畑4年目(85平米)🧑🌾いつか〈小さい農〉をなりわいに。起農をめざし模索中。
🥬菜園記録→ #菜園さくらじま日誌
📖note→ https://note.com/sakurajima_htk
「過去と未来との矛盾的自己同一的現在として、世界が自己自身を形成するという時我々は何処までも絶対矛盾的自己同一として我々の生死を問うものに対する、即ち唯一なる世界に対するのである。
我々が個物的なればなるほど、爾いうことができる。
而して斯くなればなるほど、逆に我々は自己矛盾的に世界と一つになるということができる。」
📕上田閑照編『西田幾多郎哲学論集Ⅲ』57頁
「過去と未来との矛盾的自己同一的現在として、世界が自己自身を形成するという時我々は何処までも絶対矛盾的自己同一として我々の生死を問うものに対する、即ち唯一なる世界に対するのである。
我々が個物的なればなるほど、爾いうことができる。
而して斯くなればなるほど、逆に我々は自己矛盾的に世界と一つになるということができる。」
📕上田閑照編『西田幾多郎哲学論集Ⅲ』57頁
物・環境・世界によって形作られながら、それらを形作る。
「作られたものから作るものへ」。
西田幾多郎が「絶対矛盾的自己同一」で言わんとしていることは、インゴルドがその人類学をとおして言わんとしていることと、かなり重なっているように感じる。
物・環境・世界によって形作られながら、それらを形作る。
「作られたものから作るものへ」。
西田幾多郎が「絶対矛盾的自己同一」で言わんとしていることは、インゴルドがその人類学をとおして言わんとしていることと、かなり重なっているように感じる。
〈純粋経験〉。
難しいけれど、たしかな実感はある。
たとえば。
たくさんの花のなかの一輪にハッと心惹かれる、あの瞬間。
畑で無心になって草むしりに没頭する、あの時間。
ふとしたできごとで靄がサッと晴れていくように誰かと分かり合えた、あの瞬間。
物や人、とりまく世界と〈じぶん〉が偶さか重なり合うような、ことばで掴まえる以前のあの経験のことを指すのだろう。
この〈純粋経験〉をすべての根底に据えて人間と世界を考えることで、西田は主客二元論を乗り超え「主客合一」の地平を拓こうとする。
→
〈純粋経験〉。
難しいけれど、たしかな実感はある。
たとえば。
たくさんの花のなかの一輪にハッと心惹かれる、あの瞬間。
畑で無心になって草むしりに没頭する、あの時間。
ふとしたできごとで靄がサッと晴れていくように誰かと分かり合えた、あの瞬間。
物や人、とりまく世界と〈じぶん〉が偶さか重なり合うような、ことばで掴まえる以前のあの経験のことを指すのだろう。
この〈純粋経験〉をすべての根底に据えて人間と世界を考えることで、西田は主客二元論を乗り超え「主客合一」の地平を拓こうとする。
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生きることは、出発点と目的地を直線で結ぼうとすることではない。
生きることは、生成変化する〈線〉を動的に描き出すことであり、人やものと互いに絡み合って織りなされるメッシュワークだ。
同じように、人間の手による「手仕事」も、頭のなかにあらかじめ存在する完成図をただカタチにする営みではない。
その過程で〈もの〉と応答し合い、うねうねと試行錯誤して形づくられるものであり、そうしたプロセスすべてを含み込んだものとして、今ここに存在する(そして、絶えず変化し続ける)。
そのことの、なんと豊かなことか。
→
生きることは、出発点と目的地を直線で結ぼうとすることではない。
生きることは、生成変化する〈線〉を動的に描き出すことであり、人やものと互いに絡み合って織りなされるメッシュワークだ。
同じように、人間の手による「手仕事」も、頭のなかにあらかじめ存在する完成図をただカタチにする営みではない。
その過程で〈もの〉と応答し合い、うねうねと試行錯誤して形づくられるものであり、そうしたプロセスすべてを含み込んだものとして、今ここに存在する(そして、絶えず変化し続ける)。
そのことの、なんと豊かなことか。
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マリノフスキ、レヴィ=ストロース、ボアズ、そしてインゴルド。
4人の知的実践をつうじて人類学という学問を知る入門書。
第三の“人類学ブーム”とも称される昨今。
たしかに人類学の名を冠した本が多く書店に並んでいて、ぼくもそれらを目にして関心をもった。
大学の講義で接した人類学には正直あまり魅力を感じなかったんだけど、ちょうど本書が袋小路と評する「再帰人類学」隆盛の頃だったのかな。
とはいえ人文社会科学で広く植民地主義が問い直された時期でもあり、列強諸国の学者が他者を分析し記述してきた学の来歴やあり方が問われたのは必然のことだったと思う。
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マリノフスキ、レヴィ=ストロース、ボアズ、そしてインゴルド。
4人の知的実践をつうじて人類学という学問を知る入門書。
第三の“人類学ブーム”とも称される昨今。
たしかに人類学の名を冠した本が多く書店に並んでいて、ぼくもそれらを目にして関心をもった。
大学の講義で接した人類学には正直あまり魅力を感じなかったんだけど、ちょうど本書が袋小路と評する「再帰人類学」隆盛の頃だったのかな。
