Tomoko(Misaki)
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Jeg er stor fan av Morten Harket .
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Jeg har lært meg norsk siden 2011 .
Morten-Harket.jpの中の人です。2011年からノルウェー語、2023年からドイツ語を始めました。
Morten-Harket.jp『15周年:ありがとうございます』
15周年:ありがとうございます
11月の記事がまだ訳せて無くてスミマセン。明日、やります。 さて、今日はこのサイトの15周年でした。2010年の12月にa-haの解散コンサートへ行き、その後作ったのがこのサイトです。当時は、モートンは顔だけじゃない、世界で一番のボーカリストで、歌以外の活動も最高なんだってことを発信したかっただけのサイトで、まさか、15年の間に、ここまで沢山の記事訳したり、本に参加させてもらったり、モートンの大事な記事(今年6月のです)まで訳すことになるとは当時は思ってもいなかったのでした。 今年は、モートンの病気のこともあり、切ない年ではありましたけれども、このサイトに記事を読みに来てくださった皆様には本当に感謝です。モートン本(『Hjemmkomst』)もね、どうにか日本語訳とか出せたらいいのになと、全く伝はないんですが、思っていたりします。 自分もいつまでこのサイトを続けらるのかわかりませんが、続けられるうちは頑張って続けていきたいと思っています。今後もどうぞよろしくお願いします。来年はドイツ語の過去記事も訳して載せられるようになるといいな。
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December 12, 2025 at 3:09 PM
Morten-Harket.jp『6年の時を経て、モートンのデュエット曲が新譜としてストリーミングに登場』
6年の時を経て、モートンのデュエット曲が新譜としてストリーミングに登場
今朝起きたらLineが来ていて(連絡くださった方ありがとうございます)、情報元がわからなかったのですが、先ほど独検の勉強中にfacebookを開いたら、ドイツのファングループにて情報が出ていました。 以下、ドイツ語が(fbの機能で)ノルウェー語に訳されたものからの翻訳になります。(いつかそのままわかるようになるといいな) 2025年12月1日、エリヴィラ・ニコライセンとモートン・ハルケットによる『I Look To You This Time Of Year』が『Complitation』の2曲目のシングルとしてリリースされました。 このカバー(1枚目)は、youtubeを含むストリーミングサービスのみでのカバーです。当初、彼らは2020年にこれをリリース予定でしたが、ちょうど良い時期がみつからず、延期になっていました。6年前にも、彼らのホームページでこの曲は表れていました。2020年のカバーが2枚目です。 とのことで、私も調べてみたところ、既にa-haのフランスのファンサイトが動画として2019年にあげていました。そちらは歌詞が概要欄にあるので参考になるかと思います。 今訳しているものも、ここ数年のもので他のプロジェクトがあって延期になっていたというので、この手の、既にあるが出していないものも結構あるのかもしれません。 曲は短いですが、とても綺麗な声で、モートンの声に心が洗われるようです。なんか1年の終わりに、というか、ちょっと早いクリスマスプレゼントとして、とてもステキな贈り物を貰った気持ちです。
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December 6, 2025 at 4:49 AM
Morten-Harket.jp 「『Take On Me』がビルボード1位になって40年・マグネがNRKインタビュー」
『Take On Me』がビルボード1位になって40年・マグネがNRKインタビュー
10月19日は、a-haの『Take On Me』がビルボード1位になって40周年でした。というわけで、a-haのオフィシャルサイトが、インスタにその旨を投稿しています。 facebookで知ったのですが、マグネがNRKのラジオ番組で『Take On Me』がNo.1になって40周年ということで当時のこと、それから最近ではTikTokで使われたり、Netflixのドラマや映画『ラ・ラ・ランド』で使われたことあんども話していました。その中で、モートンについても語っていました。 以下は、ドイツ語のファンコミュニティでドイツ語で訳されていたのを若干参考にしつつ、自分で聞き取りが出来た部分です。 (モートンがパーキンソン病を公表したことについて)公になる前、知ったときはとてもショックだった。でも、モートンは我慢強いし、タフだから、道が閉ざされたとは、僕は思っていない。モートンがやりたいって言うなら、僕らは何かしたいと思う。a-haとして議論できているわけではないけど。(中略)モートンは今、100%、自分が今後、どうやって病と共に生きていくかを見つけることに集中していると思う。 a-haとして議論できる状況ではないと言っているものの、モートンがやりたいっていうなら、何かやりたいと、そう考えてくれているというのは心強いですね。
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October 20, 2025 at 2:53 PM
Morten-Harket.jp 『a-haデビュー40周年セレブレーションレポート<追記>』
a-haデビュー40周年セレブレーションレポート<追記>
先日、『a-haデビュー40周年セレブレーションレポート』を公開したところ、いくつかコメントを貰ったので、こちらに追記させていただきます。 まずは、『Hunting High and Low』のライナーノーツについて。イベントでお話をしてくださった荒野さんご本人から。 イベントでも度々、お名前があがった宮崎真理子さんが書かれていたというお話が。あのライナーノーツは不思議と何度も読み返していたのですが、後にお世話になった『ROCK SHOW』の編集長が書かれていたと知って、なんだかとっても腑に落ちました。 それから、こちらはX(旧Twitter)のフォロワーさんから。私の以下の疑問についてです。 そういえば、テレビ番組で、a-haのボイスが入っためざまし時計プレゼントもありましたね、この時代。ファントマか、MTVか、夜ヒットか。どれだったか…。 a-haデビュー40周年セレブレーション レポート<3> これもまた、『ROCK SHOW』と深く結び付いていました。この方は、ブログに掲載した、小室哲哉によるレビューの掲載された『ROCK SHOW』の画像を送ってくださった方でもあります。本当にありがとうございます。 追加で。レポートに入れそびれたこぼれ話を マグネが食事のときに30分間?、ひたすら食器の上げ下げを繰り返していた モートンは、ファン全員に対応してあげたいと言っていた あと、昼の部(だったと思う)では、以前のイベントでも話に出たポールとガールフレンド(ローレン)の脱出話もされていました。 折しも、今日はモートンの誕生日兼、a-haというバンドの結成日ですね。モートン、a-ha、お誕生日おめでとうございます。
