資本主義とか性対立とか義務とか金銭とかガチで勘弁してくれ
詩学と科学以外全部まやかしですからね
全員早く気づけよ
資本主義とか性対立とか義務とか金銭とかガチで勘弁してくれ
詩学と科学以外全部まやかしですからね
全員早く気づけよ
18歳から写実絵画に優れていながら、神智学から抽象絵画にのめり込んでいったらしい。モンドリアンも同源の薫陶からそのアートワークを成立させたことを思い出すとともに、抽象画の非論理性はやっぱり面白い。
見たことがない構成の作品が多くて、新鮮さを欠かさない展示であり、途中の10枚の大作の展示は静謐ながらダイナミックで、ロスコルームを思い出さざるを得なかった。
この展示会が混んでいるのはすごいことだと思います。
18歳から写実絵画に優れていながら、神智学から抽象絵画にのめり込んでいったらしい。モンドリアンも同源の薫陶からそのアートワークを成立させたことを思い出すとともに、抽象画の非論理性はやっぱり面白い。
見たことがない構成の作品が多くて、新鮮さを欠かさない展示であり、途中の10枚の大作の展示は静謐ながらダイナミックで、ロスコルームを思い出さざるを得なかった。
この展示会が混んでいるのはすごいことだと思います。
フラワーベースが反射する光がシルクみたいで、これを窓辺において朝を迎えたらどれだけ幸福でいられるかを想像してしまいました。
繊細な美しさを持つ一方で、豪快な建築的な造形も作品から感じ取られ、生活でもあった。
ウルティマ・ツーレ欲しいなあ。
フラワーベースが反射する光がシルクみたいで、これを窓辺において朝を迎えたらどれだけ幸福でいられるかを想像してしまいました。
繊細な美しさを持つ一方で、豪快な建築的な造形も作品から感じ取られ、生活でもあった。
ウルティマ・ツーレ欲しいなあ。
まず、邦題が『変な家』意識しすぎで変!奇妙な建築はでてくるけど、物語にそこまで効いてこないしムカつきました。
内容はそこそこ面白かったですが、ミステリとしては微妙。登場人物への感情移入の時間も、どんでん返しもなく粛々と物語が展開されたのはかえって良かったかもしれません。造形もゴア表現もそこそこ気合入ってましたが、ストーリーとは関係なくとっ散らかってる感じがしました。
ヒュー・グラントの演技は良かったです!
まず、邦題が『変な家』意識しすぎで変!奇妙な建築はでてくるけど、物語にそこまで効いてこないしムカつきました。
内容はそこそこ面白かったですが、ミステリとしては微妙。登場人物への感情移入の時間も、どんでん返しもなく粛々と物語が展開されたのはかえって良かったかもしれません。造形もゴア表現もそこそこ気合入ってましたが、ストーリーとは関係なくとっ散らかってる感じがしました。
ヒュー・グラントの演技は良かったです!
