一念が大事。
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一念が大事。
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🇷🇴
末法の教主・御本仏・日蓮大聖人の御金言。

創価学会初代会長・牧口先生・2代目会長・戸田先生・3代目会長・池田先生の御指導。

(副教学部長・河合師範御指導/辻副会長御指導)
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[BOT] 【断じて勝つ】
見た目は、勝つかどうかわからない、不安定なようであっても、死に物狂いで戦えば、その方が強いのである。

いわんや、我々には、信心がある。
法華経に勝る兵法はない。
祈れば、智慧が出る。
勇気がわく。
もう一重、深い次元で勝っていけるのである。
[BOT] いつも余裕のない、暗い顔をしていたのでは、周囲の元気もなくなってしまいます。そこからは希望も、活力も生まれてこない。
大変な時こそ、反対に、明るい笑顔で周囲の人を元気づけながら進んでいくことです。
希望がなければ、自分で希望をつくっていけばよい。人を頼るのではなく、みずからの胸中に炎を燃えたたせていくのです。
😃
January 8, 2026 at 11:13 AM
[BOT] 前向きに、強気に、過去のことは反省しないこと。反省してもどうせまたやるんだから。
生命が変わらないとまたやるから。決意すればよい。
これから良くなればいい。後ろ向き運転は事故の元。
過去のことは振り返らないこと。良くなればいい。過去のことが活きてくるから。振り返っても落ち込むだけ。
いつも前向き、強気でいい。先生は「タッチの差だ」と言われている。
January 8, 2026 at 11:00 AM
[BOT] 妙法蓮華経が己心の法である以上、どうしても触れておかなければならない課題があります。それは、「無明の迷心」と「法性真如の妙心」との関係です。
自身の心といっても、凡夫の弱き心に従ってしまえば、心の可能性は急速にしぼみます。それどころか、心から悪も生じます。ここに一念の微妙な問題がある。
一生成仏が、衆生自身の心を鍵としている以上、人間がもつ「心」の弱さを克服していかなければならない。それが「信心」でもあるのです。
凡夫の心は、常に揺れます。その揺れる自身の心を基準にしてはならない。
そのことを訴えているのが、有名な「心の師とは・なるとも心を師とせざれ」(御書1088㌻)との金...
January 8, 2026 at 10:13 AM
[BOT] 「心を師」とするとは、「自分中心」です。最終的には、揺れ動く自分の心に振り回され、わがままなエゴに堕ち、あるいは無明の淵に沈んでしまう。
これに対して「心の師」となるとは、「法中心」です。そして、この「自分」と「法」を結びつけるのが、仏法の師匠の存在です。
 仏法で説く師匠とは、衆生に、自らの依り処とすべき「法」が自分自身の中にあることを教えてくれる存在である。法を体現した師匠、法と一体となった師匠を求め、その師匠を模範と仰いで弟子が実践していく。そのとき、初めて「心の師」となる生き方が実現するのです。
January 8, 2026 at 9:08 AM
[BOT] 目先にとらわれる必要はない。
病気の人は、仏界という崇高な山に登りゆく練習をしていると、思ってください。いずれ、山頂に立って、永遠に素晴らしい眺めを楽しむために、今、坂を一つ一つ、越えているのだと思ってください。
さらにまた、彼方に輝く常楽の希望の島に向かって、今、荒波を泳いでいる時であると思ってください。
すべてが、自分自身の三世にわたる、素晴らしき勝利のための栄光の記録を作っているのであると、生き抜いてください。
ともあれ、妙法を持《たも》った人に無駄はない。たじろいでも、恐れても、悲しんでもならない。
すべてが、永遠の幸福のための追い風となることを、忘れないでください。
January 8, 2026 at 8:18 AM
[BOT] 私たちが目標に向かって進んでいく時も同じではないでしょうか。苦境に陥った時、誰かとの約束があり、それを思い出せば、乗り越えていく勇気がわいてくるものです。また、約束とは、自分自身との約束、つまり自分が決めた目標や初心と言ってもいいかもしれません。

