上水優輝(うえみずゆうき)
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上水優輝(うえみずゆうき)
@uemizu.bsky.social
「存在としての公園」をコンセプトに場づくりを行っています。
https://www.gensho.world/
思い通りにならないに対してこと好奇心を持って向き合えない人は支配に走る。
思い通りにならないからと不愉快になっていては、それを解消するために支配欲が顔を出す。支配にメリットが生まれる。
一方、思い通りにならないからこそ興味が出てくる、面白い。そういう物の見方をすれば支配するメリットがなくなる。少なくとも支配しようとはしなくなる。
May 3, 2024 at 1:49 AM
「適材適所」というが状況は常に変化し続けている。このことを理解した上で状況に応じて自ら降りることのできる人が少ないように思うので、適材を適所に当てられない問題がある。不適材不適所。
May 1, 2024 at 5:35 AM
結成するから解散するのであって、結成しなければ解散などしないではないか。結成(解散)してまでやりたいこと・やるべきことがある人だけが結成すればいいのであって、それ以外の人はゆるやかにつながっていれば十分。
ゆるやかにつながるのが難しいという理由で結成しがち。誠に不純な動機ではないか。
人間関係、無駄な負荷かけがち。負荷が無駄なんじゃなくて、それほどの負荷を背負うほどの関係性でもないのに負荷を背負うというやつ。
May 1, 2024 at 5:34 AM
「善いか悪いか」というのは「好きか嫌いか」と「目的に対して合理的か否か」を混ぜ合わせてつくり上げられているように見える。その場合の目的は言語化されていないことも多い。僕は、好き嫌いと目的に対する合理性を混ぜ合わせたりはせずに、まったく別ものとして考えるタイプの妖怪です。
混ぜ合わせることを避けようと際限なく分解することを試みても、それでもなお残ってしまう善はあるわけだが
May 1, 2024 at 5:33 AM
車の中は快適なプライベート空間なので、思いきり独り言を言いながら思考を整理するのにとても良い。自宅と違って両手が塞がっており余計なものに意識を奪われることもなく、目の前の景色と考え事に集中できる。もし車の必要な地域に住んでたら自分はずっとドライブして考え事してそうだなと思った。
ドライブ中の思考は整理、散歩中の思考は閃きに向いている感覚がある。なお、他者にこれが当てはまるとは思っていない。
May 1, 2024 at 5:33 AM
「義務教育からやり直せ」という悪口(?)があるけど、本当にその通りだなと思うので義務教育からやり直します。(明日の仕事で使う予定のある知識以外で)流行り言葉なんかを勉強する暇があったら義務教育からやり直そう、共に
May 1, 2024 at 5:32 AM
そのように説明できる、それ以上でも以下でもないということ。名前をつけることで事象を捉えやすくなる、概念を保存できるというのはその通りなのだけど、名前をつけたからといって捉えられない人は相変わらず捉えきれない上に捉えたような気になってしまうので名前というのは厄介です。
May 1, 2024 at 5:32 AM
「公園する」って、いろいろ誤解を招きそうな響きでとても良い。あらかじめ決めた日時に公園にいることを「公園する」と呼びます。
May 1, 2024 at 5:32 AM
大事なことは「やった感」を出すことではなく「やる」ことである。「やった感」もそりゃ大事ではあるが、あくまで「やった」上での話だ。当たり前のことと思うかもしれないけれど、「やった感」で誤魔化せると思っているかのような人を案外よく見かける。まず、やろう。
May 1, 2024 at 5:32 AM
質問の背景を語ろう。回答の質が変わります。また、背景を語りすぎないようにしよう。回答の質が変わります。質問に対して質問で返されるときは「もっと深く質問の意図を知りたい」というふうにも取れるけど「ちょっと何言ってるか分からない」という事情のほうが大きい気がします。
単刀直入に聞くしかないような質問は、背景というほどではないにせよ「前置き」が効果的。「ちょっと純粋な興味で聞いてみたいんですけど…」とか温度感が分かるだけで回答の質が安定する。
May 1, 2024 at 5:27 AM
この社会はコミュ障の巣窟になっているように見える。役割(機能)に埋没しコミュニケーションをショートカットし過ぎたせいかなと思ったりもする。一方で「人類はデフォルトでコミュ障で、役割によって少しは矯正できている状態の今」なのかもしれないとも思う。
後者だったら地獄。これからの時代は役割が相対化され、より自由度が増していくことが容易に予想できる。もしそうであるなら、「コミュニケーションできるかどうか」の重要度が今よりもはるかに高まるだろう。
今のうちから、役割によるショートカットキーを使用しないコミュニケーションに慣れておかないと、誰もコミュニケーションしてくれなくなると思う。
May 1, 2024 at 5:27 AM
