尾斗
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tilt11.bsky.social
尾斗
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大阪でラーメンを食べる鹿。食べたもの、行ったとこ、読んだものの記録。拉麺に還って仏性有りや。
唯識無境の論理的証明とされる『大乗阿毘達磨経』の四智は、西洋哲学的「普遍的妥当性」「客観性」を全く欠く。こらは西洋哲学がそれらを理性の領域に求めているためであるが、そもそも仏教思想の場合は「普遍的妥当性」も「客観性」もヨーガの領域に求めるものてまあり、その立場から見れば四智はすぐれた論理体系となる。
October 19, 2025 at 3:29 AM
唯識は「識がある」と考えるが、これは「世俗諦の領域において」である。勝義諦の領域においては識の存在性も否定される。しかし、それは修行の結果としてであって、修行の過程においては、「識がある」立場から真理を追究しなければならない。
October 13, 2025 at 9:07 AM
現象的存在はただ虚妄分別(依他起自性)に過ぎず、その虚妄分別により分別されたものが境(遍計所執性)であり、非存在である。視覚表象としての鉛筆が、「鉛筆」という言葉と結びつき、表象が事物として外化されたものが境である。
October 13, 2025 at 8:59 AM
なるほど。なんでヒットするのか分からないのが確かにありますが、そんな仕組みになってたんですね。開発はなんでこんな仕様にしたのか…
May 25, 2025 at 7:05 AM
突然横から失礼しますが、漢字の場合は文字の後ろに半角スペースを入れないと検索にひっかからないようです。「限 界 」みたいに。
May 24, 2025 at 7:14 PM
支婁迦讖は『首楞厳経』『般舟三昧経』など大乗経典を訳した。中国の仏教は初期経典と大乗経典をほぼ同時期に受け入れることとなった。後の教相判釈は、こうした混乱をまとめるために中国人が編み出さざるを得なかった解決法と言える。
March 9, 2025 at 2:46 PM
中国仏教は安世高と支婁迦讖に始まる(と考えられていた)。安世高の訳出した『安般守意経』は禅定の指南書として重宝された。禅定は道教的な導引術や、存思や坐忘といった儒教の思想が媒介となって受容されていった。
March 9, 2025 at 2:41 PM