わるもの
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メンシス学派。ヒューマニスト=スピーシスト。自由主義者だけれど「残酷さ」を忌避しないのでリベラルではない。道徳懐疑論に依拠した倫理学からの権威剥奪を画策している。人間中心主義者として、PZNへの迫害的な対応に断固として反対する。
https://warumononomonooki.hatenablog.com/
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「Bloodborneが、ゴシックホラーかと思えばコズミックホラーであり、最終的には哀悼に満ちた人間讃歌、ヒューマニズムであることは広く知られた事実であると思われますが、」
新年早々『宝石の国』を読了(一気読み)。「祈れ 機械 僕のために」のくだりがいちばんすき。そのあたりのフォスのビジュアルもいちばんすき。
January 1, 2026 at 12:46 PM
何であれ、「腐される」ことを許さない思想や権力ほど危険なものはない。それは意見の異なる者への容赦を知らず、確信に満ちた義憤をもってその口を封じてしまうからだ。口を開けば「正義」や「道徳」を叫ぶ思想が危険なのもこのためだ。異論を挟む批判者の眼前に脅しのように「正義」「道徳」を突きつける思想の一致どこに個人の安全や人格を尊重する用意があると言うのだろう。
December 23, 2025 at 4:45 PM
ウオオオ!(なお課金)
December 21, 2025 at 1:34 PM
え、今から実装されるの? 準備がががが。
December 21, 2025 at 10:46 AM
フィンランドのアレ、こういっちゃ何だが個人的には「Let’s discriminate!」という気持ちしかない。道徳的な人間像など徹底的に破壊幻滅されて然るべきなので。
December 14, 2025 at 3:24 PM
「社会は権力と利益の組織として一つのレベルを形成する。一方、社会の道徳的原理はその上のレベルに位置する。高いレベルは低いレベルに根をおいている。道徳上の進歩がなされるのも、権力の行使によって機能し物質的利益をめざしている社会、という媒体のなかにおいてのみのことである。いかなる道徳的進歩も、それを実現しうる唯一の存在であるこの社会機構に毒されざるをえない、という事実を我々は認めなければならない。それゆえ、社会において絶対的な道徳を強制しようとこころみることは、幻想にふけることであり、それは苛責のない暴力を招くのみである」
--マイケル・ポラニー『暗黙知の次元』pp125-126
December 14, 2025 at 10:07 AM
まあ前回と今回の天井で貯まった女神像を湯水の如く注ぎ込んで、さっそく姉上を最大開花できたのでよしとする。
November 28, 2025 at 9:52 PM
ダンツ実装からはや1ヶ月、ゼロからため直したなけなしの貯石は、またもやあっけなく絞り尽くされた。
November 28, 2025 at 9:44 PM
今日は帰ったらジェンティル育成するか。
November 26, 2025 at 3:51 PM
義務は権利の対価ではなく、権力の対価だ。
November 24, 2025 at 9:00 AM
自由主義における恣意を排した形式的なルールの運用は、個人の自由を、つまり個人の恣意を守るためのものだ。ルールの次元で恣意を憎むことは、しかしもっと個人的・心理的な領域で、恣意を愛することでもある。ここから、形式的なルールの擁護者が、しかし恣意に対して何らかの哀惜や同情を示したとしても、それは何ら不思議なことではないと変わる。根本において、彼は自由を、恣意を愛しているのだ。
November 23, 2025 at 9:01 AM
身長差がかわいい。
November 23, 2025 at 7:06 AM
「ポスト資本主義」の内実が、道徳における善悪概念の生存であったり、欲望に対する蔑視であったり、個人性の棄却であったりするなら、それは断じて「ポスト」ではなく、資本主義体制によって初めて解放・肯定・生存できた諸々を再び殺し抑圧する野蛮への後退であると理解されねばならない「ポスト資本主義」がこうである限り、全ての資本主義の批判者は、結局は自分の道徳が王座に就けないことを憤っていただけの、他人が自分の思い通りにならないことに憤慨していただけの、傲慢で暴力的な専制主義者であることになろう。
November 18, 2025 at 11:54 AM
露悪趣味が冷笑ないし軽蔑されるって、それも多数派がそう考えるようになるって、とても怖いことですよ。まさに多数派が何か確定的な「正しさ」を確信しているということだから。まさにフィクションの中の「ヴィラン」に対する容赦も同情もない仕打ちが、ほかならぬ現実の異質な人間にもたらされるということだから。
November 17, 2025 at 8:39 AM
Reposted by わるもの
改めて、フェノーメノシナリオの「正義の名のもとに誰かの未来を奪わないで」というのはめちゃくちゃ重いメッセージだと思いますね。
「正義」が誰か何かを叩く棍棒になってしまうというのは、『ウマ娘』に限らずさまざまなお話で繰り返し表現されてきた、一種ありふれたモチーフ・問題意識ではある。しかしそこからさらに踏み込んで、「正義」による批判が、誰か何かを愛好する行為、嗜好、あるいはアイデンティティが「存在」すること自体を脅かしてしまう点を指摘し、メッセージとして「存在することを奪わないで」としてまとめるというのは、非常に特異的というか、時勢が意識されていると思う。