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September 13, 2025 at 10:38 PM
Morten-Harket.jp 『a-haデビュー40周年セレブレーション レポート<3>』
a-haデビュー40周年セレブレーション レポート<3>
レポート<2>の続きです。 このイベント自体が『a-ha快進撃の裏側』といえば、その通りなのですが、後半は特にその話が中心となりました。 ボーイズ・アドベンチャー:快進撃の裏側 <1>でも書いたように、佐藤さんはこれまでの「ラジオと雑誌」から「ミュージックビデオとテレビ」を軸足にした戦略に切り替え活動されていました。 当時の記憶を辿ると、身近で一番流れていたのはテレビ神奈川(ファントマ、ミュートマ)と、来日の度に出る「夜ヒット」でしょうか。「ベストヒットUSA」にも出ていたけれど、テレビ神奈川(ミュートマ、ファントマ)と夜ヒットのほうが記憶に残っている場面が多いです。 佐藤さん曰く、初めて「夜ヒット」に出た翌日、なんと『Hunting High and Low』に25000枚の注文が殺到したそうです。店頭にない分、発注かかって大変だったようで。一晩で25000枚の追加はさすがにすごいです。 テレビ神奈川のファントマは、MCでシャーリー富岡さん、中村真理さんが出演されていました。a-haのライブもありました。佐藤さんは、このシャーリー富岡さんに、a-haの衣装についてのアドバイスを貰っていたんだとか。 『a-ha THE MOVIE』をみたとき、「あれ?ファントマで流れた映像が多い…」と思ったのですが、やはり、ファントマとはかなり連携をとられていたそうで、映画にも出てきた京都でのシーンとか新幹線のシーンとかは、ファントマのスタッフさんが撮られていたと、夜の部でお話してくださいました。(夜の部は、客席にファントマのディレクターの方がいらっしゃっていました)。 そういえば、テレビ番組で、a-haのボイスが入っためざまし時計プレゼントもありましたね、この時代。ファントマか、MTVか、夜ヒットか。どれだったか…。 『ROCK SHOW』 テレビとミュージックビデオ中心とは言え、あの頃、お小遣いでどの雑誌を買うか悩むほどには、a-haは雑誌に出まくっていたと思います。『ROCK SHOW』、『IN ROCK』、『VIVA ROCK』、『Music Life』。特に、『ROCK SHOW』と『IN ROCK』は写真の量・記事の量ともに甲乙付けがたく、当時私以外にもどっちを買うか悩んだ人はかなりいるのではないでしょうか。 佐藤さんによると、『ROCK SHOW』は初期からa-haに乗ってくれた音楽誌で、なんと毎月必ず載せてくれていたのだそうです。そして、前述した京都旅行に帯同したのも、『ROCK SHOW』と『ファントマ』だったそうです。ちなみに、あの映像で、メンバーがみんなカメラを持っていた理由は佐藤さんが「観光旅行」だと瞞して連れて行ったからだそうです(笑)。 「『ROCK SHOW』はお弁当ネタまで出してでも、載せてくれた」そうで、編集長だった宮崎真理子さんの思い出についても語られました。『ROCK SHOW』では当時、ミュージシャンによるレコードレビューコーナーがあり、実は『Hunting High and Low』を小室哲哉がレビューしていたとのことで、荒野さんが(小室哲哉っぽく?)朗読されていました。 今日、その『ROCK SHOW』を持っている方がフォロワーにいらっしゃって、送ってくれました。許可が出たので載せますね。 『噂の美少年トリオ』…。20代中盤が少年かどうかは兎も角として、編集部のお薦めっぷりを読むと、当時のことを思い出しますね。 全国ツアーとか 洋楽で、東名阪以外にも足を伸ばしてツアーをやったのは、a-haが初だという話がありました。佐藤さんが、86年から88年の来日ツアーの場所を読み上げ、「これに行ったことがある人ー?」といって、会場が手を上げるという一幕も。 思い出を愛おしそうに語る佐藤さん 85年のプロモ来日も、86年以降の東名阪以外の都市を含んだツアーも、洋楽としては非常に珍しいことだったのだそうです。a-ha応援団のPRの話以外にも、アルバムが出た時に問い合わせの電話番号としてワーナーの番号を書いたら、何度も同じ女の子(ファン)から電話があった話とか、コンサートに足を運んでたら他の仕事の時間が少なくなるので注意された話とか。a-ha人気がいっきに火がついて、音楽誌以外からも取材依頼が来る頃には、ライブの準備で忙しく、音楽誌ですら取材を断ることになった話とか(そして嫌みが書かれた)。聞けば聞くほど、佐藤さんの当時のがむしゃらっぷりに尊敬を感じました。今だと「ブラックな働き方」と言われかねないけれども、あの当時の大人の人達は、本当にパワフルだなと思います。そのエネルギーが、あの80年代という、キャッチーでド派手な時代を作ったのだなと思わずにはいられません。日本の男性でも紫のスーツとか着ている人がいたあの時代は、やっぱり、ちょっと違うのかもしれないとも。 今回、質問コーナーとかは特になかったので聞けなかったのですが、もしあったら聞いてみたかったことは、「コンサート会場に必ずあったプレゼントBOXは、やっぱり佐藤さんのアイディアだったのでしょうか」と聞いてみたかったです。今でこそ、2.5次元系とかでたまにみかけますが、正直、2018年のドリフェス!のライブまで、a-ha以外にプレゼントBOXのあるコンサートを見たことがありませんでした。あのプレゼントBOXには本当に感謝してるんですよね。あれがあったから、思いを伝えようと英語の勉強を頑張れた部分もあったと思うので。 宮崎さんのこと、モートンのこと イベントの終盤、佐藤さんから、元ROCK SHOW編集長の宮崎さんが亡くなったという話があり、黙祷をしました。『a-ha THE BOOK』の対談が、最後のお仕事だったのだそうです。私たちは、別に面識があるわけではありませんが、自分たちの青春を支えてくれた雑誌の編集長が亡くなってしまったというのは、やはり寂しさを感じます。『ROCK SHOW』が休刊になった時、ショックで、かつ若かったので「休刊」を信じていつ戻ってくるのだろうと本屋に通い詰めた日のことを思い出しました。 