Tam
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関西のソルジャーとガンバ大阪サポーターの掛け持ち。 ブログ→ http://tam07pb915.wordpress.com 質問したい方→ http://querie.me/user/tam07pb915
何の役に立つのかは教員が語らなくてもいいのかも
何の役に立つのかは教員が語らなくてもいいのかも
はじめに 学部の講義科目,「何の役に立つの?」と思われるって自分で思い込んでたけど,その問いは学生が自分たちで自分の日々の経験や他の授業で学んだことと関連付けて答えを出そうとしてくれていることを,毎週のリアクションペーパー(以下,リアぺ)を読んでると感じます。こちらが,「この話はこういう点で役に立つよ」なんて言わなくてもいいのかもしれないなと。 教員と学生が一緒に作る授業 そのことを,教員の責任を放棄してるとか,学生頼みとか考える人ももしかしたらいるのかもしれませんが,私は授業は教員が一方的に学生に知識を授けるものではなくて,教員と学生が一緒に作っていくものだと思っています。そういう意味では,その理想に近いのかなと。 指示しなくても,学生は自然と しかも,私は学生に,この授業が何の役に立つか考えなさいとか,自分の経験に照らし合わせて考えなさいとか,そういう指示は出していません。そういう指示は出さなくとも,学生は自然と自分がした経験や考えたことと授業で扱ったことを関連づけようとしています。「私が経験したあの出来事は,もしかして今日の授業のこの説明が当てはまるんじゃなかろうか」とか,自分で思考を深めたり,問いを導き出していったり。もちろん,そういった書き込みの中に,本当は自分で考えていなくて,生成AIで書いたようなことももしかすると含まれているのかもしれないし,それはもうわからないのでなんとも言えません。でも,そうは思えないコメントがたくさんであることは間違いないと自分では思っています。 「学の実化」は学生がもたらすもの 私はずっと,自分が研究していることは現実世界に直接的に役に立たないとか,現実世界の問題を直接的に解決するようなものではないと思っていました。最近,研究と社会との関わりについて考えさせられるポストも目にしました。 少なくとも授業という文脈では,私の所属先である関西大学が掲げる「学の実化」というものは,教員が学生に与えるようなものではなく(そういう場合もあるのでしょうが),むしろ学生の側が主体的に,「私が今学んでいることは,私の生きている人生や,この社会にどう関係しているのだろうか」ということを考えることによってもたらされるのかなと最近は思います。私の授業はそうやって受けるものなのだということを明示的に指示しなくても,外国語学部の学生が主体的に,そして自然とそのような姿勢で授業を受けてくれていることに,私は感銘を受けています。そして,その事でとても誇らしい気持ちになると同時に,彼らがきっと,それぞれの場所で今も,そしてこれからも輝きをはなってくれるに違いないという確信めいたような気持ちになります。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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October 17, 2025 at 2:48 PM
考え方真反対でいいじゃない

はじめに 秋学期がそろそろ始まりますが,春学期の終わり頃に聞いて嬉しかった話。 「考え方が真反対」 大学院の授業で,「別の曜日に受けている実践系の授業の先生と考え方が真反対」みたいなことを言われました。その話を聞いて,私自身も,「あー。その先生とは(理論と実践という対立ではなく実践レベルで)考え方違うだろうな」とは思ったんです。でも,それをその学生さんがネガティブに捉えていなかったのが素晴らしいことだなと思いました。 学部生とかだとまだやっぱり,同じ現象に対して違う意見を持つ人に出会ったら,どっちが正しいの?ってなって,混乱することもあると思うんです。…
考え方真反対でいいじゃない
はじめに 秋学期がそろそろ始まりますが,春学期の終わり頃に聞いて嬉しかった話。 「考え方が真反対」 大学院の授業で,「別の曜日に受けている実践系の授業の先生と考え方が真反対」みたいなことを言われました。その話を聞いて,私自身も,「あー。その先生とは(理論と実践という対立ではなく実践レベルで)考え方違うだろうな」とは思ったんです。でも,それをその学生さんがネガティブに捉えていなかったのが素晴らしいことだなと思いました。 学部生とかだとまだやっぱり,同じ現象に対して違う意見を持つ人に出会ったら,どっちが正しいの?ってなって,混乱することもあると思うんです。 私はよく,特に研究寄りの授業であればあるほど,Aという説明もあるしBという説明もあるし,Bという説明の中にもB1という見方とB2という見方があって...みたいな感じで,「この現象はAで説明できます」みたいな断定的な言い方をしない(できない)んですよね。そんなに確定的なことが言えることのほうが少ないと思っているというか...。英語授業の話であればそんな回りくどくする必要はないんですよね。「私はAが正しい実践だと信じている(ただし,その「正しさ」は英語熟達度の伸長を確約するという意味ではない)」と言えばいいので。でも,なんか研究に関しては,「自分がこの立場が正しいと思っている」と言えるだけの自信というか,深め方が足りていないんだろうなと。それが授業のわかりにくさの話にもつながると思うんですけど。 ただ,そんな一意に決まるものではないっていう理解が大事だよねという思いも同時にあります(世の中のほとんどの問題には正解がないと思っている)。その中で,大事なのは自分(学生)自身がどういう選択をするか,その価値観をどうやって教員側が育んでいくのかってことなのかなと思います。 正解のパフォーマンスをするのではなく 誰かに教わった正解のパフォーマンスするんじゃなくて,自分で正しいと思ったことをしたらええやないのと。それが周りにどう受け止められるかは別の話というか,それも考えていいけど,一番優先されるべきことではないと思うんです。正解が一つに決まらないからこそなおさら。その,自分が大事にしていることは何で,それはどういう理由で大事なのかっていうのを見つけるのも大学院で学ぶことの意味なのかなと思います。 ちょっと話は違いますが,選挙に行って投票するのだって似たようなところがあると思います。投票に正解とかないですよね。その中でも,自分が考えて,一番納得できる候補者や政党の名前を書くんでしょう。大事なのはそこでしょう。と思うわけです。 そうやって考えると,冒頭の学生さんのように,私の意見を客観視して,別の先生とは言ってることが違うという見方をした上で,自分の考える方法を自分は選ぶ,という選択をできる(実際にそういう趣旨の発言があったと記憶しています),そういう発言は私からしたら素晴らしいというか,「こうであって欲しい」を体現されてるなと思いました。それが自分の所属する研究科の学生さんだったことが嬉しかったです。 おわりに もちろん,カリキュラム的な一貫性とかを考えたら,いろんな授業で言ってることが違うっていうのはどうなんだっていう見方もあるとは思います。ただ,私はみんながみんな同じことを教科書みたいに伝えるような授業ばっかりだったらそれはそれでつまらないし,逆にそういう授業ばかりだったら考えも凝り固まっていってよくないと思うのです。 そんな関西大学外国語教育学研究科に興味が少しでもお有りのみなさん,10月と11月に進学説明会がありますよ。 2026年度4月入学の入試(12月募集)のスケジュールはこんな感じですよ。 お待ちしております。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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September 17, 2025 at 3:43 PM
SLA批判?考えるべき相手はだれか

はじめに SNSで「SLAの知見で授業が刷新されるなら,学習者の熟達度はもっと上がっているはずだ」という投稿を見ました。もっともに聞こえます。ただ,読み終えたあと,批判の照準が少しズレているのではないかと感じました。この記事では,その自分が感じた違和感を整理し,誰にどの問いを投げるべきかを言い直すことを試みます。 何が問われているのか(論点の整理) この投稿から私が読み取った論点は次のとおりです。 授業内の言語活動をいくら精密に記述しても,短期には熟達度上昇につながらないのでは,という懐疑 「適切に研究していれば能力は上がるはずだ」という短絡への違和感…
SLA批判?考えるべき相手はだれか
はじめに SNSで「SLAの知見で授業が刷新されるなら,学習者の熟達度はもっと上がっているはずだ」という投稿を見ました。もっともに聞こえます。ただ,読み終えたあと,批判の照準が少しズレているのではないかと感じました。この記事では,その自分が感じた違和感を整理し,誰にどの問いを投げるべきかを言い直すことを試みます。 何が問われているのか(論点の整理) この投稿から私が読み取った論点は次のとおりです。 授業内の言語活動をいくら精密に記述しても,短期には熟達度上昇につながらないのでは,という懐疑 「適切に研究していれば能力は上がるはずだ」という短絡への違和感 SLAはそもそも授業の即効性を直接示す分野なのか,という素朴な問い ここで起きているのは,目的と成果指標と時間軸の混線です。(私が思う)SLAはメカニズムの説明に重心があり,ISLAは教室(または指導環境)という条件での因果検証に重心があります。評価をテストスコア一本に集約し,しかも短期で断ずると,議論の地盤が不安定になります。 SLAとISLAの役割の仕分け SLAの役割:第二言語がどのように習得されるかという仕組みを記述・説明する。介入の設計図に相当する理論的コンパスを提供する。 ISLAの役割:教室という条件のもとで,タスクやフィードバックなどの介入がどの程度効くかを検証する。一次的な応答責任はここにある。 ディスコース研究の価値:学習の中間過程を可視化する「街灯」である。どこで詰まり,どのやり取りが学習機会を生むのかを示す。街灯そのものは目的地ではないが,道を安全に歩かせる。即効性だけで価値を測ると本質を取り逃がす。 要するに,「授業が刷新されたのにスコアが上がらない」という問いを投げるなら,まずISLAの設計と測定に向けて問うのが筋であって,SLA研究に向けられる批判なのかなという気がしてしまいました。 効果検証の設計(ISLAが明示すべきこと) 言語の熟達度というのは,そんなに即効性をもって観察できるようなものでは本来ないはずです。発達は,遅いんです。よくある実証研究であるような短期的な観察で効果を断じるなら,観測設計に対する説明責任が生じますよね。そうなると,ISLAが明示すべき最小セットはこんな感じではないでしょうか。 成果指標は何か(テストスコア,パフォーマンス,転移など) どの時間幅で測るか(短期,中期,追跡) どの比較を置くか(対照群,事前事後,割付) 効果量と不確実性の示し方をどうするか 測定が中間過程の所見(ディスコース)とどのように結び付くか これらを明示すれば,「役に立つ/立たない」という印象論から,検証可能な議論へと移行できるのではないかなと思います。それはISLA研究者だけの問題ではなく,その研究の成果を受け取る側も,こういった視点で研究を読むことで,研究の成果に対して過度な期待を抱くことも抑制できるのではないかなと思います。 おわりに SLAは仕組みを語り,ISLAは効き目を測る。批判の照明を当て直し,誰の主張にだれがどう答えるべきかを私は整理したいのです。SLA一般への不信ではなく,授業の有効性に一次的に答えるのはISLAであって,SLA=メカニズムの説明,ISLA=指導環境での因果検証という前提は,言語教育に関わる人,SLA研究をやっている人,そして得にISLA研究をやっている人,それを広めようとしている人には自覚的であってほしいです。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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September 6, 2025 at 4:12 PM
どんな研究が必要か