コーラを供給され続けている25mプールで、5年くらいかけて出来た床の析出物をペリって剥がして食べてるみたいだね
コーラを供給され続けている25mプールで、5年くらいかけて出来た床の析出物をペリって剥がして食べてるみたいだね
説明のつかない苦痛は一旦無視するとして、遠い将来への不安と近い未来への不安のことばかり考えてしまう。楽しいイベントの準備、友達との食事会への出費、嫌なところばかりが目について損得勘定黒字予想だから動いてるのに、損得勘定機能も停止してしまいます。
先が読めすぎてつまらない。スプラトゥーンやって面白いのも、Twitterでイラストを見て萌えるのも、全部わかってます。全部わかってる脳の信号に意味があるのかわからない。
世界の面白さへの受容器が摩耗していくのがつらい。こんなにも未知と魅惑で渦巻く世界と目が合わせられてない気がする。
説明のつかない苦痛は一旦無視するとして、遠い将来への不安と近い未来への不安のことばかり考えてしまう。楽しいイベントの準備、友達との食事会への出費、嫌なところばかりが目について損得勘定黒字予想だから動いてるのに、損得勘定機能も停止してしまいます。
でもギリシャ語である必要があったのか?という疑問は残る。いうほどプラトンの思想が物語に食い込んでるのかわからなかったし。登場人物の境遇がかなり特殊で、あまり感情移入できなかったし、本読んでるなーって思いながら読んでた。(ボルヘスがモチーフなのもあって。)「我々の間に剣があったね」っていい言葉すぎる。
でもギリシャ語である必要があったのか?という疑問は残る。いうほどプラトンの思想が物語に食い込んでるのかわからなかったし。登場人物の境遇がかなり特殊で、あまり感情移入できなかったし、本読んでるなーって思いながら読んでた。(ボルヘスがモチーフなのもあって。)「我々の間に剣があったね」っていい言葉すぎる。
先が読めすぎてつまらない。スプラトゥーンやって面白いのも、Twitterでイラストを見て萌えるのも、全部わかってます。全部わかってる脳の信号に意味があるのかわからない。
世界の面白さへの受容器が摩耗していくのがつらい。こんなにも未知と魅惑で渦巻く世界と目が合わせられてない気がする。
先が読めすぎてつまらない。スプラトゥーンやって面白いのも、Twitterでイラストを見て萌えるのも、全部わかってます。全部わかってる脳の信号に意味があるのかわからない。
世界の面白さへの受容器が摩耗していくのがつらい。こんなにも未知と魅惑で渦巻く世界と目が合わせられてない気がする。
自分で決めた曲を自分が持つデバイスで聞くという自立的な音楽への原体験がうごメモとかで聞いたボカロにあるので、『ドーナツホール』が歌われたときに自分の音楽嗜好の根本に近いところが刺激されて目眩がした。新しいPVも出てまぁやるとは思ってたけど、手触りの懐かしさと本人の熱意が全身に伝わってきてボロボロ泣いてしまった。
MCが下手なのも良かった。「別れ」と「祝福」を大きなモチーフとして持っていることが伝わってきて、それもよかった......
自分で決めた曲を自分が持つデバイスで聞くという自立的な音楽への原体験がうごメモとかで聞いたボカロにあるので、『ドーナツホール』が歌われたときに自分の音楽嗜好の根本に近いところが刺激されて目眩がした。新しいPVも出てまぁやるとは思ってたけど、手触りの懐かしさと本人の熱意が全身に伝わってきてボロボロ泣いてしまった。
MCが下手なのも良かった。「別れ」と「祝福」を大きなモチーフとして持っていることが伝わってきて、それもよかった......
多くの作品で、かつての非均質的な社会に思いを馳せた。人って意外とみんな生きてる。日々滑らかにしようとしてくる社会に対して、人がどれだけうねり・しわを生み出せるのか、何もないよりは悲しみのほうがずっといいと思いました。その後の展示の稲の話でも均質化がテーマになっていた。稲の品種を田んぼでの美しさで決めるという農民に羨望を抱かずにはいられない。植民地支配、情報化、効率化と均質化の罠は各所に転がっているけど、そこに抗っていかなくてはいけない。質的に、全体は部分の総和以下なんだと思う。足し合わせることで失われるものがある。
多くの作品で、かつての非均質的な社会に思いを馳せた。人って意外とみんな生きてる。日々滑らかにしようとしてくる社会に対して、人がどれだけうねり・しわを生み出せるのか、何もないよりは悲しみのほうがずっといいと思いました。その後の展示の稲の話でも均質化がテーマになっていた。稲の品種を田んぼでの美しさで決めるという農民に羨望を抱かずにはいられない。植民地支配、情報化、効率化と均質化の罠は各所に転がっているけど、そこに抗っていかなくてはいけない。質的に、全体は部分の総和以下なんだと思う。足し合わせることで失われるものがある。
ジャケ買い!
ジャケ買い!