そして、モートンの病気(パーキンソン病)について佐藤さんが思うことについても語られました。普通の病気のように、薬を飲んで治るというようなものではなく、本当に難しい病気であること。だからこそ、彼に「また、Hunting High and Lowが歌えますように」みたいなことは言わないでほしいということ。モートンがありのままで幸せでいられるようにあってほしいこと(一字一句覚えてるわけではないので、誤解してたらすみません)等。 そうして、昼の部では、佐藤さんが自分とa-haのテーマ曲と思っている『Living A Boy's Adventure Tale』が、夜の部では『And You Tell Me』がラストの曲を飾りました。どちらも、思わず涙が出そうになりました。 昼の部では、私たちが享受していたものへの尊敬に。夜の部では、「じゃあ、君はこれから何を語れるのか」という意味を勝手に感じて。プレゼントBOXに手紙を入れるために英語を頑張ろうとか、コンサートチケットやアルバムを買って貰うために成績を上げようとか、「必修授業の合間に北欧文学科の授業に潜り込んでノルウェー語学べるかもしれない」という理由で大学決めたりとか、a-haの解散でノルウェー語を始めたりとか。そうやって、いつもどこかにa-haというか、モートンの存在があって後押しをしてきてくれた人生だったので。佐藤さんは今回がa-haについて語る最後と仰っていたので余計に。佐藤さんにも「40年間ありがとうございました」と伝えたい気持ちで一杯です。あの頃に佐藤さんが我武者羅にに頑張ってくれたお陰で、今の自分があると思うのです。 a-haは新しい技術と相性が良い星回りだし、メンバーはみんな負けず嫌いっぽいし、彼らなら、今のモートン・これからのモートンで表現出来る新たな曲を作ってくるかもしれません。無理強いするとかではなくてね。そんな日がいつか来るといいなーと夢想しつつレポートはこれで終了です。長々と読んでくださった皆様はありがとうございました。
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September 3, 2025 at 3:22 PM
Morten-Harket.jp 『a-haデビュー40周年セレブレーション レポート<2>』
a-haデビュー40周年セレブレーション レポート<2>
a-haデビュー40周年セレブレーション レポート<1>からの続きです。 アルバム『Hunting High and Low』と邦題 イベントの冒頭、「今日は男性ファンもありがとうございます」という言葉と共に明かされたのが、『Hunting High and Low』の売り上げの話。ちょうど男女半々だったそうです。あの当時、ファンは女子ばっかりみたいなイメージがありましたけど、実際は半々だったのですね。 『Hunting High and Low』のジャケットは、当時のワーナーのデザイナーをやっていた方がされていて、他にはマドンナの『Like A Virgin』のジャケットを手がけた方だったそうです。(すみません、メモを取っていなかったので名前までは覚えられませんでした)佐藤さんは、このジャケットを見て、いわゆるアイドル売りじゃない部分に好感を持ち、更に『The Sun Aloways Shines On TV』を聞いて、彼らの音楽性の幅広さを実感し、これはいける!と思ったのだそうです。 そこで、邦題の話になったのですが、当時は邦題をつけるパターンが非常に多かったそうで、でも、ベストヒットUSA育ちだった佐藤さんは、邦題をつけず、そのままにしていたそうです。曰く、「それまでのパターンだったら、『Take On Me』は”二人のテイク・オン・ミー”みたいなタイトルになっていた(可能性がある)」そうで、まあ、確かに『カーマは気まぐれ』とかあったもんなー…と。個人的には『Take On Me』が『二人のテイク・オン・ミー』にならなくてよかったです。 そんな中で、数少ない邦題をつけた曲が『The Sun Always Shines On TV』(シャイン・オン・TV)、『Train Of Thought』(ストレンジャー・トレイン)、『Living A Boy's Adventure Tale』(ボーイズ・アドベンチャー)、そして『Stay On These Roads』(ステイ・オン・ディーズ・ロード)だったそうです。ストレンジャー・トレインは、「トレイン・オブ・ソート」とすると字面的にイマイチという理由、シャイン・オン・TVとボーイズ・アドベンチャーは、カタカナにするとすごく長くなるからという理由だったそうです。(曰く、ポールが長いタイトルをつけるから…と)。そして、「ステイ・オン・ディーズ・ロード」ですが、これは”ローズ”だと薔薇と勘違いされそうだからとのこと。確かに。 そういえば、『Hunting High and Low』の販促には、先着3万名様にアルバムにはポスターが、そしてテープのほうには、「フォトカード」が入っていたそうです。どんなものが入っていたかはご存知ないそうで、会場で「持っていた人いますか?」という質問がありましたが、残念ながらどなたもいらっしゃいませんでした。 ジューシー・フルーツ・ソングから『Take On Me』への話 イベントは途中、休憩を挟んで行われましたが、休憩前の最後の話が、『Take On Me』が出来るまでの話でした。Bridges時代の『The Juicy Fruits Song』と、映画でマグスが「あるバージョンでは途中でニワトリの鳴き真似をする。名案だと思った。でも売れなかったから名案じゃなかった」と言っている『Lesson One』がかかりました。 荒野さん曰く、この当時は、やる気のない感じで歌うのが流行っていた時代背景もあり、『The Juicy Fruits Song』はこんな歌い方になったのではないかと。佐藤さんも、そういう時代だったと話つつ、モートンというボーカルにポールとマグスが出会えて良かったと話されていました。 そして「ニワトリの鳴き真似」の『Lesson One』。 この曲、モートンの声がすごく優しくて好きなんですが、やっぱりニワトリの鳴き真似が良くないと思います(笑)。なんで名案だと思ったんだろ…。誰の案だったのかはわからないとのことですが、映画ではマグネが発言してるから、やっぱり彼の案なんですかね? この曲では、シンセの音もちょっとチープになっていて、このままだったらデビューは難しかっただろうというのがお二人の見解でした。まあ、それは…そうかも。そこに、トニー・マンスフィールドが入って、84年版になり、更にアラン・ターニーによって85年版になるわけです。 トニー・マンスフィールドと言われても、私にはしっくり来なかったのですが、荒野さんが、トニーがプロデュースした曲として、この曲をかけてくれました。 確かにこの曲は知ってます。なんなら、わりと好きな曲でした。