江戸幕府を開設した初代征夷大将軍。織田信長や豊臣秀吉らとともに波乱の生涯を閉じたのち、時空武将に転身、X発信を開始。※歴史パロディ
※ブルースカイでは、リプライ・質問・DM等に対する返信は行っておりません。
メイン↓
https://x.com/Tokugawaieyath
慶長19年(1614年)、大坂冬の陣、
現場の徳川家康(大御所)です。
まず19日、蜂須賀至鎮・浅野長晟・池田忠雄らの奮戦により、豊臣方の木津川口砦を無事、押さえ込みました。
そして本日、
鴫野・今福方面では、上杉景勝・佐竹義宣らが激戦の末、豊臣方を押し返し、撤退させることに成功。鴫野は占拠できましたが、今福では思う通りにはいかなかったようです。
前線はなかなかの修羅場ですが、
全体としてはこちらのペースを維持できております。
大坂・茶臼山よりお伝えしました。
現場からは以上です。
慶長19年(1614年)、大坂冬の陣、
現場の徳川家康(大御所)です。
まず19日、蜂須賀至鎮・浅野長晟・池田忠雄らの奮戦により、豊臣方の木津川口砦を無事、押さえ込みました。
そして本日、
鴫野・今福方面では、上杉景勝・佐竹義宣らが激戦の末、豊臣方を押し返し、撤退させることに成功。鴫野は占拠できましたが、今福では思う通りにはいかなかったようです。
前線はなかなかの修羅場ですが、
全体としてはこちらのペースを維持できております。
大坂・茶臼山よりお伝えしました。
現場からは以上です。
慶長18年、現場の徳川家康です。
本日、鷹狩りの最中に、またしても百姓が代官の非法を訴えてまいりました。
いったん宿所に戻り、百姓側と代官の双方を呼び出し、その場で言い分を聞き取りました。
慎重に吟味したところ、今回は百姓側の報告に虚偽と非が多いことが判明。
ゆえに、その中心となっていた棟梁六人を捕縛いたしました。
以上、越谷からお伝えしました。
慶長18年、現場の徳川家康です。
本日、鷹狩りの最中に、またしても百姓が代官の非法を訴えてまいりました。
いったん宿所に戻り、百姓側と代官の双方を呼び出し、その場で言い分を聞き取りました。
慎重に吟味したところ、今回は百姓側の報告に虚偽と非が多いことが判明。
ゆえに、その中心となっていた棟梁六人を捕縛いたしました。
以上、越谷からお伝えしました。
天正12年(1584年)、徳川家康です。
小牧長久手の戦いはほぼ終結、
——と思った矢先、次の案件が飛んできました。
服部半蔵の報告によると、
佐々成政殿、我が徳川領国へ向けて出発した模様。
車も電車も飛行機も無い時代に、
しかも絶対に普通じゃないルートで、
越中(富山)→浜松(静岡)
までの冒険。
彼の目的は、
「羽柴秀吉と対決せよ」と、こちらに圧をかけに来る構えです。
この件はもうやる気がないので、
織田信雄様に丸投げしようと思っています。
現場からは以上です。
天正12年(1584年)、徳川家康です。
小牧長久手の戦いはほぼ終結、
——と思った矢先、次の案件が飛んできました。
服部半蔵の報告によると、
佐々成政殿、我が徳川領国へ向けて出発した模様。
車も電車も飛行機も無い時代に、
しかも絶対に普通じゃないルートで、
越中(富山)→浜松(静岡)
までの冒険。
彼の目的は、
「羽柴秀吉と対決せよ」と、こちらに圧をかけに来る構えです。
この件はもうやる気がないので、
織田信雄様に丸投げしようと思っています。
現場からは以上です。
怒ると脳の扁桃体が暴走し、アドレナリンやコルチゾール等が分泌。
そして「感情制御」を担当する前頭前皮質は弱る。
つまり、キレているときの脳は、最初から
「冷静<衝動」で設定されている。
その状態で放った一言で、
仕事も人間関係も評判も、いとも簡単に壊せる。
だから、怒りは敵と思え。
相手を叩く前に、一度だけ深く息を吐け。
落ち着いた自分を取り戻すのじゃ。
