一念が大事。
testpiano37.bsky.social
一念が大事。
@testpiano37.bsky.social
🇷🇴
末法の教主・御本仏・日蓮大聖人の御金言。

創価学会初代会長・牧口先生・2代目会長・戸田先生・3代目会長・池田先生の御指導。

(副教学部長・河合師範御指導/辻副会長御指導)
Pinned
[BOT] 【断じて勝つ】
見た目は、勝つかどうかわからない、不安定なようであっても、死に物狂いで戦えば、その方が強いのである。

いわんや、我々には、信心がある。
法華経に勝る兵法はない。
祈れば、智慧が出る。
勇気がわく。
もう一重、深い次元で勝っていけるのである。
[BOT] 「境涯」の力は不思議である。「一念」の力は無限である。同じ環境、同じ状況にあっても、わが「境涯」と「一念」しだいで、百八十度、違う結果となり、人生となろう。
November 14, 2025 at 2:08 PM
[BOT] 疑い、不安、煩悩などの種々の形で無明は現れてくる。しかし、それを打ち破っていく力は「信」以外にない。大聖人も「無疑曰信」と仰せです。「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」とも言われている。鋭い剣です。魔と戦うという事も、根本的には無明と鋭く戦うのでなければならない。私たちは、広宣流布を妨げる魔の勢力と戦っています。
November 14, 2025 at 2:00 PM
[BOT] この魔との戦いも、根本的には無明との戦いです。また、人生に起こってくる色々な困難と戦うのも、本質は無明との戦いです。妙法への「信」、言いかえれば「必ず成仏できる」「必ず幸せになれる」「必ず広宣流布を実現していく」という一念が失せたならば、人生の困難にも、公布の途上の困難にも、負けてしまいます。開目抄で「疑う心」に負けてはいけない「嘆きの心」にとらわれてはいけないといわれているが、その疑いや嘆きこそ、まさに無明の表れなのです。
November 14, 2025 at 2:00 PM
[BOT] 伸一はさらに、智慧が湧いたら、それを行動に移す「勇気」が不可欠であることを訴えた。
「御聖訓には『つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし』(全1124・新1633)と仰せです。無量の智慧をもたらす法華経という剣も、臆病であっては、使いこなすことはできません。
 
🚨苦手だから避けようと思う心。
仕方ないのだと自らの臆病や怠惰を正当化しようという心――その自分の弱さに挑み、打ち勝つ勇気をもってください。そこに自身の人間革命があり、一切の勝利の要諦があります。
November 14, 2025 at 1:30 PM
[BOT] 正法に違背し、誹謗する謗法は、信仰上の猛毒です。
妙法の智水を、たちどころに毒水に変えてしまう怖さがあるのです。
ゆえに、末法の正師は、謗法の悪を厳しく呵責するのです。
末法は、悪知識に満ちている時代です。仏教の中で、宗教的権威を持った僧が悪知識になる時代です。
その末法に妙法を正しく流れ通わせるためには、権威・権力を恐れず、勇気を持って悪を呵責していくことが、正師の要件になるのです。
仏法が、人間の尊厳性を開く教えである以上、人間蔑視、差別主義、生命破壊の悪の思想とは断固、戦い抜かねばなりません。
悪を滅しなければ、真の善の行為となりません。
November 14, 2025 at 1:30 PM
[BOT] 仏法上の悪と戦わなければ、自身の成仏もありえません。
悪との戦いは、決して中途半端であってはいけない。戸田先生も「悪とは完膚無きまでに戦うのだ」と強調されていた。
November 14, 2025 at 1:30 PM
[BOT] 怨嫉、憎悪、ムカつきの気持ちが起きたならば、御本尊に題目をあげて
「小さな心のわだかまりを消して下さい。もっともっと崇高なる広宣流布という目的にふさわしい前進をさせて下さい!」
こうお願いしていくべきです。

