任意コード実行とか。
任意コード実行とか。
現在の市場を通した社交というのは、基本的に善意で繋がっている。メルカリの梱包や発送の丁寧さなど。
だから内輪贔屓の嘘が成り立ちにくくなった。
「いや、そんなに現実認識歪んでたら、個人間の中古取引できんやろ」みたいな認識になった。
現在の市場を通した社交というのは、基本的に善意で繋がっている。メルカリの梱包や発送の丁寧さなど。
だから内輪贔屓の嘘が成り立ちにくくなった。
「いや、そんなに現実認識歪んでたら、個人間の中古取引できんやろ」みたいな認識になった。
立ち読みとか試食するのが、賢いみたいな価値観というか。
営業の為の粗品だけ受け取って、何も買わないことを「オレって賢くね?」と考える価値観があった。特に男の中に。
今の応援消費の発想とは真逆。
技術が貧弱な時代は、みんなうっすらと4割増しくらいで性格が悪かったという、あの空気感は統計では後世に伝わりにくい。
現実的に取り戻せないものは、ぬかった奴がバカという価値観が平成時代にはあった。
立ち読みとか試食するのが、賢いみたいな価値観というか。
営業の為の粗品だけ受け取って、何も買わないことを「オレって賢くね?」と考える価値観があった。特に男の中に。
今の応援消費の発想とは真逆。
技術が貧弱な時代は、みんなうっすらと4割増しくらいで性格が悪かったという、あの空気感は統計では後世に伝わりにくい。
現実的に取り戻せないものは、ぬかった奴がバカという価値観が平成時代にはあった。
1日8時間×週5日の苦役を、能動的に懇願してまで欲しがるとでも思っているのか。
こちとら、手動のドアが2枚あるだけでパスしたいくらい、げんなりしてるっていうのに。
1日8時間×週5日の苦役を、能動的に懇願してまで欲しがるとでも思っているのか。
こちとら、手動のドアが2枚あるだけでパスしたいくらい、げんなりしてるっていうのに。
「嫌なこと×嫌なこと」=「嫌なこと^2」は、納得いかんが!?という素朴な不義理を感じる。(耐えられる嫌なことのオーダーは、O(嫌なこと^1)まで)
(これって、脳みそが原始的なやつは、現代社会に適応できないという、典型例なのだが。)
「嫌なこと×嫌なこと」=「嫌なこと^2」は、納得いかんが!?という素朴な不義理を感じる。(耐えられる嫌なことのオーダーは、O(嫌なこと^1)まで)
(これって、脳みそが原始的なやつは、現代社会に適応できないという、典型例なのだが。)
「(マネージャー + ストーカー) ÷ 2」
みたいな感じた。
「(マネージャー + ストーカー) ÷ 2」
みたいな感じた。
攻撃性・破壊衝動を持つものが、自らの攻撃性・破壊衝動のせいで、身を滅ぼす。
攻撃性・破壊衝動を持つものが、自らの攻撃性・破壊衝動のせいで、身を滅ぼす。
「原始的で、取り回しの悪い人間の感情」というのは、常に、工学技術の最高次元で「調理」される。
「原始的で、取り回しの悪い人間の感情」というのは、常に、工学技術の最高次元で「調理」される。
つまり、尊敬される側、好意を持たれる側に何かしら、客観的に、再現性のある性質があると思うと、2者間の関係性が誇大妄想的になるというか。
(いや、まあ、見た目が綺麗だとか、話が面白いだとか、あるいは、金持ちだとか、現実的には、客観的に好かれる性質というのはあるんだろうけど、それでも、「好意や尊敬心は、主観的概念」だと、合意しておいたほうが、最後の最後で「安全」だという気がする。)
つまり、尊敬される側、好意を持たれる側に何かしら、客観的に、再現性のある性質があると思うと、2者間の関係性が誇大妄想的になるというか。
(いや、まあ、見た目が綺麗だとか、話が面白いだとか、あるいは、金持ちだとか、現実的には、客観的に好かれる性質というのはあるんだろうけど、それでも、「好意や尊敬心は、主観的概念」だと、合意しておいたほうが、最後の最後で「安全」だという気がする。)
本来、仮置きの中継方式でもいいから、そういう儀式としての体裁を保たないと、フラグが立たないんだろうね。
本来、仮置きの中継方式でもいいから、そういう儀式としての体裁を保たないと、フラグが立たないんだろうね。
男だって、「何の後腐れもなく、1年間だけ付き合えるなら、30歳の博士号持ちの女医よりも、20歳、Dカップのフリーター女の方がいい」。
端的に言えば、「長期的な文明の存続」と、「短期的な種の繁栄」とは、ある年齢において、指向するベクトルがズレる、あるいは、対立しうるというだけ。
そして、現代社会は、そのズレを補正できるほどの、認知コントロールをする制度が未整備であるというだけ。
男だって、「何の後腐れもなく、1年間だけ付き合えるなら、30歳の博士号持ちの女医よりも、20歳、Dカップのフリーター女の方がいい」。
端的に言えば、「長期的な文明の存続」と、「短期的な種の繁栄」とは、ある年齢において、指向するベクトルがズレる、あるいは、対立しうるというだけ。