怒ると脳の扁桃体が暴走し、アドレナリンやコルチゾール等が分泌。
そして「感情制御」を担当する前頭前皮質は弱る。
つまり、キレているときの脳は、最初から
「冷静<衝動」で設定されている。
その状態で放った一言で、
仕事も人間関係も評判も、いとも簡単に壊せる。
だから、怒りは敵と思え。
相手を叩く前に、一度だけ深く息を吐け。
落ち着いた自分を取り戻すのじゃ。
だが、止まっていても陽は暮れる。
動かねば、景色も変わらず、風も届かぬ。
傷を恐れて動かぬ間に、
目の前を通り過ぎた機会は二度と戻らぬ。
転んでもよい。立ち上がればよい。
足を出した者だけが、先の景色を知るのだ。
だが、止まっていても陽は暮れる。
動かねば、景色も変わらず、風も届かぬ。
傷を恐れて動かぬ間に、
目の前を通り過ぎた機会は二度と戻らぬ。
転んでもよい。立ち上がればよい。
足を出した者だけが、先の景色を知るのだ。
慶長18年、現場の徳川家康です。
本日、鷹狩り中に、百姓が代官・深津八九郎の非法を訴え出ました。
その場で両者から詳しく事情を聞き取り、
年貢の取り立てや日頃の振る舞いについて確認したところ、
代官の専横ぶりが次々と明らかになりました。
よって、深津八九郎はただちに代官を罷免。
新たな代官として、高木九助・小栗庄右衛門らを任命しました。
民の声、確かに届いております。
以上、現場からお伝えしました。
慶長18年、現場の徳川家康です。
本日、鷹狩り中に、百姓が代官・深津八九郎の非法を訴え出ました。
その場で両者から詳しく事情を聞き取り、
年貢の取り立てや日頃の振る舞いについて確認したところ、
代官の専横ぶりが次々と明らかになりました。
よって、深津八九郎はただちに代官を罷免。
新たな代官として、高木九助・小栗庄右衛門らを任命しました。
民の声、確かに届いております。
以上、現場からお伝えしました。
慶長19年11月、徳川家康です。
大坂へ進軍中ですが、木津の宿営地がやや手狭だったため、
気晴らしを兼ねて奈良見物に向かうことにしました。義直も同行します。
奈良奉行の屋敷で一泊し、春日大社や法隆寺を見物する予定です。
義直がどんな顔をするのか、少し楽しみです。
私の行動に苛立つ者もいるかもしれませんが、
焦りは失敗のもと。余裕をもって動くことが肝要です。
以上、奈良よりお伝えしました。
慶長19年11月、徳川家康です。
大坂へ進軍中ですが、木津の宿営地がやや手狭だったため、
気晴らしを兼ねて奈良見物に向かうことにしました。義直も同行します。
奈良奉行の屋敷で一泊し、春日大社や法隆寺を見物する予定です。
義直がどんな顔をするのか、少し楽しみです。
私の行動に苛立つ者もいるかもしれませんが、
焦りは失敗のもと。余裕をもって動くことが肝要です。
以上、奈良よりお伝えしました。
天正7年(1579年)、
現場の徳川家康です。
武田信玄亡きあと6年。
跡を継いだ勝頼殿は相変わらず好戦的で、いまだ不穏の気配が続いております。こちらとしては北条氏政殿との同盟がまとまり、少し余裕が出てきたところです。
本日は馬伏塚城方面まで出陣しましたが、
残念ながら、鷹が病を患いました。
浜松へ帰ります。
以上、現場からお伝えしました。
天正7年(1579年)、
現場の徳川家康です。
武田信玄亡きあと6年。
跡を継いだ勝頼殿は相変わらず好戦的で、いまだ不穏の気配が続いております。こちらとしては北条氏政殿との同盟がまとまり、少し余裕が出てきたところです。
本日は馬伏塚城方面まで出陣しましたが、
残念ながら、鷹が病を患いました。
浜松へ帰ります。
以上、現場からお伝えしました。
大人が家出するとき、
そこには理由がある。
家庭の事情、経済の限界、心の不調、人間関係の破綻、
あるいは新しい何かを求める衝動。
本日は重臣の石川数正が出奔した日。
いったい彼は、なぜ徳川家を出て行ったのか。
……それを知ってる者はいるか?
