俳句?知らん。
俳句?知らん。
来年もよろしくお願いします🙇
(こちらでも挨拶〜)
来年もよろしくお願いします🙇
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結構好き勝手書いたんだがなあ。
電話だけはやめてね、と祈る(まあ分かってるだろうとは思うけど)。
結構好き勝手書いたんだがなあ。
電話だけはやめてね、と祈る(まあ分かってるだろうとは思うけど)。
なんでアカウントロックされにゃならんのだX(旧ツイッター)
なんでアカウントロックされにゃならんのだX(旧ツイッター)
やるからにはやり切るぞ、という考え。
やるからにはやり切るぞ、という考え。
いるな、よし(いない)。
いるな、よし(いない)。
「俳句鑑賞学」とは言いつつも、たぶん主宰が伝えたかったことは、「この俳句がなぜ生まれたか」を根源から捉えることが俳句における「読み」であるということだろう。だからこそ、特に講話の中では、俳句の中の自然が「自我を超えている」ことや、アニミズムへの眼差しが強調されたのだった。
若手(私含む)の俳句を主宰と論じ合った際も、時間の都合上言えなかったことがある。
それは、「死の匂い」が感じられないということである。これを実際に詳述することは難しいが、とにかく言えるのは、まだ生者である自分自身への固執があるということであり、特に私はこれを大いに反省している。
「俳句鑑賞学」とは言いつつも、たぶん主宰が伝えたかったことは、「この俳句がなぜ生まれたか」を根源から捉えることが俳句における「読み」であるということだろう。だからこそ、特に講話の中では、俳句の中の自然が「自我を超えている」ことや、アニミズムへの眼差しが強調されたのだった。
若手(私含む)の俳句を主宰と論じ合った際も、時間の都合上言えなかったことがある。
それは、「死の匂い」が感じられないということである。これを実際に詳述することは難しいが、とにかく言えるのは、まだ生者である自分自身への固執があるということであり、特に私はこれを大いに反省している。
「俳句鑑賞学の手引」というのが、大文字のテーマでありました。詳しいことは余り書けないですが、俳句を理解する(大いなるものを掴む)に当たって、虚心坦懐、無心に捉えることを主宰が強調されていたのが印象的でした。
無鑑査同人や主宰が質問に答えるコーナーも設けられており、実はその際参加者の私が主宰と若手の俳句(私の俳句含む)について論じ合う時間もありました。主宰が、若手ならではの気づきや素直さ、意欲を評価され、エールを送って下さったことが嬉しかったです。
ここまではよくできた感想文。
「俳句鑑賞学の手引」というのが、大文字のテーマでありました。詳しいことは余り書けないですが、俳句を理解する(大いなるものを掴む)に当たって、虚心坦懐、無心に捉えることを主宰が強調されていたのが印象的でした。
無鑑査同人や主宰が質問に答えるコーナーも設けられており、実はその際参加者の私が主宰と若手の俳句(私の俳句含む)について論じ合う時間もありました。主宰が、若手ならではの気づきや素直さ、意欲を評価され、エールを送って下さったことが嬉しかったです。
ここまではよくできた感想文。
(ちなその方は経験者)
(ちなその方は経験者)
一人は端正な写生を心がける方で、もう一人は瑞々しい表現を駆使される方。どちらにも違う味わいがあり面白いので、切磋琢磨して欲しいなあ、なんて思ったり。
これで私が隠居しても岳は安泰ですね(そんな歳か)
一人は端正な写生を心がける方で、もう一人は瑞々しい表現を駆使される方。どちらにも違う味わいがあり面白いので、切磋琢磨して欲しいなあ、なんて思ったり。
これで私が隠居しても岳は安泰ですね(そんな歳か)
だいたい多くても2つ、かなあ。まあものにもよるだろうが。
だいたい多くても2つ、かなあ。まあものにもよるだろうが。
どうやらリレー連載らしいのだが、トップバッター私で大丈夫?
どうやらリレー連載らしいのだが、トップバッター私で大丈夫?
初学の方とはいえ、コメントする側もやはり何か高説を垂れるよりかは、まず作品を素直に知ろうという姿勢が大事だよなあ、と思うのです。
「寒い夜の 独りを照らす 朧月」
で大変気に入っていた。私は孤独で氷のように冷たい心の夜道を歩いていたけど、彼を思うと月明かりを見つけたみたいに心が安らいでそんな胸いっぱいの思いを込めて作った。でも、二重季語だし寒い夜は冬の季語なのに対して朧月は春の季語、朧月は春の滲むような温かい光だから照らすような強さはないと言われてから句会に出るのが怖くなってしまった。
現実世界から見たら不恰好で矛盾した言葉遣いの句なんだけど、私の心の情景を読むには何一つとして間違ってない句だったから。そしてひどい悲しみと喜びを切実に込めた一句だったから現実を浴びせられたのが酷くショックだった。
初学の方とはいえ、コメントする側もやはり何か高説を垂れるよりかは、まず作品を素直に知ろうという姿勢が大事だよなあ、と思うのです。
だから作品を通して、如何に世の中と(他者と)対話できるかは割と大事なことなんだけど、みんな案外創作は一方通行と思いがち。
俳句をやって句座を囲んで私が感じるのは、作者に対する「開かれた質問」が現場では少ない。(「その句を詠もうと思ったきっかけは?」など)
感想とか指摘とかより、もっと作者の根源を探る質問をどんどんしてくれたら、創作者の私としては嬉しいな、と思う。
だから作品を通して、如何に世の中と(他者と)対話できるかは割と大事なことなんだけど、みんな案外創作は一方通行と思いがち。
俳句をやって句座を囲んで私が感じるのは、作者に対する「開かれた質問」が現場では少ない。(「その句を詠もうと思ったきっかけは?」など)
感想とか指摘とかより、もっと作者の根源を探る質問をどんどんしてくれたら、創作者の私としては嬉しいな、と思う。
ただ、量をこなすあまりに質が置いてけぼりになるとそれでは平凡極まりないので、やはりいかに豊かな経験をしているかが、質を担保する鍵になるとも思う。
やっぱり小旅行をしてみるのも大事なんだよなあ。
ただ、量をこなすあまりに質が置いてけぼりになるとそれでは平凡極まりないので、やはりいかに豊かな経験をしているかが、質を担保する鍵になるとも思う。
やっぱり小旅行をしてみるのも大事なんだよなあ。