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アガサ・クリスティーの小説に庭師というものがよく出てきて生涯奥さまにl love youを言わなかった庭師のことを想った。
November 22, 2025 at 9:55 PM
日本で始めて灯台ができたのは明石だそうだ。江戸時代の日本製のもので出石の時計を小さくしたようなもの。
a lighthouse in the middle of a body of water at sunset
ALT: a lighthouse in the middle of a body of water at sunset
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November 22, 2025 at 1:21 AM
ワシントン条約で驚いたことに根付という象牙でできた印籠をぶら下げるのにあった仔犬やらも象牙でできているということでワシントン条約に引っかかって輸出出来ないということだ。すごく可愛らしくて江戸時代のちょっとした鞄にぶら下げる可愛らしいものでこの可愛らしい世界は小さな江戸文化の旅のお供に根付の仔犬みたいですごく庶民のささやかな楽しみが表現されていていいのに象牙で作られているということで輸出不可だった。ワシントン条約で輸出不可はこんなダイナミックなものだと想ってたよ。
November 22, 2025 at 1:15 AM
これをみていると入社したときの想いを思い出して時代に取り残されたようにぽつんとあの頃となんも変わってませんとある感じがする。
November 22, 2025 at 1:07 AM
ビストロジローのスープは母がつくってくれたスープと似てた。台所の横に扉がありそこから見える海は大きくて深くて素晴らしかった。あのころは会社の人たちがお正月のふつかかみっかにやってきて麒麟ビールや熱燗などがあって母がステーキフルコースをつくっておもてなしをしていた。ビストロジローの階段にはベルギーによく出張にいったりしたひとからのおみやげを思い出したりしてそのころの独特の空気感も懐かしく思い出せて父もヨーロッパやアメリカに出張しベルギーのお人形など買ってくれてたなあと化学会社だからか国際的な感じでけっこう楽しかったと思った。
November 21, 2025 at 2:53 AM
月日を経てムンクの画集にあるハンスイェーゲルの肖像がすごく意地悪で自分よりも知性があってお前なんかまっとうに相手すらしないぜが百年後絵が描かれて百年後1989年秋に集まった高校の後輩で東京大学経済学部住友信託銀行に就職を決めた人の雰囲気と重なって調べたらムンクよおまえの人生を描けといいマドンナや接吻のモデルの女性と三角関係にあった人らしく肖像画をみるとつねに高い位置から冷たい視線でわたしのことをみていたそのひとがいたどこに内定をもらったかの集まりを思い出したりつねに私に向けていた冷たい視線を思い出し胃がきりきり痛いような心がどんよりと重くなった。ムンクももしかしたらそうであったのかもしれない。
November 20, 2025 at 11:29 PM
三十五年前のおとつい。山口百恵の一恵は昭和五十五年のつぎの日に発売だった。
November 19, 2025 at 8:47 PM
ボンへッファーを観た。このピストルはナチスssの制服黒に銀の縁取りに揃えてある。すごい切ない映画だった。

ママがいってた透明人間になれるいちごを見つけられていればこんなことにはならなかったけど僕には見つけることができなかった。母にこれを渡してほしい。

赤い皮に金の縫い針二本の十字架が描かれているようにもみえた。
November 19, 2025 at 8:42 PM
風見鶏の館の初代持ち主ドイツの貿易商のGottffried Tomasの像がスパイゾルゲとそっくりだった。神さまのお友だちトーマスみたいにも読める。だから1966年9月15日敬老の日封切りの陸軍中野学校雲1号もそれを踏まえて椎名次郎は北野坂に住む貿易商でスパイは教会の牧師で5時に造船所爆破を食い止めれたというシナリオはそれを踏まえていたのだ。
a man in a suit and tie is talking on a phone in front of a sign that says chrome
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November 17, 2025 at 7:26 PM
昨日は中学の同窓会の集まりが体育館であった。体育館はなんにも変わってなかった。まだ上げ染めし前髪の林檎のもとにみえしときを朗々と朗読されていた国語の先生のことを思い出していた。先生の授業は楽しかった。わがままぽい感じも国語の先生ぽくてよかったなあと思い返していた。国語係を友だちとしていた。あのころ沢山本を読んだ。図書室の本にどんどん自分の名前を貸し出しカードに書いていった。別の国語の先生から統合コースで源氏物語の夕顔の段を教わった。
November 15, 2025 at 4:58 PM
ずっと探していた英語のテキストがみつかった。嬉しい。大学の英語のテキストであった。チョコレート工場の作者でチキ・チキ・バン・バンの脚本も手がけたそうだ。宇田川先生の授業で宇田川先生はじゅうぶんにMadameという雰囲気でいらした。授業の空気感をおもいだす。住んでたアパートの裏に木造のアパートがあったりしてお布団を女の子が冬の日に干していたりしていた。そのひとは一橋大学の美術部の人だった。アパートの部屋のなかのほこりが太陽のひかりでキラキラしていてやまなしの金雲母みたいと思ってた。