いざという時に、進むのか退くのか。「約束」を忘れないことに、その境界線があります。そして、逆境に立ち向かい、必ず乗り越えていけるのが南無妙法蓮華経の信仰の力なんです!
January 8, 2026 at 7:08 AM
[BOT] 若くして妙法を持った君たちの生命は、自分が思っているより何十倍、何百倍、いな百千万億倍も偉大です。計り知れない力を秘めているのです。
一人ももれなく、誇り高く胸を張ってください。苦しいことも大変なことも、題目という、この世で最も強い師子吼を唱え、一つ一つ乗り越えながら、みんなを幸福にし、世界を平和にしゆく栄光の青春を、喜び勇んで乱舞していただきたいのです。
January 8, 2026 at 6:23 AM
[BOT] 🏔️🏔️🌋⛰️⛰️🏔️🌋⛰️⛰️🌋🏔️
January 8, 2026 at 6:00 AM
[BOT] あえて(内外の)謗法を「責めいだす」という強い戦いこそが、宿命転換の直道です。
そのためには「勇気」が必要です。反対に、臆病に囚われた弱い戦いでは、生死の苦悩を転換することはできません。
January 8, 2026 at 6:00 AM
[BOT] 二十三歳の二月、事業の危機を打開する為に奔走する中で、私は日記に記しました。「業因、業果、善因善果、この理法は、誰よりも悉く自己自身が知悉しているものだ。所詮、誰人を責めるものでもない。誰人の責任でもない」
透徹した仏法の因果律に照らすならば、運命は嘆き悲しむものではない。決然と立ち向かうものである。否、断固として創り変えていくものである。
我が師・戸田先生は、師子王でありました。故に、その弟子である私も、一切の悲哀や感傷を打ち破りました。私の胸奥には、広布の師匠の為に命を捧げて戦う随喜が燃え滾っていた。この師弟不二の烈々たる一念を因として、正義の反転攻勢の渦を巻き起こしてい...
January 8, 2026 at 6:00 AM
[BOT] 微塵の疑いも挟まない、御本尊に対する絶対の確信のみが、無明惑を打破する利剣であるとの仰せである。したがって、我々の信心とは、瞬間瞬間が己心の第六天の魔王との厳しい戦いであり、これを打ち破って勝ち抜いていかなければならないのである。
January 8, 2026 at 6:00 AM
[BOT] 信心は心眼を開くのです。
困難が大きければ、それだけ、乗り越えた歓喜も大きい。

日蓮大聖人は
📖「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」と仰せです。
悩みがあるほど、いよいよ喜び勇んで進んでいく。それが、学会精神です。

「一心の妙用」とあるように、一念の力は不思議です。
一念の力は無限です。
信心の強き一念は、世界のいかなるものよりも優れた最高の力です。周りの人にも歓喜を分け与えていける。

一念の力は、全世界🌏、全宇宙🌌よりも大きい。
それが我が生命に厳然とそなわっているのです。
January 8, 2026 at 5:20 AM
[BOT] 例えば、具合が悪くなった。具合が悪くなったという事自体が因果倶時で、信心が止まっているのです。
見ていてわかります。
「こんなに信心したのに」「私はこれだけ戦ってきたのに」
それ自体が退転なのです。

どんな事があっても御本尊様を放さない、信心だけは大聖人様の仰せ通りに進んでいく事です。
「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影ななめなり」(新1346・全992)
January 8, 2026 at 5:20 AM
[BOT]  “唱題の人”が
 “勝利の人”である。
 題目をあげぬいた人には、
 諸天が続々と参集する。
 最大に幸福の方向へと
 導いてくれる。
 題目にかなうものは
 何もない。
January 8, 2026 at 5:18 AM
[BOT]  「自分なんかもうダメだ」
 と思うような瀬戸際の時がある。

 実はその時こそが、
 自分の新しい可能性を開く
 チャンスなのである。

 わが人生を敗北から勝利へ、
 不幸から幸福へと
 大転換しゆく分かれ目が
 ここにある。
January 8, 2026 at 4:03 AM
[BOT] 人生には、病に襲われることもあれば、失業や倒産など、多くの苦悩があるが、それ自体が人を不幸にするのではない。
その時に、“もう、これで自分の人生は終わりだ”などと思い、希望をなくし、無気力になったり、自暴自棄になったりすることによって、自らを不幸にしてしまうんです。
つまり、病気などに負けるというのは、その現象に紛動されて、心が敗れてしまうことをいうんです。
January 8, 2026 at 3:18 AM
[BOT] 幸福は、他の誰かから与えられるものではない。
自分の意志や努力とは無関係に、いつか突然やって来るのを待つのでもない。
究極は、各人が、自分自身で「つかむ」しかありません。
必ず「つかむ」ことができる信心なのです。
そして、三世に崩れざる真の幸福境涯を、自他共の胸中に築き上げていく。
それが、創価学会の信心の実践です。
 
