倉沢繭樹
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mayuqix.bsky.social
倉沢繭樹
@mayuqix.bsky.social
ミメーシス体質の言語奏者。
note: https://note.com/mayuqix
Reposted by 倉沢繭樹
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November 15, 2024 at 5:22 PM
●『虎に翼』が描かなかったこと
「結婚を祝うべき晴れの場とし、葬儀を暗く悲しむべき場としない」。「当事者がいない所で、勝手にそのひとのことを話さない」。「理不尽を感じたら怒るのも大事だが、『はて?』と疑問をぶつけてみてもいい」。本作は、あたかも自然のように描かれてきた様々な事柄から一歩引き、それでいいのか? と私たちに問うドラマだった。また、共亜事件裁判、戦時中の言論弾圧関連裁判、総力戦研究所の存在、原爆裁判、尊属殺違憲裁判などを通して、権力に虐げられるひとびとや、戦争の被害者、社会構造がもたらす理不尽に苦悩するひとびと、総じて「マイノリティ」に寄り添う作品であった。それが「 #虎に翼 」だ。
September 29, 2024 at 10:53 AM
●寅子の法律観の変遷
不当解雇に遭ったらしい女性に、労働基準法のことを教え、弁護士事務所を紹介する優未。その相手は、美雪だった。おそらく、その事務所とは「山田轟法律事務所」だろう。「特別な何者か」の幻影を追っていた美雪も、ひとりの労働者になっていた。「どんなありふれた話でも聞く」と寅子が投げかけた言葉は、優未を通して、未来の美雪に少しだけ届いたのかもしれない。
航一に「私の中にお母さんを感じた。法律ってお母さんなんだよな」としみじみと話す優未。「清水が湧く泉」、「人権や尊厳から生まれるもの」そして「多様なひとたちが乗る船」へと変化してきた寅子の法律観
皆さんにとって、法とは?
雨垂れは花びらへ
September 29, 2024 at 10:20 AM
血が流れていても、そんな地獄を喜ぶ者は、少数でもここにいる、と声を上げるよね。明律大女子部の面々や玉、轟や航一が桂場を見ている。発言を撤回した桂場の額にへばりついた桜の花びらを取る寅子。SNSで多くの人たちが指摘している通り、この行為で、フィクションの桂場が「ヘタレ右翼」の道を進む可能性を摘み取った、ということだろう。彼は「まっとうな保守」のまま、生涯を終えるのかもしれない。それが、寅子のバディたる桂場にふさわしい。現実に挫折し、あえて理想にコミットする振る舞いを「浪漫主義的」だとするなら、現実の石田を、理想の桂場で塗り替える浪漫主義を見た思いだ。
September 29, 2024 at 10:00 AM
●現実の石田和外を、虚構の桂場で塗り替える浪漫主義
桂場等一郎のモデルとされる、第5代最高裁長官の石田和外は、退官後、元号法制化実現国民会議を結成。組織は改称後、97年に日本を守る会と統一し、「日本最大の保守団体」日本会議となる。
桜には、軍国主義や戦死を美化する「散華」のイメージがつきまとう。「ご婦人が法律を学ぶことも、職にすることも反対」との桂場に、自身の新たな法律観を語り、「君のような女性が特別だった時代は終わったのだな」には「私のような女性はいつだって五万といる。ただ、時代が特別にしただけ」と返す寅子。
September 29, 2024 at 9:40 AM
●寅子の「バディ」よね、そして桂場
英文学者の小川公代氏とのトークイベントで、脚本の吉田恵里香氏は、「寅子は家父長制を内面化していますよね」との小川氏の言葉に、頷いていた。そう、寅子は「良家の箱入り娘」。「結婚した女性は無能力者」との民法の規定に疑問は感じても、家父長制自体を批判する視点はない。一方、よねは貧農の生まれ。女でいることを拒否し、家を飛び出した。直感的に家父長制の弊害がわかっている。「自分を曲げざるを得ないひと」と「自分を曲げないひと」。寅子とよねは、育った環境も信念も異なっているが、それゆえ、共に相手を必要とするバディだ。そして、寅子が折に触れ、法律観を語ってきたバディが桂場だ。
September 29, 2024 at 9:14 AM
桂場が美位子の事件を受理する決断を下すのに、大きな影響を与えたと思われる航一の問題提起に「法は法、道徳は道徳」との言葉があった。世間的な興味・関心の基準=道徳はそれとし、法はより普遍的な判断基準を持たねばならないとの意味か。一般道徳的には尊属殺は重罰がふさわしいとしても、憲法は「法の下の個人の平等」を規定しているのだから、この場合、道徳は退けられるべきだと。「美佐江/美雪」の問うたことの本質は、法ではダメと言うが、道徳ではOKなことが現実にある、その矛盾はどうなのかだった。これに二重の意味で本作は答えた。「道徳はどうあれ、法が社会を守る」「法はどうあれ、道徳が社会を守る」双方真なりと
#虎に翼
September 24, 2024 at 1:26 PM
●『虎に翼』における「美佐江/美雪」の意味
美雪の不敵とも見える態度に、音羽が制止しようとしたが、寅子は「続けて」と促した。また、美雪が、母・美佐江がそんな乱暴な答えに納得するか、と問うた時、今、あなたの質問に答えている、母親の話はしていないと返している。穂高が寅子の素朴な疑問を受け止めた時、そして、穂高が目の前の寅子を素通りした言葉を発した時と関連している。後者は、穂高を反面教師とし、目の前の美雪と向き合っている。母親の言葉に捕らわれず、どんなあなたでもいい、どんなありふれた話でも聞くと告げるが、これは優三の「どんなトラちゃんでもいい、好きなことに一生懸命なら」の感染。寅子イズムだ
#虎に翼
September 24, 2024 at 1:01 PM
●寅子への/からの「感染」
よねが最高裁で弁論した際、寅子の口癖「はて?」が重要なアクセントになっていた。作中で寅子以外に「はて?」を口にしたことがあるのは、娘の優未とライアン、そして小橋だった。が、小橋は「昔のお前なら、『はて? はて?』と言ってただろうな」と寅子をからかう文脈だったので、実質2人。そして、よねが3人目だ。よねは一貫して怒り含みの感情的な「は?」が口癖だったが、認知的レベルで対処する「はて?」が弁論のトーンを落ち着かせている。他者にミメーシス(感染的模倣)をもたらす寅子は、しかし、自身も他者から感染している。それは穂高であり、優三だ。美雪との対話に、それは表れていた
#虎に翼
September 24, 2024 at 12:36 PM