フィンランド、アメリカ合作。ソ連に復讐中のヤバいフィンランド人老兵がラップランドで金鉱石を掘っていたところにナチのやつらが来て悪行三昧なので、一人でボコボコにする。
みんな大好き無双系映画ですが、冬戦争の英雄シモヘイヘを想起させる話はあながちフィクションでないわけではなく、ラップランドも美しいし、セリフが少ない&間合いが長いのもフィンランド映画らしいし、意外と見所あり。しかしナチ側はアメリカの俳優で、悪そうな雰囲気を出そうとしてるけどその演技が極めて米兵っぽさを醸し出してて(当然ドイツ語ではない)、敵表象はこれでええんか、という気にはなりました。
フィンランド、アメリカ合作。ソ連に復讐中のヤバいフィンランド人老兵がラップランドで金鉱石を掘っていたところにナチのやつらが来て悪行三昧なので、一人でボコボコにする。
みんな大好き無双系映画ですが、冬戦争の英雄シモヘイヘを想起させる話はあながちフィクションでないわけではなく、ラップランドも美しいし、セリフが少ない&間合いが長いのもフィンランド映画らしいし、意外と見所あり。しかしナチ側はアメリカの俳優で、悪そうな雰囲気を出そうとしてるけどその演技が極めて米兵っぽさを醸し出してて(当然ドイツ語ではない)、敵表象はこれでええんか、という気にはなりました。
山岳地帯や海上など辺境、国境地帯、国家の余白などのフロンティア空間。先住民、国家、グローバル企業、武装集団など様々なアクターにとって、その空間は何か新たなことをなすことができるのではないかという想像力を掻き立てられ、だからこそ衝突やせめぎ合いが生じる。現代のゾミア的空間をめぐる、複数主体による領域化闘争の民族誌。大変面白かったです。
紛争地帯だったりアクセスしにくい場所であったりというフィールドの特性ゆえか、どうしても男性研究者中心になってしまい、装丁の色彩を含め、少しマッチョな書籍という印象は拭えないですが
山岳地帯や海上など辺境、国境地帯、国家の余白などのフロンティア空間。先住民、国家、グローバル企業、武装集団など様々なアクターにとって、その空間は何か新たなことをなすことができるのではないかという想像力を掻き立てられ、だからこそ衝突やせめぎ合いが生じる。現代のゾミア的空間をめぐる、複数主体による領域化闘争の民族誌。大変面白かったです。
紛争地帯だったりアクセスしにくい場所であったりというフィールドの特性ゆえか、どうしても男性研究者中心になってしまい、装丁の色彩を含め、少しマッチョな書籍という印象は拭えないですが
娘が結婚してひとりになった男の話。主人公(笠智衆)は駆逐艦の元艦長で、元海軍の人や敗戦を語る人が多く出てきて、権威主義的だった元教師も落ちぶれ、敗戦国の黄昏が描かれているようにも思える。
この黄昏ムードは英語圏でこの映画が人気である理由の一つかもしれない。が、よく見ていくと登場人物たちは敗戦にさほど打ちひしがれていないし、むしろ今の安穏さを考えると、負けて良かったねという雰囲気すらある。むしろ彼らの関心事は娘の結婚であったり男やもめの寂しさをどう乗り越えるかであったりと、すべて日常のこと。小津監督はこの遺作で「戦後」の終わりを示したのかなと感じた。
娘が結婚してひとりになった男の話。主人公(笠智衆)は駆逐艦の元艦長で、元海軍の人や敗戦を語る人が多く出てきて、権威主義的だった元教師も落ちぶれ、敗戦国の黄昏が描かれているようにも思える。
この黄昏ムードは英語圏でこの映画が人気である理由の一つかもしれない。が、よく見ていくと登場人物たちは敗戦にさほど打ちひしがれていないし、むしろ今の安穏さを考えると、負けて良かったねという雰囲気すらある。むしろ彼らの関心事は娘の結婚であったり男やもめの寂しさをどう乗り越えるかであったりと、すべて日常のこと。小津監督はこの遺作で「戦後」の終わりを示したのかなと感じた。
沖縄・西原の民話、運玉義留をもとに、戦後沖縄を舞台に義賊・ギルーの活躍を描く。全編琉球語で進み、現実と幻の境目があいまいな民俗的世界観をとてもうまく表現している。