文学よりも医学のほうが役に立つので、より多くの資源を分配することでより多くの人間を救うという事実から目を背けているのに、正しいことを探る学問を気取るなよ、と思います。
文学よりも医学のほうが役に立つので、より多くの資源を分配することでより多くの人間を救うという事実から目を背けているのに、正しいことを探る学問を気取るなよ、と思います。
純粋な人間性を前にすると、論理が瓦解していくのを思い出しました。全員都合が悪いんだけど、その中に善性とか共有性があることが希望であることを思い出させてくれる映画だった。多面性と互いに外側にあることは、人間の欠点であり焦点だと思う。
清掃のおじさん、出てくるだけ出てきて特に何もせずに終わったのはよかった。けど、足りないものが補完されていく物語がすべらか過ぎて、惨めな自分が映って嫌になりもする。俺も早く気づかれたいだけだ。うれしい映画だった。
純粋な人間性を前にすると、論理が瓦解していくのを思い出しました。全員都合が悪いんだけど、その中に善性とか共有性があることが希望であることを思い出させてくれる映画だった。多面性と互いに外側にあることは、人間の欠点であり焦点だと思う。
清掃のおじさん、出てくるだけ出てきて特に何もせずに終わったのはよかった。けど、足りないものが補完されていく物語がすべらか過ぎて、惨めな自分が映って嫌になりもする。俺も早く気づかれたいだけだ。うれしい映画だった。
即物的で欲求中心的な世界をアンチ・ドーピング・ルドヴィコ療法の如く見せられてずっと不快で、希望を否定されている気持ちである
即物的で欲求中心的な世界をアンチ・ドーピング・ルドヴィコ療法の如く見せられてずっと不快で、希望を否定されている気持ちである
階段が登れない人へのノーマライゼーションとしてのスロープ
可視化が語彙にない人へのノーマライゼーションとしての見える化
という構造で捉え直したとき、身体障害と「語彙のなさ」というdisorderを同列(本人の意図に起因しない不可避的なもの)として捉えていることになる。
しかし実際は、語彙のなさは本人の意図に起因する可避的なものなので、かえって「見える化ノーマライゼーション」は人のことを成長の見込みのない愚者として扱っている気がする。そっちのほうが失礼だ!
階段が登れない人へのノーマライゼーションとしてのスロープ
可視化が語彙にない人へのノーマライゼーションとしての見える化
という構造で捉え直したとき、身体障害と「語彙のなさ」というdisorderを同列(本人の意図に起因しない不可避的なもの)として捉えていることになる。
しかし実際は、語彙のなさは本人の意図に起因する可避的なものなので、かえって「見える化ノーマライゼーション」は人のことを成長の見込みのない愚者として扱っている気がする。そっちのほうが失礼だ!
自分は幼少から青年期にかけて周りの人間に迷惑をかけ、その贖罪への意識が自分の功利主義思想の一因となっているんだけど、何歳になればこの罪の意識って消化/昇華されるんですか?
幼少期からファジーな共感性を微塵も理解できず、善悪みたいなお手軽の尺度ばかり見てきた反動で、それ以外の人生の評価方法がわからない。社会に1つでも恩返しをしておかないと、生まれてきた意義が消えてしまう!!自己の悦楽なんて簡単に優越してそのことを考えている。
自分は幼少から青年期にかけて周りの人間に迷惑をかけ、その贖罪への意識が自分の功利主義思想の一因となっているんだけど、何歳になればこの罪の意識って消化/昇華されるんですか?
幼少期からファジーな共感性を微塵も理解できず、善悪みたいなお手軽の尺度ばかり見てきた反動で、それ以外の人生の評価方法がわからない。社会に1つでも恩返しをしておかないと、生まれてきた意義が消えてしまう!!自己の悦楽なんて簡単に優越してそのことを考えている。
その過程でそぎ落とされるものもあるだろうけど、そぎ落とされて残った骨子にまた別の肉がつくのにも、人間が増殖を続ける意味が残されているようで陽に照らされる気分になる。
その過程でそぎ落とされるものもあるだろうけど、そぎ落とされて残った骨子にまた別の肉がつくのにも、人間が増殖を続ける意味が残されているようで陽に照らされる気分になる。