はじめに 私の所属する関西大学外国語教育学研究科には,博士論文研究の計画書を提出し,その計画について口頭試問を行う「研究基礎能力試験」があります。この記事は,その発表を聞いて私自身が考えたことを整理したものです。あらかじめ強調しておきますが,ここで述べるのは特定の方の研究や指導に対する批判ではなく,あくまで一研究者としてのスタンスの共有です。 当たり前を疑う…
どんな研究が必要か
はじめに 私の所属する関西大学外国語教育学研究科には,博士論文研究の計画書を提出し,その計画について口頭試問を行う「研究基礎能力試験」があります。この記事は,その発表を聞いて私自身が考えたことを整理したものです。あらかじめ強調しておきますが,ここで述べるのは特定の方の研究や指導に対する批判ではなく,あくまで一研究者としてのスタンスの共有です。 当たり前を疑う 私は常々,研究者には「既存の研究を乗り越える視点」を持っていてほしいと思っていますし,自分自身もそうありたいと考えています。本当に面白い研究というのは,多くの人が「当たり前」だと思ってきた前提を揺さぶり,新しい視点を提示するものだと感じています。そうした挑戦がなければ,研究の発展には限界があるでしょう。なぜなら,もし前提に誤りや誤解が含まれていれば,その上に積み上げられる研究も十分な価値を持たなくなってしまうかもしれないからです。 もちろん,先行研究は大切です。しかし「大切である」と「常に正しい」は同義ではありません。すべてを疑ってかかる必要はありませんが,「本当にそうなのか」という視点は,博士論文のような大規模な研究プロジェクトでは特に必要だと思います。 既存の枠組みに従って研究を進めるのは比較的容易です。たとえば「先行研究ではA → Bという関係が示されているが,AがCに影響している可能性もある。さらにA → Dの関係は検討されていない。そこで本研究ではA → CやA → Dも扱う」といった展開は典型的です。このように要因の組み合わせを増やしていく研究は確かに進めやすいのですが,それだけを積み重ねても,背後にある本質的な法則や仕組みの理解につながるのかは常に問い直す必要があると思います。 新しい道筋を示す研究の好例 私は常に,「既存の前提を問い直し,そこから新しい道筋を示す」研究には強く惹かれます。実際,最近の研究でその好例と言えるのが,『Revisiting Universal Grammar in L2 acquisition: Weak conformity and linguistic dissonance resolution』という論文です。この研究では,第二言語習得における普遍文法(UG)の役割を見なおし,「UG」が学習者の中間言語(interlanguage)に一時的に現れるUG非整合的なルール(いわゆる "wild grammars")を検出し,修正へと導く「モニター装置」として機能するという枠組みを提示しています。従来のUGに対する理解を単純に否定するのではなく,より包括的な枠組みとして再定義することで,説明力を拡張しようとするこのアプローチには,非常に示唆を受けました。既存理論の限界を踏まえつつ,新たな理論的視野を開拓する好例だと思います。 研究の成果を社会に直接役立てることは重要ですが,それだけが研究の価値ではありません。研究そのものの営みをより良いものにすること,それ自体が大きな社会的意義を持つはずです。人文学の研究はまさにそうした側面を強く持っています。「SLAは役に立つのか」という議論も,しばしば「役に立つ」という言葉を狭い意味でとらえすぎているのではないかと感じます(関連:英語教育学会に平和を!「教育的示唆」という用語は禁止!)。 おわりに 私が大事にしたいのは,「当たり前」に見える前提を一度立ち止まって問い直す姿勢です。それが回り道に見えても,長い目で見れば研究の厚みや意義を広げていくのだと思います。そういう営みに貢献できる研究者を目指したいですね。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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September 6, 2025 at 2:46 PM
【新装改訂版】外国語学習に潜む意識と無意識(献本)

私がもっとも敬愛する友人であり尊敬する研究者の福田純也先生(※「もっとも」が修飾するのは友人としての敬愛です)より『【新装改訂版】外国語学習に潜む意識と無意識』(開拓社)を献本いただきました。ありがとうございます。そして,このご紹介が遅くなってしまったことをお詫びします。…
【新装改訂版】外国語学習に潜む意識と無意識(献本)
私がもっとも敬愛する友人であり尊敬する研究者の福田純也先生(※「もっとも」が修飾するのは友人としての敬愛です)より『【新装改訂版】外国語学習に潜む意識と無意識』(開拓社)を献本いただきました。ありがとうございます。そして,このご紹介が遅くなってしまったことをお詫びします。 私はこの本(厳密に言うと,新装改訂版の前の本)を,私が3年次ゼミを担当することに決めた年からずっとゼミの教科書に指定しています。数年前に1人ゼミに入ってきた学生と使い始めた当初は,誤字脱字も散見され,難しいことを難しく書いてある印象もありました。私が補足をしながらゼミをする感じで,それはそれで,「読んだら全部わかる」というわけでもなかったので私がいる意味があったという感じではあったのですが。今回の改訂版では版が一回り大きくなりました。また,情報の提示順序が整理され,研究紹介もボックス形式でまとめられていて,初学者にとって格段に読みやすくなったと感じます。福田先生がご自身で書かれているようにかなり力の入った改訂であるなという印象です。 私がこの本をゼミ(参照:ゼミ選びのプロセスでこのページに来た人へ)で使う理由は,言語習得研究や言語研究「そのもの」の面白さを学生に伝えたいという私の目的にぴったり合っているからです。初学者向けの第二言語習得のいわゆる「王道」的入門書は割と内容が似通っていてしばしば退屈です。私個人は,もちろん「王道」第二言語習得研究を通過して,「第二言語習得研究ってすげー!!」ってなってこの道に進んだ者ではあるのですが,その道に入っていくにつれて,「なんか違うぞ?」「本当に知的好奇心をくすぐられるところってそこじゃないよな?」って気持ちになっていったんです。その私にとっては,「そう!面白いのはそこ!」っていうポイントがたくさん詰まってるんですね。 本書では「王道」のインプット仮説やアウトプット仮説といった「有名」仮説にもさらっと触れられています。これらの仮説は正直,私が思っているSLA「研究」にとって大きな情報量を持つわけではありませんが,全く無視するのもどうかと思うところで(いわゆる「教育的示唆」的な受けはいいと思いますが,研究仮説としてはオワコン),本書のようにうまく位置づけて触れている点は,テキストとして非常にバランスがよいと感じています。 既存の「王道」SLAに違和感を覚える方にはもちろん,むしろ王道派の方にこそ「言語習得研究の面白さはここにもある」と知っていただきたい一冊です。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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September 6, 2025 at 1:50 PM
AIで言語教育は終わるのか?(献本)

同僚の水本先生より,『AIで言語教育は終わるのか?:深まる外国語の教え方と学び方』を献本いただきました。ありがとうございます。まず,このご紹介が遅くなってしまったことをお詫びします。…
AIで言語教育は終わるのか?(献本)
同僚の水本先生より,『AIで言語教育は終わるのか?:深まる外国語の教え方と学び方』を献本いただきました。ありがとうございます。まず,このご紹介が遅くなってしまったことをお詫びします。 水本先生の「AIとライティング教育」の章は,ライティングの授業で生成AIの利用を促している自分にとって「必読」の内容でした。同じ授業(ライティングの授業ではなく,学部1年生向けの文法と語彙の力を伸ばす目的の授業)を水本先生と分担している関係で知っていた話もありましたが,それ以上に新たな気づきが多く,自分の授業実践を振り返るきっかけになりました。特に「学生に使わせる仕掛けや練習の不足」が,自分が授業で感じていた“いまひとつ感”の原因だったのではないかと実感しました。ガイダンスや説明だけでなく,実際にAIを使う練習を組み込むことの重要性を改めて認識しました。 また,長谷部陽一郎先生の第2章(AIと言語研究)第4節の「記号接地問題」に関する議論も大変興味深く拝読しました。生成AIの登場以降,(おそらくですが個人的な印象では)今井むつみ先生の影響で身体化の観点から語られることが多い「記号接地問題」というテーマですが,本書ではラネカーの認知文法を参照しながら,身体化に依拠しない定義を提示し,身体的な「記号接地」ができないAIも記号接地しているのではないかという視点が展開されています。この多角的な切り口は,自分にとって新鮮な学びとなりました。 言語教育に携わる人は,ぜひ一度手に取ってみる価値があると思います。興味のある章だけでも読んでみてほしい一冊です。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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September 6, 2025 at 1:19 PM
The snoop detective school(献本)

鈴木祐一先生より The snoop detective school を献本いただきました。ありがとうございます。まず,このご紹介が遅くなってしまったことをお詫びします。 この教科書の大きな特徴は,ユニットを貫くストーリー性と,RPG的な「レベルアップ感」です。学生は簡単なことから徐々に難しいことへ,ストーリーを追いながら自然に挑戦できる仕組みになっています。私が編著で関わった,TBLT型の教科書であるGetting Things…
The snoop detective school(献本)
鈴木祐一先生より The snoop detective school を献本いただきました。ありがとうございます。まず,このご紹介が遅くなってしまったことをお詫びします。 この教科書の大きな特徴は,ユニットを貫くストーリー性と,RPG的な「レベルアップ感」です。学生は簡単なことから徐々に難しいことへ,ストーリーを追いながら自然に挑戦できる仕組みになっています。私が編著で関わった,TBLT型の教科書であるGetting Things Done(GTD)のように,「順番に縛られない」タスク型(どのユニットから取り組むか,どんな順番で取り組むかは自由な教科書)とは異なり,この本は物語の流れに沿って進むことで「次に進んでいる実感」が得られる点が魅力だと感じました。 また,Task first と Practice first の両アプローチを想定しているところも大きな特徴です。つまり,どのセクションを先に取り組むかで,TBLT的にも使えるし,PPP的にも使える教科書になっているというのも,前述のGTDとの大きな違いです。いや~商売がうまいな,と思いました!笑 そういう柔軟性をもたせておけば,タスクやりたい!という先生にも,タスクは無理だけどPPPでコミュニカティブにやりたい!という人にも使ってもらえますからね。 特に活動ベースで学ぶことが好きな学生には親和性が高い印象です。著者の「How to use this textbook」にあるように,ミックスレベルやビギナーにも対応できる構成ですが,しっかり説明を聞いてから取り組みたいタイプの学習者よりも,まず体験から学ぶことを楽しむ学生にフィットするのではないでしょうか。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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September 6, 2025 at 1:10 PM
読書会の中身/形式ってどのようなものなのでしょうか

