机屋
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めくるめく本の世界
文室(高知市)で開催された「トピーカ・スクール」を巡るトークイベントに参加しました。プリズムの光のように、見る角度によって様相を変える奥深さを持つ小説であることが示され、感銘を受けました。ひとり出版社として初の出版を手がけた明庭社の家田さん、生命を削るように言葉を刻んだ川野さん、社会につながる構図を描いた解説の高知県立大の白岩先生に深い敬意を表します。スルメイカのように、何回も読めば読むほどさまざまな味がする秀作、秀翻訳です。いまを描いた作品ですが、長く読み継がれてほしいと強く思います。
August 30, 2025 at 5:55 PM
「ゲンロン18」で白岩英樹先生の「怒りの葡萄」についての論考「あなたがいま、ここいにいないから、わたしはどこにでもいく」を拝読。社会の「主流」から排除された人間が、「こんな世の中、こっちから願い下げだ」と喝破し、連帯することの強さを思う。「弱き者」の紐帯の前に「主流」はもはや主流として取り繕うことはできず、見かけの「強さ」は弱さと暴露される。価値観の逆転が現実に結びついた時、葡萄は「カネもうけ」の手段ではなく、本来のみずみずしい果実としての価値を取り戻すのだ、と感じた。
短い文章のうちに、いろんなことを感じさせてくれる論考でした。
May 30, 2025 at 9:21 AM
読み終えた直後はうまく感想が書けない。ただ、頭を抱えている。

時間をおいて、改めて向き合う。心に何かがのしかかったまま。

生命とは何か。育てることと殺すことは表裏の関係なのか。育てないものは育てる可能性を抹殺した人は殺人者なのか。育てる人はすべてを許されるのか。

熊は突然やってくる。帰って欲しい。しかし、熊がいることにどこかほっとしていないか。熊がいない世の中は生きるに値する世の中なのか。

「熊はどこにいるの」(木村紅美、河出書房新社)

#まいにち机2025春
April 29, 2025 at 11:34 PM
言葉は人間にしかないと思い込んでいた。
想像して欲しい。
いろんな生き物の言葉が分かる世界はどんな世界なのか。
その世界で人間だけがいがみあって生きていけるのかを。
世界は変わるのだ。

「僕には鳥の言葉がわかる」(鈴木俊貴、小学館)

#まいにち机2025春
April 28, 2025 at 10:31 PM
驚愕の書。
エチオピアに飲酒だけで生きている人々がいるという。

いるのか?

いる。

食べるとはなにか、栄養とは何かを根本から考え直さないといけない。

「酒を主食とする人々」(高野秀行、本の雑誌社)

#まいにち机2025春
April 28, 2025 at 8:07 AM
書き上げるのに作者は12年を費やした。猫生と人生が埋め込まれている。目の前のことを受け入れ、拒否し、一日が終わったとき、明日が来るのをただ待つ。予想通りの明日が来るとは限らない。待つしかないのだ。
読み終えて余韻が残る。猫の鳴き声が耳に残る。彼らは何を言おうとしたのか。わたしが思い込んでいた猫の「語り」は間違っていたのかもしれない。

「私という猫 完全版」(イシデ電、ことさら出版)

#まいにち机2025春
April 26, 2025 at 10:27 PM
「困ったら、助け合おう」という文字を見ていたら泣けてしようがなかった。がんばって!
April 26, 2025 at 12:20 AM
ハンセン病療養所の図書室は、抵抗の歴史を映し出す。自分がなぜここにいなければならないかを知るために、どうしても本が必要なのだ。それを妨げようとする人々に抗う歴史が、図書室には息づいている。
書庫は図書館の核心だ。図書館の存在理由を示すのが書庫だ。だから「書庫をあるく」ことはとても贅沢で怖いことなのだ。

「書庫をあるく」(南陀楼綾繁、皓星社)

#まいにち机2025春
April 25, 2025 at 4:05 PM
絵本の中盤に置かれた、判断を止める場面の絵がいい。青くて、暗くて、自分が何者かをじっと立ち止まって考える。自分とは揺るがない自分という存在があるのではなく、他者との関係のうちに「ある」と気づく物語でもある。

