西中賢治
kenjinishinaka.bsky.social
西中賢治
@kenjinishinaka.bsky.social
テスト的に日記を投稿しています
2025年1月17日(金)
 阪神・淡路大震災から30年。午後遅くに起きてしまう。ジム、今日はバーベル種目も。
 アトリエ春風舎で果てとチーク『きみはともだち』。これまでは教条的に過ぎるところがあったが、今作は、マイノリティがマジョリティとどう繋がれるのかという切実な問いを作家と観客が共有できるものになっており、素晴らしい。
 終演後、ジュンクに寄って町田康『俺の文章修行』、講談社文芸文庫で復刊された金井恵美子『軽いめまい』、河出文庫編集の三島由紀夫の政治論集を購入。なんとなくジャンクなものを欲しくなり、マックでフライドポテトをつまみながら三島を読む。
January 18, 2025 at 12:05 PM
2025年1月16日(木)
 恵比寿のL’IGNISにて会食。一度自宅に帰ってからすぐに出て、異常な寒さの中、公園で父親がよく飲んでいたワンカップ大関を飲む。
 エレクトロニカの一里塚となるであろう新曲『Memorized Memorandum』をリリースした灰街令の論文「こわれた家具の音楽」を読む。現代の音楽環境において楽曲は組織的単位を解体されていると捉え、ケージと近藤譲を参照しながら、聴取の新たな可能性を引き出す試み。
January 18, 2025 at 12:05 PM
2025年1月15日(水)
 昔通っていた映画美学校で、足立正生の新作『逃走』の試写。監督本人も来ており満席。前作『REVOLUTION+1』より明らかに照明、ロケーションなどに予算が割かれており、資金集めがうまくいった印象。脚本の強度も高い堂々たる映画。
 ジム。肋骨を骨折してから一週間、拘縮しないようそろそろとストレッチを始める。鳥山明の『サンドランド』を読む。
 夜、寒波のため強烈に冷え込む。
January 18, 2025 at 12:04 PM
2025年1月14日
 HEADZフェアが行われている西荻窪FALLを訪問するも、定休日。今野書店で『チーヴァー短篇選集』と『群像』の最新号を購入。以前、書店組合のYouTubeチャンネルにディレクターとして参加させてもらった際、太田光さんと訪問した名店。
 HEADZの事務所に移動して荻原氏と立ち話。つい1時間強。大塚のあら井で会食後、自宅で飲み直しつつチーヴァーを読む。大江健三郎が高く評価したという「さよなら、弟」。50年代アメリカの豊かさの中に回帰する、ピューリタンの憂鬱。
January 16, 2025 at 6:40 AM
2025年1月13日
 銀座エルメスの内藤礼展、最終日に駆け込み。東博の展示は閉鎖空間での対称性と反復を強調していたが、今回はガラスの外壁を通して借景を取り入れるなど。風船やポンポンに人格を感じる一方、カラーのグラビア写真が偽物っぽく見えてくる。
 『回遊』第三号掲載の西田博至のジョナサン・グレイザー論。テマティックなしるしを積み重ねて、説得力ある論に質的に転化させる剛腕。なんとなくフェルドマンを聴きながら読んだ。
January 16, 2025 at 6:40 AM
2025年1月12日(日)
 上野の五條天神社で御祈祷。21年に頚椎の手術を受けた際もお世話になった。拝殿の天井絵は、昭和3年にこの地に遷座した際に藝大の教師たちが描いたものだという。
 田端のCINEMA Chupkiで空音央『HAPPYEND』。映像も非常に美しいが、ノイズまでシーンの主要な構成要素にする音の処理が素晴らしい。濱口竜介作品や『ナミビアの砂漠』も手掛けているミキサーの野村みきの仕事。
 今日はジムでバイクとカーフレイズ。つまらんトレ。
January 13, 2025 at 11:36 AM
2025年1月11日(土)
 午後までベッドでダウン。三毛猫を拾う夢を見た。
 NHK BSの斎藤幸平の特番『人新世の地球に生きる』を観る。ちょうど今朝の新聞で世界の気温上昇が1.5度を上回ったとの報道。環境先進国ドイツでも極右政党が台頭、再トランプ化の最大のリスクは環境問題である。
 中古で買った『マンガ地獄変3 トラウマ・ヒーロー総進撃!』をパラパラとめくり、ジョージ秋山『告白』を再読。漫画に描いたことを現実にするために一時引退までするとは、やはり狂っている。
 肋骨の痛みもかなり引いたので、ジムでバイクだけ乗る。
January 12, 2025 at 12:06 PM
2025年1月10日
 夜、紀伊国屋に一瞬寄って『文藝』の新刊を買ってから、歌舞伎町の三居酒場でアラザルの新年会。ジョン・ゾーン、デ・クーニング、茶の味、悪童日記(読めてない)、ケン・リュウ、DJ_やめましたのジャグ川乱歩など。文化の話が思いっきりできて楽しい。一部メンバーと東京砂漠、続いて大久保の徳之島に流れる。午前4時に『あの鐘を鳴らすのはあなた』を合唱。
January 11, 2025 at 12:24 PM
2025年1月9日(木)
 朝、ベッドから起きるのに難儀するほどあばらが痛い。もしやと思って整形外科にかかると、肋骨骨折との診断。サポーターを巻いてくれたスタッフの方が柔術をやっているらしく、「(治るのに)そんなにかかりませんよ」と慰めてくれる。
 渋谷のWWWで南ドイツとおとぼけビ~バ~の対バン。ハンマービートのクラウトロックvs関西ハードコア・パンクという趣。
 アセモグル&ロビンソン『国家はなぜ衰退するか(上)』を読む。国家の経済的発展は、地理的条件でも文化的条件でもなく、ただ民主的な経済制度(したがってそれを実現する民主的な政治制度)による。