November 13, 2025 at 11:44 PM
冬の池を赤穂という名のレストランからぼんやり眺めていた風景が思い出されていったらすごく綺麗な池の写真が撮れた。
November 11, 2025 at 8:53 PM
宇宙人到来!?みたいなオブジェがあった。
November 11, 2025 at 9:20 AM
こんなことがなんか懐かしくなってきた。積み木で船つくったりそのようなことが懐かしく思ふ。
November 9, 2025 at 6:46 PM
こないだこの撮影場所かなあと想う瑞宝寺公園にいってきたけどここは六甲山かも知れん。おじいちゃんとおばあちゃん。おばあちゃんが若くみえる。瑞宝寺公園は市民の公園として造られたそうであのころの神戸市民。市民という言葉に重きを置いていて市民の楽しみに山登りがあった。
November 9, 2025 at 5:55 PM
真珠のネックレスのつくり方。
November 9, 2025 at 5:47 PM
高校時代大倉山の図書館にいって自習室で勉強して近くに370円のお好み焼きを食べていた。みんなそこで高校生たちは食べてて黒いティシャツ着た腕の太い男がお好み焼きやいたり焼きそばつくったりする光景をみてた。17才くらいの娘さんが手伝っていた。大きな鉄板があってそこでお好み焼きをいただく。カツオのでん粉がいっぱい振りかけてあって卵抜きで軟らかくて美味しい。よく似たやつを自分でつくる。広島の綱吉というお好み焼きやさんのレシピで始めて強力粉と薄力粉半分半分にするとねばねばになって美味しいことがわかった。小春日和のお好み焼き。
November 9, 2025 at 1:58 AM
昨日はモスバーガーでクラムチャウダーを頂いた。かりかりに焼いたフランスパンを浸したくなった。ボストンへいってクラムチャウダーを飲みたいなあとJALの冊子を機内で読んでたことやボストンへいってクラムチャウダーとロブスターを頂いたことやらを飲みながら思い出してもうちょっとあさりが入ってたらいいなあと思いつつ380円クラムチャウダーを飲みながら大学時代自転車を飛ばして国立通りの裏通りのモスバーガーでライスバーガーひとつ買ってまた自転車に乗ってアパートでそれを夕飯にしてた頃のことを思い出していてクラムチャウダーちょっと薄いかなあとこんどはくじらをみるためのチケット売り場の白い壁に赤い屋根を思ってた。
November 9, 2025 at 1:50 AM
父と母が結婚を決めた頃できた橋のたもとから富士山が綺麗にみえた。
November 6, 2025 at 9:55 AM
陸軍中野学校二俣校舎があったところには原風景が残っていて勉強は貧乏人の道楽みたいな考えもここからでたような気がした。
November 2, 2025 at 9:05 PM
ナチスコード。IBMが対象者リストをつくる際にselect 住所 名前 from 住民台帳 where code =8 にして対象者リストをつくった。その紙の束をみたら1979年から始まった共通一次のマークシートや思考力テストを思い出しある一定の層のひとはぎょっとするようになっていた。
November 2, 2025 at 9:02 PM
john le carre silverviw シルバービュー荘にてが面白い。チョムスキーという言葉があって機械翻訳について卒業論文をかいていた頃のゼミ室からみた木々のことやらを思い出した。卒論中にベルリンの壁崩壊があった。朝日新聞に就職内定してたひとはベルリンの壁にいって壁持って帰ったらしいよと人づてに聞いたりしていた。わたしはもうぜんぜん中学のときに西ドイツ領事館へいって握手したりしたことも忘れてた。でもいま本の中からチョムスキーという文字を読むと当時の雰囲気。SUN4で単語データベースをつくったりしていてその元となるプログラムは安西祐一郎さんのほんで英語が元でLISPで組んだりしてた。
November 2, 2025 at 8:46 PM
高松宮喜久子さまが舞子の有栖川の宮別邸で育ったらしくてわたしの少女の頃の舞子の松林を通って舞子ビラにいってプールいったりしたこと。海がみえたこと。ゲームをしたり卓球をしたこと。そんなことを思い出した。
November 2, 2025 at 8:30 AM
高市早苗さんのブルーの上着が勤めていた研究所の制服色に見えたりして先輩がリクルーターにやってきて六法全書を掲げてNTT法の説明をされたり研修のとき先輩がやってきて電報の文言を考えたり優しくしてくださった先輩の笑顔を思い出したりした。サッチャーさんもやってきてお友だちみたいな女性のSPがそばにいらしてすこし背が高かった。ぜんぜん鉄のおんなって感じがしなくて綺麗にセットされた髪でエレガントな方だった。中曽根さんにビールを飲む手をすこしスコッチウィスキーにしてくださらないかしらとおっしゃったそうだ。部には中曽根さんの知は力なり中曽根康弘の色紙が飾られていて海がみえた。鳶がガラス越しにみてた。
November 2, 2025 at 8:26 AM
おじさんとおばさんが修善寺へ新婚旅行に行ったし一度修善寺へ列車で行こうと思い立っていったら黄金の田んぼがあったり白鷺が飛んでいたりして中学のいつもの通学の光景を思い出していた。駅で降りて修善寺まで歩いていった。途中川端康成やら天城峠のトンネルとかの案内があって山口百恵が手を振るシーンを思い出していったらいそうに思えた。逗子行きのレールの上に赤とんぼ。そんな俳句を今年は三島由紀夫生誕百周年なので考えた。わたしがベビーベットから出た日のことを覚えてると言ったら父が嬉しそうに三島由紀夫の再来だなと産湯に浸かってた記憶はあるか。三島由紀夫はあるそうだと聞いてきてないと言った。仏像がおじさんに見えた。
November 2, 2025 at 8:14 AM