八坂八郎
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yasaka120.bsky.social
八坂八郎
@yasaka120.bsky.social
35年前のオタク。軍艦三笠の調査、洋書の翻訳を趣味でやっています。Studio120というサークルでコミケや文学フリマに出店することがあります。メロンブックスに委託を始めました。
https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=3174335
コミケC105、サークル「Studio120」は、月曜日 東地区 “マ”ブロック-05b(東5ホール) に配置されました。
 既刊のみになりそうですが、パーシー・スコットの回顧録や、日露戦争のころの海事関係の翻訳を頒布します。
November 8, 2024 at 8:25 AM
文学フリマ大阪12に出店します。
日時:9/8(日) 12:00〜17:00 入場無料
場所:OMMビル 2F A・B・Cホール
  大阪メトロ谷町線・京阪本線「天満橋」駅直結
ブースは「こ-01」です。
新刊は「英海軍での50年」で、パーシー・スコット提督の回顧録の翻訳です。10年前に出したものを改訂・補足したものになります。
August 27, 2024 at 12:06 PM
冬コミ、申し込みました。今度は新刊を落とさずに出せるかと。
August 14, 2024 at 8:47 AM
「裏切り」と「回答」第一次世界大戦の直前までどたばたしていたイギリス海軍の将官たちの反目について、当事者のベレスフォード卿とサー・パーシー・スコットの主張を翻訳したもの。夏のコミケに受かれば持って行きます。
May 23, 2024 at 7:23 AM
AIM STRAIGHT(Peter Padfield著)、英海軍の砲術の大家、パーシー・スコットの評伝で、自伝の解説に加えて、ベレスフォード卿との不和の詳細や離婚、娘とのやりとり、亡くなるまでのことなどが書かれています。
March 29, 2024 at 4:54 PM
「海軍化学兵器傷病治療要綱」
こういうのが必要にならなければいいのだけど。。。
出典:「研究実験成績参考の件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05022152000、公文備考 F巻13止 艦船 昭和7(防衛省防衛研究所)「0460」から4コマを加工・改変
March 17, 2024 at 5:07 PM
久しぶりにブログを更新しました。
三笠の蒸気捨管の笠について、です。
blog.livedoor.jp/studio120/ar...
March 10, 2024 at 11:41 AM
唐突にみんな大好き二十八センチ榴弾砲
March 8, 2024 at 3:24 PM
艦に積んだボート類に記す文字の一覧(明治32年10月のもの)。「三笠」は「みか」。
出典:「艦船書体文字等の件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06091271600、明治33年 公文備考 艦船6止巻13(防衛省防衛研究所)、ボートの画像は当時の絵葉書より。
March 1, 2024 at 12:49 AM
ヤマトの最初のTVシリーズでは機能停止させた宇宙機雷を乗組員の手で排除するという話がありましたが、「三笠」つながりで日露戦争当時の雑誌からの影響もあったかも(憶測です)。
February 25, 2024 at 9:43 AM
明治38年9月の弾薬庫の火災・爆発により着底後、浮揚しつつある三笠。明治39年8月8日撮影。「軍艦三笠引揚写真」(宮内庁書陵部所蔵)より。宇宙戦艦ヤマトの企画の当初には三笠をモデルにしていた?という話を聞いたことがありますが、ヤマトが右に傾いて建造されていたのはこのような写真の影響だろうかと妄想しています。
February 24, 2024 at 11:11 AM
満艦飾の三笠。大正9年の天長節(天皇誕生日)。「軍艦三笠記念写真帖」より
February 23, 2024 at 6:07 AM
28センチ榴弾砲と24センチ加農砲。写真の台紙に「日本淡路萩原」とある(由良に近い)ので、日露戦争以前に紀淡海峡を守るために淡路島の由良要塞に設置されたものか。
February 23, 2024 at 3:44 AM
日本海海戦後の三笠。煙突の破孔を塞いだ跡、舷側や通風筒に空けられた弾痕が見える。「海と空」昭和8年海軍記念日号より。
February 22, 2024 at 7:51 AM
日本海海戦後の三笠。佐世保に帰投後、応急修理が一段落したところ。海戦中に折損したメイントップマストが取り外され、煙突の所々に敵弾が貫通した孔を塞いだ痕跡が見える。
February 21, 2024 at 11:46 AM
C104、申し込みました。
新刊は「英国海軍での50年」の改訂増補版にするつもりです。これは英海軍の将校サー・パーシー・スコットの回顧録「Fifty Years in the Royal Navy」の翻訳です。
February 20, 2024 at 6:44 AM
明治38年2月ころの三笠。後部舷側のボート用ダビットやスターンアンカーが取り外されていることが分かる。「通俗教育 海軍写真帖」より。
February 19, 2024 at 5:09 AM
明治38年(1905年)2月ころの三笠。軍艦三笠引揚写真(宮内庁書陵部所蔵)より。前年の黄海海戦での損傷を修理し、改装を行った姿。一部ヤードの撤去と移動、マストにあったファイティングトップの撤去、ボイラー室の通風筒の雁首を外して仮製のものに置き換え、47ミリ速射砲の移設、ボートデッキ以上の速射砲の盾を撤去などが行われている。
February 18, 2024 at 2:30 AM
三笠の前部主甲板(あるいは中甲板、上甲板の一つ下の甲板)の兵員室。艦首側から後方に向かって眺めたもの。左上の斜めになって明るく写っている部分は錨を収容するアンカーベッドの裏側。
February 16, 2024 at 11:45 PM
12ポンド砲の操練風景。中部上甲板(左舷ボートデッキの下)の後方から前方に向かって撮影されたもの。
February 16, 2024 at 6:34 AM
三笠での喫煙風景。中部上甲板、右舷の前の方から後方を眺めたもの。頭上をうねうねと曲がっているレールは、ボイラー室からアッシュホイスト(ash hoist)を通して上がってくる灰やゴミの入ったバケツを舷側の灰捨筒まで動かすためのもの。
February 15, 2024 at 10:32 AM
三笠での散髪風景。中部上甲板の右舷ボートデッキの下から斜め後方に向けて撮影されたもの。右奥にある構造物はエンジンハッチの圍いで、現在の記念艦では存在せず、木甲板になっています。写真からは圍いに隣接したスカイライト、頭上に寝かせて収納されている舷梯、機械室後部通風筒の一部、ロープあるいは風取りを巻いたリールらしきものが見受けられます。
February 14, 2024 at 3:07 AM
三笠の炊事場と思われる絵葉書。日本海海戦ではこの場所の右舷側の床近く(写真の右下方向)から敵の6インチ砲弾が飛び込んで来て、前主砲の装甲(写真の左端の近く)に当たって方向を前方に転じ、隔壁をいくつか貫通して(爆発することなく)最後には艦首12ポンド砲の砲門から飛び出して海に落ちました。
February 13, 2024 at 2:28 PM
竣工後間もない頃の三笠。当時の新聞/雑誌より。
February 12, 2024 at 3:21 AM
三笠の後甲板。1904年(明治37年) 7月17日 に「三笠」と「朝日」が長子島泊地において観戦船「満洲丸」を迎えたときの写真。戦時特派員や観戦武官を迎えて艦上は和やかな雰囲気。絵葉書はその際に撮影されたもの。東郷大将の前に座っている人物は「某外国人記者」とされているが、史料によっては日本人としているものも。
February 11, 2024 at 7:47 AM