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スペース的なものが実装されたらこっちに移りたいと思っています

education,literature,art,architecture...
教育、文学、芸術、建築、読書など
「生活革命の現場で」
学校の家庭科は、だから、習慣を教えている(中略)エチケットと結びついている。(中略)日本は儒教の作法ということになるわけだが、儒教では身分に上下があるということが前提(中略)だから、エチケットと礼儀作法とはちがうんだ。ヨーロッパでは、流行は宮廷から庶民へ、上から下へと流れていくんだ。日本では逆で、下のほうから上に波及してゆく。(中略)だから流行についてのヨーロッパの社会心理学では、日本の流行は解釈できない面があるんだ。日本では、上流の婦人は、芸者のまねをすると、ていねいで礼儀正しいと思っている。作法の歴史、作法の社会科学の根本を知らないからだ。(p85)
May 28, 2025 at 2:08 AM
当然、民族学ethnologyとの関係もちかいはずである(今氏は、ときにはethnologyに対して人種学という語をあてているが、これは不適当である)。民族学においては、主として未開社会がその研究対象であるが、考現学においては、主として文明社会がその研究対象になる。民族学者が社会人類学者が、未開社会を冷静に観察・記述して民族誌をつくるように、考現学者もまた、文明社会の事象を冷静に観察・記述することを心がけねばならない。(p65)
May 27, 2025 at 7:34 AM
梅棹「今和次郎と考現学」
民俗学というのは、過去の、主として封建時代の風俗を、現在の残存事象を材料にして研究するものである、ということになる。したがって、まさに消滅しようとしている事象に、とくに注意があつまる。それに対して、現代の風俗の学としての考現学では、過去の残存をもふくめて、ありのままの全体の事象が問題である。
 民俗学はまた、その特質から、もっぱら注意を村落にむけるりその意味で、民俗学というのは村落民俗学である。それに対して、考現学は都会を問題にする。(中略)このふたつはある意味で相互補完的関係にあると、かんがえられている(p64)
May 27, 2025 at 7:30 AM
「今和次郎『日本の民家』再考──藤森照信氏の「解説」批判」[『生活学』一五号、一九八九]
May 19, 2025 at 6:07 AM
藤森 柳田さんは経世済民の人です。貴族院書記官長といういまの官僚よりもっと偉い人ですから。基本的には柳田さんは国民の心の問題をずっと考えている。それはもちろん国家という大きな役割のなかで考えているんだけれどと、そこが今さんは嫌だった。(p27)
May 18, 2025 at 8:28 AM
今和次郎の研究室にいたとき、「流行ってなんですか」と尋ねたことがあるが、それに対して先生は「宗教のかわりをするものだな」とおっしゃった。(中略)人々は流行を身につけ、社会の一員としての意識をもった。(中略)当時の銀座は、その総本山であり、地方都市の〇〇銀座、××銀座はその摂社、末社ということになる。(p311-312)
May 11, 2025 at 6:48 AM
当時、銀座がどれほど強い象徴性をもっていたかは、全国いたるところの都市に何々銀座がつくられたことからもわかる。戦前の東京人のなかには、しばらく銀座にいかないと、なにか落ち着かなくなってくるというものが少なくなく、私自身、旧制中学生の頃そうだったおぼえがある。今和次郎は、銀座をヨーロッパ中世の大伽藍にたとえている。(p311)
May 11, 2025 at 6:45 AM
銀座通りを歩いている人の服装や行動を、ことこまかに採集しているものの、銀座そのものの調査は、ほとんどされていない。今らが調査しようとしたのは、あくまでも現在の先端的な風俗であって、銀座は流行の先端、あるいは「街頭」の代表に選ばれた場所、すなわち中村雄二郎のいう「問題の具体的な考察や議論にかかわるものとしての場所(トポス)」として銀座が選ばれていたのである。(p309)
May 11, 2025 at 6:40 AM
都市の享楽に農村の貧困、などというのは、明らかに「ためにする議論」であるが、現在にいたるまでこのような農村は善、都市は悪といった農本主義によって、都市民の政策決定のプロセスへの参加をさまたげてきた。このことが、行政腐敗をもたらしていることが、ようやく知られるようになっている。
考現学は、大正・昭和戦前期の世相を、正確に記録していた(p290)

具体的に何のことか分かんない
May 8, 2025 at 6:52 AM
かつてのカフェはバーと喫茶店に分解され、都市生活のなかに吸収されていったものの、消化されずにはきだされたのが、新宿のカフェだったといえるのでは(p278)
May 8, 2025 at 6:44 AM
開口の木製縁取りを除去
軽く連続し、浮遊するようにする(p55)
May 7, 2025 at 12:39 AM
カフェは、一方はバー・焼鳥屋へ、他方は喫茶店へと分解した。これはカフェのお酒とコーヒーへの分解でもある。かつてカフェは都市中間層の職場と家庭との間に存在する「街頭」のサロンだった。それが分解して、バーは職場に、喫茶店は学園や家庭によりつながるものへとなっていたのである。(p276)
May 1, 2025 at 1:14 AM
モダン銀座を象徴してきたのは、カフェだった。(中略)地下喫茶部の制服以外すべて着物である。吉田謙吉採集の「女給さんエプロン実測図」をみて、最初私は、こんなものを採集してどんな意味があるのかとおもったが、実はエプロンこそが、女給と他とを区別するものだったのである。(p266)
May 1, 2025 at 1:12 AM