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だいたい酔ってる。
確か司乃介は「長屋には一つの隙間もなかった」と言っていたが、サワの足がちらっと見えるぐらいの隙間はある。そのサワが「変わっちょりませんが?」と何も変わっていないことを強調する。松江もヘブンを呼んだぐらいでほかに何も変わらない。トキとサワの友情も以前と同じく何も変わっていないはずなのだが、2人の間に隙間風が吹く。
なみが言うように川の向こうには何か楽しいことが待っているかもしれない。スキップは楽しいからするのか、楽しくなるためにするものなのか。いずれにしても楽しいはずのスキップが楽しくない。いや楽しいのはわかっているのだが、いまはやりたくない。そんなサワの心象風景。
#ばけばけ
ヘブンの「殺生するな(蚊を殺すな)」は思想である。異人には思想があり、その次に行動がある。酔って楽しいという内面があってスキップという行動をとる。ところが勘右衛門やトキには行動はあるが思想はない。別に蚊を殺してもいいのだが、面倒くさいから蚊帳を吊る。勘右衛門も楽しいからスキップするのではなく、スキップすると楽しい状況になるからしているだけである。この違いが日本人は猿真似と言われるゆえんである。だが、内面(思想)があるのはいいことばかりではない。例えばヘブンは殺生をしない代わりにかゆみを我慢しなければならない。その我慢が限度を超えると怒り出す。実際、ヘブンの沸点は低い。
#ばけばけ
January 23, 2026 at 1:14 AM
「デモ…トモダチ、カワラナイ」

ヘブンと錦織がともだちであるように、トキとサワもともだちである。錦織が校長にならなくとも、サワが教員試験に合格できず、天国町にとどまろうとも、ヘブンとトキの彼らに対する友情は変わらない。
福間に裏がなく正直に話しているのなら、福間となみはヘブンとマーサの変奏である。人種や身分に関係なくヘブンはマーサに惚れた。ヘブンとマーサが手を握り合ったように、福間が握った手をなみが握り返すかどうか、たぶん明日わかる。
箸が落ちたままなら、フミのように新しい箸を買えばいいのである。川の向こうからこちらに渡るための新しい橋を架ければいいのである。
#ばけばけ
January 21, 2026 at 11:55 PM
「橋」と「箸」はいずれも一家を救うアイテムである。松野家は橋を渡って川の向こうからやってきた。橋(箸)が落ちれば渡れない。なみやサワが川を渡るにはその落ちた橋(箸)を架け(拾わ)なければならない。人間は地を這う生き物である。白鳥のようにどこへでも自由に渡っていけない。鳩は平和の象徴であり、渡り鳥は自由の象徴である。なみはその自由をおそれる。サワには病身の母がいる。2人には不自由がある。自由になれればどんなにステキなことか、でも地から足を離し空を飛ぶのは恐ろしい。みんな地を這って不自由の中で生きている。ステキなステーキという駄洒落が「橋と箸」という語呂合わせを連想させる。
#ばけばけ
January 21, 2026 at 1:37 AM
なみとサワはトキが銀二郎と一緒にならなかった理由を知っているだろうか。天国町という底辺の生活から抜け出すだけなら月に200円を稼ぐ銀二郎でよく、むしろ異国に消えてしまうおそれのあるヘブンでない方がいいのである。橋を渡り、大きな屋敷に住める代わりに毎日梶谷に追い回されて人々の好奇な目にさらされる生活より、誰も知らない東京で静かに暮らした方がいいまである。そうではなく、トキとヘブンは一緒に山鳩の真似をし、お地蔵さんに手を合わせることこそ幸せだと思っている。といっても、なみやサワが天国町から抜け出したい気持ちもよくわかる。それをどうやってうまくまとめるか、楽しみである。
#ばけばけ
January 20, 2026 at 9:53 AM
ヘブンの日本滞在記は異人が日本人の暮らしを覗き見た記録である。ヘブンはマーサとの結婚からわかるとおりフェア(公平)な人間であるため、梶谷がヘブンの日本での暮らしを覗き見て新聞に掲載することも認める。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのである。