はじめに querie.meでいただいた質問です。質問の全文は以下のとおりです。 質問 (自分一人だと読めない本があるため,自分だと選ばない本を読んでみたいため)学術書の読書会に参加してみたい,ゆくゆくは開催してみたいと思います。一概には言えないとは思いますが,読書会の中身/形式ってどのようなものなのでしょうか。Tamさんが参加された或いは開催されたものはどのような流れでしょうか。あるいは開催されるとしたらどのような流れで行われますか? 回答 経験談…
読書会の中身/形式ってどのようなものなのでしょうか
はじめに querie.meでいただいた質問です。質問の全文は以下のとおりです。 質問 (自分一人だと読めない本があるため,自分だと選ばない本を読んでみたいため)学術書の読書会に参加してみたい,ゆくゆくは開催してみたいと思います。一概には言えないとは思いますが,読書会の中身/形式ってどのようなものなのでしょうか。Tamさんが参加された或いは開催されたものはどのような流れでしょうか。あるいは開催されるとしたらどのような流れで行われますか? 回答 経験談 最初に私が読書会と呼ばれるものに参加したのは,院生時代のSkype読書会かもしれません。最初にやったSkype読書会は,私がアメリカにいるときで,学部時代にお世話になっていた先生に誘われて,Rod EllisのLanguage Teaching Research and Language Pedagogyを読む読書会だったと思うのですが,私だけひとりアメリカからSkypeで参加していました。たしか単発で私は一度だけ参加したとおもいます。 その後,私が名古屋大学大学院で博士後期課程をやっているときにも日本と世界をつないだ読書会をやっていました。あれは定期的にやっていましたね。当時は,非対面の集まりそれ自体が珍しい時代でしたので(10年前くらい),その珍しさで,大修館書店の『英語教育』に遠隔地をつなぐSkype読書会というようなタイトルで短い記事を寄稿したくらいです。 その読書会は,毎回報告の担当になる人が決まっていて, その報告者の人が資料を準備してレビューを行い,その都度質問を挟んでいったり,あるいは後の方でまとまってディスカッションをしたり,という形でやっていたのではないかと記憶しています。もうあれも私がD2かD3くらいのときじゃないかと思うので,10年近く前ですね。信じられない豪華メンバーだったと思います。このときは,本というよりも論文のレビューも結構やっていたと思います。 あとは,発表者のいないパターンの読書会もありましたね。福田さんが呼びかけて,LangackerのCognitive Grammarを読むことになりました。あれはまじで1人では到底読めない重厚さと難解さでした。そのときは,日時とその回に何ページから何ページを扱うのかを決めて集まり,個々にわからなかったことや重要だと思ったことについて自由にコメントし合ってディスカッションするという形式だったと思います。司会的なものを設けたりもしていなかったですねおそらく。主催者の福田さんが回す役を担っていたところはあるとは思いますが。 Cognitive Grammarを読み終わった流れで,たしかGoldberg本の訳書を読み,その後に読書会に参加していたメンバーの一部で用法基盤モデルをベースにした実証研究の論文もいくつか読んで,そこから着想を得て研究プロジェクトというかたちになり,2023年度にEuroSLAで発表した研究(現在投稿中)につながりました(Goldbergの本と論文は読んだ順番が逆かもしれないです)。 発表者がいるかいないか 発表者がいるパターンといないパターン,どっちにもメリットとデメリットがありますよね。発表者がいるパターンだと,自分が発表ではない回に参加者それぞれがどれだけエンゲージメントを高められるかというのが重要になります。変な話,自分が発表ではない回に,一部の参加者が「聞くだけ」でも別にそこまで問題になったりはしません(もちろん,読書会に参加している人数にはよりますが)。 一方で,発表者がいないパターンの読書会だと,自分から積極的にディスカッションに貢献しようという気持ちが全員になければそもそも成り立ちません。その意味で,事前に読むという段階でのエンゲージメントもそれなりにないとそもそも発言することすらできないでしょうし,誰かの言ったことに対して誰も反応しなければ会そのものが成り立たないという時点で,そのメンバー間の関係性みたいなものも結構重要になるでしょう。全然見ず知らずの人達と,自由にディスカッションをする,というのは,トピックがなんであれそんなに簡単なものではないでしょうから。 自分が開催するってことが今後あるのかどうかわからないですが,その時のメンバーとか,目的に合わせて形態は決めることになるのかなと思います。 おわりに 最近は,なかなか時間がなくて読書会に参加する時間もとれないスケジュール感なんですが,読書会があるから読む・読める本っていうのは絶対にあると思うので,参加したいですね...。子どもがもう少し大きくなって保育時間が伸びたらそういうこともできるのかなぁ...。 私に質問したい方は下記URLからどうぞ。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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July 27, 2025 at 9:32 AM
構想する段階と書く段階をわける

はじめに いままで,パソコンを開いて原稿のファイルを開く,ということを自分の書くきっかけにしてきていたのですが,そもそもそれはうまくいきづらいってことに気づけたというお話。 構想と執筆を分離する…
構想する段階と書く段階をわける
はじめに いままで,パソコンを開いて原稿のファイルを開く,ということを自分の書くきっかけにしてきていたのですが,そもそもそれはうまくいきづらいってことに気づけたというお話。 構想と執筆を分離する どう書くかとか何を書くかとか構成とか構造みたいなものを考えるのと,実際に文字を打ち込む作業を私は一体化させて論文を書いてきていました(書いてきてましたと言っても全然書けていないんですが)。私が愛用しているScrivenerはまさに,『考えながら書く人のためのScrivener入門』という書籍があるように,考えることと書くことを一体化させることによって書くことを効率化させようという思想だと思います(cf. 論文執筆環境を教えてもえらえますか?特に論文執筆中に活用しているアプリやツールなど)。 生成AIが登場する前というのは考えるのも自分1人だし,書くのも自分1人だったんです(もちろん共同研究の場合は違います)。やっぱり1人だと,どんなにスマホ版のアプリがあったとしても,ラップトップ上でやっているような「考えながら書く」をスマホ版のアプリでやるには限界がありました。そうなると結局,机に向かってファイルを開く時間を取れなかったら,全然論文執筆は進まないんですよね。しかも,ファイルを開いても,「思い出す」ための時間もかかってしまうので,思い出してはまた忘れ,思い出してはまた忘れの繰り返しみたいな。 考えるのは生成AIとスマホでやる アイデアを考える作業自体は,スマホの生成AIアプリで壁打ちしまくるのが個人的には一番しっくりきています。それなら電車の中とかお風呂の中とか,ちょっとした隙間時間にできます。そうすると,連続性が確保されていて間隔が開きすぎないので,頭の隅っこに原稿のことがいつもあるという状態をキープできます。そうすると,論文執筆についての考えが浮かびやすくなりますし,浮かんだらすぐにまた壁打ち,というループに持っていくことができます。 原稿ファイルを定期的にアップロードしておく そうやってある程度の分量を書くことができたら,その段階で一旦ファイルをチャットにアップロードしておきます。そうすれば,あとはその原稿に書いてある内容について,そのファイルを開くことなく(スマホでファイルを開くとやっぱり見づらいです)ディスカッションすることができるようになります。こういうことをやっていると,自然に,書きたいことが頭の中に溜まっている状態になります。原稿ファイルについてのやりとりをしていたら,修正すべき箇所がみつかるとか。そういうのが見つかると,「早く修正しておきたい」っていうむず痒い気持ちになるので,パソコンに向かう時間があったらそれをとにかく早く原稿ファイル(私の場合はScrivener)に打ち込んでおきたいという気持ちになります。パソコンを開くのを待てずに,ScrivenerをiPhoneのアプリで開いてメモっておいたり修正しておいたりということもありますし,それすらも手間に思えるときはもうノートアプリ(私の場合,研究はObsidian)に生成AIとのやりとりをコピペして貼り付けておくこともあります。 他のことをブロックする こういうことを続けていると,何か別のやらないといけないことがあっても自然と時間を「ブロック」して(cf. How to write a lot),集中して執筆できる気がしています。もちろん,「ああ,あの課題の採点がまだだ」,とか,「あのメール返してないな」とか,後回しにしていることは山程あるんですけど。それよりもむしろ,「論文書こうぜ書くなら今だぜこの熱を逃すな!」っていう気分になりやすいんですよね。というか,その気持ちを持てなかったら,一生論文は後回しで一生書かないですよね。だって,別に絶対にやらないといけないことではないわけですから。 Scrivenerは不要? こうやって考えると,いわゆる「練る」機能が満載で,私が愛用しているScrivenerみたいなツールや,「考えながら書く」という思想自体が,生成AIというツールの登場で重要さを失ってしまったのかもしれないとも思うようになりました。練るのは生成AIとの壁打ちで済ませるのだとしたら,それこそ書くという段階では,むしろ「書くことに集中できる」というツールのほうが望ましいとすら言えるわけですからね。そうなると,それこそ論文を書くのはWordでいいし,なんならテキストエディターでもいいわけですしね。 とはいえ,完全に考えることと書くことを分離することもできません。なぜなら,書いているときに考えることもあるからです。書いているときに考えていることも逃すことなく保存しておきたいじゃないですか。そうなったら,Scrivenerまではいかなくても,書くと考えるをつなげる機能のついたアプリケーションというのは価値があるなと思います。 おわりに この記事では,「考える」と「書く」は統合したほうがいいのか,分けたほうがいいのかということについて書きました。個人的には,分けたとしても書けるような体勢を取りつつ,書くときに考えることができる環境にしておく,というのが一番大事なのかなというのが結論です。 最近めっちゃブログ記事を書けているなという気がしているのですが,これは間違いなく,「思いついたことをメモしておく」という作業をNotionでやれているからだなと思います(できねーよと過去記事で書きましたけど以外にできている)。Notionいいぞ。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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July 11, 2025 at 1:33 PM
ノート探しの旅(番外編):Notionでインフォメーションギャップタスクの情報をシェアする