ビデオには覚えがあまりないので、多分ですが、以前出た80sオムニバス(ブルー、レッド、イエロー)のどれかに入っていたのかもしれません。この曲のプロデューサーが、84年版のプロデューサーというのは、納得です。でも、やっぱり私はアラン・ターニープロデュースの85年版が好きです。(ついでにいうと、MVは4Kバージョンよりもオリジナルが好きです。youtubeで探しても今は4Kバージョンしかリンクできないのですが…) a-haは、ワーナーUKの第一弾アーティストだったそうで、なるほど、だからこそ、この力の入れようなわけですね。そして、だからこそ「メンバーのソロを出す時は、ワーナーから出す」という条件までついていたのですね、勝手に納得しました。 そうそう、『Juicy Fruits Song』と『Lesson One』を少しかけたとき、荒野さんのフェードアウトのさせ方が、映画と同じだったような気がしたんですけど気のせいでしょうか。 最後に『Take On Me』にまつわる謎ということで、荒野さんがある話をしてくれたのですが、それについては文章として書いてしまうと、誤解を生みそうなので割愛します。 a-haデビュー40周年セレブレーション レポート<3>に続く。
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September 3, 2025 at 3:12 PM
Morten-Harket.jp『a-haデビュー40周年セレブレーション レポート<1>』
a-haデビュー40周年セレブレーション レポート<1>
2025/08/31に開催された、a-haデビュー40周年セレブレーションイベントに参加してきました。場所は、西荻窪の「アナログ天国」で、パッと見、普通の住宅街にあるお家という感じで、危うく見過ごすところでした。 窓に通りの人が映り込んでますね。中はというと、これは席の前のほうですが、右側に大量のアナログ盤が。 奥の壁にみっしりとアナログ盤が格納されていました。そして、ブースの右端には『a-ha THE BOOK』。ブース左側には『a-ha THE MOVIE』の『Hunting High and Low』「Scounrel Days』。 始まる前のBGMも勿論a-haです。スピーカーの名前まではわかりませんが、ヘッドフォンじゃ聞こえない音まで聞こえるよいものだとうことで、大きさも相当。これが、ブースの左右に設置されていました。(イベントのページでみたところ、ALTEC A7というものだそうです) さて、今回のイベントは、『a-ha THE BOOK』の編集をされてもいる、元CROSSBEAT編集長 シンコーミュージックの荒野政寿さんと、a-haファンにはお馴染み、元ワーナーパイオニアでa-haのディレクターを務めた佐藤淳さんのトークイベントでした。 そっか、お話を聞く機会はこれが最後なのか…ということで、昼の部・夜の部両方参加することに決めたのでした。昼の部、夜の部ともに話の内容は基本同じということで、実際にそうでした。若干、別の話もありましたので、このレポートでは、昼の部・夜の部編で分けず、必要に応じてどちらの部の話か付け足しつつ、書いていこうと思います。都度、思いだしたことや感想も入っているので長いです。 会場はブースの椅子が並べられ、所々に机があって飲物がおける感じになっていました。それほど大きい場所ではありませんが、始まる頃にはほぼ満席に(これは昼の部・夜の部ともに)。私のように2回参加する人もいましたが、昼の部のみ・夜の部のみの人のほうが圧倒的に多かったように思います。昼の部が即売り切れになっただけあるなと思いました。 a-haもディレクターも時代の申し子 まずは、佐藤さんが担当されていたミュージシャンの話から入りました。佐藤さんが、a-haを担当したのは社会人二年目で、初めて最初から自分が担当したミュージシャンだったと。先輩から引き継いだプリンスで「パープル・レイン」に関わり、そのパープルレインに出ていた女優さんのパワフルな1日に付き合わせて一瞬、死にかけた(本当に)という話もあり、あの時代、バブル期の「24時間戦えますか」を地で行く社会人生活は、本当に時代も人もパワフルだったのだなと感じます。 これまである意味先輩の元カノみたいな感じで、先輩の担当していたミュージシャンを引き継いできたのが、初めて自分がゼロから関われたのがa-ha。自分の好んで聞くスタイルとは違うタイプのミュージシャンを担当したことで、本当の意味でプロになったのだと仰っていて、「なるほど」と思いました。そして何より面白かったのが、佐藤さんが「ベストヒットUSA」で育った人で(昭和の言い方でいうなら、「ベストヒットUSAっ子」がぴったりかも)、それまでの売り方である「ラジオと雑誌」から「ミュージックビデオとテレビ」に売り方を変えたのが佐藤さんだったと。(勿論、アルバムについてた葉書にあった質問・このミュージシャンを知ったきっかけに、「ベストヒットUSA」という回答が増えつつあったという背景もあったそうです) ここで思いだしたのが「ミュージックビデオ」の呼び方。今でこそ、「ミュージックビデオ」と言っていますが、あの当時、「PV(プロモーションビデオ)」と言われてましたよね。いつ変わったのかわかりませんが。プロモーションビデオというのは、まんま、プロモーション活動をするためのビデオなわけで…。ベストヒットUSA好きな佐藤さんと、今までにないアニメーションと3次元を融合したPVを持つバンドの出会い。なんか運命的なものを感じます。余談ですが、以前、a-haの結成日を軸にホロスコープをみたことがあるのですが、「最新技術との相性がよく、それで活躍の場を広げる」という性質なんですよ。まさに、ある意味ホロスコープの性質どおりに、魔法がかった組み合わせだと思います。 あの当時、MTVを揶揄している人達がいたのも当時中学~高校生ながらに存知ておりますが、MTV時代に生まれた「時代の申し子」同士が一緒に活動しているんですから、それは爆発的に広がるのは当然でしかありません。佐藤さんは「Living A Boy's Adventure Tale」を、自分とa-haが一緒に冒険をしているかのように感じていたと仰っていましたが、実際そうだったのではないでしょうか。お互いに、前例のないことをやってのけているのだから、その通りでしかありません。以前聞いたか読んだ話ですが「Eurovisionで勝てない国」(当時)とか「スウェーデンにはABBAがいるけど、ノルウェーは?」と言われていたらしい国で、いきなり全米No1を取ってくる若者。入社2年目でいきなり販促の軸足を変えた若者。なんかその部分も映画になりそうです。 アルバムの帯とかキャッチフレーズとか 『悩殺部隊手ごわいぜ』というのは、『Hunting High and Low』の帯にあったキャッチフレーズですが、これもまた、佐藤さんが考えたものだそうです。そして、帯の裏側にあった文章も。