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古代バルカンの民族イリュリア人とクロアチア人・スロベニア人・セルビア人を関連付け、彼らの政治的統一を唱えた運動。言語統一や政治綱領の策定、議会における反ハンガリー運動などが知られているが、この運動は特にクロアチア人の民族覚醒を象徴するものであった。
古代バルカンの民族イリュリア人とクロアチア人・スロベニア人・セルビア人を関連付け、彼らの政治的統一を唱えた運動。言語統一や政治綱領の策定、議会における反ハンガリー運動などが知られているが、この運動は特にクロアチア人の民族覚醒を象徴するものであった。
ラグーサ共和国の史家・ベネディクト会修道士。バルカン・スラヴの視点から歴史を叙述した初めての作家で、1601年の年代記『スラヴ人の王国』で知られ、後のスラヴ史学者に大きな影響を与えたことから「ダルマチアのトゥキディデス」と呼ばれる。
ラグーサ共和国の史家・ベネディクト会修道士。バルカン・スラヴの視点から歴史を叙述した初めての作家で、1601年の年代記『スラヴ人の王国』で知られ、後のスラヴ史学者に大きな影響を与えたことから「ダルマチアのトゥキディデス」と呼ばれる。
イリヤ・スタノイェヴィッチが監督、ミロラド・ペトロヴィチが主演を務めたバルカン初の長編映画。カラジョルジェの青年期から第一次セルビア蜂起、ミロシュの送った刺客に暗殺されるまでの過程を描く。 https://mtbrs.net/ps_indrakandra_Karađorđe,_1911_jpg
イリヤ・スタノイェヴィッチが監督、ミロラド・ペトロヴィチが主演を務めたバルカン初の長編映画。カラジョルジェの青年期から第一次セルビア蜂起、ミロシュの送った刺客に暗殺されるまでの過程を描く。 https://mtbrs.net/ps_indrakandra_Karađorđe,_1911_jpg
ブルガリアで発生したトルコ人の大規模移住。ジフコフ政権の少数民族弾圧政策への反対運動が5月に開始されると、ジフコフは彼らにトルコへの移住を認めると宣言した。結果3ヶ月で34万人が移住し、トルコは国境を閉鎖。ブルガリアは米ソから避難を受け国際的に孤立した。
ブルガリアで発生したトルコ人の大規模移住。ジフコフ政権の少数民族弾圧政策への反対運動が5月に開始されると、ジフコフは彼らにトルコへの移住を認めると宣言した。結果3ヶ月で34万人が移住し、トルコは国境を閉鎖。ブルガリアは米ソから避難を受け国際的に孤立した。
イリヤ・スタノイェヴィッチが監督、ミロラド・ペトロヴィチが主演を務めたバルカン初の長編映画。カラジョルジェの青年期から第一次セルビア蜂起、ミロシュの送った刺客に暗殺されるまでの過程を描く。 https://mtbrs.net/ps_indrakandra_Karađorđe,_1911_jpg
イリヤ・スタノイェヴィッチが監督、ミロラド・ペトロヴィチが主演を務めたバルカン初の長編映画。カラジョルジェの青年期から第一次セルビア蜂起、ミロシュの送った刺客に暗殺されるまでの過程を描く。 https://mtbrs.net/ps_indrakandra_Karađorđe,_1911_jpg
セルビア人外交官。中世セルビア貴族ブランコヴィチ家の末裔を主張し、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の下でブルガリア人の蜂起を扇動したが、蜂起が失敗すると責任を負い処刑された。晩年にはセルビア初の民族史とも呼ばれる年代記を著した。
