書きました。連句の面白さだけでなく川柳の面白さも届けていきたいです。
堀田季何の見ている世界が少しわかったり、新たな知見があったり、思ってた100倍俺の生活のこと心配されてたり。
已まず勉強と創作を続けようと思える時間でした。
あと堀田季何喋りすぎ問題も理解できた気がする。お世話になった先生とかもそうなんだけど、強引にターンテイキングしないと一生喋っている人っている。話している途中に割り込まれたら嫌、話の筋が分からなくなると嫌って人は、割とターンテイキングを明確にすると思ってるし、季何系の人はおそらく話に割り込んでもOKだと思ってそう。
堀田季何の見ている世界が少しわかったり、新たな知見があったり、思ってた100倍俺の生活のこと心配されてたり。
已まず勉強と創作を続けようと思える時間でした。
あと堀田季何喋りすぎ問題も理解できた気がする。お世話になった先生とかもそうなんだけど、強引にターンテイキングしないと一生喋っている人っている。話している途中に割り込まれたら嫌、話の筋が分からなくなると嫌って人は、割とターンテイキングを明確にすると思ってるし、季何系の人はおそらく話に割り込んでもOKだと思ってそう。
堀田季何御大が「俳句はart(技術的なもの)ではない」とお認めになったぞ!と勝手に盛り上がっている。Xでの投稿をこっちで反応するとどうしても届かない石を届かないから投げている感があるな
堀田季何御大が「俳句はart(技術的なもの)ではない」とお認めになったぞ!と勝手に盛り上がっている。Xでの投稿をこっちで反応するとどうしても届かない石を届かないから投げている感があるな
本書は現代美術の価値を「物としての作品」ではなく「人と人のあいだに生まれる関係」に置き直した理論。観客が参加し、対話し、共同で場をつくること自体を芸術の中心に据え、1990年代以降の参加型アートを読み解く枠組みとして大きな影響を与えた。料理をふるまう、交流の空間をつくるなどの行為が、美の新しい形として評価される点が特徴である。
#読書
本書は現代美術の価値を「物としての作品」ではなく「人と人のあいだに生まれる関係」に置き直した理論。観客が参加し、対話し、共同で場をつくること自体を芸術の中心に据え、1990年代以降の参加型アートを読み解く枠組みとして大きな影響を与えた。料理をふるまう、交流の空間をつくるなどの行為が、美の新しい形として評価される点が特徴である。
#読書
こいつ季語になってるのマジでわからん
こいつ季語になってるのマジでわからん
俳句をアホほど作らねばならんがもうこれである
俳句をアホほど作らねばならんがもうこれである
kanji.jitenon.jp/kanjiy/12412
kanji.jitenon.jp/kanjiy/12412
俳句じゃなくて川柳の中で使われる言葉として
俳句じゃなくて川柳の中で使われる言葉として
藝術という概念は西洋からやってきたこと。
藝術伝来以前の日本には藝術以外の価値観があったこと。
以上二点を踏まえれば、連句を藝術として取り組む、藝術として捉えるというのは新しい試みで、原初の形や伝統的に行われてきた形を無視しているのではないか。
人間の様々な営みが「仲良くなること」に起因しており、連句にもその側面はある(本歌取りや捌きの働きなど)。であれば連句がこれまでの歴史においてどのように機能してきたか。それを知らずして連句は語れないのではないかとも思う。
藝術という概念は西洋からやってきたこと。
藝術伝来以前の日本には藝術以外の価値観があったこと。
以上二点を踏まえれば、連句を藝術として取り組む、藝術として捉えるというのは新しい試みで、原初の形や伝統的に行われてきた形を無視しているのではないか。
人間の様々な営みが「仲良くなること」に起因しており、連句にもその側面はある(本歌取りや捌きの働きなど)。であれば連句がこれまでの歴史においてどのように機能してきたか。それを知らずして連句は語れないのではないかとも思う。
いつからこんな句と首を使い分けるようになったんだろう。
いつからこんな句と首を使い分けるようになったんだろう。