「満ちている」(ただあやの、小さい書房)

#まいにち机2025春
April 24, 2025 at 4:02 PM
記者は豆腐屋になった。人脈もこれまでの仕事の経験も生きない。 筆者は楽しそうに、豆腐の技術を学び、違う国で暮らす驚きや苦労を経験する。同じ仕事を続けるほど、人生は予測できるようになる。マイナスから始める人生は苦労も多いが、新しい道を生き直す。ぜいたくなことなのかもしれない。
筆者のパートナーがすごい人だった。この人がいたからこそ、筆者の冒険は成り立った。

「バルセロナで豆腐屋になった」(清水建宇、岩波新書)

#まいにち机2025春
April 23, 2025 at 10:35 PM
スポーツの世界ではいまなおバブルが続いている。いや、いま到来していると言ってもいい。巨額のカネが飛び交い、群がる人々がいる。
克明な取材で高橋兄弟がバブルの申し子であったことが浮き彫りにされる。
二人の裏にいる「より大いなる悪」は裁かれない。いい時だけ利用し、危なくなったら関係を精算する。聞かれても「そんな人は知らない」。
取材が深い。事実を丹念に記す調査的ノンフィクションど真ん中の本。

「バブル兄弟」(西崎伸彦、文藝春秋)

#まいにち机2025春
April 22, 2025 at 10:51 PM
自然はいつも同じようにそこにある。人間の感じ方が変わるのなら、その人が変わったということだ。
遍路旅は寺を巡ることが目的なのではない。歩く過程が大切なのだ。
一人になることで、傍に佇んでいるもう一人が見えてくる。ずっと前からそこにいたのに、見ないようにしてきた。歩くことで靄は取り払われ、見るべきものを見ることができるようになる。

「私の同行二人」(黛まどか、新潮新書)

#まいにち机2025春
April 21, 2025 at 10:22 PM
米国の学校図書室からマイノリティーの本が消えている。民族、性別、性的指向。少数派が生きる姿を子どもたちから見えなくしている。
米国では州の学区の権限で禁書にする本を決められる。学校の図書室でしか情報を得られない子どもにとっては、マジョリティーが動かす社会がすべてに見えてしまう。自分もマジョリティーの側に行かねばと考えるかもしれない。禁書の狙いは、マジョリティーが支配する社会を作ることだ。

「絵本戦争」(堂本かおる、太田出版)

#まいにち机2025春
April 21, 2025 at 10:25 AM
美しい写真はない。はっとする写真もない。写真家と一緒にとぼとぼと歩いているような気がする。「ここにある」水俣を「眺める」だけ。心を空っぽにして、見つる。そこに生きたもの、死んだものが心の中に浮かび上がってくる。一緒に眺めよう、と呼びかけているような写真だ。

「ここで眺める水俣」(森田具海、弦書房)

#まいにち机2025春
April 20, 2025 at 3:01 AM
力が入っていたのは藤圭子。筆者は彼女が育った名寄に行き、近い人の話を聞いている。どこまで聞いても、彼女がなぜ死ななければならなかったのか、わからないままだったろう。でも行かなければいけなかった。彼女の死を忘れないために。自分の生を刻むために。

#まいにち机2025春
April 19, 2025 at 12:01 AM
面白かったのはインドの壁画巡り。人知れず村の女性たちが壁に絵を描き、それを支援する人がいる。生活から生まれた絵が村を包んでいる。探し求めて筆者は目星がついていなくても「何とかなる」と気合でインドに乗り込み、実際何とかなる。それは人の善意や熱意を信用し、これまでの旅で、インドの人と国をよく知る筆者だからできたのかもしれない。

「ホーボー・インド」(蔵前仁一、産業編集センター)

#まいにち机2025春
April 18, 2025 at 3:15 AM
松本竣介は深い西洋の知識、見識とすぐれた技術を持つ画家だった。
彼は表現したいものを正しく描くために、油絵の具を自ら調合し、カンバスを作り、画材が手に入らない時にはどうやって描くかを実験していた。どうあっても自分は描きたいのだ、描かなければいけないのだ、との思いに貫かれていた。

