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@0mn.bsky.social
めくらやなぎと眠る女を見てやっと、かえるくんにとって片桐が「夜汽車の汽笛」だということに気付いたし、作品の根底に流れるものが孤独の消滅という願いなのだと気付いた。風の歌を聴けから書いていることは変わっていないんだ。
November 23, 2025 at 4:32 AM
六道輪廻図はいいなあ。仏教は巨視的な視点であることを感じるし、六道を知ることが六道からの脱却であることも分かる。
March 17, 2025 at 6:16 AM
やや高価だったチベット密教の本、慈愛の項を繰り返し読んでいる、癒される。苦しみによって我が落ちて心が純粋になり、愛によって悲観や憎悪や挫折を乗り越えられると思う。生き方の答えを求め続けてきた。自分なりのものを見つけられつつある気がする。
September 3, 2024 at 4:11 PM
四念処の瞑想の一部は、長年取り組んできて、少し成果が出てきたような気がする。あらゆる存在は、一瞬たりと同じであることはない。そういう理解ができると、この世の矛盾に苦しむことがない
September 3, 2024 at 2:52 AM
たぶん二年前くらいからは、自分というものを定義して、定義した自分にチューニングする訓練をしていた。でも、それはもう辞めて良い気がする。
September 3, 2024 at 2:42 AM
敵から遠い安全地帯よりも敵がいない世界に住みたいし、幸福はそこにしかない

逆境の中でこそ修行である。いつでもどこでも悟っているなら修行する必要はないのだし。どこからでもまた始めよう。
September 2, 2024 at 2:08 AM
そもそも生を否定して死を肯定する仏教に本気で取り組むということは死に向き合っていくということだったのに、当然覚悟が足りなかった。いつ訪れるかわからない死なんかより目の前のことの方がずっと重要だった。
August 30, 2024 at 8:53 AM
集中というものは、瞑想の基礎であり最後である。三昧の最終段階では集中しない集中、つまりデフォルトの状態が完全なる集中の状態となる。集中を強めるプロセスで雑念が増えたように感じる段階が来るが、これは深い意識の雑念が意識化される段階である。この段階では集中を強めるだけではなく雑念を落とす作業が必要になる。
May 31, 2024 at 3:01 AM
リュックには花といろはすをいっぱいに、期待していいんだよ運命を
May 24, 2024 at 12:00 PM
最近チベット密教の本を読んでいる、純粋な信仰の意味や愛の瞑想法がたくさん書いてあって癒される。
April 29, 2024 at 3:29 PM
独立して自律していたい。できるかぎり他人の悪意に寛容でありたい。
March 18, 2024 at 4:41 AM
君にはどうもよくわかってないようだけど、人が誰かを理解するのはしかるべき時期が来たからであって、その誰かが相手に理解して欲しいと望んだからではない。
March 17, 2024 at 6:50 AM
澄んだ意識は静寂を感じさせる。意識には音があると思う。意識が騒々しい人は苦手だと思う。うるさい場所が苦手、というのが自分の識別を司っているように感じる。
March 7, 2024 at 8:54 AM
他人に責任を要求する人たちというのは、だいたい目の前にいる相手がどういう人間であるかに思慮を及ばせず安易に期待するから損失を被るのでは、と思ってしまう。自分は目の前の人間のことを理解することが得意で、一切期待しないということが容易だからだ。でも他人の悪意や心無い性質に簡単に気付けてしまったり、完全に見放して諦めることができる方がまともではないのではないか。
March 5, 2024 at 2:33 AM
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そもそも通常のレンズだって光を媒体とするある種の計算機とみなせるわけで、それがシリコンに変わったところで本質的な違いはないように感じる。そもそも脳からして「生の現実」を主観に投影するフィルターである。そうした様々な投影法の中で何が自然であり何が不自然であるかは今のところ眼球や脳といった古の投影法との親和性、それによる「真実」の逆算容易性にもとづくと思われるけども、たぶんそれも慣れによるものであり、一定の条件を満たす投影はいずれも「真実」の座を占めうる。近い将来、個々人の見る世界はバラバラになり、計算機がその仲介をつとめるようなるかもしれない。そしてそれは今だってそうなのだ。仲介者は言語である。
March 3, 2024 at 1:42 AM
本当に同じものを見て、本当に同じ時間を過ごさないと、小さな齟齬がどんどん大きくなって、そのうち相手のことを見失なうのだと思う。それが縁というものなんじゃないかと思う。
February 26, 2024 at 8:49 AM
これの理屈としては、直観で認識しているものが意思ではなくたんに業なら、それを真実としてしまったら中観派ということになるのだろう。唯識の考えに基づくと誤謬である。「あなたは中観派だよね〜」と呆れられていた意味が分かってきたな……
February 19, 2024 at 3:18 AM
直観別に必要無いかも。望ましくないものは認識することを辞めれば消えていくような気がする。
February 19, 2024 at 3:02 AM
理由なんていらないよ。人が人を助けることに。
February 11, 2024 at 10:07 AM
日差しが綺麗だった。
February 8, 2024 at 7:01 AM
地中美術館めっちゃ良いとこ!!!!!!!!
February 2, 2024 at 4:48 AM
今日のレッスンではかの難所の弾き方を教わった。
指の関節を曲げた状態で、痒いところかくみたいに弾く。
January 30, 2024 at 11:52 AM
自己が諸条件のもとに成り立つなら、他者の意志も自己によって成り立つ。
January 29, 2024 at 3:37 PM