読んだ本とか、考えごととか。読書に限らず「読む」という人間のふるまい、想像なんかに興味があります。雑煮のようなアカウントです。
conocybe(コガサタケ)
これは自分の感覚だけど、夢を見ている時は色の有無が定かでないほど夢中になっている。時系列がはちゃめちゃで、自分の体を制御できなくても。目覚めて断片的な物語だけが残り、思い出そうとしてもモノクロのようになる。
これは自分の感覚だけど、夢を見ている時は色の有無が定かでないほど夢中になっている。時系列がはちゃめちゃで、自分の体を制御できなくても。目覚めて断片的な物語だけが残り、思い出そうとしてもモノクロのようになる。
そういや彼の代表作とされる『飛べなくなった人』もそうだし、モチーフとして多用される箱状のもの、地図についての考察など近しいものがある。また彼のアイデア帖に残された小説の断片のあらすじもどことなく似た雰囲気が漂う。特定の対象物の捜索から目的を見失い迷路に入り込む感じ。
ちなみに石田徹也は1973年生まれで去年が生誕50年。安部公房は1924年生まれで今年が生誕100年。
そういや彼の代表作とされる『飛べなくなった人』もそうだし、モチーフとして多用される箱状のもの、地図についての考察など近しいものがある。また彼のアイデア帖に残された小説の断片のあらすじもどことなく似た雰囲気が漂う。特定の対象物の捜索から目的を見失い迷路に入り込む感じ。
ちなみに石田徹也は1973年生まれで去年が生誕50年。安部公房は1924年生まれで今年が生誕100年。
あんまり深く考えたことないけど、夢に色はついているのか?没入期と浮上期のあわいでやっとストーリーに追い付き、目覚めるとほろほろと崩れ去る。物語の断片は思い出せるのに、色があったかどうか確かじゃない。自分の過去のノートを読み返す時ってこんな感じなんだろうか。
特定の書き手を想定したノートの形式に忠実になればなるほど時系列は無茶苦茶になるし、「ここでふと2日前の出来事が頭をよぎった」みたいな転換の説明はほぼ皆無。まさに夢のように勝手に断片ごとに記述が進んでいく。
あんまり深く考えたことないけど、夢に色はついているのか?没入期と浮上期のあわいでやっとストーリーに追い付き、目覚めるとほろほろと崩れ去る。物語の断片は思い出せるのに、色があったかどうか確かじゃない。自分の過去のノートを読み返す時ってこんな感じなんだろうか。
特定の書き手を想定したノートの形式に忠実になればなるほど時系列は無茶苦茶になるし、「ここでふと2日前の出来事が頭をよぎった」みたいな転換の説明はほぼ皆無。まさに夢のように勝手に断片ごとに記述が進んでいく。
『利尻島から流れ流れて本屋になった』寿郎社
https://jurousha.official.ec/items/78967405
気軽に誰かの人生を知れるっていいな。こんな生き方もあるのかって想像させてくれる。それはすごく大事で、いまの自分のあり方が唯一のものだとは限らないと思わせてくれる。
別に役に立てようとしなくても、ちょっと知るだけでも、いまの環境が軽くなって、ヤドカリが別の巻貝に身を移すかのように、脱ぎやすくなる。ヤドカリにとっては「巻貝」だけど、人間にとっては「言葉」なんだろう。
『利尻島から流れ流れて本屋になった』寿郎社
https://jurousha.official.ec/items/78967405
気軽に誰かの人生を知れるっていいな。こんな生き方もあるのかって想像させてくれる。それはすごく大事で、いまの自分のあり方が唯一のものだとは限らないと思わせてくれる。
別に役に立てようとしなくても、ちょっと知るだけでも、いまの環境が軽くなって、ヤドカリが別の巻貝に身を移すかのように、脱ぎやすくなる。ヤドカリにとっては「巻貝」だけど、人間にとっては「言葉」なんだろう。
目の前で起こっている出来事、あるいは画面越しに遠く離れた場所で起こっている出来事、それらを覗きながら記述していくといったノンフィクションから、徐々に書き手の箱男を主人公にしたフィクションへと変化し、本物と偽物の境界がわからなくなる。
目の前で起こっている出来事、あるいは画面越しに遠く離れた場所で起こっている出来事、それらを覗きながら記述していくといったノンフィクションから、徐々に書き手の箱男を主人公にしたフィクションへと変化し、本物と偽物の境界がわからなくなる。
自分の気持ちや感情の言語化が、他者を起点に生じる(笑顔でいないと親が怒る等)なら、うまく開かれていかない。自分が引き寄せられる小説のタイプは、この「閉じ」と「開かれ」のあわいに揺れる人間を描いたものなんだろう。
自分の気持ちや感情の言語化が、他者を起点に生じる(笑顔でいないと親が怒る等)なら、うまく開かれていかない。自分が引き寄せられる小説のタイプは、この「閉じ」と「開かれ」のあわいに揺れる人間を描いたものなんだろう。
きっかけは、鷲田清一『素手のふるまい』で言及されていて気になって。大抵こういった邪な動機が多い。探している本より、その場で目に留まった本とか、読んでいる本で引用されていて、そっちの方が気になったりと。
今年、生誕100年で映画も公開予定だそうな。これは読んでから映画館で観たいな。
きっかけは、鷲田清一『素手のふるまい』で言及されていて気になって。大抵こういった邪な動機が多い。探している本より、その場で目に留まった本とか、読んでいる本で引用されていて、そっちの方が気になったりと。
今年、生誕100年で映画も公開予定だそうな。これは読んでから映画館で観たいな。