ヘブンの日本滞在記は"海の向こう"で出版される。それを読む"海の向こう"の人たちは極東の人々の暮らしをどのように思うだろうか。川の向こうに暮らすサワのようにトキとは住む世界が違うと思うだろうか。それとも公平さを持つヘブンのようにどこに暮らそうとも同じ人間の暮らしがあると思うであろうか。
#ばけばけ
January 19, 2026 at 2:04 AM
先週はトキが嘘をつき、今週はヘブンが嘘をつく。男女を入れ替えて同じ経験をさせるのは朝ドラの定番である。性別が違っても理由が違っても状況が揃えば誰でも同じことをしてしまう。自分が嫌だと思うことを相手にしてしまうのは日本人だからではなく異人だからでもなく「同じ人間」だからである。人間とはそういうものだという半ば諦めのような共感が相手を宥恕する感情を生み出す。
#ばけばけ
January 16, 2026 at 2:31 AM
リヨの最初のプレゼントは「ウグイス」だった。でもヘブンは「ウグイスがメジロなら私もメジロだろうか」と言った。自分はウグイスのようなみんなが称賛する声を持たない、そのへんにいる、ありふれた鳥(メジロ)である、とヘブンは認識していた。今回のプレゼントは「下駄」である。江藤はヘブンを「立派な日本人だ」と下駄をはかせて称賛したが、ヘブンはそんな立派な人間ではなく、嫁に隠れて西洋料理をこそこそ食べる、ありふれた人間なのであると。ヘブンとトキは結婚により「先生と女中」の関係に変化を来す。ヘブンは先生ではなく、トキは女中ではない。ありふれた人間同士のありふれた結婚である。もちろん喧嘩もする。
#ばけばけ
January 15, 2026 at 5:00 AM
薬舗にはいろんなものがあった。で、嘘ではなく建前なのだとしたら、ヘブンのしているのは「たちくらみ」ではなく「たくらみ」である。そこには下駄をはかされた立派な日本人ではなく、等身大のヘブンがいるのではなかろうか。気になるのは2,3日で完成するはずの日本滞在記が中断していることである。中断してまでなにをたくらむのか。当時の日本を記録として残しておきたいのなら写真かもしれない。ちょうど明治20年ごろから新聞にも写真が使われ始めた。薬舗にカメラ(現像に薬品を使う)があってもおかしくない。でもそうすると、なぜヘブンはそれを黙っているのだろうか。など考えながら観ていた。
#ばけばけ
January 14, 2026 at 2:27 AM
今週は何を言いたいのか、いまいちつかみ損ねているんだけど、とりあえず見えているのは同じ場所にとどまる窮屈さだね。ヘブンは「自分は通りすがりの異人である」「同じ場所にとどまらない」といっていた。同じ場所にとどまるというのはそういう窮屈さを受け入れるということでもある。トキは「ヤリカタ」を変えなければと薄々気づいているが、司乃介はまるでわかっていない。
#ばけばけ
あと、スカーレットの喜美子が信楽を離れなかったように、トキも松江を離れない。ほかの朝ドラだと土地を離れ空間を移動することによって主人公が新しい世界を知るんだよね。でも世界が広がりを見せることなく閉じられた場所で完結してる。狭い空間の密接な人間関係が濃いドラマを生み出すとも言えるんだけど、それはドラマだからそう思えるのであって、現実に引き戻せば窮屈さを感じないかなと。ばけばけにどこか座りが悪いものをあるとすれば、そういうところかもしれない。例えば、わたしがトキだったら四十を超えたヘブンではなく銀二郎と一緒になるだろう、鈍色の松江ではなく華やかな東京を選ぶよね、みたいな感覚。
January 13, 2026 at 8:27 AM
松野家は再び橋を渡って川の向こうに戻る。
ヘブンとトキは庭にある飛び石の橋をわたり、祠に手を合わせる。