はじめに ノート関係の記事の派生で,Notionを使いだしてから,「あ,これ,英語の授業でインフォメーション・ギャップタスクやるときに役に立つな」と気づいたお話。 インフォメーション・ギャップタスクの情報分割 英語の授業でインフォメーション・ギャップ型のタスクをやるときって,AとBのワークシートにそれぞれの別の情報を載せたりしますよね。それを相手に見せないようにねみたいな感じで。あるいは,ワークシートとは別に,Aの学生だけ,Bの学生だけに別の参照資料みたいなものを渡すとか。…
ノート探しの旅(番外編):Notionでインフォメーションギャップタスクの情報をシェアする
はじめに ノート関係の記事の派生で,Notionを使いだしてから,「あ,これ,英語の授業でインフォメーション・ギャップタスクやるときに役に立つな」と気づいたお話。 インフォメーション・ギャップタスクの情報分割 英語の授業でインフォメーション・ギャップ型のタスクをやるときって,AとBのワークシートにそれぞれの別の情報を載せたりしますよね。それを相手に見せないようにねみたいな感じで。あるいは,ワークシートとは別に,Aの学生だけ,Bの学生だけに別の参照資料みたいなものを渡すとか。 こういうときに,わざわざ紙に印刷しないで,NotionでAの人が参照するページ,Bの人が参照するページを作って,そのページへのリンクをQRコードにしてAとBのワークシートにそれぞれ載せておけば,「ペアの人に見られないように」みたいな制限をつける必要もないんじゃないかな?という気がしたんですよね。実際に,授業でも試してみましたし,授業準備の手間的にも追加の資料を用意したりする必要がないし,ワークシートのスペースを無駄に圧迫する必要もないのでかなり気に入っています。 向いているタスクと向いていないタスク このNotionの使い方は,タスク中にその「分割された情報」を見ながらタスクをやることが必須の場合(例:間違い探しや描写課題)にはあまり向いていません。向いていないといいうと語弊があるかもしれませんが,「真価」は発揮できないですね。むしろ,タスク中にはオリジナルの情報をできるだけ参照しないようにしてほしいような課題(例:リーディング素材の間の相違点を見つける課題)のときに力を発揮すると思います。 こういう課題って,印刷したものをそれぞれに配って,それを裏返しにさせたり,あるいは情報を学習者が読み取る時間を確保したあとに教師が回収したりして,オリジナルの情報へのアクセスを制限するわけです。 こういう場合に,その分割された情報がスマホ(あるいはその他のデバイス)上で閲覧する前提になっていれば,紙の資料をわざわざ配って回収みたいなことをしなくてもいいわけです。もちろん,タスク中に資料を見ようと思えば見えてしまうわけですが,それは机間巡視しているときにスマホ画面を見ていたりする学習者がいないかどうかを気をつけて観察すればよいだけです。 もう一つのメリットとして,学習者側のメリットもあります。紙の資料で配られていたら,それを処理するために,ベットで辞書でわからない単語を調べたりなどの作業が必要になる場合もありますよね。もちろん辞書を引くという行為自体は大事なのですが,印刷された情報をデバイスに入力させる必要はあまりないと思います。資料をオンラインで提供していれば,その情報はデバイス上で資料を読めるわけですから,わからない単語を調べたりその発音をチェックしたりみたいなことも,随分やりやすくなります。 おわりに 別にNotionではなくても,例えばWordファイルをDropboxやOneDriveなどのクラウドストレージサービス上において,それの共有リンクを作ってQRコードにすれば同じことなのですが,インフォメーション・ギャップ型のタスクで使うような情報って,別にWordみたいな印刷を前提にしたフォーマットにする必要がないんですよね。だったらもっとシンプルなmarkdownでいいわけです。となると,こういう用途にNotionは活用がかなりできそうだな,ということで,そういう用途で結構使い倒しています。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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July 9, 2025 at 1:21 PM
研究者になれる人とそうでない人の違いは、個人の資質によるか指導教員の指導力によるか、どちらだと思いますか?

はじめに querie.meでいただいた質問です。質問の全文は以下のとおりです。 質問 研究者になれる人とそうでない人の違いはは、個人の資質によるか指導教員の指導力によるか、どちらだと思いますか?どちらとは言いきれいないのは承知ですが、任意の教員が着任した途端に、学会で名前を見るようになるのを見たり、特定の研究室から大量に研究者が出ているのを見ると,教える側の要素が大きのかなと思うところもあります。研究指導する側になって、よくわからなくなってます😢 回答 「研究者」の定義について…
研究者になれる人とそうでない人の違いは、個人の資質によるか指導教員の指導力によるか、どちらだと思いますか?
はじめに querie.meでいただいた質問です。質問の全文は以下のとおりです。 質問 研究者になれる人とそうでない人の違いはは、個人の資質によるか指導教員の指導力によるか、どちらだと思いますか?どちらとは言いきれいないのは承知ですが、任意の教員が着任した途端に、学会で名前を見るようになるのを見たり、特定の研究室から大量に研究者が出ているのを見ると,教える側の要素が大きのかなと思うところもあります。研究指導する側になって、よくわからなくなってます😢 回答 「研究者」の定義について 「大学教員になる」というのと「研究者になる」は個人的には分けたいな〜と思っちゃうところはありますね。学生の時は頑張っていても,大学教員になったら研究活動が滞ってしまう人だっていますしね。 指導教員側の要因:個人の力量 vs 環境 あとは教える側の要因というのは,その教員個人の力量だけではなくて,それ以外の環境要因との掛け算なのかなと思うところもあります。その環境でどうやったら学生のパフォーマンスを最大化できるのか,みたいな。例えば,教員の研究費だけに依存せず,学内的な院生への支援(ソフト面もハード面も)が充実しているということであったり,共同研究の機会が豊富にあるのかどうか(学内外のネットワークだったり,異分野交流であったり)とか,どれだけ研究に時間を割くことができるか(授業負担や学内業務負担がどれだけあるのか)みたいなのも,もちろん教員個人の力量もあるとは思いますが,やはりその組織がどういう仕組みで動いているのかに依存するでしょう。 組織・「ブランド力」の影響 あとは,一度「あのゼミからは優秀な人材が輩出される」となったら,そこにもっともっと優秀な人が集まりやすくなるという効果もあると思います。また,なんだかんだで組織の力というか所属している大学ってのは大きいでしょう。やっぱりうちの分野(どこの分野とは言わない)(注)なら特定の国立大(旧帝大)や私立大の出身者がある種の「派閥」的強さを見せている側面があるように思います。 研究テーマ,分野特性の影響,個人的な問題意識 研究テーマの要因もあるでしょう。どの分野の方からの質問かはわかりませんが,私の分野(どこの分野とは言わない)だと,ある要因と要因の関係性を調べるアプローチで無限に研究を量産している人たちがいて,まあそれが世の中の潮流でもあるようだしトップ誌に載るし引用もたくさんされるし,みたいな。いや,論文載るのはすごいんですよ。テーマもそんなにポンポン思いつかないですし普通は。でも,この分野(どこの分野とは言わない)は既存の枠組みの微調整や概念の再定義によって研究を展開しやすい分野特性があって,それって最強なんですよね。概念間の関係性を統計的に検証するアプローチで,比較的安定して研究成果を生み出せる仕組みになっているので。 これは何も自分を除く他者に向けているわけではありません。私も,院生時代の多くの研究が「明示的・暗示的知識」というパラダイムに乗っかったものでした。当時は測定法の議論が隆盛していたこともありましたし,ある文法項目に対して,明示的・暗示的知識を測っていると考えられる測定具のテストを二つ実施して(あるいは同じテストに対して違う条件を課して),違いが見られたり見られなかったりしたら,それを議論することで論文1本になったんですよね。私が初めて採択された筆頭著者の論文がまさにそれでした。 Tamura, Y. & Kusanagi, K. (2015a). Asymmetrical representation in Japanese EFL learners' implicit and explicit knowledge about the countability of common/material nouns. Annual Review of English Language Education in Japan, 26, 253–268. 今見たらなんかもう目も当てられないようなひどい論文で読み返すことも憚られます。こういうアプローチをするにせよ,もう少しフレームワークは今なら工夫するだろうなと思います。ただ,私はそういうアプローチで研究を量産できるような人間ではないですし,こうしたアプローチで研究(者)を量産するのが本当にいいことなのかな,とよく思っています。こういう意見も,結局はパブリケーションが強い人からしたら,私のような考えが同じ土俵に乗ってこなかったら相手をする理由もないでしょうから,難しいなぁとずっと思っています。 『第二言語研究の思考法』はそういう気持ちもあって携わった本ですが,特に話題にもされていない(という認識でいます)し,その提案について批判も特にもらってないと思うので,既存の研究パラダイムへの根本的な問いかけは議論されにくい傾向があるのだなと感じます。それでも,今後も細々と,この問題提起について継続的に発信し続けていくのが自分の人生なんだろうなと思います。今年度採択された科研費の研究も,そういう路線です。 なんか脱線しましたね。 最後に,これも言っておかないといけないなと思ったことですが,生存バイアスもあるんだと思います。結局生き残るのはなんだかんだ優秀な人なわけで,その陰で数多の優秀な人にカテゴライズされずに去っていった人だっているんじゃないのかなという気もしています。 おわりに 久しぶりに,面白い質問だなぁ,ブログ記事にしたいなと思わされる質問でした。ありがとうございました。 私に質問したい方は下記URLからどうぞ。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。 注:寺沢さん話法
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July 1, 2025 at 1:00 PM
ノート探しの旅②:アイデアを書き留める

はじめに ブログ記事のネタになりそうだなみたいな,そういうパッと浮かんできた思考みたいなのを書き留めておく,そういう目的のために使うノートアプリでNotionが「個人的には」うまく使えないというお話。下のポストに書いたことが端的に言いたいことです。 自分がノートアプリに求めていること 自分がどういうノートアプリを求めているんだろうなと思って書き出してみたら,次のような感じになりました。 デバイス間のシームレスな同期 ノートをカテゴリ分けできること Markdownが使える ノートを自由に共有できること…
ノート探しの旅②:アイデアを書き留める
はじめに ブログ記事のネタになりそうだなみたいな,そういうパッと浮かんできた思考みたいなのを書き留めておく,そういう目的のために使うノートアプリでNotionが「個人的には」うまく使えないというお話。下のポストに書いたことが端的に言いたいことです。 自分がノートアプリに求めていること 自分がどういうノートアプリを求めているんだろうなと思って書き出してみたら,次のような感じになりました。 デバイス間のシームレスな同期 ノートをカテゴリ分けできること Markdownが使える ノートを自由に共有できること とにかくメモしておきたいという欲求にダイレクトに答えてくれて、それをあとで整理しやすいこと 最後のとにかくさっとメモしたいというときにNotionっていまいちだなって思うのですよね。その一方で,Evernoteの「スクラッチパッド」はめっちゃ神機能だと個人的には思っています。スマホでもブラウザでも,ホーム画面にどしんと構えていて,そこになんでもとにかく形式だのなんだのとかはとりあえず置いていて思考を書き留められる。バーっと書いたら,あとはそれをノートに変換しておけば,ホーム画面のスクラッチパッドはまた空になる。変換されたノートは変換するときにカテゴリ分けしておいて,授業メモならその授業のノートにいれるし,ブログネタならブログネタのノートにいれるという感じ。スマホでObsidianを使っていない私にとって,こういう使い方のできるノートアプリでの最強はEvernoteです。結構なお値段するし色々すったもんだありましたけど,なんだかんだでもう10年以上使い続けているという愛着もあって気に入っています。あれ,もう全部Evernoteでいいのかな?という気もしますが,階層性をもたせた共有というのはEvernoteにはできません。アカウントがあれば,ノートブック単位で共有ができるし,権限を閲覧のみにすれば,私が思っているような共有ができます。ただ,こういう用途でゼミとかならまだしもそうではない授業で全員にアカウントを作らせるっていうのはちょっと気が引けます。よって,その用途ではNotion一択。 では,アイデアを書き留めるっていう目的でNotionは使えないのか?っていうのをちょっと試行錯誤しました。以下,その手順。 1. Scrachpadというページを用意 まずScrachpadというページを用意して,それをお気に入りにしておきます。そうすると,左側のバーの一番上にそれが表示されるのでアクセスしやすくなりますし,スマホアプリでもそれが上に表示されます。お気に入りにしていると,iPhoneのウィジェットに Notionを入れておけば,アプリを開かなくてもワンタップでそのページを開けます。 2. Scrachpadページにとにかく書く まっさらなノートにバーっとメモします。 3. テキストを選択してページに変換 そして,そのメモを全選択して,ページに変換をするわけです。そうすると,そのメモが新しい独立したページになって,Scrachpad内にはその新しいページへのリンクができます。最初は箇条書きで書いていて,その箇条書きを全選択してページ変換しようとしたら,その一つ一つが独立したページになってしまって,いやそういうわけじゃねーよとなりました。よって,書き込みを一つの段落にしました。これで大丈夫だ,と。そしてリンク先に飛ぶとそれが.... こんな感じで,書いたやつが全部タイトルにされてしまうんです。いやそういうことじゃねーなー感が満載ですよね。タイトルって最初に考えるんじゃなくて,文章を書いて最後に考えるじゃないですか?だって,メモし始めたときには思考がどこに着地するのかもわからないわけですから。 有料版だと解決する? もしかすると,有料版にしたらホーム画面を自由にカスタマイズできるようになって,私が求めているEvernoteでいうScrachpadみたいなものが設置できたりするんでしょうか?正直,もしそうなら課金してもいいくらいには考えています。かといってEvernoteを完全に辞められるかどうかはまだわからないのですけどもね(禁断症状)。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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July 1, 2025 at 1:29 AM
ノート探しの旅①:書き込めない問題

