そして、そうした「彼ら」の主張に耳を貸して、その能力や背景なんかを検討、推測して慮る面倒を、そうした検討が必要な立場(政治家、学者、先生などですかね)ならまだしも、なぜ「彼ら」と同じ反差別側の「庶民」まで負わなければならないのか、やっぱり飲み込めずにいます。80〜90年代に駅前とかで街宣車バックに日帝史観演説してた極右なんて、行き交う人々に路傍の石ころのごとく無視されてた(祖母に「見ちゃいけません」と言われた憶えあります)もんですけど。隔世の感ありです。
そして、そうした「彼ら」の主張に耳を貸して、その能力や背景なんかを検討、推測して慮る面倒を、そうした検討が必要な立場(政治家、学者、先生などですかね)ならまだしも、なぜ「彼ら」と同じ反差別側の「庶民」まで負わなければならないのか、やっぱり飲み込めずにいます。80〜90年代に駅前とかで街宣車バックに日帝史観演説してた極右なんて、行き交う人々に路傍の石ころのごとく無視されてた(祖母に「見ちゃいけません」と言われた憶えあります)もんですけど。隔世の感ありです。