セルビア人外交官。中世セルビア貴族ブランコヴィチ家の末裔を主張し、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の下でブルガリア人の蜂起を扇動したが、蜂起が失敗すると責任を負い処刑された。晩年にはセルビア初の民族史とも呼ばれる年代記を著した。
アルバニア公国内・陸相。第一次バルカン戦争に際してイスマイル・ケマルの政府に対抗してセルビア、ギリシャ後援の下中部アルバニア共和国を設置したが、間もなく介入した列強に降伏した。戦後は反政府派ムスリムを組織し、中部で蜂起を引き起こした。
アルバニア公国内・陸相。第一次バルカン戦争に際してイスマイル・ケマルの政府に対抗してセルビア、ギリシャ後援の下中部アルバニア共和国を設置したが、間もなく介入した列強に降伏した。戦後は反政府派ムスリムを組織し、中部で蜂起を引き起こした。
コルシカ島に生まれ、トレビゾンド皇帝ダヴィドの末子「ニケフォロス・コムネノス」の子孫を主張した(ダヴィドを処刑したメフメト二世側では「ニケフォロス・コムネノス」なる人物は記録されていない)。彼の主張はルイ16世に承認された。
コルシカ島に生まれ、トレビゾンド皇帝ダヴィドの末子「ニケフォロス・コムネノス」の子孫を主張した(ダヴィドを処刑したメフメト二世側では「ニケフォロス・コムネノス」なる人物は記録されていない)。彼の主張はルイ16世に承認された。
「バルカンのビスマルク」と呼ばれた政治家、イリヤ・ガラシャニンによって作られた文書。ドゥシャン帝時代の領土を基に、旧セルビア領域の奪還を唱えた。一方1881年、セルビアは二重君主国とともに結んだ協定の中で、ボスニアを諦めることとなった。
「バルカンのビスマルク」と呼ばれた政治家、イリヤ・ガラシャニンによって作られた文書。ドゥシャン帝時代の領土を基に、旧セルビア領域の奪還を唱えた。一方1881年、セルビアは二重君主国とともに結んだ協定の中で、ボスニアを諦めることとなった。
アルバニアの作家。イタリア語併記できわめて古いアルバニア語による文学作品『予言者たちの楔』を著した。また、大トルコ戦争に際してアルバニア南部の諸部族と結託し、親オーストリア運動を試みた。 https://mtbrs.net/ps_indrakandra_Bogdani_jpg
アルバニアの作家。イタリア語併記できわめて古いアルバニア語による文学作品『予言者たちの楔』を著した。また、大トルコ戦争に際してアルバニア南部の諸部族と結託し、親オーストリア運動を試みた。 https://mtbrs.net/ps_indrakandra_Bogdani_jpg
サラエボ事件に際してスロベニア・カトリック党の新聞『スロべネツ』に掲載されたマルコ・ナトラチェンの詩。原語では「セルベ・ナ・ヴルベ」と韻を踏んでいる。現在でもスロベニア・クロアチアの反セルビア主義者の落書きなどが報告されている。
サラエボ事件に際してスロベニア・カトリック党の新聞『スロべネツ』に掲載されたマルコ・ナトラチェンの詩。原語では「セルベ・ナ・ヴルベ」と韻を踏んでいる。現在でもスロベニア・クロアチアの反セルビア主義者の落書きなどが報告されている。
アルバニアのカトリック司祭。北部アルバニアで口承される慣習法「カヌン」を収集・記録したことで知られる。WWI戦後にコソボ地方ズィムの教区司祭として活動するが、暗殺された。彼の死後、カヌン集は遺志を継いだ修道士らにより出版された。
アルバニアのカトリック司祭。北部アルバニアで口承される慣習法「カヌン」を収集・記録したことで知られる。WWI戦後にコソボ地方ズィムの教区司祭として活動するが、暗殺された。彼の死後、カヌン集は遺志を継いだ修道士らにより出版された。
ルーマニアの歴史家。初期のトランシルヴァニア学派として知られ、『ダコ・ロマン民族の起源と発展に関する少史』、全四巻のルーマニア史を著した。言語学者としても活動し、シンカイとの共著の中でルーマニア語のラテン語起源説を主張した。