トキは橋の上でスキップをし、橋の下で三之丞に10円を渡す。さらに橋の下には小豆洗いが待ち構えている。松野家は彼岸と此岸をつなぐ橋を危うげに渡りながら暮らしてきたのである。トキがこれからの生活に不安を抱くのもこの危うさのせいであろう。ところで錦織は「危ない橋」を渡ってまで松江に戻されたのだが、その「危ない橋」はいつか語れるのだろうか。
#ばけばけ
January 12, 2026 at 1:39 AM
丑の刻参りを家族総出でしたのと同じく、力技で家族になったようにみえるのはさておき。確か、初週でヘブンはトキを「ママさん」と呼んでいる。またマーサとヘブンはまるで母と子のようだと笑いあい、金縛りにあっても母に会いたがる。ヘブンが求めてきたのは母、というより母性である。母性とは未熟な子への無償の愛なのだが、なによりトキは司乃介や三之丞のような「ダメな息子」を無償で養っている。ヘブンはトキに母性を感じているのかもしれない(だから「ママさん」と呼ぶ)。もちろん母性は幻想である。例えばおちょやんの一平は母から直接「お前を捨てたのはわたしだ」と聞いてそのことに気づく。
#ばけばけ
January 9, 2026 at 5:21 AM
「先生、お主は特別じゃ」

以前、ヘブンはリヨに対し「恋人でも友人でも深い関係にならない」と言っていたが、言い換えれば建前の付き合いしかしないということである。ヘブンと本音で語り合う関係になれると期待した錦織はこれを聞き落胆した。マーサとの失敗に懲りてヘブンは本音を隠して人付き合いを続けたということになる。マーサとの婚姻はヘブンにとって「平等」を意味していた。本来は、誰かと「特別の関係」になるから婚姻に至るのだが、ヘブンの場合は裏表のない「平等」な関係を築くことが婚姻あるいは家族になるということである。だからヘブンは「隠し事」「建前」で家族になることはできない。
#ばけばけ
January 8, 2026 at 2:02 AM
タエはまだ自分が三之丞を苦しめていることに気づいていない。タエが「雨清水家は雇う側でなければならない」と考えている限り、三之丞は石を積むことしかできない。勘右衛門と同じく、三之丞も武家(雨清水家の当主)から解放されたいと思っている。身分制度は意思ではなく出自によって固定されるから否定される。トキとヘブンが婚姻を決めたように、あるいはヘブンがサムライになりたいように、意思によって継承されるものであるなら武家という身分もありえよう。トキは女中になるときも、ヘブンと婚姻するときも自分の意思で決めており、家族には事後承認である。ちなみにヘブンが武家屋敷を望むのはそのための布石である。
#ばけばけ
January 7, 2026 at 1:38 AM
ヘブンにとって婚姻は神の前で誓うこと(マーサとの婚姻がそうだったように)なのだが、トキにとって婚姻とは法律婚(つまり手続)である。これは勘右衛門が松江に戻ってきた銀二郎に「籍はまだそのままにしてある」と言ったのと符合する(戸籍法は明治4年に成立している)。ヘブンとトキの婚姻のために銀二郎とは正式に離婚する必要があったのだが、明治31年の明治民法以前に、日本では慣習として婚姻が家制度として染みついていたということでもある(勘右衛門らは戸主や跡取り、家格にこだわる)。
ちなみにヘブンは以前「サムライ、ナリタイ」と言っており、トキと婚姻することでサムライになれる。
#ばけばけ
「サムライ、ナリタイ」

ヘブンはトキと結婚して養子となり家督を継げば望みどおりサムライになれる。雨清水家の家督をヘブンに渡せば三之丞は当主としての重圧から解放されて自由になれる(当主としての責任があるから社長になれない三之丞は石を積むことしかできない)。タエはトキが女中であるのは認めないだろうが、結婚して幸せになることは認めるだろう。ヘブンが去ってしまえば松野家の借金を返すあてもなくなり、雨清水家を支えることもできなくなる。トキの人生ってトキの意思とは関係なく状況に迫られて決まっていくんだけど、それをトキの意思であるかのように見せる。そのへんがとてもうまいと思う。
#ばけばけ
January 6, 2026 at 2:45 AM