はじめに 「①」とつけましたが,いくつまで続くかはわからないまま書き始めています。先日,Obsidian publishを使ってみた感想という記事を書きました。その記事内で,次のように書きました。 この状況を考えると,授業関連のメモをそもそもObsidian上で集中的に管理し,それをPublish機能で公開するという運用自体が,私の使い方には合っていないのかもしれません。Notionならこういうことができるんですかね。となると,授業関係のメモは全部Notion使ったほうが良いのかもしれません(識者情報求む)。…
ノート探しの旅①:書き込めない問題
はじめに 「①」とつけましたが,いくつまで続くかはわからないまま書き始めています。先日,Obsidian publishを使ってみた感想という記事を書きました。その記事内で,次のように書きました。 この状況を考えると,授業関連のメモをそもそもObsidian上で集中的に管理し,それをPublish機能で公開するという運用自体が,私の使い方には合っていないのかもしれません。Notionならこういうことができるんですかね。となると,授業関係のメモは全部Notion使ったほうが良いのかもしれません(識者情報求む)。 すぐに,「識者」の方から情報提供が寄せられました。 直面した問題 その後,Notionを実際に使ってみて,Obsidian Publishingではできなかったような,授業ごとに資料を独立させて,その中に個別のノートへのリンクを貼っておくというようなことができるようになりました。しかしながら,授業でそういった使い方をしようしたその瞬間に,あることに気づきました。 これだと,学生は資料に書き込みしたりハイライトしたりできないな? アカウントがあって,共有の設定を工夫すれば,もしかすると学生が自分でPDFにエキスポートしたりできるのかもしれません。しかしながら,それでは元の資料との「断絶」を生むことになります。教員側が行った更新は,コピーした学生の資料には反映されないわけなので。 これに対して従来のPDF形式の資料には,学生が自由にハイライトを付けたり,メモを書き込んだりできるという利点があります。多くの学生にとって,この機能は学習過程において必要不可欠なものかもしれません。 Notionのいいところ 私がNotionでの共有に魅力を感じた理由の一つは,Markdownでの資料作成との相性の良さでした。Obsidianでは,PDFへのエクスポートには様々な不便さが伴います。例えば,1ページに収めたい内容が微妙に2ページ目にはみ出してしまい,文字サイズの調整が必要になることがあります。さらに、修正のたびにPDFを作り直してLMSにアップロードし直す必要があるという手間も気になっていました(Notionで書いたものをPDFにしようとすれば同じ問題にぶちあたります)。 Notionのページを直接見てもらえれば,こういった手間を省くことができます。修正が必要になったときにさっと修正して,それが学生側の資料にも反映されます。教員側からすれば,自分が見ている資料と同じものを学生と共有できれば効率的です。しかし,これは教員側の視点であって、学生側からすれば、LMSから外部リンクへの遷移が必要になることは余計な手間に感じられるかもしれません。 おわりに ObsidianからNotionへと移行して,いいところはあったので,そこからObsidianに戻るという選択肢はいまのところありません。ただ,資料共有と階層性の問題は解決できた一方で,書き込み可能性という新たな課題が浮上してきました。資料共有の試行錯誤はまだまだ続きそうです。 ブログのアイデアを書き溜めるという用途でのNotionの利用も試行錯誤しているので,それについてもまた別記事で書こうかと思います。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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June 3, 2025 at 12:56 PM
論文を読むときは、全文読まないのが普通なのでしょうか

querie.meでいただいた質問です。質問の全文は以下のとおりです。 質問 論文を読むときは、全文読まないのが普通なのでしょうか。よくネットなどで論文の読み方を検索すると、効率的な読み方として、①結論を読んで主張が何かを探す、②イントロを読んで論文の問いを探す、ここからは必要に応じて③研究の方法や結果などのデータを扱っているところを見て批判的に検討する、という紹介がなされています。もし、何か論文を読む際に実践されていることがあれば、教えてもらえませんか。 回答…
論文を読むときは、全文読まないのが普通なのでしょうか
querie.meでいただいた質問です。質問の全文は以下のとおりです。 質問 論文を読むときは、全文読まないのが普通なのでしょうか。よくネットなどで論文の読み方を検索すると、効率的な読み方として、①結論を読んで主張が何かを探す、②イントロを読んで論文の問いを探す、ここからは必要に応じて③研究の方法や結果などのデータを扱っているところを見て批判的に検討する、という紹介がなされています。もし、何か論文を読む際に実践されていることがあれば、教えてもらえませんか。 回答 端的にいえば,「目的によるのでは?」ですね。あとは,どれくらいの時間がかけられるかも重要です。 拾い読みのケース 私自身が論文を読む際に実践していることについてお答えすると,「なんの目的のためにその論文を読むか」に大きく依存するのかなと思います。 実証研究の論文で,とりあえず「何をやって何がわかったのか」という核心部分を素早く把握したいのであれば,おっしゃるように,それが書いてある場所を拾い読みすることになるでしょう。私の場合は,まずアブストラクト(要旨)を読みます。そして,「これはもう少し詳しく読んだ方が良さそうだ」と感じたら,多くの場合、結論部分よりもディスカッションの最初のパラグラフを読むことが多いです。なぜなら,ディスカッションの冒頭部分で,著者が研究の目的を改めて述べ,どのような結果が得られたのかを要約してくれていることが多いからです。これは,私自身が論文を書く際にも,読者に分かりやすく伝えるために意識している構成でもあります。 自分があまり馴染みのない研究領域でどんなことがこれまでされているのかをまとめたいとか,そういった目的の場合も,拾い読み的なことをするでしょう。「ざっと領域全体の傾向やこれまでに何が分かっていて何がわかっていないのかをまとめたい」という場合には,論文を通読する必要はないからです。もちろん,時間がたくさんあれば全文読めるでしょうけれど。 全文を読むケース 一方で,そういった「つまみ食い」的な読み方とは異なり、自分の研究テーマ(または今書いている論文)に非常に近い論文を読む場合は,もっと丹念な作業になります。その論文がどのようにして研究課題を導き出しているのかというロジック,採用されている研究方法の妥当性,そして得られた結果の解釈など,細部にわたってじっくりと読み解いていきます。もちろん,全文読むケースでもとりあえずは拾い読みをしたうえで,「これは読んだほうが良さげだ」という判断をするので,拾い読みでふるいにかけられたものを精読するって感じでしょうか。 優れた論文には,やはり一本筋の通ったストーリーがあります。ですので,そういった論文を読む際には,できるだけ頭から順を追って読み進め,そのストーリーを追体験するように意識しているかもしれません。「拾い読み」だけを繰り返していると,確かに情報は効率よく集められるかもしれませんが,いざ自分が論文を書く側になったとき,果たしてストーリー性のある,説得力のある論文が書けるのだろうか,と思ってしまいますね。論文の構成力やロジックの組み立て方というのは,やはり質の高い論文を通読する経験を通じてこそ身についていく部分が大きいのではないでしょうか。 実証研究ではない論文はどうするの? また,ご質問で触れられていた「結論→イントロ→必要に応じて詳細」という読み方は,主に実証研究の論文には有効な手法だと思います。しかし,例えば特定のテーマに関する既存の研究を幅広くまとめたレビュー論文や,理論的な考察が中心となる論文などには,そのままでは適用しにくいケースもあるでしょう。そういうタイプの論文のときには,別の読み方が必要になると思いますし,レビュー論文こそストーリーが大事なので,小説をつまみ食いしないのと同じように最初から最後まで読むのではないかなと思います。 おわりに 結局のところ,論文の読み方は「目的」と「投入できる時間」の2つの要因で決まるものだと思います。まず要旨(と私の場合だとディスカッションの冒頭)を読み,短い時間でざっくり「何をやって何がわかったか」を把握します。その中で,読む価値が高いと判断した論文は精読しています。精読時には序論から順に論理展開を追い,方法の妥当性だったり結果の解釈だったりを検討します。メモはZoteroなどの文献管理ソフト上でハイライトしたりメモつけたりその訳をしたりとか色々したうえで,自分が研究目的で使っているObsidianに残しています。ローカルにメモを残さないと不安なので(cf. 過去記事)。 私に質問したい方は下記URLからどうぞ。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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May 18, 2025 at 6:17 AM
Obsidian publishを使ってみた感想

