・全体として、歴史学と社会の関係という非常に複雑かつアクチュアルな問題に対して、その語り、その文体はどうなのか?読まれるものであるという意識は?
・歴史学と社会の関係について、パブリック・ヒストリーという現代歴史学の営為に全く言及していないということには残念でならない。それを無視してSNSの言論状況を語るのは片手落ちどころか、舞台にすら上がっていない。SNSにおけるポピュリスト的な「現代の戦い方」(著者の用語)の採用、実名アカウントの削除等の意味があるようにも思われない案について語る以前に、そういった取り組みについて書くと、内容はより豊かになっただろう。
・全体として、歴史学と社会の関係という非常に複雑かつアクチュアルな問題に対して、その語り、その文体はどうなのか?読まれるものであるという意識は?
・歴史学と社会の関係について、パブリック・ヒストリーという現代歴史学の営為に全く言及していないということには残念でならない。それを無視してSNSの言論状況を語るのは片手落ちどころか、舞台にすら上がっていない。SNSにおけるポピュリスト的な「現代の戦い方」(著者の用語)の採用、実名アカウントの削除等の意味があるようにも思われない案について語る以前に、そういった取り組みについて書くと、内容はより豊かになっただろう。
万一認識が合っていたとしても、そもそも代官というのはその土地を知行しているわけではないので、相給という表現は当たらない気がする。そもそも五十二給の村なんてあってたまるかと思うが……