錦織をみていて思い出すのはらんまんの竹雄である。2人に共通するのは献身とその報酬が友人になることである。竹雄は万太郎を「若」ではなく「ただの槙野万太郎」と呼ぶ。錦織も「ヘブン先生」ではなく「ヘブンさん」と呼びたいと申し出る。一般的に男がなす献身は誰か(あるいは社会)のために死を選べるかという自己犠牲である。虎に翼で言えば、穂高の「雨だれの一滴」である。が、竹雄や錦織が求めたのは主従の関係を壊し、フラットな関係である。献身の行き着く先に献身を否定する平等が待っている。まるで寿恵子やトキが妻となった先にあるのが夫のサポートではなく夫婦の平等であるかのごとく。
#ばけばけ
January 5, 2026 at 1:58 AM
まあ、調べてないので完全に想像なんだけど、史実として八雲とセツが一緒になったのは、司乃介らが言うような大人の事情が主要因としてありつつ、それでも一緒に暮らしているうちに徐々に互いに愛着がわいてきたみたいな感じなのではと思うのだけど、だからこそトキとヘブンには互いを「愛してる」とか「好き」という感情を表明させない、というか作り手は正直だからそれができないんだろうなとは思いますね。なので、大人の事情を司乃介らに押し付けつつ、それをヘブンとトキの相互感情というオブラートで包むという作り方になってるんじゃないかな。ドラマが終わったら史実を確認してみよう。
December 26, 2025 at 1:27 PM
「サンポ、シマショウカ。」

ヘブン(八雲)と同時期に英語教師だった漱石が"I love you"を「わたしはあなたを愛してる」と直訳せずに「月が奇麗ですね」とでも訳せと言った真偽不明の逸話があるが、今週の「散歩しましょうか」も同じく"I love you"の婉曲表現である。
ちなみに昨日もヘブンはトキに「あなたの言葉、あなたの考え」で怪談を語れと言っていたが、これは初めての授業におびえるヘブンに錦織が言った「あなたが話す言葉を、あなた自身を生徒たちは待っています」と同じである。なので、ヘブンとトキ、2人だけの言葉である「散歩しましょうか」が"I love you"の意味を持つ。
#ばけばけ
December 26, 2025 at 1:37 AM
以前も書いたが、文学論に受容理論というものがあって、簡単に言えば「文学作品は作家と読者の共同作業で成立する」という理屈なのだが、ヘブンとトキはまさにこの受容理論を実践している。トキ(語り手)とヘブン(聞き手)は語る/聞くという非対称な行為によって怪談を再び作り直す。このとき語り手と聞き手のどちらが欠けても怪談は成立しない。一方、銀二郎は一緒に「聞きに行こう」と言う。銀二郎の提案はトキを語り手から聞き手に引き戻し、作品は作者のものだから、我々はただの聞き手にすぎず、文学(怪談)の成立に関与できないと言っているに等しい。
#ばけばけ
December 25, 2025 at 12:39 AM
昨日は船から降りたイライザが「何も変わってないのね」と言い、今日は銀二郎が何度も「変わってない」と繰り返す。イライザも銀二郎も変わっていないことを確かめに来たのだが、素直に読めば、トキとヘブンは変わったと続くことになる。が、ヘブンに限って言えば、マーサと破局する前、つまり誰かを深く愛せる状態に戻っただけかもしれない。だとすれば、ヘブンは何も変わっていない。一方、トキはより自分を必要とする場所にいようとする。例えば雨清水家や銀二郎よりも松野家を選んだ。それは松野家がトキを必要としていたからだが、ならばヘブンがほかの誰より自分を必要とするなら、トキはヘブンを選ぶだろう。
#ばけばけ
December 24, 2025 at 4:06 AM
ヘブンとイライザの関係はまだよくわからないのだが、ヘブンにとって握手は平等を意味するので、誰とも特別な関係になれないヘブンはイライザを平等にみており、イライザはそれ以上の関係(それが錦織がヘブンに望む「親友」なのか、ほかの何かなのかはわからない)と思っている。