昔見たときは理解不能な部分もあったけど、沖縄について勉強し始めた今見ると、民俗的感覚だけでなく、本土復帰を前に揺れる沖縄のアイデンティティが主題の一つとなっていたことも分かる。
作中の村落やコミュニティには独特のユートピア的雰囲気があり、照屋林助や戸川純の歌がそれを形作る。しかし映画は、復帰によってそのユートピアは失われたのだ、と伝えているのではないか。沖縄の「社会」を描く高嶺剛監督の傑作。
沖縄・西原の民話、運玉義留をもとに、戦後沖縄を舞台に義賊・ギルーの活躍を描く。全編琉球語で進み、現実と幻の境目があいまいな民俗的世界観をとてもうまく表現している。
昔見たときは理解不能な部分もあったけど、沖縄について勉強し始めた今見ると、民俗的感覚だけでなく、本土復帰を前に揺れる沖縄のアイデンティティが主題の一つとなっていたことも分かる。
作中の村落やコミュニティには独特のユートピア的雰囲気があり、照屋林助や戸川純の歌がそれを形作る。しかし映画は、復帰によってそのユートピアは失われたのだ、と伝えているのではないか。沖縄の「社会」を描く高嶺剛監督の傑作。
先日、NYタイムズが選ぶ21世紀の映画4位に入ってたので再見。
60年代の香港。偶然隣室になった男(トニーレオン)と女(マギーチャン)が、互いに配偶者がありながら惹かれ合う…も結ばれることも恋として始まることもなく、すれ違いのまま終わる。
昔見たときは中年の淡い恋を描いた特に山場のない映画に何の価値が?と思っていましたが、反省…。愛と悲しみの「ムード」を表現する繊細な描写と美しい音楽に深く心を動かされました。山場のないまま人生終わるのかなと思っている中年になって見るべき映画ですね…。ウォンカーウァイ監督天才すぎ(今さら!?)
先日、NYタイムズが選ぶ21世紀の映画4位に入ってたので再見。
60年代の香港。偶然隣室になった男(トニーレオン)と女(マギーチャン)が、互いに配偶者がありながら惹かれ合う…も結ばれることも恋として始まることもなく、すれ違いのまま終わる。
昔見たときは中年の淡い恋を描いた特に山場のない映画に何の価値が?と思っていましたが、反省…。愛と悲しみの「ムード」を表現する繊細な描写と美しい音楽に深く心を動かされました。山場のないまま人生終わるのかなと思っている中年になって見るべき映画ですね…。ウォンカーウァイ監督天才すぎ(今さら!?)
天才エンジニアのリリはトニースターク奨学金で学ぶMIT学生だが、数々の問題により退学に。シカゴに戻り、”スーツ”を武器に謎の犯罪集団の一因として金を稼ぐようになるが…。
とりあえず2話まで見た。アイアンマンの2代目、ってことなんでしょうか。てっきり『アイアンマン3』(と、『アヴェンジャーズ エンドゲーム』の葬式シーン)で出てきたエンジニア少年がトニー・スタークを継ぐのかと思ってましたが。キャプテンアメリカをサム(アンソニー・マッキー)が継いだように、白人→黒人という継承にマーヴェルの意思を感じます。
天才エンジニアのリリはトニースターク奨学金で学ぶMIT学生だが、数々の問題により退学に。シカゴに戻り、”スーツ”を武器に謎の犯罪集団の一因として金を稼ぐようになるが…。
とりあえず2話まで見た。アイアンマンの2代目、ってことなんでしょうか。てっきり『アイアンマン3』(と、『アヴェンジャーズ エンドゲーム』の葬式シーン)で出てきたエンジニア少年がトニー・スタークを継ぐのかと思ってましたが。キャプテンアメリカをサム(アンソニー・マッキー)が継いだように、白人→黒人という継承にマーヴェルの意思を感じます。
湾岸エリアは地域事情で公明党、共産党が強く、公明にとっては池田元名誉会長の生まれた”聖地”でもあったわけですが、選管PDFをClaudeに読ませて過去6回の都議選得票数を整理させたところ、両党とも漸減していることが分かります。今回の当選ラインは約23,000票。共産党が過去に候補者を1本化したように、公明党は次回同じような戦略を採らざるを得ないのかなと思いますね。
