海抱石
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meerschaum.bsky.social
海抱石
@meerschaum.bsky.social
付録として地図とか図面がついてくる作品には、それもちゃんと高品質な添付ファイルとしてダウンロードできるようになってるのもいい。仕事が丁寧。
November 16, 2025 at 11:43 AM
Reposted by 海抱石
〈スプロール〉三部作、再完結。
November 12, 2025 at 9:04 AM
アナウンサーがどなたかはわからなかった。
November 9, 2025 at 12:25 PM
解説は浅田彰、インタビュアーは巽孝之。『ディファレンス・エンジン』発表の翌年ということなので、おそらく1991年の番組。
始めてPCを買って起動した時の起動音に驚いて故障じゃないかとメーカーに問い合わせたという話や、企業がハイテク製品の買い替えサイクルを早めることで大量のゴミが生じているという問題、そうして生じた廃品を再利用することに宿る自由と可能性への関心(デッドテック)、機械に精通したラッダイトという主題への言及など。
November 9, 2025 at 12:21 PM
ウィリアム・ギブスンインタビュー2/2
www.youtube.com/watch?v=yTUX...
ウィリアム・ギブスンインタビュー 2/2
YouTube video by potlatch06
www.youtube.com
November 9, 2025 at 11:54 AM
人間が現実には存在しないものを目に見える形として表現し、その表現が今度はモデルになって現実がフィクションに似せて構築される、というフィクション論でもあり、
そのような現実が社会的にどう構築されるのかという力学を明らかにした権力論でもあり、
そのようにして構築された「近代的国際社会」の成り立ちを解剖した近代論でもあり、
地図という切り口から見た主要人文学理論の良質な入門書でもあり……
濃密な本だった。
October 26, 2025 at 11:48 AM
かつてある帝国が縮尺一分の一の地図を製作し、それが領土を覆った途端帝国も地図もバラバラに破れ消えたという、ボルヘスの幻想的掌編「学問の厳密さについて」(正確にはそれを採り上げたボードリヤールの読解)が本書のライトモチーフになっている。
他にも、誰も見たことがない帝国の領土を実感させるために領民が壁の建造に動員されるカフカの「万里の長城」にも言及がある。
October 26, 2025 at 11:38 AM
地図とは本質的にフィクショナルな(架空の)ものだというのが本書の主眼で、にもかかわらず/だからこそ地図は現実を「地図に合わせて」作り上げる力がある、と本書は力説する。
それを人文学・社会学の理論(中心にあるのはデリダ、フーコー、ボードリヤール等)と歴史上の実例(古代メソポタミアの世界図に始まり、中世欧のTO図、エンリケ航海王子、欧州によるアメリカ「発見」、21世紀の宗教・民族紛争、etc.)を縦横に引証しながら克明に論じている。
October 26, 2025 at 11:30 AM
メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』はそのテクスト性ゆえに怪物に雄弁に語らせることができたが、他方ストーカーの『ドラキュラ』ではそのテクスト性ゆえにドラキュラの声が抑圧されていた。
映画というメディアは、怪物の声は抑圧したが、ドラキュラの声はむしろ解放した。
September 28, 2025 at 6:48 AM
原作で怪物は雄弁に語っていたが、一方でドラキュラは原作では「声」を奪われている、という点でも対照的だな、と今気づいた。
September 28, 2025 at 6:43 AM
フランケンシュタインの怪物は映画によって袋小路に入った感があるが、一方で吸血鬼(ドラキュラ)は映画によって却って多様な意味を獲得したようにも思えて、そのへんの違いも興味深い。ドラキュラと怪物とで何が違ったんだろう?
September 28, 2025 at 6:41 AM
「怪物」(monstre)という言葉がもともと「神からの警告の印」という意味であり、もっぱら視認性のみを備えた「見られる」」だけの存在だったことを考え合わせると、メアリー・シェリーが文学でその怪物に「声」を与えて、映画がそこから「声」を奪ってビジュアライズした(声を持たず見られるだけの存在へと退行させた)ことは、
文学というメディアって何だろう、映画というメディアって何だろう、ということを考え込ませられる。
September 28, 2025 at 6:38 AM
無数の翻案(バリエーション)という点で、いわば怪物的種族としての繁栄だったのが十九世紀の状況だったとすると、ホエールの映画版で変質・固定した二十世紀、二十一世紀以後の流通状況は、さながら個としての不死身の怪物だと言えるかもしれない。
無数の声でガヤガヤと喧しく喋っていた怪物的種族とは対照的に、この不死身の一個の怪物には「声」がない。
September 28, 2025 at 6:34 AM
以下、感想。
原作で怪物は伴侶を得られず孤独なまま北極の海に露と消えるわけだけど、その怪物と相似形にあるテクストとしての『フランケンシュタイン』はそれとは対照的に無数の子孫を得て十九世紀のあいだ大いに地上に繁栄したのだな。
September 28, 2025 at 6:29 AM