January 8, 2026 at 2:13 AM
[BOT] 勇気を奮い起こし、疲れたら再び奮い起こして戦い続ける中に、仏界が涌現してくるのです。仏界の力でなければ強敵に勝利する事はできない。
不惜身命でなければ、民衆を守る事はできない。「身命をすてて強敵の科を顕せ」の一文を心に刻みたい。魔と闘い、強敵の科を責め出さなければ真の勝利は断じて無い。師子王が動く事で魔は退散する。仏法を守るべき時には、猛然と魔軍を駆り出していかなければならない。油断は絶対に禁物です。どんな敵も全力で戦う。それでこそ師子です。真剣勝負ゆえに、師子王は、周囲が“ここまで”と思うぐらいに一つ一つに全魂を込めて取り組むのです。“守り”でなく、“攻め”です。
January 8, 2026 at 2:00 AM
[BOT] 目には見えない「一念」と「行動」が、長い間には必ず目に見える結果となって現れてくる。
長い目で見れば、その人の真実は、自然のうちに明らかになっていく。
裏表のない人が最後に勝っていく。
たとえば、“電波”は目に見えないが、火星や金星にまでもつながっていく。
生命の一念も、凡夫の目には見えないが「一念三千」の法則によって、諸天・諸仏をも動かし、厳然たる「実証」となって現れる。「信心」とは、いわばこの「冥の照覧」を信じきることといえるでしょう。
January 8, 2026 at 1:13 AM
[BOT] 苦悩なき人生はないのだ。どんなに華やかそうに見えても、人は悩みをかかえている。一時期は幸せを満喫しているようでも、それが永遠に続くことなどない。生きるとは、苦悩することであるといってもよい。それに負けて、希望を失い、自暴自棄になってしまうことから、人は不幸になるのである。
だから、悩みや苦しみに負けない強い心、大きな心をつくるしかない。
苦悩が大きければ大きいほど、それに打ち勝つ時、より大きな幸福を感ずることができる。
いな、その挑戦のなかにこそ、充実と歓喜の生命が脈打ち、わが胸中は幸福の泉となるのである。
その能動的な自己をつくり、心を大きく、強くすることが、「人間革命」なのだ。
January 8, 2026 at 12:08 AM
[BOT] 私どもは、絶対に、こうした「悪」の蠢動を許してはならない。
正法の「敵」を鋭く見抜いていくことだ。仮面の策略に翻弄されてはならない。そして信心の世界で「悪」の働きができないように、責めだしていかねばならない。
January 7, 2026 at 11:08 PM
[BOT] 私は、信心の世界、妙法の世界を破壊しようとする敵と戦っている。そのために数々の迫害もあった。非難、中傷も受けている。しかし、それが御聖訓どおりの正しき信心の道と知っているがゆえに、私は行動している。
たとえ、信心の年数も長く、幹部になったとしても、仏法の敵を見ながら、知りながら、戦いもせず、責めようともしなければ、本当に仏法を知ったことにはならない、真実の信心の実践とはならないことを教えられた御書である
January 7, 2026 at 10:23 PM
[BOT] ☀️

一日一日の充実には
朝の出発が肝心です。
「朝の勝利」が
一日の勝利です。
その積み重ねが
人生全体の勝利となる。
January 7, 2026 at 10:00 PM
[BOT] 広宣流布を破壊する仏敵とは、絶対に妥協してはならない。徹底して戦い、破折し、打ち負かして、その末路を歴史に刻んでいく事こそ、真の慈悲である。仏法破壊の者とは断じて戦いぬく。偽り親しんではならない。それでなくては、却って《敵》となる。
妥協してはならない。はっきり言ってあげる事が、仏法の慈悲にかなう実践であり、相手を守ることになる。
悪を打ち破って、初めて善の意味が明らかになります。
その意味では、悪は善の顕揚のために、生かさねばなりません。
また、打ち破られた悪が、自己を悪と認識すれば、もはやそれは、悪ではありません。
January 7, 2026 at 9:08 PM
[BOT] 日蓮が幕府の御勘気をこうむった(流罪になった)ので、天台・真言の法師等は喜ばしく思っているであろう。
(その心は)じつに恥を知らぬものであり、奇怪なことである――。
正義ゆえの難をみて、喜び笑っているとは――なんと卑しく、ゆがんだ、仏法の精神と正反対の心であろうか。
「夫れ釈尊は娑婆に入り羅什は秦に入り伝教は尸那に入り提婆師子は身をすつ薬王は臂をやく上宮は手の皮をはぐ釈迦菩薩は肉をうる楽法は骨を筆とす。天台の云く『適時而己』等云々、仏法は時によるべし日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし」
January 7, 2026 at 8:23 PM