「父、松本竣介」(松本莞、みすず書房)

#まいにち机2025春
April 16, 2025 at 4:04 PM
映画を見て再読。
画期的なアイデア。
ある「場所」は地球ができてからなくなるまでの歴史を内包している。同じことを繰り返したり、らせん状に進んだり退いたり。きっと、「場所」は人間の振る舞いに苦笑いしたり怒ったりしている。
そして、宇宙は感情や記憶をのみこんで、消えていく。

「HERE」(リチャード・マグワイヤ、大久保護訳、国書刊行会)

#まいにち机2025春
April 16, 2025 at 3:53 AM
少しずつ社会が貧しくなっていく。みんな一緒だから文句は出ない。変化も少しずつだから、しようがないと諦める。だれも得をしていないのだからと言い聞かせる。
そうして、20年、30年が失われた。そして、それは続く。

「希望格差社会、それから」(山田昌弘、東洋経済新報社)

#まいにち机2025春
April 14, 2025 at 5:16 PM
なんという才能のきらめき。
人間はどこから来たのか、なぜ生きているのか、これからどこに行くのか。その核心を明かすのだから。
読むことがこれほどまでに肯定された本はない。読む人のために、書く人がある確率で生まれる。ただ1人に読ませるため、1人が次の1人に伝えていく。
イェイツの詩を読みたくなった。

「小説」(野崎まど、講談社)

#まいにち机2025春
April 13, 2025 at 11:59 PM
鶴見俊輔は外に発信できなくなってからも、3年ほど本を読み続けたらしい。自分のためにだけ読み、読んだものは自分の内にしか残らない、それでも本を読むのは純粋に読むこと、感じることが楽しいからだろう。

人生の残り時間が見えてから何を読むかを考えるのはとても大切なことだ。あれもこれも、があれもだけになり、これだけになりこれになる。その時一体私は何を読んでいるのだろう。

「生きるための読書」(津野海太郎、新潮社)

#まいにち机2025春
April 12, 2025 at 3:55 PM
なぜ買った本を並べるのか。本というモノを見るたび、本に染みついた記憶や思いが蘇るから。その記憶がいま蘇ることで新しくなるから。本はそこにあるだけで情報を発信している。それを感じ取るために、見えるようにしておく。
読まなくてもいい。これらの本を置いている自分が何者なのかを思えばいいのだから。

「図書館を建てる、図書館で暮らす」(橋本麻里、山本貴光、新潮社)

#まいにち机2025春
April 12, 2025 at 12:10 AM
ロシア「銀の時代」の女性詩人たちは例外なく闘っていた。時代や男性、時には女性と。言葉は闘いのための大切な武器だった。ある者は豪胆に、ある者はやさしく、刃を突き立てた。そして多くの女性が斃れた。
女性として生まれたというだけで生きることを制限された中、彼女らは異議を申し立てた。その結果が「埃のついたすももを売って日銭を稼ぐ」ことであろうとも。
言葉を空に放り投げなければならなかったのだ。

「埃だらけのすももを売ればよい」(高柳聡子、書肆侃々房)

#まいにち机2025春
April 10, 2025 at 10:11 PM
短歌や詩と同等の距離感がある。感じていることから遠いように見えて、本当は近いみたいな。
地名がある。それは自分がどこに立っているか、どこから書き出しているかを確認しているようだ。
ほんとうは何を感じていたのかは、言葉にしなくてもいい。本当はこうだった、と意識するだけでいい。

「ここで唐揚げ弁当を食べないでください」(小原晩、実業之日本社)

#まいにち机2025春
April 10, 2025 at 1:08 AM
最初から書評ライターを目指したわけではない。たまたまがいくつか重なって、好きな本に関するライターになったという。しかし、それは必然だったと思う。
自分が主語で始まり、いつの間にか書評につながる。身体的に共感した作品について書いている。だが軽くはない。
風呂に入らない話、片付けをしない話には驚嘆。

「どうかしてました」(豊崎由美、集英社)

#まいにち机2025春
April 8, 2025 at 10:37 PM