何でも御本尊に直結すればいいのです。
November 14, 2025 at 1:30 PM
[BOT] 苦しい時、辛い時もあるでしょう。そのありのままの思いを、御本尊に訴えて唱題していけばいいんです。“困っています。力をください!”ーそれでいいんです。御本尊は、なんでも願いを聞いてくださる。そして、この御本尊と共に、広宣流布の使命に生きる決意を固めるんですよ。
November 14, 2025 at 1:28 PM
[BOT] 人間は、自分が「こうなろう」と、心に強く念じた通りの人間になれるものです。心に描いた「自分像」に近づいていけるのです。社会もみんなが「こうしたい」と強く願った通りの方向に、近づいていけるのです。夢の力は偉大です。「サイフの中に何が入っているか」よりも、「心の中に何が入っているか」が、未来を決めるのです。
November 14, 2025 at 12:48 PM
[BOT] 他人に悲嘆ではなく、歓喜をもたらすことが、人間としての義務だからです。そして美を認識している人は、他人にも美しさを見いだすことができます。それゆえ他人と自分を尊び、大切にすることができるのです。

何があろうと、微笑みを浮かべて、軽薄な世界を通り抜けていきなさい。

__ホセ・マルティ(キューバ共和国の父)
November 14, 2025 at 11:48 AM
[BOT] 前向きに、強気に、過去のことは反省しないこと。反省してもどうせまたやるんだから。
生命が変わらないとまたやるから。決意すればよい。
これから良くなればいい。後ろ向き運転は事故の元。
過去のことは振り返らないこと。良くなればいい。過去のことが活きてくるから。振り返っても落ち込むだけ。
いつも前向き、強気でいい。先生は「タッチの差だ」と言われている。
November 14, 2025 at 11:01 AM
[BOT] 仏法は間断なき仏と魔との戦いです。
魔は誰の生命にも潜んでいます。

