she/her
結局最後の印象的なシーンで娘が柔らかく父を許してしまったことで、主人公が何もかも犠牲にして自分ひとりだけ謎の『景色』を手に入れることがなんとなく肯定的に描かれたまま終わってしまう。
それで......いいんか!!??と思ったわけですよ
結局最後の印象的なシーンで娘が柔らかく父を許してしまったことで、主人公が何もかも犠牲にして自分ひとりだけ謎の『景色』を手に入れることがなんとなく肯定的に描かれたまま終わってしまう。
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たとえば、喜久雄が後進の子どもに体罰を使わずに指導していたこと、指導している生徒が部活を優先して稽古を後回しにしている(が、それを良しとする)こと、身体障害を負ってもなお舞台をやり遂げていたこと、『曽根崎心中』で主人公ふたりの間に同性愛的な感情を示唆していたこと、はるか昔に捨てた娘が自分の人生の集大成のシーンにやってきて「お前のことを父親だと思ったことはない、お前が舞台に立つためにどれだけの人が犠牲になったと思っている」と吐き捨てたこと。
たとえば、喜久雄が後進の子どもに体罰を使わずに指導していたこと、指導している生徒が部活を優先して稽古を後回しにしている(が、それを良しとする)こと、身体障害を負ってもなお舞台をやり遂げていたこと、『曽根崎心中』で主人公ふたりの間に同性愛的な感情を示唆していたこと、はるか昔に捨てた娘が自分の人生の集大成のシーンにやってきて「お前のことを父親だと思ったことはない、お前が舞台に立つためにどれだけの人が犠牲になったと思っている」と吐き捨てたこと。