とはいえ人文社会科学で広く植民地主義が問い直された時期でもあり、列強諸国の学者が他者を分析し記述してきた学の来歴やあり方が問われたのは必然のことだったと思う。
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福島ー沖縄ーパレスチナ・ガザー東京。
生と死と、遺骨への向き合い方からこの社会のあり方を問う、安田さんの「旅」。
木村さんと具志堅さん、アマルさんと安田さん。
同じ時代を生きる人たちのことばと想いが、読み終えてもなお、過ぎ去らないまま心に灯る。
現在・近い過去・遠い過去を往還しながら各地を歩く、その道のりがそのまま、人をつなぎ、共感をつなぎ、どんな社会に生きたいかというそれぞれの問いと想いをつなぐ。
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福島ー沖縄ーパレスチナ・ガザー東京。
生と死と、遺骨への向き合い方からこの社会のあり方を問う、安田さんの「旅」。
木村さんと具志堅さん、アマルさんと安田さん。
同じ時代を生きる人たちのことばと想いが、読み終えてもなお、過ぎ去らないまま心に灯る。
現在・近い過去・遠い過去を往還しながら各地を歩く、その道のりがそのまま、人をつなぎ、共感をつなぎ、どんな社会に生きたいかというそれぞれの問いと想いをつなぐ。
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『物語ることの反撃 パレスチナ・ガザ作品集』、読了。
「撃つときはちゃんと殺して」。
命拾いした者が抱く、絶望的な望み。
それでもじぶんは他のひとよりもマシだ、と言い聞かせねばならぬ地獄。
ぼくらはいったい何を彼らに強いているのか、幾世代にもわたって。
2023年12月6日、編者のリフアトはイスラエルの狙い定めた空爆によって妹弟らとともに殺害された。
「わたしが死なねばならないとしても、
きみは生きねばならない」
「わたしの物語を語って」くれと彼は願った。
物語ることがいつか、応答を呼びおこすと信じていたのだろう。→
『物語ることの反撃 パレスチナ・ガザ作品集』、読了。
「撃つときはちゃんと殺して」。
命拾いした者が抱く、絶望的な望み。
それでもじぶんは他のひとよりもマシだ、と言い聞かせねばならぬ地獄。
ぼくらはいったい何を彼らに強いているのか、幾世代にもわたって。
2023年12月6日、編者のリフアトはイスラエルの狙い定めた空爆によって妹弟らとともに殺害された。
「わたしが死なねばならないとしても、
きみは生きねばならない」
「わたしの物語を語って」くれと彼は願った。
物語ることがいつか、応答を呼びおこすと信じていたのだろう。→
そして、どれほど暗い時代にあっても、自由と希望を見出し、求めることをやめないということだ。
…
パレスチナは犠牲者ひとり向こう、涙ひと粒向こう、ミサイル一発向こう、泣き声ひとつ向こうにある。
パレスチナは、物語ひとつ向こうにあるのだ。」
(編者による序文、25-26頁)
📕リフアト・アルアライール編『物語ることの反撃 パレスチナ・ガザ作品集』
そして、どれほど暗い時代にあっても、自由と希望を見出し、求めることをやめないということだ。
…
パレスチナは犠牲者ひとり向こう、涙ひと粒向こう、ミサイル一発向こう、泣き声ひとつ向こうにある。
パレスチナは、物語ひとつ向こうにあるのだ。」
(編者による序文、25-26頁)
📕リフアト・アルアライール編『物語ることの反撃 パレスチナ・ガザ作品集』
くらげ夫婦のかいらしさ。
クスクスあははと笑ってたら、
だいじなことにふと気づく。
木皿ワールド、ほんといい。
美村里江さんの解説もすてき。
あふれ出る愛、そのドラマに欠かせぬ存在となった役者さんならではの洞察に唸らされる。
あぁたのしかった。
くらげ夫婦のかいらしさ。
クスクスあははと笑ってたら、
だいじなことにふと気づく。
木皿ワールド、ほんといい。
美村里江さんの解説もすてき。
あふれ出る愛、そのドラマに欠かせぬ存在となった役者さんならではの洞察に唸らされる。
あぁたのしかった。
歴史的大著、ついに。
今年中にはと思ってた一冊に感慨ひとしお。
「市場」はつねに「社会」の一部であって、われわれは社会的な存在でしかあり得ない。
人間は未だかつて一度たりとも「経済人=ホモ・エコノミクス」であった試しなどないのだ。
「自己調整的市場」を信奉しすべてを市場に委ねるべしとする経済的自由主義のユートピア性(つまり非現実性)と、それがもたらした破局(ファシズム)を、圧倒的な知識と深い洞察をもって論じる。
刊行は、第二次大戦末期の1944年。
つまり80年も前にすでに為された仕事だということに、素朴に感動する。
→
歴史的大著、ついに。
今年中にはと思ってた一冊に感慨ひとしお。
「市場」はつねに「社会」の一部であって、われわれは社会的な存在でしかあり得ない。
人間は未だかつて一度たりとも「経済人=ホモ・エコノミクス」であった試しなどないのだ。
「自己調整的市場」を信奉しすべてを市場に委ねるべしとする経済的自由主義のユートピア性(つまり非現実性)と、それがもたらした破局(ファシズム)を、圧倒的な知識と深い洞察をもって論じる。
刊行は、第二次大戦末期の1944年。
つまり80年も前にすでに為された仕事だということに、素朴に感動する。
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