油断が生じ惰性に陥ると、たちまち魔が動き出し身を破っていきます。

魔はいつもこちらの隙を伺っているからです。
少しでも油断があれば、その隙間から魔は侵入する。

絶えず前進していく信心によってしか魔を破る事はできない。
November 14, 2025 at 11:01 AM
[BOT] 「法華経の大利益を疑ってはならない」「大利益」は必ずある。一時は悪く見えても、絶対に「変毒為薬」できる。「現世が安穏でないと嘆いてはならない」安穏であれば、生命は鍛えられない。食べたい時に食べ、寝たい時に寝ていれば堕落しかない。難と戦ってこそ、生命の金剛の大境涯はできる。ゆえに大聖人は「難来るを以て安楽と意得可きなり」と仰せである。
仏道修行に苦労は多いけれども、安穏なだけの人生では、とうてい得られない「人間革命」という大歓喜がある。だから大聖人は「まことの時にこそ、信心の約束を忘れてはなりませんよ」と、厳しく仰せになっているのである。
November 14, 2025 at 10:48 AM
[BOT] 不信というのは、生命の根本的な迷いであり、元品の無明です。それは不安を呼び、絶望へと自身を追い込んでいきます。その自分の心との戦いが信心です。その迷いの心に打ち勝つ力が題目なんです。ゆえに、題目第一の人こそが、真の勇者なんです。
November 14, 2025 at 9:28 AM
[BOT] 昭和54年(1979年)4月、私は会長の辞任を余儀なくされた。狂った反逆者と邪宗門が結託して、何の罪もない私を追い落とそうとしたのである。
いわば、学会は絶頂期であり、いよいよこれからが総仕上げという、大切な時であった。
卑劣な仕打ちにも、私は会員のために耐えようと決めた。
私を陥れ、私利私欲のために学会を利用しようとした人間たちが、今、どうなっているか。皆、哀れな末路をたどっている。仏法は本当に厳しい。
November 14, 2025 at 8:18 AM
[BOT] 陰謀を見抜け!
『巌窟王』には、こうもある。「この私は、陰謀の全部をちゃんと見抜いているのですから。大丈夫。一旦それを見ぬいた以上、こっちの勝に決まっています」一切の悪人の陰謀を見抜くのだ。そして、粘り強く信心を貫いていくのだ。そこに勝利の要諦がある。
『巌窟王』の物語の最後の言葉は何であったか?
「待て、しかして希望せよ!である。どんな事があっても、「希望」を忘れてはならない。
どんな思うようにいかぬ苦境にあっても、忍耐強く、祈りまた祈り、未来への大道を切り開くのだ。これが『巌窟王』の精神である。若き皆さん、希望を持って、勝利を勝ち取ろう!
November 14, 2025 at 7:48 AM
[BOT] 正義は、必ずはっきりしますよ。大聖人の時代でも、反逆の五老僧が出たじゃないか。それに踊らされるのは、信心がないんだよ。
November 14, 2025 at 6:58 AM
[BOT] 📖「我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり」(383㌻)と仰せの様に、妙法蓮華経への深く信の「一念」に、仏界の生命が顕現するのです。
「妙法」に「わが生命」を合致させゆく為の唱題です。ゆえに祈りとは、自身の一念における、法性と無明との熾烈な闘争です。この戦いに勝ち〝自分の生命が妙法の当体である〟と確信しきる事が「成仏の直道」であるとの御断言なのです。
即ち、無明に覆われて気づかなかった妙法と一体の本来の自己に目覚める戦いです。ですから「苦楽ともに思い合せて」(1143㌻)、迷いの自分に克ちゆく唱題を重ねる事が最も大切なのです。
November 14, 2025 at 6:01 AM
[BOT] 🏔️🏔️🌋⛰️⛰️🏔️🌋⛰️⛰️🌋🏔️
November 14, 2025 at 6:00 AM
[BOT] 二十三歳の二月、事業の危機を打開する為に奔走する中で、私は日記に記しました。「業因、業果、善因善果、この理法は、誰よりも悉く自己自身が知悉しているものだ。所詮、誰人を責めるものでもない。誰人の責任でもない」
透徹した仏法の因果律に照らすならば、運命は嘆き悲しむものではない。決然と立ち向かうものである。否、断固として創り変えていくものである。
我が師・戸田先生は、師子王でありました。故に、その弟子である私も、一切の悲哀や感傷を打ち破りました。私の胸奥には、広布の師匠の為に命を捧げて戦う随喜が燃え滾っていた。この師弟不二の烈々たる一念を因として、正義の反転攻勢の渦を巻き起こしてい...
November 14, 2025 at 6:00 AM
[BOT] あえて(内外の)謗法を「責めいだす」という強い戦いこそが、宿命転換の直道です。
そのためには「勇気」が必要です。反対に、臆病に囚われた弱い戦いでは、生死の苦悩を転換することはできません。
November 14, 2025 at 6:00 AM
[BOT] 微塵の疑いも挟まない、御本尊に対する絶対の確信のみが、無明惑を打破する利剣であるとの仰せである。したがって、我々の信心とは、瞬間瞬間が己心の第六天の魔王との厳しい戦いであり、これを打ち破って勝ち抜いていかなければならないのである。
November 14, 2025 at 6:00 AM
[BOT] 戦いの根本――それは「祈り」だった。毎朝、皆で祈りを合わせて出発し、先生は大地に題目を染み込ませる思いで唱題しながら座談会の会場を回った。そして、10日間の短期決戦で弘教日本一の歴史を刻んだ。
池田先生は、「勝利を決めるいちばんの根本は唱題である。題目の力に勝るものはない。題目をあげぬくかぎり、恐れるものは何もない」と。
「この経文は一切経に勝れたり。地走る者の王たり、師子王のごとし。空飛ぶ者の王たり、鷲のごとし」📖1310㌻
さあ、祈りの翼を大きく広げ、力強く羽ばたこう!
November 14, 2025 at 5:28 AM
[BOT] 【己心の魔】
建設は死闘。破壊は一瞬である。悪が盛んになれば、善が滅びる。
不惜身命で悪と戦う勇者がいる限り、善は守られる。
しかし、もしその精神が失われれば、崩壊はすぐに始まってしまう。
このことを、よくよく心に留めていただきたい。【謗法】
November 14, 2025 at 5:20 AM
[BOT] 信心は心眼を開くのです。
困難が大きければ、それだけ、乗り越えた歓喜も大きい。

日蓮大聖人は
📖「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」と仰せです。
悩みがあるほど、いよいよ喜び勇んで進んでいく。それが、学会精神です。

「一心の妙用」とあるように、一念の力は不思議です。
一念の力は無限です。
信心の強き一念は、世界のいかなるものよりも優れた最高の力です。周りの人にも歓喜を分け与えていける。

一念の力は、全世界🌏、全宇宙🌌よりも大きい。
それが我が生命に厳然とそなわっているのです。
November 14, 2025 at 5:20 AM