はじめに 研究や授業関係のノートはObsidianを使っています。ローカルのnoteをウェブ上に公開できる「Obsidian…
Obsidian publishを使ってみた感想
はじめに 研究や授業関係のノートはObsidianを使っています。ローカルのnoteをウェブ上に公開できる「Obsidian publish」というサービスがあるので,手元の授業資料をウェブに連携させて見て貰うの楽だなと思うことがたまにあるので,試しに使ってみました。使ってみた感想を書きます。一言でいうと,自分が「こういう使い方をしたい」という用途にはあっていないかなという感じです。手軽に情報を公開できるという期待があった一方で,特にノートを公開した際にそれらが意図せず関連付けられてしまう点(Obsidian上の構造がそのまま反映されてしまう点),そしてすべての情報が一つの場所に集約されてしまう点が,ちょっと自分がやりたいことと違うかなと。。 情報の見せ方・見え方 私が問題視しているのは,個人的なノートが公開されることそのものではありません。公開したいノートと公開したくないノートは選べます。そうではなく,公開されたすべてのノートは同じアドレス直下に位置することになるという点です。つまり,例えばある特定の授業を受講している学生にとって,全く関係のない別の授業の資料まで同じ場所から見えてしまうという状況が,どうもしっくりこないのです。そうやって,複数の場所に別々のノート群を公開しようと思えば,その数だけ料金を支払う必要があります。 理想の共有スタイルとObsidian Publishの特性 理想としては,それぞれのノート(この場合は授業資料)を独立したリンクとして個別にシェアし,必要な情報を必要なオーディエンスだけに見せたいと考えています。しかし,Obsidian Publishでは,基本的にすべてのノートが一つの場所にまとめて公開されるため,関連性の薄いノートを異なるオーディエンスに向けて整理して見せたい,といった私の用途には,残念ながらあまり向いていないように感じました。 授業関連の資料を例に挙げると,ある授業の学生に資料を共有したい場合,その学生とは無関係な別の授業の資料まで同じ場所からアクセスできてしまうのは,情報の整理という観点からも,学生の混乱を招く観点からも避けたいところです。特定のノートだけを選択的に,かつ整理された形で公開したいというニーズには,現状のObsidian Publishの仕組みでは応えにくい面があるようです。 Evernoteでもいいのか? このような,特定の情報を独立して共有したいというニーズに対しては,Evernoteのリンク共有機能の方が適しているかもしれません。しかし,Obsidianの最大の魅力は,普段書き溜めている手元のMarkdownノートをそのまま手軽に公開できる点です。そのためだけにEvernoteにデータを移行するのは,せっかくのObsidianの利便性を損なってしまうため,避けたいところです。 この状況を考えると,授業関連のメモをそもそもObsidian上で集中的に管理し,それをPublish機能で公開するという運用自体が,私の使い方には合っていないのかもしれません。Notionならこういうことができるんですかね。となると,授業関係のメモは全部Notion使ったほうが良いのかもしれません(識者情報求む)。 代替案の模索:bookdown?OneDriveでいい? Markdownで書いているという利点を活かすなら,私がRを使ったデータサイエンスの授業資料でやっているように,bookdownなどのツールを使ってオンラインに資料を体系的に蓄積していく方法も有効な選択肢にはなるのだと思います(それでもbookdownしたものをウェブにあげる作業がめんどいんですけどね)。 私がObsidian Publishで実現したかったのは,マイナーチェンジが頻繁にありそうで,かつ個々の資料自体の関連性があまりないケースでのノート公開でした。具体的には,「この授業のこの資料を学生に見ておいてほしい」といったマニュアル的なものを,それぞれの授業ごとに複数作成し,対象となる学生に必要なものだけを見せられるようにしたかったのです。 しかし,前述の通りObsidian Publishでは公開場所を複数に分けることができません。関連性のないノートも全てが一つの場所に公開されてしまうため,この点がネックとなりました。Evernoteはノート単位での共有は得意ですが,ノートブック単位での柔軟な共有はできず,複数の資料をまとめて共有するには手間がかかります。 そうなると,現状ではOneDriveなどのクラウドストレージでフォルダごと共有し,そこに資料を整理して格納していく形が,私のイメージしている使い方に最も近いのかもしれません。そうすると,もはや資料は全部Wordで作るってことになりますよねぇ...。 おわりに Obsidian Publishは非常に手軽に情報を発信できる強力なツールですが,今回のような特定の用途においては,他の方法を検討する必要がありそうです。LMSに資料を全部載せればいいっていうのはそうなんですけど,やはりそうするとローカル上のものをいちいちアップロードすることになるし,毎年マイナーチェンジを繰り返すようなものは毎年過去のものと新しいものが混在化して,よくわからなくなったりするんですよね。Obsidianは気に入っているので,ツールはできればあまり増やしたくない気持ちもあります。悩ましい。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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May 18, 2025 at 5:42 AM
iPadで授業するのをやめてMacBookで授業するようになった話

はじめに 私は,授業のときに投影資料などを見せるために用いるデバイスは結構長い間iPadでした。それが,今年度はiPadよりもむしろMacBook Air(非タブレット)担っているというお話です。 iPadの欠点…
iPadで授業するのをやめてMacBookで授業するようになった話
はじめに 私は,授業のときに投影資料などを見せるために用いるデバイスは結構長い間iPadでした。それが,今年度はiPadよりもむしろMacBook Air(非タブレット)担っているというお話です。 iPadの欠点 iPadは基本ミラーリングになるので,何か写しながらこちらの手元で何かすることができません。MacBookならできます。これのおかげで,授業中にさっと気づいたことをメモすることができるようになりました。もちろん,メモを取るという行為自体はiPhoneでやってもいいのですが,なんか授業中にiPhone触って何かを入力するのは憚られるというか,それが学生にどう見られるかが気になってしまいます。 iPadを用いていた理由 iPadの利点はなんと言ってもペンシルでの書き込みです。これはMacBookでは真似ができません。教科書やワークシートをiPadに表示しておいて、机間巡視しながら、学生に書き込みしてもらってそれをスクリーンに写して全体に共有したりすることをよくしていました。その他にも,学生のワークシートを写真に撮ってそれをスクリーンに写して,そこに書き込みしながらフィードバックしたりもしていました(過去記事参照)。そういうのはやっぱりiPadならではですよね。 それが必要になる授業はとりあえずまだ今のところ多くはないので,メインがMacBook Airでも特に問題ありません。どうしても書き込みさせたい授業では,MacBook AirとiPadを2つ持っていっています。 MacBook Airの利点 MacBookで授業をやるようになって感じる一番大きなメリットは,振り返りがその場でできることです。というか,もはや振り返ってすらいません。なぜなら,資料の小さなミスへの気づきから,活動の回し方,時間の使い方,授業の後にやっておくことなど,授業中に気づいたときに10秒以内でメモできるからです。感覚としては,気づいた瞬間にメモしている感じです。それが,めっちゃいいなと。また,2コマ連続の時の休み時間に,次の授業の座席表をスクリーンに投影しながら,前の時間に気づいたことをすぐメモする,みたいなこともできます。授業後に研究室に戻ってそういうのをまとめて思い出そうとしても,そもそも授業後は疲れてて一息つきたいし,一息つくとなかなか全部を振り返るのは難しいので,振り返りはすぐにやりたいわけです、 授業中と授業直後に大きな気づきへのメモがあるおかげで,あとはそれをきっかけに別のことを思い出したりするだけでほぼほぼ振り返りのメモになります。あとは,それを生成AIに投げて,振り返りメモと次年度へのTodoリストとして整理してMarkdownで出力してもらっています。それを,個人的にメモを蓄積しているObsidianに貼り付ければ,授業の振り返りは完成です。 しっくりきていないこと 振り返りはObsidianに残していますが,そのObsidian上でどうやってメモを効果的に残していけるか,ということはまだまだしっくりきていません。メモをその日の授業ごとに独立したノートにしていくのか,はたまた科目ごとに1つのノート作って,そこに15週分の振り返りを蓄積させる形で書いていくのがいいのか。あるいは,科目のノートには独立させた振り返りノートへのリンクだけ貼っておくことにするのか。その辺の構造は最適解がまだ見えてないので,現状ではとりあえず科目ノートに全部振り返りメモを貼り付けています。ただし,Todoリストだけは,タグ付けしておいて,別のTodoリストだけをタグで拾って集めてくれるノートに蓄積されるようにしています。 おわりに 個人的には,授業をやって,色々思うことがあってもその振り返りがうまく残せていなくて次に繋げられていないという感覚がこれまであったので,それを解消するのにデバイスを変える,というのはとてもポジティブな変化だなと思っています。今後は,その蓄積の仕方の工夫で,より未来の自分にとって有益な振り返りを残せるかどうかというところかなと思います。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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April 26, 2025 at 12:40 AM
家族との時間(夫としての時間、父としての時間)、授業準備、研究とをどのようにバランスを取られているのか

querie.meでいただいた質問です。ずばりタイトルの通りの質問です。 回答 まず,同じような質問に過去に答えたことがあります。 ということで,過去の記事読んでくださいで終わってもいいのですが,子どもができたというのはとても大きな変化だったので,そのことについて書こうかなと思います。…
家族との時間(夫としての時間、父としての時間)、授業準備、研究とをどのようにバランスを取られているのか
querie.meでいただいた質問です。ずばりタイトルの通りの質問です。 回答 まず,同じような質問に過去に答えたことがあります。 ということで,過去の記事読んでくださいで終わってもいいのですが,子どもができたというのはとても大きな変化だったので,そのことについて書こうかなと思います。 私は何も考えなければ仕事に全振りする性格なので,意識的に仕事を諦めることにしています。例えば,毎晩子どもを寝かしつけたらそこからは全部自分の時間にして仕事をすることもできなくはないと思います。でもそれは本当にその日の夜に絶対にやらなければいけないというときだけにしています。それ以外は,妻と二人でお酒を飲みながら,子どものことやその他他愛もない話をする時間にしています。妻と家飲みしているときが一番日常って感じなんですが,それが一番幸せだなって思いますね。そういう時間は大事にしています。妻の誕生日には子どもを預けて二人だけで食事をするというのも,子連れで食事にいくのが大変なうちはやろうかなと思っています。やっぱり,子どもができても夫婦ふたりだけの時間は大切なので。 父としての時間は,昨年度の秋学期に復帰してからの学期中はなかなか難しかったです。仕事のブランクもあるし,初担当の講義科目も複数あったしで準備が大変でした。そういうなかでも,仕事に行く時間をできるだけ遅くしてなるべく家で子どもと一緒にいるようにはしていました。また,休みの日であれば妻が友人と出かける際には私がワンオペを積極的に引き受けるということもやっています。子連れ同士で出かけるほうがいいということもあるようで,その回数自体はあまり多くないのですが。 家族との時間という意味では,夕食時以降はできるだけ仕事をしない,土日も仕事はしない,ということを意識しています。スマホでちゃちゃっとメール返したりとかくらいはしても,パソコンに向かってなにかやる,というのは,「やりたいなぁ」くらいならやらないって感じです。「まじで今やらないとやばい」というものなら,妻に断って仕事させてもらっています。 これから子どもが保育園に行って,そこから学校に通うようになったら,家族以外の人たちと過ごす時間のほうが長いくらいにだんだんなっていきますよねたぶん。そうなったらもっと,夕食後の時間や土日は大事な家族との時間になるのだと思います。そういう意味では土日に入る仕事(学会仕事とか)は極力避けたいですよね。アドミン仕事は仕方ないっていうのもあるのでやりますけど。あと泊まりの出張もできれば行きたくないというのが本音です。今後,学会は全部近畿圏でやってほしい(ただし運営はしたくない)みたいなめちゃくちゃワガママな気持ちですね...。家族で出張行けば解決だと思った人は,0-1歳児の旅行どれだけ大変か知らないな?って感じですね。あと,現地で学会行ったとして旅行先で妻にワンオペさせるってことでしょ?無理だろって私は思っちゃいますわ。 おわりに 質問したい方はどうぞ。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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April 17, 2025 at 8:49 AM
サマリーライティングの授業

