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K
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観測者の末席に座し、微睡みに揺れ、稀に額を打付ける間抜け。
重篤な厨二病患者でもある。
誰かにとって大切なものは、その別の誰かにとって大切なものではない。

Aにとっての善は、Bにとっての悪かも知れない。
Bにとっての平和は、Cにとっての戦争かも知れない。
Cにとっての抑圧は、Dにとっての解放かも知れない。
Dにとっての生は、Eにとっての死かも知れない。
Xの考える常識は、Yの考える非常識かもしれない。

話せば相互理解できるかも知れないが、どれだけ話しても相互に理解できないかも知れない。

この世のあらゆる物事に、意味はないかも知れない。
が――。
この世のあらゆる物事に、意味は見出され得るかも知れない。

#おはようの意
September 14, 2024 at 11:34 PM
「認識すると発動する効果」を有する対象Aが存在していてこれを除去する場合、対象Aを「認識せずに」対処する方法が必要となる。
ここで重要となるのは「認識」という概念で、その認識に関する定義と範囲ではないかと考える。

基本的な例を挙げるなら、人体の五感に関わる現象ならまず「認識」の範囲に含まれると考えられる。
では、もう一つの感覚とされる「直感」はどうか。
対象を取らず、「ただなんとなく嫌な予感がする」程度でも、それは「認識」と判断されるのだろうか。

もしそれが対象Aの効果を満たさぬなら、加えて認識外の範囲に於いて有効と考えられる干渉方法を実行できるなら、認識外を維持した処理も不可能ではない。
August 25, 2024 at 1:34 PM
もし『全知全能の存在』が善良な人格を備えて『世界』にいるとしても、『そいつ』は『世界』に対して一切の介入もできないだろうと思う。
August 14, 2024 at 1:15 AM
この宇宙では『結合』と『分離』による保存則が遍く全てに共通した原理として働いている(無論、人間も例外ではない)。

が、もし他の宇宙では別の原理が働いていると仮定するなら、どのような原則が設定されているのか。

些かの興味がある。
June 25, 2024 at 3:03 AM
眼鏡を掛けなければ視界が酷くぼやけるが、見ないで済むものを見ないでいられるので、それも良し。
観測者にあるまじき台詞ではあるが。
May 24, 2024 at 4:00 AM
宇宙の総エネルギー量を把握できなければ、宇宙空間に於ける普遍的な保存則が逸脱しているか否かを厳密に測定することは極めて困難ではないかと考えている。
少なくとも、これを打っている現段階では。
May 14, 2024 at 1:48 AM
観測・認識・思考の枠外にある事象は、ともすれば恐怖・苦痛・嫌悪等を伴うかも知れない。

が、超克できないことがあろうか。
May 9, 2024 at 4:50 AM
遍く現象・事象は相対的で、表裏・離合・終始・生死さえも見方によっては同一であり等価と看做し得る。

ではその種の思考を獲得してしまった場合、如何するか。

その思考を一理として置き、同時に疑い、これまで通りに活動しながら別の思案を練る。

修業・修行・修養に終わりは無し。
終わりもまた始まりと同義なれば。
April 30, 2024 at 1:59 AM
お迎え現象と呼ばれる概念、本人だけでなく第三者にも視えるという記述が興味深い。

空間領域に一定の性質を及ぼす力場と呼ばれる概念の構築条件・構築要素などがもう少し一般的に普及可能なレベルにまで解明されれば……或いはその手掛かりを得られることもあろうか。
手掛かりを得られない場合でも、手掛かりを得られなかったという客観的事実を獲得することが可能となる。

そうした謎が解明されると如何なるか。
より良い道の選択肢を得られる可能性が生じる。
April 21, 2024 at 2:29 AM
ネットワークの一部界隈では、物理的な暴力に対する批判意識が顕著に見られる傾向にある。が、それには言葉の暴力が伴っていることも多い。

彼ら彼女らは他者が行ったとされる肉体的な暴力に対して過激な反応を見せているにも関わらず、自身の発する精神的な暴力に対しては頗る寛容に思われるのだ。

私もまた、そうなのかも知れない。
常に自省を促し、粛然として事を為せ。
April 19, 2024 at 3:16 AM
最善や最適解といった概念は、一般的には概ね瞬間的なものでしかないように思われる(判断できる材料も限定されているとする)。

進学を例に考えてみる。
以下、提示する学校(中高大のいずれでも)に進学できるとする。
(個々人の環境にも依るが)いずれに進学するのが最善か。
A:偏差値70
B:偏差値40
C:進学せずに通信で自主学習

一般的な最適解としては、偏差値70の学校に行くことが最善とされるだろう。
そして実際、在学中に問題も起こらず卒業して良い職に就くこともできたと仮定する。
が、人間関係の柵に縛られて心身を病むという悪性の結果に至るということは十分にありうる。
April 15, 2024 at 12:00 AM
「生命」と「非生命」の間にある差異さえも問題として提起される時代が、いつかは訪れるのだろうか。
April 8, 2024 at 6:07 AM
理解不能に類する単語を用いる人が稀にありますが。
それは単なる情報不足だと判断できます。

事象に対する情報を獲得し、道理を修め、理論を構築し、考慮と想像に到達す。
然れば、共感も納得も同情も可能になりましょう。
世間一般で言われる理解と呼ばれるものが、上記の類の感情を示しているものであるなら。

但し、実体験としての情報獲得については極めて困難であると言えます。
現在普及している科学の技術水準では、限定的に設定された複雑な状況を再現するに極めて困難であると考えられるためです。

