来丁寧に作る方なのだろうと思うと、見えないところの縫い目の飛びかたや端の処理などが微笑ましい。わかる。どうせ見えないしとまってりゃいいよね…
September 30, 2025 at 6:54 AM