「詩人になりたかった青年が、詩人を諦めてワーナーに入った」とのことで、『A-HA /THE PIX A-HA写真集』の「10年後の君へ」の泣かせる文章も、なるほどという感じです。 荒野さんがその帯の裏の文章を朗読されていて、佐藤さんが若干?ダメージを食らっていたようでした。(写真は、ジャケット裏の文章を朗読する荒野さんとそれを見ている佐藤さん) 意外だったのは、悩殺部隊というわりに、デビュー直後などはMusic Lifeでも見た目に関しては、それほど推されてなかったそうです。とはいえ、自分が覚えてる限り、『Hunting High and Low』の中のライナーノーツでは、「最近は若い女の子達がフィルコリンズとか、かわいいおじさんにきゃーきゃー言うようになっていたけど、やっと若い女の子達がキャーキャー言える男の子達がデビューした」みたいなことが書いてあった記憶があります。「そうなの?」と思ったので。 自分が『Take On Me』のMVを見たのは、ここの自己紹介にも書いてあるように、1985/07/04のことですが、自分目線ではあっという間に大人気になっていた気がします。きっと現場では、もっとものすごい速度で、「ノルウェーというあまり知られてない国から来た男の子たち」から「カッコイイ男子」になっていったのでしょうね。映画『a-ha THE MOVIE』でも、売れる迄の試行錯誤と共に、売れてからのすごい勢いが描かれていましたし。 荒野さんが紹介してくれた、「a-ha 6つのコンセプト」も面白かったです。そこでもルックスのことが書かれていていることについて、佐藤さんは「それは売る側が押しつけることじゃなかった」と反省されているそうです。まあ、言われてみればそうだけど…。個人的には押しつけられた感は感じたことがなかったですね。「a-ha(特にモートン)はルックス」という揶揄をされることはそれなりにあって、それはもしかしたら、そういうキャッチフレーズ的なものに起因していたのかもしれないけど、多分、ルックスのキャッチフレーズで困ったのはファンというより本人たちだと思うので…。ちなみに、当時の自分は「a-haのどこが好き?」への返答は、「モートンのルックスも好きだけど、それよりも声がいいんだよ。高音がとっても綺麗なの。あとね、高い理想に向かって努力してるところとか、インタビューの受け答えの時の、わかってもらおうとすればするほど、なんかずれてくのが好き」と答えていました(笑)。今とあんまり変わらないですね。 (個人的に)謎が解けたこと 佐藤さんが謝ってらしたもう一つに、a-ha応援団のことが。 当時、ファンがファンクラブをやりたいと申し出れば、出来てしまうという時代だったそうです。それで、a-ha応援団としてメンバー募集をしていたそうですが、やはり、ただのファンがやるのは難しかったそうで、早々に解散したそうです。そう、「a-haのファンクラブってあったよね」と思ったことはあったんです。だけど、問い合わせ先がわからなくて、それで多分ワーナーに問い合わせたか何かして結果、イギリスのワーナーがやってるファンクラブじゃない何か(多分ワーナーショップとかそういうの)にエアメールを送ったことがあったのです。それで何を買ったかまでは忘れてしまいましたが、a-haのグッズだけじゃなく、マドンナとかのグッズもあって不思議だったんですよ。でも、日本語であった気がするんだけどなーと当時思っていて、「早々に解散した」とのことで謎が解けました。 もう一つの謎は、「なんで1984年バージョンのPVは見たことがないんだろう」というものだったんです。まあ、自分は85年版の『Take On Me』から洋楽デビューしたからある意味当然といえば当然なんですけど、それでも1年前なら両方流れそうではありますよね。佐藤さんによると、1984年版は、日本では「あまり流さない方針」だったようです。佐藤さんを当時指導されていた師匠さんも、こちらは84年版の曲についてですが、あまりピンと来ていなかったのだそうです。代わりに85年版は「これだ!」となったとか。ということは、84年版はMVも曲も、(日本では)推されていなかったということなのでしょうね。一度だけ、84年版を公に見る回があったようですが、私はそんなことがあったことすら知りませんでした。 そんな84年バージョン。MVは、『a-ha THE MOVIE』でも流れた、”半裸の女性が周りで踊るで怯えた若者3人”(byマグス)のやつですが、モートンが油を体に塗っていたことから、現場では「油」と呼ばれていたそうです。油って(笑)ダンサーの様子がエンショップ武富士のCMっぽいなとは思っていましたが、油だったんですね、モートンのテカリ。 文字数が長くなってきたので、一旦ここで区切ります。a-haデビュー40周年セレブレーション<2>に続く。
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September 3, 2025 at 3:05 PM
Morten-Harket.jp『トミーネが『Take On Me』をカバーし、インスタにアップ』
トミーネが『Take On Me』をカバーし、インスタにアップ
タイトル通りですが、何かのイベントでトミーネが『Take On Me』をカバーし、その様子をインスタに動画でアップしました。 動画内には、『 "The Last of Us"のBella Ramseyが、私にパパの歌を歌わせた』『私たちは即興でカバーをした』『彼も簡素なバージョンを歌っていたことを思い出した』(モートンの映像)『ハイ、エンジェルボイスのパパ』(モートンの映像)、『異なるキー、似た雰囲気』『ずっと彼のカバーをしないのかと言われ続けてきたけど』『ついに、思い切ってやってみた』『彼の声は私を泣かせる』と、MTV Unpluggedのモートンの映像と自分の歌を交互に出して、それぞれにコメントをつけています。(ざっくりな直訳ですみません) 『The Last of Us』は、このサイトでも何度か書いている『Take On Me』を使っているドラマですね。出演者のBella Ramseyが『Take On Me』を歌っています。 トミーネ、ずっとお父さんの曲カバーしないか言われ続けてたんですね。そりゃそうか……。トミーネの声が、モートンと似てると感じたことはあまりないんですが、同じ曲を歌うと、思ったより近いものがあって、やはり親子だなーと思います。ずっとカバーを避けてきたのかもしれないと思いつつも、歌い終わったあとの笑顔とかみると、本当にお父さんのことを尊敬してるんだなと感じて微笑ましい限りです。 最後に、トミーネの歌の動画を入れておきます。
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August 4, 2025 at 12:17 PM
Det var for 40 år siden i dag at jeg så "Take On Me" for forste gang.