大人が家出するとき、
そこには理由がある。
家庭の事情、経済の限界、心の不調、人間関係の破綻、
あるいは新しい何かを求める衝動。
本日は重臣の石川数正が出奔した日。
いったい彼は、なぜ徳川家を出て行ったのか。
……それを知ってる者はいるか?
天文18年、現場の松平竹千代です。
どうやら大型トレードが成立したようです。
松平竹千代(チーム織田)
⇅
織田信広(チーム今川)
関係者によりますと、今川義元公と織田信秀殿の間で最終調整が行われ、
正式に合意に至ったとのことです。
歴史が動きました。
︎
︎
…続報が入りました。どうやら私です。
天文18年、現場の松平竹千代です。
どうやら大型トレードが成立したようです。
松平竹千代(チーム織田)
⇅
織田信広(チーム今川)
関係者によりますと、今川義元公と織田信秀殿の間で最終調整が行われ、
正式に合意に至ったとのことです。
歴史が動きました。
︎
︎
…続報が入りました。どうやら私です。
人の一生というものは、通知を背負ってタイムラインを歩くようなものだ。焦ってはならぬ。
バズらぬ日々を当たり前と思えば、不満は消える。
いいねが欲しくなったときは、影響力ゼロの頃を思い出せ。
我慢こそがフォロワーを守る基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
伸びることばかりを知って、スパム制限を知らぬ者は危険である。
他人のバズを羨まず、己の投稿を省みよ。
足りぬぐらいが良い。
アルゴリズムに気づかれぬ程度が、最も安全だ。
人の一生というものは、通知を背負ってタイムラインを歩くようなものだ。焦ってはならぬ。
バズらぬ日々を当たり前と思えば、不満は消える。
いいねが欲しくなったときは、影響力ゼロの頃を思い出せ。
我慢こそがフォロワーを守る基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
伸びることばかりを知って、スパム制限を知らぬ者は危険である。
他人のバズを羨まず、己の投稿を省みよ。
足りぬぐらいが良い。
アルゴリズムに気づかれぬ程度が、最も安全だ。
「天下分け目」が放送された日。
次々に入る上方からの報告、真田昌幸の離反、小山会議、足止めを食らう秀忠。
伏見城を守る鳥居元忠の勇姿、 そして厭離穢土欣求浄土を実現すべく、
慌てず着々と前に進む松潤家康をご覧あれ。
「天下分け目」が放送された日。
次々に入る上方からの報告、真田昌幸の離反、小山会議、足止めを食らう秀忠。
伏見城を守る鳥居元忠の勇姿、 そして厭離穢土欣求浄土を実現すべく、
慌てず着々と前に進む松潤家康をご覧あれ。
武田信玄殿の誕生日。
おめでとうございます🎊🎉
元亀3年の今頃は、徳川領侵攻中ですね。
これから寒くもなるし、
甲斐に帰って、誕生日を祝ったらどうです?
武田信玄殿の誕生日。
おめでとうございます🎊🎉
元亀3年の今頃は、徳川領侵攻中ですね。
これから寒くもなるし、
甲斐に帰って、誕生日を祝ったらどうです?