querie.meでいただいた質問です。 質問 英語の授業について、相談させてください。TOEFLなどで英語のリーディングをした後にサマリーを書くといった問題があるなかで、サマリーライティングの授業を実践したいと考えています。一方で、自分がどのような形でサマリーライティングをしているのかについての、メタ的な視点が足りず、どのように指導したらよいのかわかりません。そこで、二つ伺いたいと思います。①サマリーライティングをpost…
サマリーライティングの授業
querie.meでいただいた質問です。 質問 英語の授業について、相談させてください。TOEFLなどで英語のリーディングをした後にサマリーを書くといった問題があるなかで、サマリーライティングの授業を実践したいと考えています。一方で、自分がどのような形でサマリーライティングをしているのかについての、メタ的な視点が足りず、どのように指導したらよいのかわかりません。そこで、二つ伺いたいと思います。①サマリーライティングをpost reading活動として設定する場合の授業手順について②サマリーライティングの仕方やその指導法について解説している本など自分のなかでもうまく構成がまとまっておらず、すみません。指導するのは、高校生から大学1・2年生ぐらいのところで、90分授業です。 回答 お返事遅くなりました。指導対象が高校生から大学1,2年ということは,高専の方ですか…?(質問者を特定しにいくスタイル 冗談はさておき,以下,私の回答です。 ①TOEFLと最初に書かれているのでテスト対策の授業になるんでしょうか。そうだとしたらガッツリテスト対策だと言ってやるかなと思いますが,そうでなかったら,「なんのために要約するのか」「要約は誰が読むのか」というところを明確にして授業するかなと思います。例えば,自分のリサーチのために読んだ文章を自分があとでレポートを書くために要約しておくのと,他者のために自分の読んだ文章を要約して伝えるのでは要約のベースは同じでもまとめ方とかは変わってくると思うので。ライティングは、読み手の設定を意識したいです。 ②研究室にある本をいくつか見てみましたが,サマリーにフォーカスした本はありませんでした。すみません。ただ,要約という行為の参考になるのは、もしかすると日本語のアカデミックスキルを扱った本かもしれないなとなんとなく思いました。私はそういう授業を担当したけ経験があるのですが,日本語だろうが英語だろうが、要約という行為は同じだと思うので,自分がサマリーライティングをやるならそういう教材を参考にするかなと思います。手元にあるものだと『知のナビゲーター』とか『知のステップ』とかでしょうか。 あとは,こういうときこそ,Google Scholar等でサマリーライティングについて調べると多くの実践報告の蓄積があるのではないかとおもったので,大学や学会の紀要に掲載されている実践報告を読むとなにか指導のヒントが得られるのではないかなと思いました。 おわりに 質問来てほしいなとか思いつつ学期始まるとなかなかブログ記事を書くにいたらず遅くなってしまいすみませんでした。 質問したい方はどうぞ。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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April 15, 2025 at 3:04 AM
研究をしているどの段階でブレストをしますか

querie.meでいただいた質問にお答えするブログ記事です。 質問 研究をしていることが幸せで今後研究を続けていきたいけど論文を書くのが苦手かもしれないと思い始めている4月からの修士2年生です。研究をすすめていく過程には様々なフェーズがあると思われます。たとえば、実施しようとする研究について先行研究を調べていく段階、リサーチ・クエスチョンを立てる段階、検証していく段階、まとめる段階、、、…
研究をしているどの段階でブレストをしますか
querie.meでいただいた質問にお答えするブログ記事です。 質問 研究をしていることが幸せで今後研究を続けていきたいけど論文を書くのが苦手かもしれないと思い始めている4月からの修士2年生です。研究をすすめていく過程には様々なフェーズがあると思われます。たとえば、実施しようとする研究について先行研究を調べていく段階、リサーチ・クエスチョンを立てる段階、検証していく段階、まとめる段階、、、 それらの中のどの段階で、ブレインストーミング(メモ用紙などに、メモったりマインドマップのようなものを作っていく作業)をしますか? 学部生でレポートを書く段階では、ブレインストーミングが有効だと感じていたのですが、大きな論文を書こうとなると、なかなか難しくなってしまい、困っています。何かお考えや、実践されていることなどあれば教えてください。 回答 端的にお答えすると,研究のタネ(ネタ)が思い浮かんだ段階でメモしているかなと思います。ただ,質問者様のような修士課程の院生が論文(学位論文にせよ投稿論文にせよ)を書くプロセスと,私が全く同じような研究のプロセスを辿っているかと言われると,そうではないかもしれないなと思うところがあります。もう少し具体的に色々お聞きできれば,また違った答えになるかもしれません。「ブレインストーミング」をなんの目的で行うのかを私がうまく理解できていないかもしれないので,的はずれな回答になるかもしれません。とりあえず,「考えたことをメモする」と読み替えて書いていきます。 博士課程の時を思い出してみる 修士課程に在籍していたときは,研究をどうやって進めていたかの記憶がほぼないので,博士課程のときのことを思い出してみます。私はEvernoteというメモアプリを使っていて,そこに研究ネタで思いついたことはなんでもメモしていっていました。もちろん,正直そんなにぽんぽんとネタが思いついたことは一度もなくて,特に博士課程に入った1年の最初の頃とかは研究から1年弱離れていたことのブランクもあって,何も思い浮かばなくて悩んでいたことをよく覚えています。とはいえ,なにか論文を読んでいたり,あるいは書籍を読んでいたりしたときに,「こういう研究できないかな?」と思ったら,とにかくそれをはメモしておく,という感じです。今は,こういう用途はObsidianを使っています(参考:過去記事)。 研究を進めていく過程 質問者様は「実施しようとする研究について先行研究を調べていく段階、リサーチ・クエスチョンを立てる段階、検証していく段階、まとめる段階、、、 」と書かれていますが,私の中では一番メモっておきたいのはここに書かれた段階の前段階ですね。そもそも,「実施しようとする研究」というのがある時点で,何かしらのアイデアがあるってことですよね?そのアイデアが浮かんだ段階でもうメモのファイル作っちゃいます。そこにとにかくうわーっと浮かんだことをなぐり書きしていきます。関連する研究を調べるみたいな段階に移ったら,そのアイデアを書いたノートの中に,先行研究を読んでまとめたメモへのリンクを貼っていってます。Aという研究はこんなことやってて,Bという研究はこんなことやってて,みたいなざっくりしたことを大元のノートに書いておくこともあれば,著者名+出版年のノートタイトルのリンクだけを並べておくこともあります。これは結構気まぐれです。あとは,ChatGPTやClaudeなどとアイデアの壁打ちをしたりしたら,やりとりの内容をざっくりまとめてもらい,それもノートの中に貼り付けちゃったりしています(一応元を辿れるようにチャットのURLも貼ってます)。正直,フルタイム院生時代と違って毎日研究のことを考え続けられるような環境でもないので,ちょっと間があくと今まで何を考えていて,次に何をしようとしていたのかとかも忘れちゃうんですよね。それを思い出すハードルがあると,なかなかその研究に戻って来るのも難しくなってしまうと,Obsidianを使う様になってからは,意識的に,その研究ノートに日記的なことも残すようにしています。例えば,「今日はXX(YYYY)の論文を読んで....みたいなことを考えた。AA(BBBB)も多分読んだほうが良さげだから次に読む」とか「実験の要因としてAとBとCを考えたけれど,AとBは一つの実験に落とし込むことはできそうだけどたぶんCは一緒にできないから,とりあえずAとBの2by2のデザインで実験項目を作ってみる」とか。そういう日記を残していると,ある程度期間が空いちゃってから戻ってきても,ああそうだったそんなことを考えていたんだったとかわかるんですよね。実験項目を作るときも生成AIのお世話になることが多いわけですけど,それも作業したその日の終わりに,「今日やったことを研究ノートに残すから,ここまでのやりとりをまとめて」とお願いするようにしています。そして,そのまとめをノートに蓄積させていきます。そうすると,実験項目を作るのにどういう条件でお願いしていたかとか,何がうまくいかなくて躓いたのかとかも全部残せます。 修士課程の院生と違うかなと思うところ 私は,いまから自分がまったく知らない領域の研究をやろうっていうようにはあんまり思っていないんですね。自分がこれまでやってきたことの延長線上かまたはその周辺のことをやろうと思っています。私は能力が高くないので,全然知らない領域の研究に取り組んで成果を出せるというようには思っていないのが理由です。一方で,修士課程の院生さんは比較的,知らないことが多い状態でスタートして,とにかく知らないことを知っている,という状態にするプロセスと研究を構想して実現するプロセスがある種同時並行的に進んでいくのではないかなとなんとなく思っています(もちろん,修士課程に入る段階でかなり明確に研究の方向性が決まっていて,それが全く変わらずに修士論文を書き上げるという方もいるかもしれませんが)。となると,そもそも研究を進めていく過程がもしかすると私と修士課程の院生さんで違うのかもしれません。その結果,ブレインストーミングをする目的やそれが必要になるタイミングも違うかもしれません。 おわりに 学位論文をどう書いていくか,そしてどのようなクオリティのものが求められるのかといったことは,正直指導教員の先生によって全然異なると私は思っています。よって,論文をどうやって書くのか,研究をどうやって進めていくのかについて,私からアドバイスするのは非常に難しいことです。この記事で書いたことは,あくまで私が「メモを取る」という行為をどうやっているのかということで,それが普遍的なわけでも,私の真似をしたら研究が進むわけでも,研究のクオリティがあがるわけでもないこと,どうかご理解ください。こういう質問も,本来なら指導教員の先生とできたらいいのになと思ってしまいます。私には残念ながら学位論文の指導をする院生はいませんが,もしそういう院生が困っていて,その悩みを匿名で誰か別の教員に聞いていたらなんかショックだなって思っちゃいますね。自分に相談してくれたらいいのに!って。なんかこういう話,querie.me関連で前にもしたことがあるような...(それ私に聞かないほうがいいのではみたいなの)。 ちなみに,私自身は,質問される方がどなたでも,こういった質問を受ける事自体は嬉しいし,喜んで答えます。こんなブログ記事で丁寧に答えてるくらいですからね。質問すんなよって思ってたらこんな回答しませんしね。 質問者様が修士論文を無事に提出できることを心から祈っています。頑張ってください。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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March 23, 2025 at 2:54 PM
Wordで作った問題を1ページずつに分割してPDF化する

