作文教室
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作文教室
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某作文教室関連のコミュニティです。

Twitter2014年3月開始
→2017年7月教室開講

日常、頭の中を整理つけて過ごしたい人に
最適なアカウントになりますように。
文章作成について好きも嫌いも認めて進み込める人のフォロー待ってます。
それは、ただ単に、その間違ってるだろうことを介して、自身の欠点を投影してるに過ぎないと考えます。

そういう場合のほうが多いものです。

自分を見直す、解放するきっかけになればと、一言、ポストしておきます。
May 16, 2024 at 4:52 AM
では、私を例にしますと、私の場合、すぐに間違いを正すというよりは「据え置くタイプ」のため、その記事を読み、何が気掛かりだったのかといえば、相手の思い込みの強さから、
作文→添削→詮索する人・指摘や注意する人→敵
と、みなされただろう、突然、攻撃的な態度や言葉を浴びせられたことを思い出したことです。

今回の件は、原文のほうもその指摘していた人もどちらもどちらなので、記事内容としては納得もしないものの、私が何をつらく思い、気掛かりだったかと言えば、そういうように投影されたことに傷ついたのだと納得したことになります。
自分で治せるものでもないので、気にしないでもいいと解釈し直すよう考え直しました。
May 6, 2024 at 3:14 PM
彼のように同じ様式で「あんたこそ間違ってるよ」とこだわって攻めるのか、「自分はそれが気になるけど、その人は気にしてないようだ。」と、比較参考例として納得してみるのか、「気になったけど、たぶん、書き手が知らないだけかもしれない。わざとかもしれない。様子をみようかな。」と据え置くか。

どれを選んでも、他者どうこうというよりは、
【自分自身の問題がそこに潜んでいるため、
今は気になっているのだ】
と、そこに視点を置き替えられれば、安易な行動や言動に至らないため、相手を攻撃したり混乱させたりせずに済むと考えます。
自分のトラウマの早期解消にもつながるでしょう。
May 6, 2024 at 2:59 PM
昨日の自分と明日の自分の文章も違うこともあります。
昨日は気にならなかったのに、今日はひどく気になる。そういう言葉もあることもあるでしょう。

自分自身の文章にもそういうことが起こるのに、
他者の文章でやきもきするのは、
過干渉か執着が起こっていると私は捉えます。
それを何かしら、自分が抱えている劣等コンプレックスや傷を手放せる・解消する機会が来たと解釈しなおせると、自分探しの良いきっかけになると考えています。

これは、誰にでもあることで、私もたまにあります。
ただ、それに気づいたときに、それをどう処理するかになるのでしょう。
May 6, 2024 at 2:50 PM
【作文】と聞くと一転して態度を強張らせ、あからさまに嫌悪を向けてくる人もいます。きっと、何かあったのだろうなとは思うものの、追及は相談を受諾するまでは対応するものでもないので、「何かあったな…?」止まりです。

しかし、こうあからさまに
「あなたは間違ってる!」
これを示してくる人自身に、
現状に抱えきれない問題が起こっているのだと
私は判断します。

文章は読みやすい読みにくいは確かにあります。
しかし、これも千差万別・十人十色で、どの文章が読み手と書き手にマッチングするかはわかりません。
また、各々の心身と環境状況や発達状況も絡むと、更に変化があります。
May 6, 2024 at 2:35 PM
【受講することでの効用】
・他者と感想文を仕上げるときにどういう様子で進めるのかが理解できます。
・普段、読まないような本を選ぶことで第三者が関わることを考慮して、読破することが可能になります。(仮に読破が困難でも、どこで端折るのかの要点を掴み易くなります。)
・仮にどのような本であっても感想文が可能であることの理解ができ、書き方によってニュアンスの違いが明らかになります。
・その本を選んだことで、今の自分が欲するものや起こった感情を他者視点で把握することができます。

他にもありますが、
主にこのようなメリットがあります。
April 11, 2024 at 9:25 AM
だけど、人は変わっていき成長することができる。
だからこそ、投影されているとまずは気付くことからできる。そして、防衛できる手段を身に付けていれば、回避や対応策も作りやすくもなる。

ただ、私が学んできた中で、同じように投影されやすい人の話では、あまり表舞台に出ないようにしてる様子が伺えた。その人はそれを最善としているのだろうが、私には未だ違和感が残る。何も後ろめたいこともないのだから堂々としていたいものだし、回避ばかりを多めにしなくてもいいと考えるためだ。

投影してしまう人のほうに課題や問題が多くあるので、仕事として面倒みてほしいということであれば、対応してもいいと検討はするだろう。
April 3, 2024 at 9:37 AM
ひどい例であれば、私が子どもたちの母親というだけで、私自身はその人自身の母親ではないのに、その人自身の母親の悪いイメージを投影して、「お前もこういうことをするんだろう!これだから、母親は!女は!」というような叱責してくる人もいた。
言われたようなことは全くしていないのに、勝手に相手はしてくると思い込み、小心にも警戒までしている発言で滑稽ではある。しかし、もう思い込んでいる人にとってはそれしか頭にないようで、全く話にならないのである。
事実を話されるなら、理由も対応もできようものを、ないことを言われ怒鳴られても相手が鬱憤晴らしをしてるだけで、なんの生産性もない。
当時の自分には対応できなかった。
April 3, 2024 at 9:25 AM
例えば、自分のことであれば、
自分が作文教室をしていて講師だと自己紹介したら、相手が途端に態度が変わって、いきなり激昂してきた人もいれば、突然嫌味を言い出してきた人もいる。これは印象が悪いのだろうという人たちのことで、良いほうの人たちであれば、変化なく変わらず対応してくれた人もいれば、興味を抱いてくれた人もいる。

簡単な話として、ここにも私を見る境界が、その相手の中で発生していると考える。これも投影によるものだろう。
特に激昂や嫌味を言ってきた人たちは、彼らの過去に何かあったとは考えられる。私にとって彼らは初対面なので、怒られるいわれが無いためだ。
April 3, 2024 at 9:16 AM