そして、現代社会は、そのズレを補正できるほどの、認知コントロールをする制度が未整備であるというだけ。
つまり、
A→B, B→A
とかの2者関係だけじゃなくて、
X∋A, B
となるような3者関係が大事だということ。
つまり、
A→B, B→A
とかの2者関係だけじゃなくて、
X∋A, B
となるような3者関係が大事だということ。
例えば、戦争でも、虐待とか拷問とかゲリラとかに手を出すと、ゆくゆくは、自滅する気がする。
結局、「基本的な一般原則」がないと、集団の構成員は、初期メンツの切り崩しのジリ貧になるし、年功序列的な特権依存にもなる。
最後は、死人に口なしの内ゲバの瓦解に終わる。
例えば、戦争でも、虐待とか拷問とかゲリラとかに手を出すと、ゆくゆくは、自滅する気がする。
結局、「基本的な一般原則」がないと、集団の構成員は、初期メンツの切り崩しのジリ貧になるし、年功序列的な特権依存にもなる。
最後は、死人に口なしの内ゲバの瓦解に終わる。
原始的→毛
未来的→銀
という印象を語ってたのが印象的。
普通の人間が「毛」で、整形とか脱毛、Vtuberみたいに、つるつるになるのが「銀」。
あるいは、野性的なのが「毛」で、スタイリッシュ・加工的・抽象的なのが「銀」。
仮に、具体と抽象の中間を「イメージ」と呼ぶなら、具体からイメージに上がっていくのが、「毛」。少し整えるみたいな感じ。受け手に脳内補完を要求する。
一方、抽象からイメージに下りてくるのが「銀」。組み立てるみたいな感じ。受け手に脳内補完を要求しない。
原始的→毛
未来的→銀
という印象を語ってたのが印象的。
普通の人間が「毛」で、整形とか脱毛、Vtuberみたいに、つるつるになるのが「銀」。
あるいは、野性的なのが「毛」で、スタイリッシュ・加工的・抽象的なのが「銀」。
仮に、具体と抽象の中間を「イメージ」と呼ぶなら、具体からイメージに上がっていくのが、「毛」。少し整えるみたいな感じ。受け手に脳内補完を要求する。
一方、抽象からイメージに下りてくるのが「銀」。組み立てるみたいな感じ。受け手に脳内補完を要求しない。
まとまった視聴者層がいる場が無い以上、もはや、「あえての反抗的態度」は存在できず、「意味不明な主張に本気で賛同する変な集団」になるしかなくなった。
まとまった視聴者層がいる場が無い以上、もはや、「あえての反抗的態度」は存在できず、「意味不明な主張に本気で賛同する変な集団」になるしかなくなった。
そのうち、「人間では作れないもの」だけを出すようになる。(まあ、プラットフォームの規制ありきではあるけど。)
そのうち、「人間では作れないもの」だけを出すようになる。(まあ、プラットフォームの規制ありきではあるけど。)
あるいは、リアル世界の他人の言動も、「(自分の態度とは無関係に)テレビ画面の向こうでうるさく怒鳴る役者」というような、「固定的に出力される、他人の怒り」に慣れ過ぎてて、反射レベルの緊張感・条件付けが狂う。(刑事が、殺人犯に怒りを向ける演技を、小学生の頃から浴びてるんだし。)
だから、明治時代みたいな厳格なオヤジが廃れた。怒鳴り声の希少性が、テレビドラマによって廃れた。
あるいは、リアル世界の他人の言動も、「(自分の態度とは無関係に)テレビ画面の向こうでうるさく怒鳴る役者」というような、「固定的に出力される、他人の怒り」に慣れ過ぎてて、反射レベルの緊張感・条件付けが狂う。(刑事が、殺人犯に怒りを向ける演技を、小学生の頃から浴びてるんだし。)
だから、明治時代みたいな厳格なオヤジが廃れた。怒鳴り声の希少性が、テレビドラマによって廃れた。
一方の、ネットみたいに情報をフィルター可能な空間で、例えば、WordPressとかに月額を払ってまで、反社会的なヤンキー活動とか暴走族なんて成立するか、と言えば、そんなもの誰にも見られないから、固定費の割に、自己アピール欲が満たされなくて、虚無だろうし。
結局、不良活動もコスパよ。
一方の、ネットみたいに情報をフィルター可能な空間で、例えば、WordPressとかに月額を払ってまで、反社会的なヤンキー活動とか暴走族なんて成立するか、と言えば、そんなもの誰にも見られないから、固定費の割に、自己アピール欲が満たされなくて、虚無だろうし。
結局、不良活動もコスパよ。
感動的な絆とかよりも、建前で凌ぎきれない慢性的な摩擦の方を信じているのかも。
だからこそ、自分自身がドラマの中に入れないとも言えるし、逆に、心身に悪影響な「摩擦」からは直接的な距離を置いて観測だけしているとも言える。
感動的な絆とかよりも、建前で凌ぎきれない慢性的な摩擦の方を信じているのかも。
だからこそ、自分自身がドラマの中に入れないとも言えるし、逆に、心身に悪影響な「摩擦」からは直接的な距離を置いて観測だけしているとも言える。