はじめに ここ数年,絶対にやらなくちゃいけないわけではないけれども,できたらいいなと思っていて,でもめんどくさくて挫折していたのがタイトルの作業です。PDFで持っている文法の練習問題があって,それをLMSで練習問題にすると,PDFを1枚貼り付けて,それを別画面で開いてそれを見ながら回答の入力はLMS上で行う,という運用になるわけです。ただ,学生側からすると問題入力する画面で問題も見せてくれよとなりますよね。それをどうにかしないとなぁとずっと思っていたのですが,めんどくさくて放置していて,生成AI(ChatGPT 4o or…
Wordで作った問題を1ページずつに分割してPDF化する
はじめに ここ数年,絶対にやらなくちゃいけないわけではないけれども,できたらいいなと思っていて,でもめんどくさくて挫折していたのがタイトルの作業です。PDFで持っている文法の練習問題があって,それをLMSで練習問題にすると,PDFを1枚貼り付けて,それを別画面で開いてそれを見ながら回答の入力はLMS上で行う,という運用になるわけです。ただ,学生側からすると問題入力する画面で問題も見せてくれよとなりますよね。それをどうにかしないとなぁとずっと思っていたのですが,めんどくさくて放置していて,生成AI(ChatGPT 4o or Claude 3.5)に助けを求めたりもしたのですがうまくいかず,今日「はっ!もしかして!」と今までと違うアプローチを試みたらうまくいったので,その嬉しさのあまりこの記事を書いています。人によっては,そんなこと最初から思いつけよと思うかもしれません。 なぜめんどくさいのか 普通の空欄補充問題とかなら,たぶん生成AIに渡して問題ごとにWordで出力してとか,あるいは選択肢もカラムで整理してcsv形式にしてLMSにそのまま流せるようにとか多分できるんですよ。でも,その文法問題は,空欄補充以外にも下線部のエラー特定問題も含まれています。下記画像のような感じです。 こういうのは,下線の下のアルファベット記号のレイアウトが肝なのでテキスト処理的にはうまく扱えないんですよね。それで,生成AIに頼んでもうまくいかないと。 私がどういうことをやりたいと生成AIに伝えていたかというと,PDFを見せて,これを問題ごとに分割して別のファイルにしたいんだということでした。どうしても下線部問題のレイアウトが崩れてしまったんですよね。それから,画像ファイルとしてLMSに上げることも考えました。画面のスクショを撮るなら正直1問数秒で終わりますから,数十問あってもそこまで時間はかかりませんし,ファイル名を連番に変えるというような作業は機械的にできるので。しかしながら,画像として問題をLMSにあげると,画質が悪くて問題が見づらいという問題にぶちあたってしまいました。これに悩んでいたときはo1のような推論モデルもなく,推論モデルにPDFファイルやWordファイルを見せることもできませんでした。もしかすると,その方法なら(私が思いついたのとは違う)良い解決策を提案できたかもしれません。 解決の糸口 ふと,Claude 3.7 sonnetにWordあるいはPDFでどっちならどうにかできるかと今日相談してみました。すると,WordでVBAを使えばできると言ってきました。なるほどその手があったか!と思いました。私は,Adobe AcrobatでPDFからWordに変換し(レイアウト崩れはゼロに近いクオリティ),VBAは使えないので,提案されたコードをただ貼り付けて,スクリプトを実行しました。すると,数十個のWordファイルが生成されました!あとは,Adobe Acrobatでこれを一括で読み込んでPDFにすればいいだけです(WordのままLMSに読み込ませるとレイアウト崩れがあるため)。ところが,出力されたファイルはやっぱり下線部問題でレイアウト崩れがありました。問題部分を抽出して,コピペするというやり方でしたが,新しいファイルを開いてコピペする際に,元のレイアウトを保持してコピペするというのがなかなか難しいようでした。 そのとき,私はひらめいたのです。 これもしかして,問題を分割することとファイルを分けることを一緒にやろうとしていたから難儀な作業になっていただけで,空行をページ区切りに置換して1ページ1問のWordファイルにすれば,あとはそのままPDF化してそのPDFを1ページごとに別個のPDFファイルに出力するだけいいのでは? と!いやむしろなんで最初からそういう発想になってなかったのよメチャクチャ簡単やん!となりました。そこで,ClaudeにWordで空行をページ区切りに変換する方法を尋ねると... 検索と置換機能(Ctrl+H)を使用 検索欄で「^p^p」(2つの段落記号)を入力 置換欄で「^m」(手動改ページ記号)を入力 「すべて置換」をクリック というサジェストがありました。あとはこの通りに置換して,1問が1ページになっていることを確認したらPDF化して,Adobe Acrobatの"organize pages"で1pageずつにsplitすれば,1問1PDFファイルの完成です。あとはLMSの仕様に従ってzipファイルにまとめてアップロードすれば,各問題ページにPDFの問題が配置された設問ができるというわけです。 余談 実は途中で,HTMLで下線部問題できないのか?と思って生成AIに聞いてみたこともありましたが,結果としてはやはりABCDをうまく表示させることができなくて失敗に終わりました。 おわりに 正直,この作業自体は絶対にやらないといけないわけではないし,むしろ何年もやらないままできたのできっとやらなくてもよかったのかもしれません。ただ,私としてはどうしてもいつもなんか引っかかるものがあって,なんとかしたいと思っていたので,今回解決できてよかったです。まだまだもっとこうしたいというのがあるので,そこにもしっかり手が回りますように...。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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March 13, 2025 at 1:10 PM
jsPsychで自己ペース読み課題を作りました

はじめに querie.meで次のような質問をいただいたのがきっかけで,この記事を書いています。ただ,今回は直接的な回答をブログ記事にしたというわけではありません。 Jspsychで自己ペース読解を作りたいと思っているのですが、なかなか良いリソースにたどり着けません。 何を参考にして作成されましたか。 参考までに,私が作ったものを公開しましたというお話です。…
jsPsychで自己ペース読み課題を作りました
はじめに querie.meで次のような質問をいただいたのがきっかけで,この記事を書いています。ただ,今回は直接的な回答をブログ記事にしたというわけではありません。 Jspsychで自己ペース読解を作りたいと思っているのですが、なかなか良いリソースにたどり着けません。 何を参考にして作成されましたか。 参考までに,私が作ったものを公開しましたというお話です。 jsPsychというJavaScriptのライブラリを使って,Webブラウザ上で実験を行うことができます。私もコロナ禍以降,オンラインでできる実験プログラムの構築を色々と模索していて,様々なものに手を出したりしたのですが,最終的にはjsPsychでいくことにしました。特に理由はないんですが,コードベースだとやっぱり細かいところに手が届くっていうのが大きいかなと思います。心理学分野だと,心理学の様々な実験のサンプルを見ることができるのですが,残念ながら言語実験はあまりサンプルがないんですよね。そこで,jsPsychで私が作った自己ペース読み課題をGitHubに公開しました。 詳しくはこのレポジトリを見てもらえたらと思いますが,補足的なことをこのブログ記事にも書いておこうと思います。 メインの部分 自己ペース読み課題にはいろいろなバージョンがありますが,私が作ったのは単語提示・移動窓方式と呼ばれるもので,一語ずつ,左から右に読み進めるタイプのものです。以下のリンクから短いデモができます。 自己ペース読み課題のトリッキーなところは,刺激は文として作るけれども,それを単語に分割して提示するっていう部分なんですよね。その仕組みのところは, Week 4 practical | Online Experiments for Language Scientists というページがかなり参考になりました。これをベースに,ChatGPTやClaudeに手伝ってもらいながらカスタマイズをしたという感じです。Githubには,私が実際のデータ収集に使ったフル実験のバージョンと,上のリンク先のデモ課題の2つを載せています。フル実験の方には,単なる自己ペース読み課題だけではなく,同意取得や質問紙のページがあったりします。また,異なるリストのランダム化や,途中で休憩を挟む,プログレスバーを入れる等々の違いがあります。 基本的には, 下線のみが画面に提示される スペースキーを押すと下線の1つが単語に変わる スペースキーを押して読み進めると,読んだ単語はまた下線に戻る 最後までいくと,次の画面でTrue/Falseの理解質問が出るので,FまたはJキーで回答する 試行と試行の間には「スペースキーを押して次にいってください」みたいな文言がある という流れで進むようになっています。フル・サンプルのどちらにも練習セクションとメインタスクセクションがあり,練習セクションでは理解質問の回答に対して,CORRECT/INCORRECTのフィードバックがあります。メインタスクセクションではフィードバックはありません。 少しコードをいじれば、任意の記号(例えば"|")で区切られた英文をその区切りごとに例えばフレーズ単位で提示することもできると思います。 全体的なこと Firebaseとの連携 私は実験をfirebaseと連携させて,そこにデータを蓄積するという感じでデータ収集をしています。よって,firebaseと連携するための仕組みもコードの中に入っています。ただ,firebaseをどう使うのかみたいなところはウェブ上にたくさん資料が転がっているので,それを見て自分で勉強してみてくださいという感じにすみませんが今のところはなっています。 データ分析 jsPsychで得られたデータはJSONフォーマットになっています。これはそのままではデータ分析に適していないので,JSONデータをテーブルデータに変換する必要があります。これはそこまで難しくなくて,オンライン上でフォーマットを変換してくれるサービスもありますし,今なら生成AIに頼んだら多分やってくれる(またはコードを提案してくれる)と思います。とはいっても,その部分も結構大事ではあるので,一応サンプルの出力をRで読み込んで整形する過程もRmarkdownでドキュメントにしました。下記リンクからご覧いただけます(もとの.Rmdも含めてGithubのレポジトリに入ってます) 使っている刺激 フル実験のメインタスク部分は,number attractionを見るための刺激文が入っていて,私の自作です(まだ発表すらできていないデータ...)。サンプルの方は,下の論文の実験1に使われた英文の一部を使っています。 Trueswell, Tanenhaus, & Garnsey (1994) Semantic influences on parsing: Use of thematic role information in syntactic ambiguity resolution. Journal of Memory and Language, 33(3), 285-318. 理解質問は自作です(Copilotが勝手にサジェストしたものを使いました)。 刺激はコードの中に埋め込まず,別ファイルで用意してそれを読み込むという方法もあると思います。しかしながら,今回はすべてコードの中に刺激を埋め込む形にしています。Excelファイルで一般的には実験刺激は管理されるでしょうから,そこからjsPsychで扱われる形式への変換が必要です。これもおそらくはそこまで難しいことではないと思いますが,いずれRの例を作ろうと思っています。 注意点 私が公開したコードを,様々な実験に応用しようとすると,刺激の部分を入れ替えるだけではおそらくうまく動かないと思います。というのは,読み込んだ刺激の形に応じて,記録されるデータを選択しているからです。例えば,サンプルの実験では,実験要因として主語名詞句の有生性しか入れていません。1要因の実験というわけです。よって,そのサンプルコードを使って2要因以上の実験を行おうとすると,記録されるデータに反映されない要因が出てくることになります。もちろん,事後的に復元することは可能ではありますが。そのあたり,ここをいじったらここも必ず変えてねみたいな丁寧なコメントアウトまでは残念ながらできていません。ご了承ください。汎用性を意識してどんどん機能を追加して選べるようにするみたいなのはちょっと素人の私には難しいです。 おわりに この記事では,心理言語実験で使う自己ペース読み課題のプログラムをjsPsychで実装して、GitHubに公開しましたという記事を書きました。冒頭の質問者様の役に立ちますように。自己ペース読みよりロジックは簡単ですが,プライミング語彙性判断課題のプログラムも手元にあるので,反響があればまた公開しようと思います。 なにをゆう たむらゆう。 おしまい。
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March 7, 2025 at 6:02 AM