July 4, 2025 at 1:31 PM
Morten-Harket.jp 『a-haデビュー40周年イベント、8月31日に開催』
a-haデビュー40周年イベント、8月31日に開催
『a-ha THE BOOK』の編集を担当されていた、シンコーミュージック・元CROSS BEAT編集長の荒野政寿さんと、元ワーナーパイオニアでa-haのディレクターをされていた(ファンの間では、『a-ha /THE PIX』のエピローグでもお馴染みの)佐藤淳さんによるイベントが8月31日に開催されます。詳細はこちら。 以下、イベントサイトより抜粋。 プロモーションヴィデオの歴史を変えた「テイク・オン・ミー」のシングル盤が1985年7月25日、デビューアルバム『ハンティング・ハイ・アンド・ロウ』が同年8月25日日本発売。 担当ディレクターがデビュー前後の苦楽を、『a-ha THE BOOK』編集者が当時のデータを中心に語ります。 a-haファンの皆さんと40周年のお祝いです。 <出演> 佐藤淳(元ワーナーパイオニア a-haディレクター) a-haのデビューから1990年までディレクターを務める。a-ha以外の担当アーティストは、ヴァン・ヘイレン、プリンス、エアロスミス、ガンズ・アンド・ローゼズ(デビュー)、ポール・ウェラ―、スティングなど。 荒野政寿(シンコーミュージック 元CROSSBEAT編集長) 1996年にシンコーミュージックへ入社。『CROSSBEAT』三代目編集長を務めた。『a-ha THE BOOK』の編集を担当したほか、マグネ・フルホルメン『リヴィング・ウィズ・アワセルヴズ』の日本盤ライナーも執筆。
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July 4, 2025 at 3:09 AM
Morten-Harket.jp『a-haのMVがJOYSOUNDで!』
a-haのMVがJOYSOUNDで!
昨日、カラオケに入ったのですが、そこでお薦めということで、JoySoundの最新機種の部屋に案内されました。いつものようにa-haで検索したところ、「ミュージックビデオ視聴」という文字が。 ミュージックビデオとしてあったのは、 Under The Makeup Cast In Steel(Steve Osborne Version) The Living Daylights(MTV Unplugged) Take On Me(MTV Unplugged) Forest Fire (Lyric video) でした。そして、JOYSOUND名物?2000年のモートンが登場する「Take On Me」のカラオケも。 調べたところ、このミュージックビデオが見られる機種は、「JOYSOUND X1」「JOYSOUND MAX GO」という機種だそうです。今、現在、JOYSOUNDの検索機能ではミュージックビデオの確認はできず、また、JOYSOUNDX1のリンクからの(MVリストが見られる)RecTVのリスト(5月21日付)にはa-haはないので、おそらく増えたばかりだと思います。増上寺でモートンのことを祈ってきたばかりだったので、MVしかも今出ているものでは最新のものたちが見られて嬉しかったです。 『Under The Makeup』のMV ミュージックビデオは、増減があるようなので、確認したい場合はお早めに…。ここで、該当機種の入った店舗を確認できます。 Cast In SteelのMVとして流れていたのはこちらと同じものでした。
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June 28, 2025 at 10:56 PM
トミーネがthreadsで、「私のお父さんは、あなたのお父さんより歌が上手い」

トミーネが、Threadsにこんな投稿を。(タイトル通りですが) しかも、ミュージックオンにすると、モートンの美しい声が響き渡るというおまけつき。寝る前に癒やされました。ありがとうございます。 モートンは世界最高のシンガーだと思うので、それより上手なお父さんなんて存在しませんね。
トミーネがthreadsで、「私のお父さんは、あなたのお父さんより歌が上手い」
トミーネが、Threadsにこんな投稿を。(タイトル通りですが) しかも、ミュージックオンにすると、モートンの美しい声が響き渡るというおまけつき。寝る前に癒やされました。ありがとうございます。 モートンは世界最高のシンガーだと思うので、それより上手なお父さんなんて存在しませんね。
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June 25, 2025 at 4:40 PM
Morten-Harket.jp『今回のニュースに思うこと』
今回のニュースに思うこと
