別に望んでなくたって日焼け止め落ちたとか全然あるわけで、その可能性を見なかったことにして語るのはエゴですよ
別に望んでなくたって日焼け止め落ちたとか全然あるわけで、その可能性を見なかったことにして語るのはエゴですよ
ジュブナイルを読んできてください
ジュブナイルを読んできてください
喧嘩しましょうって言ったら八宮めぐるも笑顔で受け入れてくれますよ
喧嘩しましょうって言ったら八宮めぐるも笑顔で受け入れてくれますよ
横浜になったらある程度指針も見えてくるだろうし…
横浜になったらある程度指針も見えてくるだろうし…
いやこのムーブメント自体を否定する気はなくて…
しかし…みたいになってる
いやこのムーブメント自体を否定する気はなくて…
しかし…みたいになってる
軽率にその言葉を使うこと、というのが陰謀論の本質的な恐ろしさから目を背けさせてしまうなら僕はその言葉を使うべきではないと思う
が、事実お前のやったことはそれに相当することだよと言われたらその批判は甘んじて受け入れるしかなく…
楽しんでいる人に水を差す気はない(もちろん自分自身も楽しんでいる)し、陰謀論というのはそれに自覚的であるならある程度は楽しむ余地があるものでもあるとも思います
軽率にその言葉を使うこと、というのが陰謀論の本質的な恐ろしさから目を背けさせてしまうなら僕はその言葉を使うべきではないと思う
が、事実お前のやったことはそれに相当することだよと言われたらその批判は甘んじて受け入れるしかなく…
楽しんでいる人に水を差す気はない(もちろん自分自身も楽しんでいる)し、陰謀論というのはそれに自覚的であるならある程度は楽しむ余地があるものでもあるとも思います
極端な全体主義が毒になるなら極端な個人主義も毒でしかないでしょうよ
持つべきものは友達ですぜ
極端な全体主義が毒になるなら極端な個人主義も毒でしかないでしょうよ
持つべきものは友達ですぜ
何故彼女たちがあそこまで痛々しく映るのかといえば、やはり彼女たちが長らく、緋田美琴に至ってはつい最近まで社会の構築に失敗していたからで
隣に仲間がいればその痛みもきっと乗り越えられるというあまりにも単純なその回答こそが必要だったんだなと
何故彼女たちがあそこまで痛々しく映るのかといえば、やはり彼女たちが長らく、緋田美琴に至ってはつい最近まで社会の構築に失敗していたからで
隣に仲間がいればその痛みもきっと乗り越えられるというあまりにも単純なその回答こそが必要だったんだなと
本当にそうなのだろうか?
進歩と安寧は両立し得ないのか?
それが矛盾するものであったとしても、そうであって欲しいと願うことは背反しない
闘争の果てに傷ついた人を支えることで安寧をもたらせるとしたら?
本当にそうなのだろうか?
進歩と安寧は両立し得ないのか?
それが矛盾するものであったとしても、そうであって欲しいと願うことは背反しない
闘争の果てに傷ついた人を支えることで安寧をもたらせるとしたら?
日本社会では優秀な人の足を引っ張る傾向があるという出る杭は打たれる的性質があるとされ、よく杭を打つ側が問題視されるけれど、問題の本質は優秀な杭側にあるのではないか?
優秀な人間が自然状態で発揮する有害性というのは確かに存在し、それを無害化するためには積極的に自身が頂点となる社会を構築する必要がある(誰かの庇護下にいるから下剋上や淘汰を疑われるのであり、自身が他を庇護してしまえば問題ない)
アメリカなどではこの「優秀な人間が積極的にリーダーになろうとする」感覚が醸成されているからこそ、出る杭を打つ必要がなくなったのではないか
日本社会では優秀な人の足を引っ張る傾向があるという出る杭は打たれる的性質があるとされ、よく杭を打つ側が問題視されるけれど、問題の本質は優秀な杭側にあるのではないか?
優秀な人間が自然状態で発揮する有害性というのは確かに存在し、それを無害化するためには積極的に自身が頂点となる社会を構築する必要がある(誰かの庇護下にいるから下剋上や淘汰を疑われるのであり、自身が他を庇護してしまえば問題ない)
アメリカなどではこの「優秀な人間が積極的にリーダーになろうとする」感覚が醸成されているからこそ、出る杭を打つ必要がなくなったのではないか
暇はないより
暇はないより
けどそんなバトルフィールドを見せつけられるのは疲れちゃうのでもっと秩序的で平和な世界にしようぜ…と思うけど、そんなことをしていたら闘争を続けて進歩したやつに殺されるかもしれないし、そもそもこの言説すら闘争を引き起こす言説の一つでしかない
けどそんなバトルフィールドを見せつけられるのは疲れちゃうのでもっと秩序的で平和な世界にしようぜ…と思うけど、そんなことをしていたら闘争を続けて進歩したやつに殺されるかもしれないし、そもそもこの言説すら闘争を引き起こす言説の一つでしかない