モンフ ͛ラン
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モンフ ͛ラン
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✎𓈒𓂂𓏸 浮遊層 ※よく言葉をつかいます。
読んだ本とか、考えごととか。読書に限らず「読む」という人間のふるまい、想像なんかに興味があります。雑煮のようなアカウントです。
conocybe(コガサタケ)
ウェス・アンダーソン監督作品『アステロイド・シティ』を観て、つらつらと。その流れで『グランド・ブダペスト・ホテル』も観た。
April 30, 2024 at 1:59 AM
作り手の制作プロセスってどことなく夢を見ている感覚に近いのかもしれない。作品としてまとめ上げていく一連のストーリーに、普段の生活が常に影響しながら、ときにスケジュールなど時間の流れを無視しながら咄嗟の機転で新しい展開が生まれていく。覚醒してはじめて作品が浮上し、取り扱い可能なものとして多くの観客に渡っていく。そして観客もまた映画という夢に身を委ね、日々の生活へと再び目覚めていく。

これは自分の感覚だけど、夢を見ている時は色の有無が定かでないほど夢中になっている。時系列がはちゃめちゃで、自分の体を制御できなくても。目覚めて断片的な物語だけが残り、思い出そうとしてもモノクロのようになる。
April 30, 2024 at 1:55 AM
去年の別冊太陽『石田徹也:聖者のような芸術家になりたい』(堀切正人監修)で、彼が安部公房の小説に触れていたこと、彼の残した箱男のスケッチも掲載されていた。

そういや彼の代表作とされる『飛べなくなった人』もそうだし、モチーフとして多用される箱状のもの、地図についての考察など近しいものがある。また彼のアイデア帖に残された小説の断片のあらすじもどことなく似た雰囲気が漂う。特定の対象物の捜索から目的を見失い迷路に入り込む感じ。

ちなみに石田徹也は1973年生まれで去年が生誕50年。安部公房は1924年生まれで今年が生誕100年。
April 7, 2024 at 4:15 AM
最近は安部公房の本を読むようになった。何かにしがみつくような帰属感を感じさせない宙ぶらりんな存在に、特別な感情を抱いている気がする。

あんまり深く考えたことないけど、夢に色はついているのか?没入期と浮上期のあわいでやっとストーリーに追い付き、目覚めるとほろほろと崩れ去る。物語の断片は思い出せるのに、色があったかどうか確かじゃない。自分の過去のノートを読み返す時ってこんな感じなんだろうか。

特定の書き手を想定したノートの形式に忠実になればなるほど時系列は無茶苦茶になるし、「ここでふと2日前の出来事が頭をよぎった」みたいな転換の説明はほぼ皆無。まさに夢のように勝手に断片ごとに記述が進んでいく。
April 6, 2024 at 9:22 AM
工藤志昇(くどう・しのぶ)
『利尻島から流れ流れて本屋になった』寿郎社
https://jurousha.official.ec/items/78967405

気軽に誰かの人生を知れるっていいな。こんな生き方もあるのかって想像させてくれる。それはすごく大事で、いまの自分のあり方が唯一のものだとは限らないと思わせてくれる。

別に役に立てようとしなくても、ちょっと知るだけでも、いまの環境が軽くなって、ヤドカリが別の巻貝に身を移すかのように、脱ぎやすくなる。ヤドカリにとっては「巻貝」だけど、人間にとっては「言葉」なんだろう。
利尻島から流れ流れて本屋になった | 寿郎社のネットストア
書店は、故郷だ。ゴールの見えない多忙で多様な仕事と、ふとした拍子に思い起こされる大切な記憶——最北の風味豊かなエッセイ集。四六判並製168頁/定価:本体1700円+税〈解説〉北大路公子—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—書店では文庫担当に始まり、文芸書、新書、地図ガイド、人文書、医学書、児童書と様々なジャンルを転々としてきた。発注をし、品出しをし、多くの取引先の方と商談をし、時にはアルバイトさんの面接や研修、フェアやイベントの企画なんかもしている。とにかくやることが多く、ゴールの見えない仕事だ。休みの日に何もする気にならないのは、その反動なのではないかとさえ思っている。故郷である利尻島には、年に二回ほど帰省している。今ではもうすっかり「お客様」になってしまった。実家にいると、何もしなくても新鮮な海産物が出てくるし、帰りにはどう考えても一人では消費不可能な量のお土産を持たされる。迷惑な反面嬉しくも思うが、最近では、島を出てからの時間の方が長くなってしまったことに寂しさを覚えている。この先、頻繁に帰ることがなくなっていったら、そこで過ごした記憶も少しずつ消えていってしまうのだろうか。この数年、そんなことを考えながら家と職場を往復するうちに、自分の中にある変化があった。来店する家族やカップルの会話が聞こえた時。首や腰の痛みに耐えながら品出しをしている時。面接や商談で人と話をしている時。入荷してきた新刊に目を通した時。仕事帰りに何気なく夜空を見上げた時。別にどうってことない瞬間に、ふと故郷の記憶が頭に浮かんでくるのである。(「はじめに」より)—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—著者 工藤志昇(くどう・しのぶ)1988年、北海道利尻富士町生まれ。中学卒業後、札幌の高校へ進学。金沢大学文学部卒業後、研究者を志すも挫折して札幌へ戻り、三省堂書店で働き始める。文芸・文庫担当、医書担当、新書担当を経て、現在、児童書・人文書担当。
jurousha.official.ec
March 31, 2024 at 12:06 AM
箱男みたく隙間から覗くのと同様に、こうやって文章を打ち込んでいる状態も、入力している自分が見えない一方的な覗きと同じ構図にみえる。SNSの投稿と、箱の内側に書き記すメモが重なる。どことなく日本の出来事を覗きながら、並列的に記述していくようなインプレゾンビの振る舞いに近いのかも。

目の前で起こっている出来事、あるいは画面越しに遠く離れた場所で起こっている出来事、それらを覗きながら記述していくといったノンフィクションから、徐々に書き手の箱男を主人公にしたフィクションへと変化し、本物と偽物の境界がわからなくなる。
March 29, 2024 at 12:52 AM
どっかで、別のあり方もある、という想像ができないとなかなか抜け出せない。自分のことについて、自分の言葉で話せるようになってはじめて、その環境から自由になれるし、別の環境へと移ろうとする原動力にもなる。

自分の気持ちや感情の言語化が、他者を起点に生じる(笑顔でいないと親が怒る等)なら、うまく開かれていかない。自分が引き寄せられる小説のタイプは、この「閉じ」と「開かれ」のあわいに揺れる人間を描いたものなんだろう。
March 28, 2024 at 11:42 PM
安部公房の『箱男』なんだけれども、小説をあんまり読まないため、例に応じて名前の語感くらいしか印象にない。

きっかけは、鷲田清一『素手のふるまい』で言及されていて気になって。大抵こういった邪な動機が多い。探している本より、その場で目に留まった本とか、読んでいる本で引用されていて、そっちの方が気になったりと。

今年、生誕100年で映画も公開予定だそうな。これは読んでから映画館で観たいな。
March 20, 2024 at 11:14 AM