それでも、理由も分からないまま無常観の薄衣を纏って日常の彩度を下げてしまうことは、明日から止められそうな気がする。そう努める。
年末にはおじさんに手を合わせに行こうと思う。
それでも、理由も分からないまま無常観の薄衣を纏って日常の彩度を下げてしまうことは、明日から止められそうな気がする。そう努める。
年末にはおじさんに手を合わせに行こうと思う。
この1年と少しの間いつもひっそりと傍らにあった無常観の正体に唐突に気付いて、どうしてこれに気付かずにいられたのかと我が事ながら驚いている。
そうか、私は怖かったのか。ずっと。
この1年と少しの間いつもひっそりと傍らにあった無常観の正体に唐突に気付いて、どうしてこれに気付かずにいられたのかと我が事ながら驚いている。
そうか、私は怖かったのか。ずっと。
私は決して若者ではないけれども、余生を憂うにはまだ早すぎる、働き盛りの社会人だ。それなのに、ふと自分の人生の終わり方に思いを馳せることがあった。希死念慮の欠片もないのに、自分のことが不思議だった。
私は決して若者ではないけれども、余生を憂うにはまだ早すぎる、働き盛りの社会人だ。それなのに、ふと自分の人生の終わり方に思いを馳せることがあった。希死念慮の欠片もないのに、自分のことが不思議だった。
ふと、もう数十年は口にしていない懐かしい台詞が記憶から蘇って、愛おしさが腑に落ちる。そうか、これは、あの時の気持ちに似ている。
「お母さん、今日のご飯なぁに?」
ふと、もう数十年は口にしていない懐かしい台詞が記憶から蘇って、愛おしさが腑に落ちる。そうか、これは、あの時の気持ちに似ている。
「お母さん、今日のご飯なぁに?」