ルーマニアの歴史家。初期のトランシルヴァニア学派として知られ、『ダコ・ロマン民族の起源と発展に関する少史』、全四巻のルーマニア史を著した。言語学者としても活動し、シンカイとの共著の中でルーマニア語のラテン語起源説を主張した。
秘密結社「スロベニア」が発した綱領。主にはスロベニア人居住区を一つの王国に統合し、スロベニア語の公用語化、中欧帝国構想反対などが標榜された。他国の政治綱領が歴史的権利を掲げたのに対し、言語に境界線を設定した点でこの綱領は革新的なものと評価される。
秘密結社「スロベニア」が発した綱領。主にはスロベニア人居住区を一つの王国に統合し、スロベニア語の公用語化、中欧帝国構想反対などが標榜された。他国の政治綱領が歴史的権利を掲げたのに対し、言語に境界線を設定した点でこの綱領は革新的なものと評価される。
ヴィッテンベルク大学のドイツ人地理学者であり、ベルリン盲目財団の創設者。著書『ゲーア-科学的地理学の一式論』の中で「バルカン半島」という概念を提唱した。彼の定義したバルカンには批判があったものの、概念自体は欧州に広く浸透した。
ヴィッテンベルク大学のドイツ人地理学者であり、ベルリン盲目財団の創設者。著書『ゲーア-科学的地理学の一式論』の中で「バルカン半島」という概念を提唱した。彼の定義したバルカンには批判があったものの、概念自体は欧州に広く浸透した。
ボスニア王。総督(バン)が一般的であった中初めて王を名乗った。国内対立勢力を退けフムやシュマディヤへ拡大、ネマニッチ家との血縁を背景に「セルビア・ボスニア沿岸地方の王」を称し、クロアチア征服後「クロアチアとダルマチアの王」とも称した。
ボスニア王。総督(バン)が一般的であった中初めて王を名乗った。国内対立勢力を退けフムやシュマディヤへ拡大、ネマニッチ家との血縁を背景に「セルビア・ボスニア沿岸地方の王」を称し、クロアチア征服後「クロアチアとダルマチアの王」とも称した。
匪賊出身で、ギリシャ独立戦争期の軍事指導者。デルヴェナキアの戦いでオスマン軍を破るなど活躍したが、司令官の地位を追われ一時的に反対派と争う。後に暫定統治委員会に加わるが、新たに建てられた王国政府により投獄され影響力を失った。
匪賊出身で、ギリシャ独立戦争期の軍事指導者。デルヴェナキアの戦いでオスマン軍を破るなど活躍したが、司令官の地位を追われ一時的に反対派と争う。後に暫定統治委員会に加わるが、新たに建てられた王国政府により投獄され影響力を失った。
スロベニアの言語学者。1808年最初期の近代的な文法書『カルニオラ、カリンティア及びスティリア地方のスラヴ語の文法』を著し、ウィーン大学スラヴ語講座の開設に尽力した(開講は49年)。弟子にセルビアの代表的な言語学者カラジッチがいる。
スロベニアの言語学者。1808年最初期の近代的な文法書『カルニオラ、カリンティア及びスティリア地方のスラヴ語の文法』を著し、ウィーン大学スラヴ語講座の開設に尽力した(開講は49年)。弟子にセルビアの代表的な言語学者カラジッチがいる。
バルカン化とも呼ばれる、国際政治学上の一用語。19世紀~20世紀のバルカン諸民族による反オスマン蜂起になぞらえ、ある地域や国家が、互いに対立する小さな地域・国家に分裂していく様子をあらわす。また、たんに多様化といった意味合いで用いられることもある。
バルカン化とも呼ばれる、国際政治学上の一用語。19世紀~20世紀のバルカン諸民族による反オスマン蜂起になぞらえ、ある地域や国家が、互いに対立する小さな地域・国家に分裂していく様子をあらわす。また、たんに多様化といった意味合いで用いられることもある。