その点を注視して、理解と称しているのであれば確かに。
現段階では理解不能と言うに十分な状況は大いにあります。
April 2, 2024 at 6:24 AM
やがて全てが終焉を迎えて「何もかもが無くなってしまう」結末に至るとしても、そこで停滞するわけではない。

「何もかもが無くなる」ということは、「何ものをも生じない」ということとイコールではない為だ。

何も無いという状態は、無限の停滞を意味しない。
April 1, 2024 at 5:56 AM
この宇宙には二種類の力がある。

互いに結び付こうとする力。
互いに反発しようとする力。

素粒子の統一理論に於いても、これらに明確な矛盾は見受けられないと思われる。多分。

だが、物理的尺度では直接的に推量できないエネルギーという概念も存在している。
引力、重力、動力、時計、いずれにしても物理的な要素の変化でエネルギーの存在を観測可能としているが、しかしそれらはエネルギーそのものを観測しているわけではない。

そして前述した力についてもまた、同様である。
エネルギーという概念が暗黙裡の前提条件として盲目的に設置されている社会的事実が普及する現状は、良きにしろ悪しきにしろ認識しておいても良い。
March 29, 2024 at 12:49 AM
David Prideさん(カリフォルニア大学サンディエゴ校 病理学准教授)や佐藤 佳さん(東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野の准教授)などといった生物学の研究に寄与している人々の言によれば、体内に存在する多数のウイルスが免疫状態や生理的機能に関与しているとのことである。

納得できる。

だから私が恐らくは風邪による頭のふらつきもまた、それらウイルスや温度・湿度といった環境の諸要素による影響であり決して自身の不健康的な生活習慣のみに起因するものではないと判断できる。寝ろ。
March 28, 2024 at 5:19 AM
言語を重ねれば重ねる程に。
思考を深めれば深める程に。
肉体を動かすことも大事だな、となる。

狩猟・採集・牧畜・農耕。
人類史に於ける環境基盤の変遷。

然し未だに、現行人類は地球という大規模な循環リソース無しには生きることができない文明レベルに位している。
精神的にも、肉体的にも。

纏まりの無い文章を連ねつつ、作業に戻る。
March 27, 2024 at 1:28 AM
客観的事実と主観的事実との間で完全な合致を達成することは極めて困難であろうと思われる。

とは雖も、双方の「協調・互譲・提携」などといった摺り合わせに類する活動によって一定の共有理解を獲得する余地は十分にある。

どちらの認識も必要ではある。
March 25, 2024 at 8:19 AM
言うまでもないことだが……「人間讃歌」などの言葉に見られる「人間」とは、生物学的類別による「ホモ・サピエンス」のみを対象としてはいない。

では「人間」とは何を対象・意味として使われている言葉であるのか。
これを端的に言い示すことは、私には難しい。
ソクラテス、孔孟、釈迦、などを参照すれば感得できることもあろうとは考える。
March 21, 2024 at 6:16 AM
間違ったかもしれないが、失敗はしなかった。

なるほどね……。
March 19, 2024 at 1:01 PM
宇宙空間の始点から現在も続く広範囲への膨張こそが、起点に存在しているのだと思う。

何の起点か。
生命体が保有する繁殖と繁栄の本能である。

与太話だが……恐らくは、宇宙のそれと生命のそれらは本質的に類似するのではないかと想像している。

無論、科学的根拠は一切無い。
March 16, 2024 at 2:09 PM
どれだけの語を費やそうとも、それこそ億や兆を超える情報を叩き込もうとも、相手との理解を共有することは極めて困難だろうと思う。
自己と他者は異なる立場と視点を有しているが故に、全く同位の思考を積むことが不可能である為だ。

とはいえ、ある類型の目的に対して両者ともが行動を突き詰めた場合に於いては、感情や思考の合致に酷似する現象が生じることもあるらしい。
古今東西、類似の事例は幾つか提示されている。
或いはそれら全てが誤解だったとしても、それを求める心情を無視することは賢明ではない。

また、理解できぬと知っていて猶も理解し合おうとする心意気も重要な一事であるようにも思われる。
March 16, 2024 at 10:32 AM
「事象を深く考えられないこと」と「事象を敢えて深く考えないこと」は全く別のものである。

客観的にそれらを判断するのは難しい。
前者はあからさまであるが、仮に後者が前者を装った場合に見破れるかと言えば困難だと予想される為だ。
March 14, 2024 at 9:44 PM
宇宙の指数関数的な膨張もまた、既定の状態変化(移行)に過ぎない(原理として置かれる不変性は破られていないものとする)。

となると、真空の相転移と呼ばれる大規模な状態変化(インフレーション)に至る原因があった筈である。

それは何か。
端的に二つ考えられる。

・真空という場そのものが、自発的な変化を起こしたか(起こすに足る微弱な変化が絶えず生じていた)。
・或いは、真空という場に外発的な影響が及んだか。

後者の場合、宇宙誕生前の領域に於いて何らかの力が存在していたと考えられる。
現在も膨張を続ける宇宙の外側、押し広げている外側の空間が……内側にある宇宙を圧している可能性はある。
March 7, 2024 at 10:52 PM
感情に揺れ、感傷に浸る。
それは別に忌むべきことではない。
感情に揺られ感傷に浸かり絶望に打ちひしがれ、それでも前方に向けて思考と行動と修正の輪を絶えず回し続けることが肝要だ。

そうしなければ生き残れなかった時代は、確かにあった。

現代では、果たしてどうだろうか。
そうしなければならない環境か。
そうしなくても構わない環境か。
March 7, 2024 at 7:12 AM