おふたりはそこまで好きではないのかな。
それとも独自路線すぎて、脱線先にすらいないのかしら(聴き逃してたらごめんなさい)。
これは比較的読みやすくて、なんじゃこりゃ…となる好きな箇所。
おふたりはそこまで好きではないのかな。
それとも独自路線すぎて、脱線先にすらいないのかしら(聴き逃してたらごめんなさい)。
これは比較的読みやすくて、なんじゃこりゃ…となる好きな箇所。
ただシュニッツラーの短編があまりにも素晴らしいから、そこと比べると落ちるかな…。電車で読んだせいかしら。
むしろこの小説の何にそこまで入れ込んだのかにこそ興味が湧くほどに、あまりにも映画が原作準拠でビックリ。
キューブリックは『現金に体を張れ』の出来がピカイチだと思ってるけれども、『アイズワイドシャット』を初めて観た時の衝撃は忘れ難く、超絶好きな映画のひとつ。
『マグノリア』しかり、トム・クルーズは変なヤツやってる時こそ輝いてる。
ただシュニッツラーの短編があまりにも素晴らしいから、そこと比べると落ちるかな…。電車で読んだせいかしら。
むしろこの小説の何にそこまで入れ込んだのかにこそ興味が湧くほどに、あまりにも映画が原作準拠でビックリ。
キューブリックは『現金に体を張れ』の出来がピカイチだと思ってるけれども、『アイズワイドシャット』を初めて観た時の衝撃は忘れ難く、超絶好きな映画のひとつ。
『マグノリア』しかり、トム・クルーズは変なヤツやってる時こそ輝いてる。
これはまぁ4割くらい冗談として、私はワニがとても好きなので行ってきました。
中村禎里『河童の日本史』によれば、かつての日本人は鮫などを含む畏怖すべき水辺の大型動物全般を“和邇”として認識していた(ワダツミも何となく近い…?)、そしてそれが河童のビジュアルイメージに寄与したのでは…とまで。
ここまで怖くてユーモラスな動物は多分他にいない、そして2枚目のイラストがとてもかわいい…
これはまぁ4割くらい冗談として、私はワニがとても好きなので行ってきました。
中村禎里『河童の日本史』によれば、かつての日本人は鮫などを含む畏怖すべき水辺の大型動物全般を“和邇”として認識していた(ワダツミも何となく近い…?)、そしてそれが河童のビジュアルイメージに寄与したのでは…とまで。
ここまで怖くてユーモラスな動物は多分他にいない、そして2枚目のイラストがとてもかわいい…
ジュク ジュク
音声だけでここまで不快感が生まれるのも不思議だ
ジュク ジュク
音声だけでここまで不快感が生まれるのも不思議だ
ゴダール『勝手にしやがれ』中でジーン・セバーグが読んでるのもコレ。「フォークナー知ってる?」と聞かれて「誰だ、そいつと寝たのか?」と答えるベルモンドのアホさ具合に毎回笑ってしまう。
勘所が分かれば凄く打ちのめされそうだけど今のところピンとこない、の筆頭がフォークナーなので楽しみ。
映画だとドイツのファスビンダーがまさにそれ、『13回の新月のある年に』はすげぇなぁ…と感動したので、映画館でいつか観たいなぁ。
ゴダール『勝手にしやがれ』中でジーン・セバーグが読んでるのもコレ。「フォークナー知ってる?」と聞かれて「誰だ、そいつと寝たのか?」と答えるベルモンドのアホさ具合に毎回笑ってしまう。
勘所が分かれば凄く打ちのめされそうだけど今のところピンとこない、の筆頭がフォークナーなので楽しみ。
映画だとドイツのファスビンダーがまさにそれ、『13回の新月のある年に』はすげぇなぁ…と感動したので、映画館でいつか観たいなぁ。
こんな凶行に付き合ってくれる友だちがいて本当にありがたい
いっぱい歩いて楽しかったなぁ…(しみじみ)
こんな凶行に付き合ってくれる友だちがいて本当にありがたい
いっぱい歩いて楽しかったなぁ…(しみじみ)
おじさん本当にありがとう
おじさん本当にありがとう
東京都現代美術館ははじめて行けたけど、常設展はとりわけ素晴らしかった
東京都現代美術館ははじめて行けたけど、常設展はとりわけ素晴らしかった
突如、この如何とも形容し難い官能が目に飛び込んできて衝撃を受けた記憶が、付箋のおかげで蘇る。
ちゃんとコレに感応できた1年前の自分をほめたい、偉い。
突如、この如何とも形容し難い官能が目に飛び込んできて衝撃を受けた記憶が、付箋のおかげで蘇る。
ちゃんとコレに感応できた1年前の自分をほめたい、偉い。
全編が諷喩として機能、言うなれば比喩がそのまま実体として生成していく場、みたいに考えられそう(野暮ったく言い換えると散文詩的)。比較的似た小説を書くのは、この前公開された映画『砂時計サナトリウム』原作者のシュルツとかかなぁ。
この部分なんかは読んだ瞬間、エリュアールの詩に限りなく近い質感だなと。
多様な解釈が可能、という意見も勿論分かる一方で、こういう小説は喚起されるイマージュそのものを楽しむのが1番美味しいと思っちゃう。
全編が諷喩として機能、言うなれば比喩がそのまま実体として生成していく場、みたいに考えられそう(野暮ったく言い換えると散文詩的)。比較的似た小説を書くのは、この前公開された映画『砂時計サナトリウム』原作者のシュルツとかかなぁ。
この部分なんかは読んだ瞬間、エリュアールの詩に限りなく近い質感だなと。
多様な解釈が可能、という意見も勿論分かる一方で、こういう小説は喚起されるイマージュそのものを楽しむのが1番美味しいと思っちゃう。
この詩は折に触れて何度も読みそう
リルケの中ではそこまで有名じゃないのかな、というかこの英訳版あまりにもお見事
この詩は折に触れて何度も読みそう
リルケの中ではそこまで有名じゃないのかな、というかこの英訳版あまりにもお見事
ピエール・アルベール=ビローの詩
バシュラール『空間の詩学』より
日本での知名度は無さそうなので調べてみるとコチラに行き着く、俳諧との関係があるみたい。リルケとおんなじだ
www.grad.osaka-geidai.ac.jp/app/graduati...
ピエール・アルベール=ビローの詩
バシュラール『空間の詩学』より
日本での知名度は無さそうなので調べてみるとコチラに行き着く、俳諧との関係があるみたい。リルケとおんなじだ
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