コミュニケーションがスムーズにいかないと評価された人間関係は、本人のいないところで本人への対応を協議されることがほとんどで、実際に言葉にしてもらえていることの背景には切実な言わんとすることがあり、言わんとしていることの背景には関係者の総意があったりする。スムーズでありたい。
スムーズでないものをスムーズに行かせようと関係者「みんな」で工夫すると、うまくいっていないものをうまく行かせるための犠牲になり続けるみたいな構えになり、最後には「みんな」対「そいつ」になり、結局うまくいかない気がする。
May 1, 2024 at 5:26 AM
好みの問題を正義の問題にすり替える人、できるだけしゃべらないでほしい(願望)
May 1, 2024 at 5:25 AM
人間は、人間をけなすのはもちろん、褒めるのもやめろ。上下で見るのをやめろ。
May 1, 2024 at 5:25 AM
「サイコパスの人当たりのよさは、サイコパス特有のストレスの少なさから来る心の余裕と、大半の人間を人間として見ていないことによる執着の無さが表面的な優しさに繫がっている」みたいなツイートがおすすめで流れてきた。それを見て思ったこと。
「大半の人が、ストレスフルで心に余裕がなく、自他の境界線が曖昧でズケズケと他者の事情に土足で踏み込み、さらには執着しまくって、挙句の果てには表面的にさえ優しくできなくなっているのは何でなんだろう」と思った。サイコパスだわ。
May 1, 2024 at 5:24 AM
「この人は人を見る目がないなぁ」と思うことがあるけど、その人なりに人を見ているのだから「見る目がない」などと簡単に判断してはいけないなと思った。自分だったら絶対に関わらない人と関わっているだけのこと。…という風にも見れるし、一方で普通に騙されたりもするだろうから塩梅が難しい。

「騙される」とかも騙された本人が騙されたと思っていなかったら騙されているのか問題もある。もっと言うと、騙している側に騙している自覚がなく、騙されている側にも騙されている自覚がなく、観測者がそれを見て騙されていると評価するとき、それは観測者のただの感想に過ぎない。
May 1, 2024 at 5:24 AM
支配というかたちでしかコミュニケーションを取れない人が僕の肌感覚では7割を超えているように見える。対等に対話することが難しいため距離感で調整するしかないなと思う。
May 1, 2024 at 5:18 AM
「昔の曲がよかったって言う奴は最近の曲を聞いてないだけだろ!」って結構な圧で言っている方がいたのだけど、最近の曲を聞いていない以上これは否定できないなと思った。同じことが他の物事にも当てはまる。
May 1, 2024 at 5:18 AM
賛あるところに否あり、否あるところに賛あり。そうでないところに洗脳あり。
May 1, 2024 at 5:17 AM
(世界が本当にそのようであるかは別として)「自己選択の結果」とみなされる社会に生きている以上、泣き言は良くても逆ギレは良くないと思う。逆ギレは、助けようとしてくれている味方さえも無くす可能性が高いから。
May 1, 2024 at 5:17 AM
お金のこと、教育のこと、政治のことは心の深い部分とつながっていることが多く、自分の主張と異なると怒り出したり悲しんだりされる。どうしていいものか困るので、なるべくそういうことは話さないように気をつけている。
May 1, 2024 at 5:16 AM
この世界に無数の意味が散らばっているのは世界が本質的には無意味だから。それに対して怒り出したり絶望したりする人もいるけど、意味がないからこそさまざまな意味を包摂できる世界とも言える。それによってあなたがしがみついている意味も許容される。絶望というより、むしろ希望ではないか。
April 14, 2024 at 11:03 PM
発信者のみなさんへ。暴力に屈してはなりません。表現を奪われてはならない。石を投げつけてくる人は、いないものとして無視してよいと思います。
April 13, 2024 at 1:05 AM
原則、仲良く。仲良くできないなら仲悪くならなくてよいだけの距離を取る。ほとんどの人間関係のストレスはそれで解消される。
とはいえ、利害関係が直接ある場合において、距離感が調整しづらくてドロドロしてくる感じも分かる。
とはいえ、各種メディアで見かけた知らない人に対してストレスを抱え、石を投げつけるのはちょっと分からない。距離を取ればいいだけのことなのに。
その人が置かれている個別の事情を考慮すれば、その人にとって過剰反応してしまいたくなる理由は見えてくることもある。
でも、だからといって実際に過剰反応するのはどう考えても社会生活上悪手だろう。通りすがりの知らない人に石を投げつける正当性はない。
April 13, 2024 at 12:35 AM
人生は「決めの問題」が多い。環境が万全に整う日が来ることはほとんどないので、自分で決めて、それでもやるしかない。
できないのは環境が整わないからではなく決めないからだ。環境が整わない中でも「できること」から始めるしかない。このように言うと、強者の論理と吐き捨てられるかもしれないが、「そのようにあるべき」というよりも「実際に世界はそのようだ」という話をここではしている。
April 11, 2024 at 7:02 AM