山田
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「自分の夢がかなわないのなら他人の夢を邪魔すればいい」(タンポポの花言葉)

ポンコツ山田.com
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牛すじは圧力鍋で柔らかく煮ても、しっかり味を含ませないと、脂っぽいだけのぶよぶよしたものに過ぎないことを理解した。しかも、それなりの時間ぐつぐつさせないと、なかなか味が入ってくれないんだな。
February 17, 2026 at 12:24 PM
島国のように、国の領土の境界を保ちやすい国家なら、王統が変わっても国号が維持されやすい、とか?
February 17, 2026 at 1:16 AM
王朝(王統)が変わっても国(国号)は存続するというケースのほうが、世界的には珍しかったりするのかな?地域で違いがあるのかしら。
February 17, 2026 at 1:14 AM
一国が存在してから崩壊するまで一王朝しかない(国が存続したままでの王朝交代がおきない)と、そんな感じになったりするのかな。
February 16, 2026 at 2:23 PM
ファーティマ朝とかウマイヤ朝とか、最高権力者(の一族)の名前がそのまま国名扱いになり、別途国名がない(「○○国」と呼ばれない)のも不思議な感じがするけど、それはその地域ではそういうものというだけの話なのかもしれない。
February 16, 2026 at 2:18 PM
ササン朝ペルシアなんかと違い、ファーティマ朝とかアッバース朝みたいな「○○朝」とだけ呼ばれる国はなんなんだろう。特にヨーロッパから見た、その版図に対応する国名や地域名がないってことなんだろうか。
February 16, 2026 at 2:04 PM
想定された足の筋肉痛にくわえ、朝からずっとうっすら頭が痛かった。今日は40点の日です。
February 16, 2026 at 9:53 AM
覿面に足の両親指にマメができてる。これがサッカー……
February 15, 2026 at 11:00 AM
なお、明日の活動低下については考えないものとする。
February 15, 2026 at 8:04 AM
散歩していたら公園で友人とその息子(小2)に出くわしたので、一時間半ほどサッカーして遊んだ。遊びきれたのは、間違いなく日頃のジョギングとスクワットのおかげ。
February 15, 2026 at 8:03 AM
手羽元と豚肩ブロックに軽く焦げ目をつけて圧力鍋で煮ておく。明日はカレー祭りじゃグフフ。
February 14, 2026 at 12:02 PM
20個ほどまとめて大鍋で蒸したやつを、家族三人でペロリといってやった。鍋に残った汁は、先日行った池袋のかき小屋をみならって、雑炊の出汁にしてやるのだ。マジでトブぞ。
February 14, 2026 at 9:38 AM
毎年恒例、山田家冬の牡蠣祭りが無事挙行されました。
February 14, 2026 at 9:34 AM
市販のお好み焼き粉は、他の具材の量は変えずに、粉と水だけ半量にするのが自分にはちょうどいい。企業努力には申し訳ないと思ってる。
February 14, 2026 at 3:18 AM
渡辺美里と渡辺直美、森下千里と森高千里の区別がとっさにできない苦難の民。
February 14, 2026 at 3:14 AM
だいぶ前から気になっていたことをズバリテーマに扱っている『皇帝の世界史』という本の存在を知りニッコリ。
February 12, 2026 at 2:02 PM
NTTのICCで行われているインスタレーションに行ってみようかと思ったんだけど、目当ての要予約の作品がわずか1時間半で完売している有様。
February 12, 2026 at 5:12 AM
いいアイデアが生まれる場所を表す「三上(馬上・枕上・厠上)」という言葉がありますが、私はサドル上がつらつらものを考えるのにもっとも適した場所になります。いかんせん危険なのが玉に瑕ですが。
February 10, 2026 at 2:36 PM
「特別でありたい」と行動するには、その反対のものである「普通とはなにか」を理解していなくてはならないので、「特別であるために普通でないことをする」という行動原理には、「普通(マジョリティ)」という、自分ではないところで決められているものが基準として常に意識されることになる。他人(の目や在りかたや振る舞い)を自身の行動の基準とする、少なくともそれに基準の軸足を置くことは、本人の意に反し、とても普通(マジョリティ)なことだ。
February 10, 2026 at 5:24 AM
自分の中の価値基準を熱烈に追い求める人間、逆に、自分の中の価値基準の外にあるものには全然執着しない人間という、特異さの両極の現れ方をしている二人が、『科学的に存在しうるクリーチャー娘の観察日誌』の栗結と織津江だろうか。
February 9, 2026 at 1:05 PM
ところで、人の悩みの質は、その人の特異さ、つまり、価値基準がどれだけ外を参照していないかによるのだと思う。特異さが同程度の人間は、社会的属性、才能の程度や多寡、悩んでいる原因が異なっていても、似たような悩み方をするんじゃないかという仮説。
February 9, 2026 at 1:05 PM
イメージとしては、アカギや、路傍のフジイが近いのだと思う。彼らは社会の中で生きながら、社会の価値基準の存在を知りながら、自分の価値基準に従って生きる。そして彼らは同時に、自分の価値基準にとってどうでもいい部分については素直に社会の価値基準に従える。だってどうでもいいことだから。どうでもいいことだから、社会の価値基準に従っても気にしない。
February 9, 2026 at 1:05 PM
社会の価値基準から外れることで後ろ指を指されたくない、不幸せになりたくない、という、社会的生物として当然の感情を見向きもしないかのように、社会の中で生きながら自らの価値基準に従って過ごす人。そんな人間を社会に価値基準を預けている人から見ると、とても異様に映るはずだ。
February 9, 2026 at 1:04 PM
そういうものを得たいという前向きな動機の裏側には、そういうものを得ていないことで後ろ指を指されたくない、という後ろ向きな動機がある。むしろ人は、後ろ向きな動機こそが強いのかもしれない。人は幸せになりたいのではなく不幸せになりたくないのだ、と書いたのは戯言シリーズだったか。
February 9, 2026 at 1:04 PM
社会で暮らすということは、社会の約束事に従うということで、その約束事の中には当然その社会における価値基準も含まれている。社会の中で快適に暮らそうと思えば、社会の価値基準に則った価値あるものを得る必要がある。それはお金だったり、地位だったり、名声だったり、恋人や家庭だったり。
February 9, 2026 at 1:03 PM