元記事が「よろしくない」と思った大きな理由。それは中世カトリック教会を現代の問題を語る正当性の根拠に使うことの危うさだ。
現代のカトリック教会は、過去に教会が犯してきた誤りを、ゆっくりとだが訂正しつづけている。例えばガリレオ・ガリレイに謝罪した。
今のローマ教皇フランシスコは、国際紛争などを語る場合には、キリスト教の教理は封印し、啓蒙思想に基づく平和と人権の言葉を使っている。キリスト教徒以外にも通用する世界のどこでも誰にでも通用する言葉だからだ。
元記事の筆者はローマ教皇の爪の垢でも煎じて飲め——と思ったが、口には出さないでおこう。
元記事が「よろしくない」と思った大きな理由。それは中世カトリック教会を現代の問題を語る正当性の根拠に使うことの危うさだ。
現代のカトリック教会は、過去に教会が犯してきた誤りを、ゆっくりとだが訂正しつづけている。例えばガリレオ・ガリレイに謝罪した。
今のローマ教皇フランシスコは、国際紛争などを語る場合には、キリスト教の教理は封印し、啓蒙思想に基づく平和と人権の言葉を使っている。キリスト教徒以外にも通用する世界のどこでも誰にでも通用する言葉だからだ。
元記事の筆者はローマ教皇の爪の垢でも煎じて飲め——と思ったが、口には出さないでおこう。