考えても見よ。姿形もわからぬその者は今頃、シャツの背中に「ごはん粒」を三粒貼りつけたまま、偉そうにしているやもしれぬ。そして陰で笑われておるやもしれぬ。
そなたの城はそなたのもの。その者を城に入れてはならぬ。
考えても見よ。姿形もわからぬその者は今頃、シャツの背中に「ごはん粒」を三粒貼りつけたまま、偉そうにしているやもしれぬ。そして陰で笑われておるやもしれぬ。
そなたの城はそなたのもの。その者を城に入れてはならぬ。
(特集)大坂冬の陣を追う
・カルバリン砲への道
・石川数正と家康
・徳川十六神将とは
・朝日姫と大政所の徳川ライフ
・駿府と家康の歴史
・改易大名列伝
・家康ぶらり奈良観光(短編小説)
■━━━━━━━━━■
大権現出版社
※架空の歴史雑誌です
(特集)大坂冬の陣を追う
・カルバリン砲への道
・石川数正と家康
・徳川十六神将とは
・朝日姫と大政所の徳川ライフ
・駿府と家康の歴史
・改易大名列伝
・家康ぶらり奈良観光(短編小説)
■━━━━━━━━━■
大権現出版社
※架空の歴史雑誌です
これから、来年の主人公、羽柴秀長殿の屋敷に宿泊します。
今夜、関白殿下がサプライズ訪問すると思いますが、驚いたふりをする予定です。
互いに手を取り、敵対から協力へと舵を切る。
ともに天下泰平を目指す。
美しいシーンです。きっと殿下も、
厭離穢土欣求浄土の精神を共有してくれるに違いないです。
以上、京都よりお伝えしました。
これから、来年の主人公、羽柴秀長殿の屋敷に宿泊します。
今夜、関白殿下がサプライズ訪問すると思いますが、驚いたふりをする予定です。
互いに手を取り、敵対から協力へと舵を切る。
ともに天下泰平を目指す。
美しいシーンです。きっと殿下も、
厭離穢土欣求浄土の精神を共有してくれるに違いないです。
以上、京都よりお伝えしました。
本日は京極高次邸を訪問。
宴は賑やかだったが、その笑顔の奥に微かな陰り。
儂は見逃さなかった。
「高次殿、あなたの話を聞かせてください——」
妹・竜子は太閤の側室、妻・初(常高院)は淀殿の妹。
七光りの「蛍大名」と囁かれているらしい。
だが、
夜に光る蛍は、暗闇を知るからこそ美しい。
世襲と呼ばれようとも、己で光ればそれが本物だ。
その光が試される時はすぐに来る。
──二年後、天下を揺るが
本日は京極高次邸を訪問。
宴は賑やかだったが、その笑顔の奥に微かな陰り。
儂は見逃さなかった。
「高次殿、あなたの話を聞かせてください——」
妹・竜子は太閤の側室、妻・初(常高院)は淀殿の妹。
七光りの「蛍大名」と囁かれているらしい。
だが、
夜に光る蛍は、暗闇を知るからこそ美しい。
世襲と呼ばれようとも、己で光ればそれが本物だ。
その光が試される時はすぐに来る。
──二年後、天下を揺るが
逃げてくれ。隠れてくれ。
飯を食べて、湯を浴びて、灯をつけてくれ。
音を止めて、目を閉じて、深く息をしてくれ。
戦は、今日でなくてもよいのだ。
逃げてくれ。隠れてくれ。
飯を食べて、湯を浴びて、灯をつけてくれ。
音を止めて、目を閉じて、深く息をしてくれ。
戦は、今日でなくてもよいのだ。
嗚呼死にともな
死にともな
深きご恩の君を思えば
辞世の句。これは死を前にしてこの世に書き残された詩的な短文のことだ。
儂の大好きな感動的な辞世の句の一つ。
ある武将の言葉を借りれば、
花も実もある武将、本多平八郎。
本日は彼の命日🙏
嗚呼死にともな
死にともな
深きご恩の君を思えば
辞世の句。これは死を前にしてこの世に書き残された詩的な短文のことだ。
儂の大好きな感動的な辞世の句の一つ。
ある武将の言葉を借りれば、
花も実もある武将、本多平八郎。
本日は彼の命日🙏
儂は江戸の六上水のひとつ、
小石川上水(神田上水)を家来に作ってもらった。
開発や維持には多くの費用がかかったが、 水が木や竹の水道管を流れ、庶民の下に届いたのは良きことだ。
ちなみに現在、
安全な水道水が提供される国は10か国前後という。
儂は江戸の六上水のひとつ、
小石川上水(神田上水)を家来に作ってもらった。
開発や維持には多くの費用がかかったが、 水が木や竹の水道管を流れ、庶民の下に届いたのは良きことだ。
ちなみに現在、
安全な水道水が提供される国は10か国前後という。