アイヌ工芸品ショップ「アイヌモシリ」で買った、小さな木彫りの熊。
アイヌ工芸品ショップ「アイヌモシリ」で買った、小さな木彫りの熊。
デル・トロ監督の作品はあまり得意じゃなかった。創造性に魅力を感じる気持ちと生理的嫌悪が同居して、後者がわずかに勝ってしまい、2回目が観れなかった。けど、この作品は生理的感覚も含めて、とても美しい作品だった。
ミアゴス、パールも凄かったけど、本当にとんでもない俳優さんだ。
デル・トロ監督の作品はあまり得意じゃなかった。創造性に魅力を感じる気持ちと生理的嫌悪が同居して、後者がわずかに勝ってしまい、2回目が観れなかった。けど、この作品は生理的感覚も含めて、とても美しい作品だった。
ミアゴス、パールも凄かったけど、本当にとんでもない俳優さんだ。
具がシンプルなおにぎり 180ぐらい
肉まん 230ぐらい
メロンパン 350〜400越え
具がシンプルなおにぎり 180ぐらい
肉まん 230ぐらい
メロンパン 350〜400越え
しかも全部、検尿(して失敗する)夢。
最終的に、目覚ましの1時間前に起きる。
寝る前に、明日の朝は検尿忘れないぞ!って自分に言い聞かせすぎた?
それとも、単純にトイレに行きたいのか?笑
本日3回目の検尿は、一回ほっぺをつねってから採りました。
しかも全部、検尿(して失敗する)夢。
最終的に、目覚ましの1時間前に起きる。
寝る前に、明日の朝は検尿忘れないぞ!って自分に言い聞かせすぎた?
それとも、単純にトイレに行きたいのか?笑
本日3回目の検尿は、一回ほっぺをつねってから採りました。
本当は春先が、シーズンなのか。そうだよね。
本当は春先が、シーズンなのか。そうだよね。
まだ月曜ぞ、と自分に言い聞かせてそこから電車に乗った。
まだ月曜ぞ、と自分に言い聞かせてそこから電車に乗った。
日光を浴びるとセロトニンが出るのは何故だろう。進化の過程で、日光を浴びることで何か生存にプラスになった時期があったんだろうか。
日光を浴びるとセロトニンが出るのは何故だろう。進化の過程で、日光を浴びることで何か生存にプラスになった時期があったんだろうか。
とても真摯な展覧会だった。
例えば戦闘機の上から空爆の様子を捉えた絵画は、正直、構図がとてもカッコイイと感じてしまった。でも、その絵には爆撃から逃げ惑う現地の人間の姿は描かれない。
何が描かれ、何が描かれていないのか。私たちは何に高揚しているのか。
憎悪と分断を煽られる今だからこそ、大事な視点だと思う。
とても真摯な展覧会だった。
例えば戦闘機の上から空爆の様子を捉えた絵画は、正直、構図がとてもカッコイイと感じてしまった。でも、その絵には爆撃から逃げ惑う現地の人間の姿は描かれない。
何が描かれ、何が描かれていないのか。私たちは何に高揚しているのか。
憎悪と分断を煽られる今だからこそ、大事な視点だと思う。
いいぞいいぞ!
いいぞいいぞ!
良い三連休の締めだった。
良い三連休の締めだった。
この街にある美味しいものを嗜めるようになりたい
この街にある美味しいものを嗜めるようになりたい
普段あまりお酒飲まないけど、今日は美味しく飲む!!
薬膳酒らしく、飲んでてもぜんぜ嫌な感じがない!!
普段あまりお酒飲まないけど、今日は美味しく飲む!!
薬膳酒らしく、飲んでてもぜんぜ嫌な感じがない!!
国民は投票すらしていないがファイナル右翼政党がファイナル極右総裁を勝手に選出してしまった日に読むのにぴったりなのは「影の歴史」という章だよ。自分たちを舞台の主役だと信じ込んでいる人たちが、しょうもない権力劇を演じながら、自分たちがいる場所こそが世界の中心だと私たちに思い込ませようとする。
だが、実際には違う。「世界を変えるストーリーが生まれているのは、無視するように促されてきた場所、あるいは見えないものとして扱われてきた場所だ。」即ち、影。
国民は投票すらしていないがファイナル右翼政党がファイナル極右総裁を勝手に選出してしまった日に読むのにぴったりなのは「影の歴史」という章だよ。自分たちを舞台の主役だと信じ込んでいる人たちが、しょうもない権力劇を演じながら、自分たちがいる場所こそが世界の中心だと私たちに思い込ませようとする。
だが、実際には違う。「世界を変えるストーリーが生まれているのは、無視するように促されてきた場所、あるいは見えないものとして扱われてきた場所だ。」即ち、影。
でも、絶望で目や耳を塞いじゃいけない。辛いけど、関わり続ける。
でも、絶望で目や耳を塞いじゃいけない。辛いけど、関わり続ける。
生活をしている実感が湧く。
生活をしている実感が湧く。
身体を動かす方が精神の健全性が保たれる。
一方で、食を数字的に捉えるようになったことが少し寂しい。美味しさで食材を選ばず、栄養素の含有量で選ぶようになっている。
身体を動かす方が精神の健全性が保たれる。
一方で、食を数字的に捉えるようになったことが少し寂しい。美味しさで食材を選ばず、栄養素の含有量で選ぶようになっている。