#思索のこぼれ話
「君」
あなたは誰を思い浮かべますか?

時代によって、
立場によって、
重ねる相手が変わる不思議な一文字。

その「君」を、戦前の文脈から離れて、
“誰かへの敬意”として読み替えてみると
見えてくるものがありました。

💬 思索のこぼれ話 #5
君の再定義 ― 忠と孝を「つながりの倫理」へ ―
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#思索のこぼれ話 #日本文化 #現代倫理 #つづちゃ
君の再定義 ― 忠と孝を「つながりの倫理」へ ―【💬思索のこぼれ話 #5】|つづちゃの思索ラボ ― AIと社会を往復しながら考える ―
💬 思索のこぼれ話  君の再定義 ― 忠と孝を「つながりの倫理」へ ~ 戦前から現代へ、「君が代」と「教育勅語」を文化的に読み替える試み ~ ⚖️ はじめに 戦後八十年。 私たちは、日本の文化的な基層に根ざした「君が代」や「教育勅語」といった言葉を、 いまだに“戦前の遺産”という固定的な枠組みの中で捉えがちです。 しかし、それらを「忌避する」か「称える」かという二項対立で語る...
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November 14, 2025 at 9:37 AM
「投票用紙にトランプの名前がなかったから、共和党は負けた」
――制度上あり得ない発言を、そのまま記事にした新聞。

報じるとは、ただ伝えることではない。
“検証する報道”が、いつのまにか投票用紙から消えていないか。

💬 思索のこぼれ話 #4
投票用紙から消えていたのは、誰か?
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#思索ラボ #報道 #メディア批評 #ニュースリテラシー #つづちゃ
投票用紙から消えていたのは、誰か?ー SNS時代に失われる「検証する報道」の価値 ー【💬思索のこぼれ話 #4】|つづちゃの思索ラボ ― AIと社会を往復しながら考える ―
💬 思索のこぼれ話 投票用紙から消えていたのは、誰か? ー SNS時代に失われる「検証する報道」の価値 ー ⚖️ はじめに 「投票用紙にトランプの名前がなかったから、共和党は負けた」。 この発言を、まるで制度上の問題があったかのように報じる記事を読んで、思わず目を疑った。 制度上あり得ないことを、そのままニュースとして伝える姿勢。 いったい、投票用紙から本当に消えていたのは誰なのか。 ...
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November 11, 2025 at 9:06 AM
ニュースを読んで思った。
熊の生息域が広がっているのではなく、
人間の心の領域が狭まっているのではないか。

自然を恐れるのではなく、
自然とどの距離で生きるかを考えたい。

📝 note|思索のこぼれ話 #3
熊の生息域拡大 ― 恐れと共感のあいだで ―

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熊の生息域拡大 ― 恐れと共感のあいだで ―【💬思索のこぼれ話 #3】|つづちゃの思索ラボ ― AIと社会を往復しながら考える ―
💬 思索のこぼれ話 熊の生息域拡大 ― 恐れと共感のあいだで ― 最近、熊の出没が全国的に報じられている。 けれど本当に増えたのは、熊そのものだけだろうか。 僕はむしろ、“熊という存在をどう感じるか”という人間の側の構造が変わったのだと思う。 昔の日本では、熊は畏怖と感謝の両方の対象だった。 命を奪う存在でありながら、肉や毛皮という恵みをもたらす存在でもあった。 狩猟や山の信仰の中で、人...
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November 7, 2025 at 9:07 AM
「多様性」は、主張ではなく“構造”の問題だと思う。
子どもの頃に見た“違い”の中に、
静かな共存の形があった。

📝 note|思索のこぼれ話 #2
多様性=差異を許す構造 ― 子どもの頃に見た“違い”から ―
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多様性=差異を許す構造 ― 子どもの頃に見た“違い”から ―【💬思索のこぼれ話 #2】|つづちゃの思索ラボ ― AIと社会を往復しながら考える ―
💬 思索のこぼれ話 多様性=差異を許す構造 ― 子どもの頃に見た“違い”から ― 小学校時代は昭和の終わり。 両親は家族経営の町工場を営んでいて、放課後になると近所のおばちゃんが開いていた学童保育に通っていた。 そのおばちゃんは在日韓国・朝鮮人の方で、日本の方と結婚していた。 当時の僕にとっては、ただの“優しい近所のおばちゃん”だった。 学童にはそのおばちゃんの友人たちの子どもも通っていて...
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November 4, 2025 at 8:33 AM