余罪
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y0zai.bsky.social
余罪
@y0zai.bsky.social
何かしらの感想・ネタ打ち・怪文書
本邦に芸のために身を削る古典が輸入・翻案される過程で、本来あったシャーデンフロイデが漂白され、代わりに良妻賢母礼賛や夫のための自己犠牲を美化する読みだけが生き残ったように思う。
背景には、社会言語学でいう「解釈像は言語形式から逃れられない」というハビトゥスの問題がある気がする。無意識に使う一次言語の檻そのものが、人物の役割理解や物語の価値判断にまで干渉してしまい、思考を硬直化させていると。
その違和を観測したいなら、いったん言語の外側に出るしかないのだけれど、それがとても難しい。一次言語への疑いを抱きつつ、多言語を学ぶのが一番手っ取り早い脱獄方法なのかもしれない。
November 19, 2025 at 4:19 AM
この感想を書きながらパッと思い浮かんだ旧来の物語は……THE ENTERTAINER(1960)とか、フェリーニの道(1954)とか、国宝の元ネタである残菊物語(1939)とかかなぁ。
古典を反転させることでウチらが内面化してきたものが見えてくるってワケ。
November 18, 2025 at 5:08 PM
ぶっちゃけ、気持ちが沈んでる時とか、痛いシーンが苦手な人には絶対向いていない映画。でもニナの破綻は、芸術という世界に潜む暴力性と残酷さを、これ以上ないほど鮮やかに露出させていたと思う。『国宝』の文脈で引き合いに出されることもあるけれど、私はもう……嫌な映画すぎて二度と観たくないなぁ( ᐛ )
November 18, 2025 at 4:46 PM
旧来の物語なら、主人公は男性で、妻子を生贄に捧げて「これが俺の代償なんだ……」みたいな自己哀憫で締め、それを観客がシャーデンフロイデ込みで眺めて終わるのが定番だったと思う。でもブラック・スワンはその図式を反転させていて、代償を主人公自身の身体そのものに引き受けさせるという、残酷さを隠しもしないリアリティを突きつけてくる。
November 18, 2025 at 4:46 PM
ラストの「I was perfect.」も、ただの達成の言葉には聞こえなかった。もちろん、舞台をやり遂げたという意味合いはあるんだけど、それ以上に、彼女をここまで追い詰めた世界が彼女の口を借りて「これこそ正しい完璧だよね?」と自分たちを肯定しているようにも感じられて、背筋が寒くなる。ニナが本当に“完璧”に到達したのかどうかは、むしろ曖昧なままなんだよね。
November 18, 2025 at 4:46 PM
母親も、ただの毒親では済まされない存在だと思う。彼女は男性中心社会の規範を完全に内面化してしまった、いわば家父長制の代理人のような立ち位置にいて、「いい子でいなさい」という言葉の裏には白鳥であれという方向づけがあり、「失敗してもいい、でも私の顔を潰さないで」という圧は娘の身体を自分の承認欲求の延長に利用しているようにも見える。元ダンサーとして挫折した未練をニナに重ねている感じもあって、トマとは別方向で、結局はニナの身体を“誰かの欲望を叶えるための器”にしてしまっている。本来なら社会や制度そのものが負うべき期待や抑圧が、母娘関係の中に押し付けられているのが丸見えで、本当に胸が痛い。
November 18, 2025 at 4:46 PM
トマが投げかける要求も、バレエという文化そのものが孕んでいる規範も、母親の期待も、すべてが最終的にニナの内側へ押し込められて、彼女自身の自傷や精神崩壊という形でそれぞれ噴き出してしまう。本来は外で起きるべき暴力が、ぜんぶ彼女ひとりの身体と心に集約され、そこから彼女自身を破壊していくのが見えて、観ていて本当にしんどかった。
November 18, 2025 at 4:46 PM
そもそも成功の条件を決めたのが誰なのかと言えば、当然ニナではない。バレエ団の芸術監督であるトマ、長い歴史の中で積み上がったバレエ界の美意識、観客が当然のように向けてくる期待……そうした外側の価値観が “完璧” のレールを敷き、その契約書にニナはサインさせられているだけという恐ろしい構図がある。主体に見せかけておいて、じつは全然主体じゃない。
November 18, 2025 at 4:46 PM
うーーん……なんだろう。
『ブラック・スワン』って、プロテスタント文化圏でよくある、成功と引き換えに破滅を迎える物語の系譜には確実にいるんだけど、ただその古典的な契約が、女性主人公の身体と心にダイレクトに刻まれていくところが本当に特徴的なんだよね。

昔の50〜60年代の映画だったら、主人公はきっと男性の芸術家や指導者で、破滅したとしても実質的な代償を払うのは妻や恋人みたいな周囲の女性だったはず。でも『ブラック・スワン』では、本来なら複数の大人が分散して抱えるべき重圧が、全部ニナひとりに押し込められている。この一点だけで、もう構造が相当エグい。
November 18, 2025 at 4:46 PM
海外では有名なのに、日本ではほぼ無名な気がするぞこれ……!
エルゴプラクシー、間合いとカメラワークがハサウェイっぽいな〜と思ってたら、監督もキャラデザも同じで納得。ハサウェイはノーランっぽさもあるけどね。

あと、配信版はレディへのエンディングが差し替えられてるみたい。
レディへだったらテンション爆上がりしただろうなぁ〜(ただし歌詞は激鬱──☆)
November 9, 2025 at 3:37 PM
すべてを失った中で人を生かすのは愛であると、彼は言う。
たとえ相手が存在しなくとも、愛することそのものが人を浄福にする。“et lux in tenebris lucet”──光は闇を照らす。灰色の世界の片隅に、それでも灯る小さな明かりがある限り、人は、いかに傷つき、零落し、奪われようとも、なお人間であることを選び続けられる。
November 9, 2025 at 8:41 AM
つまり、人生は受け身で待つものではない。
「なぜ自分がこんな目に遭うのか」と嘆くかわりに、「この出来事を通して、自分はどう応えるべきか」を問う。意味とは、どこかに落ちている答えではなく、自分の行動で示す返答なのだ。

涙を流すことは弱さではない。
「涙は苦悩への勇気の証である」
苦悩を直視し、泣き抜いた人だけが、生きる力を取り戻す。
November 9, 2025 at 8:41 AM
それか日焼け止め弾幕が薄いまま直射日光を浴びたからか……ケツにダイレクト作用はちょっと意味わからんけど皮膚表面全体が赤くモヤモヤになってるし様子見するわよ〜
November 8, 2025 at 9:56 AM