アルバニアのナウム・ヴェキルハルジが発表した文字。アルバニア語の音とほとんど対応しているが、現代アルバニア語ではいくつか文字のない音がある。1844年には小規模な出版活動が行われたが浸透しなかった。2021年9月よりユニコードに追加。
アルバニアのナウム・ヴェキルハルジが発表した文字。アルバニア語の音とほとんど対応しているが、現代アルバニア語ではいくつか文字のない音がある。1844年には小規模な出版活動が行われたが浸透しなかった。2021年9月よりユニコードに追加。
ブルガリアの革命家で、オスマン帝国からの独立を標榜する秘密結社を結成したことで死刑判決を受ける。国外に逃亡した後バルカン・キリスト教連邦構想を立案、後にオスマンを打倒すべく第一次・二次ブルガリア軍団を組織するが、準備中に病死した。
ブルガリアの革命家で、オスマン帝国からの独立を標榜する秘密結社を結成したことで死刑判決を受ける。国外に逃亡した後バルカン・キリスト教連邦構想を立案、後にオスマンを打倒すべく第一次・二次ブルガリア軍団を組織するが、準備中に病死した。
第二次ブルガリア帝国とエピロス専制公国の間で発生した戦闘。ブルガリア領内に侵入したエピロス公テオドロス1世率いる軍勢をブルガリア皇帝イヴァン・アセン2世が壊滅させた。テオドロスは重臣とともに捕らえられ、彼の公国は半ば属国化された。
第二次ブルガリア帝国とエピロス専制公国の間で発生した戦闘。ブルガリア領内に侵入したエピロス公テオドロス1世率いる軍勢をブルガリア皇帝イヴァン・アセン2世が壊滅させた。テオドロスは重臣とともに捕らえられ、彼の公国は半ば属国化された。
ハンガリー王にしてクロアチア王で、聖王のあだ名を持つ。1089年に王家が断絶したクロアチア諸侯と連合規約を締結し、クロアチア王となった。新領土クロアチアは王政府の財政を助けたが、ビザンツやヴェネツィアとの対立を激化させた。 https://mtbrs.net/ps_indrakandra_Laszlo-ChroniconPictum_jpg
ハンガリー王にしてクロアチア王で、聖王のあだ名を持つ。1089年に王家が断絶したクロアチア諸侯と連合規約を締結し、クロアチア王となった。新領土クロアチアは王政府の財政を助けたが、ビザンツやヴェネツィアとの対立を激化させた。 https://mtbrs.net/ps_indrakandra_Laszlo-ChroniconPictum_jpg
ルーマニア出身のユダヤ人であるフランスの詩人で、既存の秩序に対する否定的見解やニヒリズムを根底に持った「ダダイズム」を創始した。トリスタン・ツァラはペンネームで、本名は「サミュエル・ローゼンストック」である。 https://mtbrs.net/ps_indrakandra_Robert_Delaunay_-_Tzara_jpg
ルーマニア出身のユダヤ人であるフランスの詩人で、既存の秩序に対する否定的見解やニヒリズムを根底に持った「ダダイズム」を創始した。トリスタン・ツァラはペンネームで、本名は「サミュエル・ローゼンストック」である。 https://mtbrs.net/ps_indrakandra_Robert_Delaunay_-_Tzara_jpg
バルカン化とも呼ばれる、国際政治学上の一用語。19世紀~20世紀のバルカン諸民族による反オスマン蜂起になぞらえ、ある地域や国家が、互いに対立する小さな地域・国家に分裂していく様子をあらわす。また、たんに多様化といった意味合いで用いられることもある。
バルカン化とも呼ばれる、国際政治学上の一用語。19世紀~20世紀のバルカン諸民族による反オスマン蜂起になぞらえ、ある地域や国家が、互いに対立する小さな地域・国家に分裂していく様子をあらわす。また、たんに多様化といった意味合いで用いられることもある。