January 10, 2025 at 6:33 AM
2025年1月8日(水)
 二十歳頃から日記をつけている。公開しないのか、と人から問われたことはあるが、とても公にできない愚行、悪口、夢想にあふれた文章は、墓場まで持っていくしかない。だが『アラザル』17号にも掲載されている西田博至の日記を読んで、このやり方ならいけるかもと思った。要は、公にできることだけ書けばいいのだ。早速元日からの分をまとめる。
 午後からシネマ・ロサで『どうすればよかったか?』。観ている間、自分が監督の立場だったら母親や父親に何を言ったか、と何度も考えた。これは観客に
January 9, 2025 at 3:04 PM
2025年1月7日(火)
 イメージフォーラムで『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち HDリマスター版』観賞。画面の中で何匹もの動物たちが動き、植物や土の質感まで伝わってくるような背景が支える。なんて素晴らしい。終映後、カプリチョーザでトマトとニンニクのパスタを食べ、また戻ってマフマルバフ父娘の『苦悩のリスト』。ホームビデオ的な映像と、名もなき市民たちのスマホの映像を組み合わせて構成された映画。劇場でかかっているからドキュメンタリー映画という枠組みに入っているが、ほとんどYouTubeのライブ配信に漸近しているのではないか。あと20分短かったら傑作だった。
January 9, 2025 at 3:04 PM
2025年1月6日(月)
 東京で11月以来の雨。WWWのメルツバウのフリーライブに行こうか迷っていたが、どうせ遅く行っても混んでいるだろうしやめた。ジムで今年の本格的トレーニング初め。信じられないくらい疲れた。
 新装された森敦『意味の変容』を読む。旧文庫版に収録されていた柄谷行人や中上健次の解説はオミットされており、代わりに森敦の全集に収録された柄谷の文章が再掲されている。本編を第一章だけ読む。たぶん20年以上前に読んだきりだが、ぞくぞくする。
January 9, 2025 at 3:03 PM
2025年1月5日(日)
 浄土寺の書店、ホホホ座に。会計時になんとなくZINEの取り扱い条件など聞いているうちに、『アラザル』の3号も置いてもらっていたことを知る。関西メンバーの誰かが持ってきたのだろうか。もう随分前から委託販売していないこともあり、過去にどこに扱ってもらっていたか(それをいつ精算したのか)ろくに管理していない。
 今日はゆっくり京都を回りたかったが、明日は美術館が休館になる月曜日なので、午後に電車に乗って神戸へ。兵庫県立美術館で阪神・淡路大震災を振り返る展示「1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち」。著名作家揃いだけあって、
January 9, 2025 at 3:03 PM
2025年1月4日(土)
 朝、実家を出る前に父の仏壇に長く手を合わせる。昨年のことを振り返ると、2勝2敗だったなと思う。
 梅田の阪急メンズ館や、目星をつけていたセレクトショップで服を見る。ANCELLMのパーカー、toogoodのダウンベスト、Hender Schemの革ベルトを購入。昨年末にANCELLMのロンTもネットで注文した。服を買い過ぎである。
 心斎橋のエスパス ルイ・ヴィトン大阪でウラ・フォン・ブランデンブルク展を見る。垂れ幕の中を歩かせる形式を含め、まったく素晴らしい。ビル・ヴィオラやストローブ=ユイレを初めて観たときのような衝撃を受ける。
 そのまま京都の桂駅へ向かい、
January 9, 2025 at 3:02 PM
2025年1月3日
 実家から一駅分歩いて、住道の駅ビルに入っているジムへ。有酸素エリアはガラガラだったが、狭いフリーウェイトエリアでは常連らしいトレーニーたちがひしめき合っており、どこに行っても似たようなものだなと思う。
 本屋に寄って岩波新書から出たばかりの『日本政治史』と、文藝家協会が編集する『ベスト・エッセイ2024』を購入。近くにいた男性客が赤い文庫本をポケットに入れるところを目撃し、声をかけようか迷ったが、店員に伝えると「防犯カメラを見てみます」とのこと。こういう場合はいきなり尋問するのではなくまず映像で確認するようだ。後で現場の棚を見てみると、
January 9, 2025 at 3:02 PM
2025年1月2日
 ハン・ガン『すべての、白いものたちの』を読む。「私」から始まる章題が重要なキーになっていることを、最終章まで読み進めてやっと意識する。解説を読んで、もう一周してみる。
 今日はちょくちょく本をつまみ読みしながらSNSばかり見て、一日家で過ごす。『文フリと批評』で私を批判した伏見瞬に対するる反論を『アラザル』17号に書いたのだが、本人からまったく反応がない。私なぞは伏見の告知もご丁寧にリポストして本も買って読んだのだが、やっかいなものはスルーというのが今どきの賢いSNSの使い方なのだろうか。
January 9, 2025 at 3:01 PM
2025年1月1日
 ランシエール『解放された観客』を読む。芸術家と観客の知性を同等のものと措定し、観客の能動的な解釈を促すランシエールの論は、レーマンの観客論――美的なものの中断によって観客は自分自身を経験する――と通じている。
 夜、兄の家でおせちをごちそうになる。姉(その場にはいなかったが)、兄、私の三姉弟が、それぞれどれくらいおしゃべりかということについて、姪が言うには「パパ(兄)は真ん中くらいで賢治兄ちゃん(私)は一番下」とのこと。私は家族の中でもっとも寡黙である。
January 9, 2025 at 3:01 PM