乙城蒼无(Otusiro, Aomu)
aomu.bsky.social
乙城蒼无(Otusiro, Aomu)
@aomu.bsky.social
写真好きな人と繋がる前にまず写真というものはそもそも光の像を感光材に焼き付けて固定し可視化させたものだけど最近は一気にデジタル化してフィルムカメラ全盛期と違って暗室作業は不要になったし画像データとして簡単にコラ画像作ったりコピペして盗作しできてしまう世の中だから昔と全く変わっちゃったよねそれでも繋がりたいなら以下文字数
(続き)だが疎開先の食糧事情は劣悪で、酷い時は薄い味噌汁に芋のツルだけな悲惨なものだったらしい。 そこから家族に手紙を出し、毎日腹が減りつらいと書いても、疎開先の教師に検閲され黒塗で出されてたという。 師匠の父親が不審に思い、自身で疎開先に来て半ば奪還に近い形で師匠を連れ帰る事になった。 帰ってきた師匠は栄養失調同然で、近所にもそれが伝わり、同じ疎開先に子どもを預けた親たちが、続々と連れ帰る事態に。 今でも師匠と父親に、苦しめられた疎開先から助けられた事を感謝する人がいるという。 さらに師匠は「もし父親が来るのが一週間遅かったら自分は今ここにいない」と一言。 そんな3月9日ならではの師匠の話。
March 9, 2024 at 12:03 PM
国会図書館デジタルコレクションで調べて発見したこちらも、キヤノンの技術者でもあった佐野陽三氏の名前が、オリンパスの米谷美久氏やソニーの盛田昭夫氏などといったビッグネームと並んで特許出願者として記載されてるという、なかなか壮観な資料である。

『日本写真年報』1963年版,日本写真協会,1963.
dl.ndl.go.jp/pid/2526547/...

> 565772 写真引伸レンズの絞り操作環 佐野陽三 キヤノンカメラ
February 13, 2024 at 4:30 PM
一方で日本には、戦前からカメラ雑誌の月例コンテストなどで多くのアマチュア写真家が腕を競った実績があり、その今まで積み重ねられた莫大な遺産があるにもかかわらず、後にプロ写真家として活躍する一握りを除き、彼らの作品が顧みられる事はなかった。
今までそれが実現したのは工藤正市(残されたネガをご息女の工藤加奈子氏がスキャンしてInstagram投稿して大反響だったのがきっかけ)と伊藤昊(森岡書店の森岡督行氏のキュレーション)くらいなものである。
そういうファウンドフォトやヴァナキュラーフォトの要素を持つ作品が大量に見過ごされてるんだし、まあそのジャンルの日本での定着は難しいだろうね、と思うのであった。
February 10, 2024 at 10:57 PM
そして会場上映された「Other People’s Pictures」は2004年の作品であったが、eBayでの写真カテゴリを見ても分かるように、現在では本来セットで揃って売られてたはずの写真群が、ばら売りする業者により選り好みされ散逸し、めぼしい物はプレミアがつくが、それ以外は再び売りに出されればまだマシで処分すらされてしまうというのを聞く。
映画が撮られた時代は、有る意味好事家たちにより形成されていてあまりにも牧歌的ですらあった市場が、ネットの迅速な伝播性と即売れて利益が手に入る換金性により、今ではその姿を変えてしまったとも言えるのかもしれない。
February 10, 2024 at 10:30 PM
確かに会場のトークでは、臼井達也氏や原田裕規氏や木村友紀氏や高橋宗正氏の名前が挙げられ、それぞれの作品が持つファウンドフォト/ヴァナキュラーフォトとの類似性が語られていたけど、結局それらは写真家/ 美術家としての伝統的な視点から収集され作品に使われたにすぎず、むしろ1920年代にメディアとしてのプリント写真を使い出したコラージュ作品からの延長という方が適切なのでは、とも思えた。
February 10, 2024 at 9:02 PM