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kaito-ango.bsky.social
@kaito-ango.bsky.social
「「ユダヤ教」とは、ユダヤ人の宗教である。これは明白である。しかし、ユダヤ人とは誰であろうか。(中略)われわれは暫定的に、次のようにみなしておこう。すなわち、ユダヤ人とは、「」タルムードのラビたちによって形成された伝統を積極的に受け入れ、その伝統に従ってユダヤ人であると自認している、現代の諸集団の全成員である、と。この定義は、保守的なユダヤ教神学校ではなお「ユダヤ教」に含めて講じられている「旧約聖書の宗教」を除外する、ということを意味する。」
 『A Very Short Intoroduction JUDAISM』
Norman Solomon 訳山我哲雄 2003 岩波書店
December 9, 2025 at 12:55 AM
「だいたい日本人は「見る」ということに重要な意味を与える。(中略)自分の目で見なければ、認識の根拠としてすこぶる薄弱だとする意識がある。いうなれば現場主義であり、体験主義であり、実証主義である。日本人のカメラ好きも、絵葉書では満足できなぬ「自分の目で見て確かめる」実証主義のなせるわざであろう。」
November 6, 2025 at 2:00 AM
「教科書を読む力」とは「知識や情報を伝達する目的で書かれた自己完結的な文書」を「自力で読み解ける力」です。
自己完結的な文書とは「新しく使う用語を導入する際に、定義と例が書かれており、すべての主張にその根拠が書かれている」、そして「解釈がひとつ(一意)に定まる」ような文書です。
『シン読解力』新井紀子2025
September 15, 2025 at 1:47 AM
「洋の東西を論ぜず、世の古今を問わず、宇宙物心の諸所中、普通の道理をもって解釈すべからざるものあり。これを妖怪といい、あるいは不思議と称す。」井上円了
『妖怪学講義』菊池章太 講談社
August 5, 2025 at 5:32 AM
「加害者は社会の中でつくられているわけです。彼らが子どもの時代から成人になるまでの間で、子どもを性の対象としていいという学習をどこかでしているわけです。私は日本の社会の中にそれを肯定するような価値観がたくさんまだ残っていると思うんです。
被害は黙認され、なかったことにされ、加害者は透明人間のままでいる。こういう現象が日本の至る所で起きているわけです。
啓発とか報道の中で、もしくは性教育を地道にやる中で少しずつ変えていく必要があるのかなと思います。」

斎藤章佳 精神保健福祉士
NHKスペシャル調査報道新世紀 2025/6/17
June 25, 2025 at 2:26 AM
「だが日本人ぐらい、いわばこれ(偽メシア運動)にだまされやすい民族も少ないーなぜか。感情がすべてにおいて批准権をもち、黙示文学が歴史とされ、そのため簡単に宗教的暗示にかかるからである。」
『日本人と中国人』イザヤ・ベンダサン(山本七平)2005
§1感情国家・日本の宿痾
June 6, 2025 at 8:23 AM
1「今天我累死了」
訳:今日、疲れて死にそうです(死ぬほど疲れました)
返答:「辛苦了」(おつかれさん)

2「今天把我累死了」
訳:今日は、疲れて死にそうです(死ぬほど疲れました)
返答:「你工作很忙吗?」(仕事が忙しかった?)

解説:2は介詞「把」を用いた二重主語文。聞き手の注意を理由に向かわせる( 『つたわる中国語文法』林松濤)