本当は記事に繋げて書こうと思ったのですが、やはり記事は記事で独立したほうがよいと思い、別にしました。 私は普段、facebookでノルウェーの新聞ページを購読していまして、最近、そのうちの一つが、東スポみたいな煽りをするんですね。「あのレジェンドが○○!」みたいな。2023年の新年以降、全く更新されないモートンのインスタや情報に、胸騒ぎがして、こうした釣りタイトルを何度クリックしたかわかりません。なので、今回のニュースを知って最初の感想は「生きていてよかった」でした。 最初は記事のモートンの台詞部分だけを読んで、「心配しないで」の文面で泣いてしまったのですが、全文をがっつり読んで訳した今は、その過酷な治療生活とは相反するモートンの前向きな姿勢に、改めて尊敬を感じます。 モートンのお父様の、年齢による身体の劣化を受けいれ、そでも今使える体で出来ることをするという姿勢は、さすがモートンのお父様だなと。そして、それを心の支えとし、受け入れることのできるモートンの器の大きさも感じました。そして、モートン自身が、受け入れた上で、出来ることをしている。今できないことについても、内心の葛藤は勿論あったのかもしれませんが、決して諦めていないように感じました。 あくまで個人的な印象なのですが、モートンが、自分の声で上手く表現できるかを課題としてるという話のあと、「どうなるかわからない」と続けているところの接続詞が「でも」なんですよね。前の文脈がネガティブであるのだから、後ろの接続詞は「だから」でもいいと思うんですけど、「でも」が続くということは、「まだ先はわからない」という中に、「歌える状況になったら歌おう」という意志があるのではないかと、勝手に感じたりもしました。 新作にしてもそう。デモをいつ作ったのかまではわかりまえせんが、オムダール氏が聞いて「通用する」と思うものが出来ている。ならば、自分は待っていようと思いました。いつ出るかはわからないし、来日とかは難しくなってしまったでしょうけれど、ゆっくりと待ちたいと。 モートンのニュースを聞いて暫くして思いだしたのがこのビデオとこの2曲でした。 恐れと不安の区別の仕方を、キャリアに悩むガブリエラに伝えるモートン。この時の言葉が、まさに、今、ニュースを聞いて不安になっている自分にもそのまま当てはまるようで。「事実」と「ただ怖いだけの推測」をわけて考えること。そうすると、自然と、事実として、パーキンソン病という病が気のせいだったということにはならないわけで、ファンとしても受け止めなくてはいけない。というか、受け止める以外のことは出来ず。また、モートンには最先端医療の専門家がいることを考えたら、私たちに出来ることは何もなくて。そこで、記事の「自分がどうありたいかを見つけ出して」「自分の向き合うべき問題にエネルギーや力を使って」「僕は面倒を見てくれる人がいるから大丈夫」(意訳)という言葉で、行き場を失ったファンの気持ちに寄り添ってくれている。 「モートンに貰ったものがありすぎて、返せるものがない」という思いには、同じファンへの言葉の中に「自然に対して良き貢献者であってほしい」「環境問題に取り組んでほしい」というのがあるわけで。こちらが、どのような感情に行き当たっても、既に回答が用意されているという。なんて出来た人なんでしょう。その上、パーキンソン病を抱えたアーティストとしてやっていくという覚悟すら見える。本当にカッコイイったらないですよね。 『There is a place』についての、私の思うところはこちら。(以下引用) 『We are different, we are one』のところは、一端、横において、この「暗い考えは脇において、今夜は僕の腕の中でおやすみ。なにもかも大丈夫だから」っていうのは、仕事で疲れてるときとか、今の状況みたいに世間の騒ぎに疲れてる時は、本当に何より効く言葉です。乙女ゲーか!と言いたくなるくらい、癒やしになる言葉。ここで『We are …』に戻ると、モートンは他の歌詞でも『You are with me wherever I go (僕がどこにいっても君は僕と一緒だ) 』(Darkspace/アルバム「Letter From Egypt」)と言っているので、それぞれが自立しながらも、根本で繋がっているということを信じる、信じられる人なのだと思います。だからこそ、聞いてる側も「なにもかも大丈夫だから」と言われることに安心感があるというか。それぞれが、それぞれの道を進みながらも、同じ目標を持っていたり、同じ愛情を持っていて、必ずこの先も繋がっていると信じられるということ、それが、”居場所”であり、その”居場所がある”ということこそ、”希望”なのだと、私はモートンの言葉たちから感じました。 モートンと根本では繋がっていると思えば、彼が自信作だという最新作をいつか手にする日を信じて、自分のすべきことに向き合える気がしますし、そうありたいと思います。自分がどうありたいか(どうなりたいか)というのは、考えると案外難しいですよね。仕事でも○年後のキャリアを考えろとか言われるけれど、取り巻く状況が変わる中で必ずしも、自分が思ったようにはならないかもしれないと。でも、モートンの姿勢をみていると、自分がどうありたいかというのはもっと根本的なところで、何かが起きた時、どういう姿勢でいられる自分でいたいかとか、どういう人でありたいとか、そういったことなのかなと。 このインタビューを読んで、症状的な意味では、不安になる部分も勿論ありますが、モートンは生きているし、何より、積極的に動いている(日常生活を送れるように努力している)し、今の状況で出来ることをしっかり見つめている。だからこそ、奇跡が起きてまた歌声を聞ける日がくるような、そんな希望も持っていますし、そんな大変な中でもファンに至れり尽くせりの言葉を伝えてくれている彼の思いに応えられる自分でありたいなと強く思いました。
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June 9, 2025 at 1:40 PM
Reposted by Tomoko(Misaki)
Sadly, a-ha.com announced today that Morten Harket has been diagnosed with Parkinson’s disease.
Read Jan Omdahl's interview with Morten here:
a-ha.com/news/morten-...