しかし共産党の得票数減少は著しく、今回は2位当選でしたがこの減少幅だと4年後は当落上なのでは…
湾岸エリアは地域事情で公明党、共産党が強く、公明にとっては池田元名誉会長の生まれた”聖地”でもあったわけですが、選管PDFをClaudeに読ませて過去6回の都議選得票数を整理させたところ、両党とも漸減していることが分かります。今回の当選ラインは約23,000票。共産党が過去に候補者を1本化したように、公明党は次回同じような戦略を採らざるを得ないのかなと思いますね。
しかし共産党の得票数減少は著しく、今回は2位当選でしたがこの減少幅だと4年後は当落上なのでは…
ジョン・アーリ、アンソニー・エリオットら英国社会学における移動論的転回をふまえ、移住や仕事、観光などで人々が自由に移動することと、逆に移動しない/できないこと(インモビリティ)との関係を、ジェンダーや収入などの格差から読み解いていく。アマゾンでは一部低評価も付けられていますが(SNSマーケティングの弊害?あるいは格差を問う本に起こりがちなこと?)、本書の提起はモビリティスタディーズの基本的な視点として重要で、観光学とかを学んでいる学生は読んだら良いのでは。
ジョン・アーリ、アンソニー・エリオットら英国社会学における移動論的転回をふまえ、移住や仕事、観光などで人々が自由に移動することと、逆に移動しない/できないこと(インモビリティ)との関係を、ジェンダーや収入などの格差から読み解いていく。アマゾンでは一部低評価も付けられていますが(SNSマーケティングの弊害?あるいは格差を問う本に起こりがちなこと?)、本書の提起はモビリティスタディーズの基本的な視点として重要で、観光学とかを学んでいる学生は読んだら良いのでは。
ロボット犬が歩いているのとか、カントリー歌手の緩いコンサートとかちょっと面白かったですが。もうちょっと北朝鮮のガチ軍事パレードとか、インドの3時間半超絶カオス軍事パレードをYoutubeライブで見習ってほしいですね。できないなら専制国家は向いてないんで、自由主義国家のままでいいんじゃないですかね…
ロボット犬が歩いているのとか、カントリー歌手の緩いコンサートとかちょっと面白かったですが。もうちょっと北朝鮮のガチ軍事パレードとか、インドの3時間半超絶カオス軍事パレードをYoutubeライブで見習ってほしいですね。できないなら専制国家は向いてないんで、自由主義国家のままでいいんじゃないですかね…
文庫版は各章末尾に、著者による、初版の「若書き」への自己言及的な追記がなされていて面白いし、佐藤健二さんの解説もよい。
文庫版は各章末尾に、著者による、初版の「若書き」への自己言及的な追記がなされていて面白いし、佐藤健二さんの解説もよい。
と同時に、民俗学会はずっと前からこのような垣根のない学会運営(少なくとも書籍コーナーに関しては)をしていたんだということを自己再評価し、そこから何かさらに発展的ことが生まれたらいいのになとは思う。
と同時に、民俗学会はずっと前からこのような垣根のない学会運営(少なくとも書籍コーナーに関しては)をしていたんだということを自己再評価し、そこから何かさらに発展的ことが生まれたらいいのになとは思う。
洪水は生命力の源であり、ダムや堤防による人工的制御がそれを殺しているのではないか。河川を生きた動的システムとして再定義し、人間による自然の管理を問い直す。『ゾミア』の中心的フィールドとなったミャンマー(ビルマ)エーヤワディ川を事例とした、スコットの(たぶん)遺作
洪水は生命力の源であり、ダムや堤防による人工的制御がそれを殺しているのではないか。河川を生きた動的システムとして再定義し、人間による自然の管理を問い直す。『ゾミア』の中心的フィールドとなったミャンマー(ビルマ)エーヤワディ川を事例とした、スコットの(たぶん)遺作