私なんかはそこから「やっぱ正義って碌でもないですね」となるわけだけど、彼女はそうは考えないのでしょう。
October 16, 2025 at 7:44 AM
Reposted by わるもの
「正義」が誰か何かを叩く棍棒になってしまうというのは、『ウマ娘』に限らずさまざまなお話で繰り返し表現されてきた、一種ありふれたモチーフ・問題意識ではある。しかしそこからさらに踏み込んで、「正義」による批判が、誰か何かを愛好する行為、嗜好、あるいはアイデンティティが「存在」すること自体を脅かしてしまう点を指摘し、メッセージとして「存在することを奪わないで」としてまとめるというのは、非常に特異的というか、時勢が意識されていると思う。
私なんかはそこから「やっぱ正義って碌でもないですね」となるわけだけど、彼女はそうは考えないのでしょう。
April 23, 2025 at 12:29 AM
それ自体冷笑的な露悪趣味がさらに人々に冷笑され、碌でもない政治的正しさに熱を上げるポピュリズムが伸長するこの「確信」の時代にあって、まさに「正義!」なキャラクターに正義の怖さ、取り返しのつかなさを語らせたフェノーメノシナリオの先見の明は何度でも擦っていきたい。
改めて、フェノーメノシナリオの「正義の名のもとに誰かの未来を奪わないで」というのはめちゃくちゃ重いメッセージだと思いますね。
「正義」が誰か何かを叩く棍棒になってしまうというのは、『ウマ娘』に限らずさまざまなお話で繰り返し表現されてきた、一種ありふれたモチーフ・問題意識ではある。しかしそこからさらに踏み込んで、「正義」による批判が、誰か何かを愛好する行為、嗜好、あるいはアイデンティティが「存在」すること自体を脅かしてしまう点を指摘し、メッセージとして「存在することを奪わないで」としてまとめるというのは、非常に特異的というか、時勢が意識されていると思う。
私なんかはそこから「やっぱ正義って碌でもないですね」となるわけだけど、彼女はそうは考えないのでしょう。
November 17, 2025 at 7:32 AM
どうでもいいけれど、私は『ヒトラーのための虐殺会議』終盤の、シュトゥッカート内務次官が「断種」を提案する場面がどうしようもなく好きだ。実務家として頑として曖昧な職掌を許さない人間に妥協を迫った結果として、会議を主催するハイドリヒすら一瞬ギョッとしてしまうような提案が飛び出す。あれはあの映画で一番怖いところだと思う。
November 16, 2025 at 10:49 AM
#私は連帯しない

少なくとも自由主義体制において、ある属性個人が連帯を拒否することには何らの不利益も伴わない。彼には自明に自由と権利が保障されているからだ。連帯を拒否することで不利益を被るのは、自由や権利が動員の対価に成り下がっている体制においてである。そのような反個人的な体制を許すべきではない。
November 14, 2025 at 11:16 PM
「私」を「私たち」にすること、つまり連帯することは、およそ寛容というものを捨て去ることに等しい。動員が自明視されるところでは、権利も自由も対価なしにはあり得ない。存在するためには常に動員に協力しなければならず、絶えず自らを否定し権力に阿って自己改造しなければならない。そうしないと存在を許されない。
連帯=動員はむしろ多様な存在との寛容に基づく共存を破壊する営みであり、偶然によって成立した自由や権利をあえて否定し、それらかが全て勝ち取られねばあり得ないと錯覚させる殺人的な詐術だ。連帯は多様性に牙を剥く。連帯は寛容を否定する。連帯は連帯者を個ではなく道具として搾取する。
November 14, 2025 at 11:14 PM
反ワクチン陰謀論は基本的には右派のものとされているけど、そしていわゆる政治的右派の科学アレルギーは確かに考えものだけど、明らかにこの責任の一端は科学と科学主義の混同にあるよな。左派は事実と価値を混同し(境目を曖昧にする)、「である」からノータイムで「べき」を導く傾向にあるが、これは左派的立場に賛同できない人々を科学的知識から排除するある種の認識的不正義を助長している。科学的知識が平等に享受・分配されていない。
November 7, 2025 at 3:07 PM
動物愛護・環境保全側の理念を一ミリも動かさない一方で、たとえば地方の人々に対して熊スプレー等の携行を要請したり、街で暮らしている人に防御姿勢を伝授するという対応がさも当然のように行われると言うのは、絶対におかしいですからね。
November 6, 2025 at 10:20 PM
「記号を消費しているに『過ぎない』」みたいな言い方には気をつけていきたいですね。それはなんら卑下するような営為ではないのだから。至極当たり前の、ありふれた楽しみなのだから。
November 5, 2025 at 6:28 PM
「オオカミにとっての自由は、ヒツジにとっての死である」ことは事実だが、それと同時に、「ヒツジにとっての永劫平和は、オオカミの大量殺戮によってしか実現しない」こともまた事実だ。暴力はどちらにもあり、どちらにも排斥がある。しかし現実には、前者の暴力だけが正当な「暴力」ないし「悪」の地位を独占している。
November 3, 2025 at 3:32 PM
ライブ会場で急遽合いの手要求されたやつだ。
November 2, 2025 at 6:40 PM