Morten Harket has Parkinson’s disease | a-ha
BY JAN OMDAHL Photos: Stian Andersen / Download press pictures in full resolution here You know him as a-ha’s iconic frontman, a divinely gifted singer
a-ha.com
June 4, 2025 at 2:30 PM
Morten-Harket.jp 『a-haが『Take On Me』を商標登録』
a-haが『Take On Me』を商標登録
a-haが『Take On Me』を商標登録したようで、その件がVGに掲載されています。5月6日の寝る直前にfacebookのタイムラインに表れたんですが、目が霞んでいたので、起きてから訳しました(笑) ソース: a-ha:『Take On Me』商標登録 ノルウェーで最も有名な曲名を、不正使用から守るために著:Stein Østbø (ノルウェーの)特許庁は、VGに対し、a-haが彼らのイギリスの会社SwingLong社を通じて、商標登録を申請し、受領したと認めた。 ノルウェー特許庁のデザインと商標部門で、法律的に則ったアドバイスをするMagnus Haugoは、VGに対し、曲名を商標登録するのは、あまり一般的ではないと言った。 – 多くのアーティストは、バンド名やアーティスト名を守るだけでよしとしていますが、曲名についての申請も多少はあります。それは、だいたい良い理由によるものです。特に、ヒット曲やよく知られた曲などですね。 <VGアンケート>もし、あったら手に入れたい『Take On Me』グッズはどれ?1)パンツ(下着)2)お腹のボタンを押すと音が鳴るテディベア3)ずっと『Take On Me』を流し続けるクリスマスの飾り4)明けるとBest Of a-haが流れるアクセサリボックス5)要らない、接触不安があるから<冗談:後述します> 他の例としては、Haugo氏は、2022年にアルコール名としてビートルズの『Let It Be』、『Love Me Do』、同様にアイアン・メイデンの『Aces High』が登録されていると述べた。 テイラー・スウィフトは、曲名『Lover』『Shake it Off』そして、『...Ready For It?』という言葉を商標登録しているが、更に上を行く。 – 彼女は、商標として、『Black Space』の歌詞の一部である『And I'll write your name』を、『Look What You Made Me Do』から『the old Taylor can’t come to the phone right now』を商標登録している …
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May 8, 2025 at 3:07 PM
やっとblue.skyとの連携が上手くいくように。Threadsも上手くいってたしよかった。Twitterだけが面倒なんだよなー……
February 23, 2025 at 3:48 PM
Morten-Harket.jp『トミーネ、モートンの娘として育つことを語る』
トミーネ、モートンの娘として育つことを語る
トミーネが、TV2のポッドキャスト番組で、偉大な父を持つことと近況について話しました。 自分の居場所を見つけるのに疲れ切っていた トミーネ・ハルケットは、有名人として育つこと、そして『モートン・ハルケットの娘』でありつづけることがどういうことかについて、率直に語った。 トミーネ・ハルケット(31)は、小さい頃の『Annie』ミュージカルに留まらず、ディズニーチャンネルのシリーズにおけるデミ・ロヴァートのノルウェー語版吹き替えの声、そして、アーティストとしても自力で成功を収めている。 とはいえ、彼女の名を聞いて、彼女の父であるモートン・ハルケット(65)を思い浮かべる人も多い。 今週彼女は、Fetisha Williams(30)の番組(podcast)『Fetisha+1」にゲスト出演し、彼女自身がこれまで得たものがどうであろうと、『誰の娘か』という会話になるのが常に楽しいわけではないことを、正直に語った。 -私はずっと、こうしたことをやっていきたいと思っていた。だって、ずっと好きだったから。ある意味、生まれつき、興味のあることでもあるから。けれど、私がくいったこと全てをやると、あまりにも早く、私が誰の娘かってことにばかり焦点があたることについて、とってもウンザリ感じるようになったの。長い間、本当に、とってもうんざりしてた。そればっかりだったから。 TV2に対して、ハルケットは、あまりにも偉大な名字を持つことのプレッシャーを明らかにした。 -パパが成し遂げてきたことについては、あり得ないくらい誇りに思ってる。小さなノルウェーという国の3人の若者が80年代にビルボードのNo1になったことは、どれほど大変だったのかを一番わかってるのは私。だから、本当に誇りに思ってる。 -その一方で、私にとっては、ここで自分の立ち位置を見つけることは、本当に神経のすり減ることだった。でも幸いなことに、今はみんな私を一人の人としてみてくれて、私の中に才能を見出してくれているの。 そう、彼女は付け加えた。 同じ道を歩むのは願っていない 31歳の彼女は、ミュージシャンの両親からの音楽を栄養に育ったようなものだ。それでも、彼女の父は、彼女が自分と同じ道を歩むことを願わなかった。すぐに反対した。 -パパは決して、私がそういうことを生業にするのを臨まなかった。それはずっと、はっきりしていた。だからこそ、余計にやりたくなったんだけど 彼女は、Williamsに向かって冗談っぽく話した。 -彼は、この業界はとてもハードで難しいからと言っていた。そして、パパは、私が自分の手で成し遂げることと、親の七光りにならないようにしてほしかったんだと思う。でも、このおかげで、私は自分のやったことだと安心して言えるようになった。私が持っている名前のおかげで、一定の場所へ辿り着いたのはあるけど、こういった名前を持つと、より良いものを期待されるものでもあるから、この名前が実際にどれだけ大きな”手助け”になったかはわからない。 彼女は、TV2に詳しく語った。 子供時代がなかった 知られているように、彼女のキャリアは子供の頃、ミュージカル『アニー』の主演から既に始まっていた。 数年にわたり、赤い巻き毛の子を演じることで、彼女の子供時代は、一般的な小学生の子供時代とはまるで違うものとなっていった。 私は普通の子供時代ではなかった、常にストレスにさらされていて、ただ、『やり遂げなくては』と感じていた。それは、もうしんどかった。脚本を全部学んで、毎晩、シーンを暗記しなくてはならなかった。土曜日は2回公演で。そして、話も死ぬほど長かったの。 -(質問者)振り返って見るとどうでしょうか、子供時代が懐かしかったりしますか? -比較するものがないから、特に子供時代が懐かしいとかはない、いえ、年を取れば取るほど、より自分の生い立ちが”普通”でないことが、より明確に理解できるようになったの。でも、だからといって、自分の生い立ちをネガティブなものとして見てはいないわ。 彼女の持つ『問題』は、多く野人が、彼女の振る舞いやどうしてきたかによって、間違った印象を持っているということだ。 -Feitishaのポッドキャストでも、たとえば、私たちはものごとをより簡単に面白く話したけど、そうしたことで、私が人生を通してダンスしているだけのように見えてしまう。ここではこれ、そこではそこの役割があてられて。でも、それが私の姿の全てではないの。 放送の終わりに、彼女はTV2にこれから更に楽しみが待っていることを語った。 -新曲『u aint shit』を2月28日に出します。これは、この業界にいる男性への皮肉なの、たとえば、私が自分のこととして決めているような対応をしてこなかった人(男性)へのね。だからリリースするのがとても楽しみ。そして、私は今、一日の大部分をRolig Recordのスタジオですごしているの。だから、今は新曲がどんどん生まれているわ。 トミーネ、少し前にも同様のことを語っていましたし(訳してないです)、2016年のLindmoでも、モートンの娘と言われながらも、自分の道を模索していたことを語っていました。
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February 23, 2025 at 3:42 PM