所感:今天把[我(累死了)]ということか?中文では「把」で取り立てる「我」の扱いでニュアンスや返答が変わるのに、訳文に主語が現れないのが自然な日本語。
May 21, 2025 at 1:42 AM
「よく、日本語は主語があいまいだ、などと言われますが、決してそんなことはありません。日本語は、明示しなくても主語がわかるしくみを備えた言語です。しかし、主語を明示しなくてもわかる、ということと、主語をごまかしてもいい、ということは、まったく別問題です。」
清水由美2020『すばらしき日本語』 P.161
May 6, 2025 at 12:55 AM
「主語は、他のあらゆる言語学的事実と同じで、その(具体的)振る舞いにおいてのみ定義づけられるものだ。もし命令文、省略文以外で、ある要素が術後と不可分に現れるなら、それは主語である。この不可分性をもたないものは主語ではない。それは形(例えば語幹)や文の位置がどうあれ、他の補語と同じく一つの補語に過ぎない」
『言語学的機能としての主語とバスク語の分析』アンドレ・マルチネ(金谷武洋訳)『日本語に主語はいらない』金谷武洋2002
April 24, 2025 at 7:50 AM
「「見る」というのは、ただの身体的動詞にすぎない。
しかし、見る・みられる、あるいは見入られる、ということには、特殊な未開以来の神秘感情の系列もまじっている。蛇に見られた、化性のような猫に見られた、あるいは死霊に見られた、などということからくる怖れは、祟られるという感情と入りまじっている。
古代のある時期までは、神も死霊も、生ける者に祟りをなし、害を与える存在であった。それらは、生ける者を見、かつ祟る。ただ、精神史の発達とともに、神も死霊も、生ける者がそれらをまつることによって善をなすようになった。」
司馬遼太郎『箱根の坂 下』修善寺の湯P.65
March 13, 2025 at 1:55 AM
武器輸出三原則(佐藤栄作1967国会答弁)
・共産圏諸国への輸出は認められない
・国連決議の武器等輸出禁止国への輸出は認められない
・国際紛争当事国、その恐れのある国への武器輸出は認められない
March 7, 2025 at 2:28 AM
「兵庫どの。日の本の国は神(かむ)ながら言挙げせぬ国、まして目上に論は立てぬものぞときかされて参りましたが、あえて兵庫殿に申し上げます。」
『箱根の坂』上 骨皮道賢 司馬遼太郎

原典「葦原の瑞穂の国は神(かむ)ながら言挙げせぬ国しかれども言挙げぞ我がする」
」『万葉集13-3253長歌』
February 24, 2025 at 1:45 AM
大戦末期、佐野に駐屯していた戦車第一連隊は、米軍が東京湾か相模湾に上陸してきた場合、高崎を経由している街道を南下し迎撃する命令を受けた。大本営参謀が連隊に来た時、福田定一少尉(司馬遼太郎)が東京から北上してくる避難民と遭遇する、その交通整理はあるのか問うと、「その人は初めて聞いたというようなぎょっとした顔で考え込んで、すぐ言いました。(中略)「ひき殺して行け」」 と言った。」
『朝日ジャーナル』昭和46年1月1-8新年合併増大号

発言もさることながら、軍事計画立案命令する側が指摘されるまで起こりうることを想定していなかったことがうかがわれ、机上の空論で戦争遂行したかがわかる証言。
January 19, 2025 at 8:31 AM
海外から都市景観の研究者たちが京都を訪れた時、その美観を称賛し、「もっとも、電柱がいけない」と指摘した。案内していた貝塚茂樹氏が「日本人には見たくないものは見ないという特技がある」と南画を例に挙げ返したらしい。人間の理想を描写する南画的理想郷を脳裏に浮かべるには、眼前の不要なモノ(電柱やら)を消去するという特技が必要であり、日本人にはその能力がある、といったという。
『清張さんと司馬さん』半藤一利
January 19, 2025 at 8:11 AM
ティム・インゴルド(Tim Ingold)『Lines』2007
徒歩旅行(wayfaring)と輸送(transport)
「徒歩旅行は絶えず動いている状態にある。いわば旅行者は動きそのものである。輸送は目的地指向である。それは生活の道に成長することではなく、ある位置から別の位置へ横断して人や物資をその基本的性質が変化することのないように運搬することである。」
January 17, 2025 at 8:42 AM
存在を理解するということは、比較し、対比することではじめて可能になる。どこが違うのか、その差異を知ることでしか独自性を浮かび上がらせることはできない。私たちは世界中のそこかしこにある「差異」を通して、この世界を理解しているのだ。
クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss)構造主義の原点
奥野克己2023
January 16, 2025 at 2:09 AM
imponderabilia[不可量的部分]思考できないもの。構造の骨組みから漏れ落ちる微細な部分。数値で計測できない情緒や感情など、言語化しにくい情報を持っている。
ブロニスワフ・カスペル・マリノフスキ(Bronisław Kasper Malinowski)は参与観察することで得られる生のインポンデリビーリアを重要視することを主張
『はじめての人類学』奥野克己2023
January 16, 2025 at 1:29 AM