一方、トキが銀二郎と袂を分かったのは松江の家族(松野家)を放っておけないからだった。あのときトキが望んでいたのは夫(当主や労働力)というより同志である。お金がなくて辛くとも一緒にいてくれる、その経験を分かち合う同志である。銀二郎は一度「おトキ」と言うのだが、すぐに「おトキちゃん」と言い戻す。銀二郎は4年の歳月が止まっている。
#ばけばけ
December 23, 2025 at 1:18 AM
惚れたはれたではなく、お金の問題でもなく、トキにとってなぜ銀二郎ではなくヘブンなのか。逆にヘブンが松江にとどまる理由をトキのどの部分で見出すのか、が語られると思うのだが、ヘブンのトキの呼び方が「シジミさん」から「師匠」になり、「ママさん」に変わるのがカギかもしれない。ヘブンとマーサはまるで母と子のような関係である描写があった。ヘブンは金縛りにあっても母に会いたがる。ヘブンが求めているのは母の愛である。それをトキに投影するのがいいことなのかどうかはわからないが、トキも今まで母フミから読み聞かされた立場から母のようにヘブンに怪談を語る側になったのもまんざらでもなさそうである。
#ばけばけ
December 22, 2025 at 3:25 AM
一緒に怪談を楽しめる人でよければ、なにもヘブンでなくとも銀二郎でもいいだろう。が、銀二郎が去り、ヘブンが現れてからトキに変化があったのは、怪談を聞く側ではなく、怪談を語る側になったことである。幼いトキはフミにせがんで怪談を聞き、銀二郎は一緒に牡丹灯籠を聞きに行こうと誘った。今、昔の自分のように怪談を聞きたがるのはヘブンである。朝ドラは女性が常に受け身であるのではなく、能動的な存在であるべきと訴える。例えばおちょやんの千代は舞台を見るのが好きから舞台に出るようになる。あるいはスカーレットの喜美子は八郎を支えることをやめて穴窯に挑戦する。トキもまた「聞く」から「語る」に変化する。
#ばけばけ
December 19, 2025 at 3:38 AM
ヘブンはトキが結婚していたことを知らず、トキはヘブンが父に捨てられたことを知らない。怪談を通して互いの知らない部分を少しずつ知っていく。前にトキが言ったように少しずつ近づいていく。
怪談を語るトキはまるで精神科臨床医であるのだが、しばしば臨床医と患者と間に転移が起きるように患者の経験を自分の経験と重ねて感情移入していく。父に捨てられたヘブンは物心つく前に養子に出されたトキである。どちらも親に捨てられた子である。
ちなみに子捨ての話はあちこちにあって、トキと同じく物心つく前に養子に出された漱石の夢十夜を思い出した人もいるだろう。
#ばけばけ
December 18, 2025 at 1:35 AM
身体的な接触(性交)より、精神的な交歓の方がエロティックである、というありきたりな感想を持たせたいんだろうねというのはさておき。ヘブンは相手の心に直接触れたかったんだろう。でもマーサの心に直接触れようとして拒絶され失敗し、誰かと深く関係することをあきらめた。ヘブンが握手という身体的接触で「平等」を示し、スキップという身体表現を教えたのは、身体が精神の器であるにもかかわらず、というかそれゆえに、器が精神の交歓を拒んでいる、というもどかしさがある。
ちなみに昨日の話の続きをすれば、部屋を閉め切るのは怪談の作法でもあるが、胎内空間でもある。
#ばけばけ
December 17, 2025 at 1:22 AM
金縛りで母と会いたいヘブン
怪談を母にせがんだトキ
大雄寺に伝わる怪談は子を想う母の話

ここにきて母と子の話をつなげてくる。近いうちにトキのもうひとりの母タエが大事な役割として再び出てくるのかもしれない。怪談がヘブンと松江をつなぎとめる最後のピースになるのはわかっていたものの、帰る場所を失ったヘブンが帰る場所として母(母体=胎内回帰)を思い出す。そういえば第1週でトキが耳なし芳一を語った後、ヘブンはトキを「シジミさん」ではなく「ママさん」と呼んだ。今日ヘブンはトキに自分の言葉で話せと言ったが、トキが憑依するのは母(ママ)なのであろう。
#ばけばけ
December 15, 2025 at 11:55 PM