ジャンルは決めずにのんびり。
AI学習含む転載使用禁止
※腐はアカ分けしました。
好き→目鬼親子/目家族+水/目岩/ヒンフリ/獠香/バサミレ/狡朱/斑夏/快新/白鬼/銀土
書いてるものもあれば書いてないものもあります。
20↑↑成人済
交流型の、知らない世界の暗黙の了解ありきで話が進むSNSが苦手なんだろうなぁ。
壁うちになったら少し気が楽になってきた。
交流型の、知らない世界の暗黙の了解ありきで話が進むSNSが苦手なんだろうなぁ。
壁うちになったら少し気が楽になってきた。
救われていて、
独りで豊かに。
好きの気持ちだけにきちんと向き合えていれば良いなぁとそう思う。まる。
救われていて、
独りで豊かに。
好きの気持ちだけにきちんと向き合えていれば良いなぁとそう思う。まる。
どちらも本人が望み、選択し、
納得する形に昇華し、成就させたなら、
それだけで良いように思うのだ。
正解はない。
何が好きか、どう好きか、
それを表すのが創作で、
二次であれ創作であるならそこだけは変わらない。正解はないのだと思う。
その中でどう心が通い、恋愛が成就するか、わたしはその方が気になるし、なんならそれらが人により変わり、それぞれの文脈て描かれるからこそ楽しみだと思う。
私は🔥💕が好きである。
それ以外の好みは好きに自分の中でのみ取捨し、自由に思えば良い。
孤独のグ◼️メ的なあれだ。
どちらも本人が望み、選択し、
納得する形に昇華し、成就させたなら、
それだけで良いように思うのだ。
正解はない。
何が好きか、どう好きか、
それを表すのが創作で、
二次であれ創作であるならそこだけは変わらない。正解はないのだと思う。
その中でどう心が通い、恋愛が成就するか、わたしはその方が気になるし、なんならそれらが人により変わり、それぞれの文脈て描かれるからこそ楽しみだと思う。
私は🔥💕が好きである。
それ以外の好みは好きに自分の中でのみ取捨し、自由に思えば良い。
孤独のグ◼️メ的なあれだ。
待つ人というシチュエーションは、別段、弱くもないし、強くもない。
ただの選択の一つではないかと私は思う。
そこにどういった意味を持つかはひとによるのだろうが、待つから弱い、何も選択してないってことはないだろう。
待つを選択し、今出来ることをこつこつと進めているだけであるようにも私には見える。
私は💕自身が歌を大切にしていること、
歌を歌う機会が得られたこと、
機会を与えてくれた人、
その関係、それらを大切にし、同時に感謝できる人間だと思っている。
だからこそ、私にはすべてを捨て置いて恋愛だけにといった生き方がひどく狭量に思えてしまう。
勿論それこそ恋愛という意見も
待つ人というシチュエーションは、別段、弱くもないし、強くもない。
ただの選択の一つではないかと私は思う。
そこにどういった意味を持つかはひとによるのだろうが、待つから弱い、何も選択してないってことはないだろう。
待つを選択し、今出来ることをこつこつと進めているだけであるようにも私には見える。
私は💕自身が歌を大切にしていること、
歌を歌う機会が得られたこと、
機会を与えてくれた人、
その関係、それらを大切にし、同時に感謝できる人間だと思っている。
だからこそ、私にはすべてを捨て置いて恋愛だけにといった生き方がひどく狭量に思えてしまう。
勿論それこそ恋愛という意見も
気持ちを持ち寄り、
そうしてすり合わせをしていき、
その中に気持ちが寄り添い、
共に生きていきたい、傍に在りたいという気持ちが盛り上がる。
また、その気持ちがないままスタートし、
それらの気持ちが生まれてくることもまたよいだろう。
恋愛は人により、成就の形は千差万別。
何が正しいってことも間違いってこともない。
受けとる側のイメージだけで決めて良いものではない。今回は議題に上げるつもりはないがメリバエンドというものも世の中には当然存在している。
私の好みだけ言えば、総取りの大団円が良い。大変好きだ。
歌だけで戦争が終わるくらい素晴らしくて大好きだ。
気持ちを持ち寄り、
そうしてすり合わせをしていき、
その中に気持ちが寄り添い、
共に生きていきたい、傍に在りたいという気持ちが盛り上がる。
また、その気持ちがないままスタートし、
それらの気持ちが生まれてくることもまたよいだろう。
恋愛は人により、成就の形は千差万別。
何が正しいってことも間違いってこともない。
受けとる側のイメージだけで決めて良いものではない。今回は議題に上げるつもりはないがメリバエンドというものも世の中には当然存在している。
私の好みだけ言えば、総取りの大団円が良い。大変好きだ。
歌だけで戦争が終わるくらい素晴らしくて大好きだ。
そうなるともう、続く言葉はナスピーマンである。
あのシーン可愛いと思う。
何でナスなの??と思った当時が懐かしい。
改めて閑話休題。
そうなってくると、何を是とするか非とするかは場合によって変わるし、状況によって変わるのではないだろうか。
と、私は思う。
また長々語っている。どうしたものか。
待つというシチュエーションについては大変文脈が大切になってくるのかもしれない。
何故待つのか、
どうして待つのか。
また同様に何故待たないのか、
どうして待たないのか。
なぜそれが大切かと言えば、
恋愛をしているからではないかと思う。
そうなるともう、続く言葉はナスピーマンである。
あのシーン可愛いと思う。
何でナスなの??と思った当時が懐かしい。
改めて閑話休題。
そうなってくると、何を是とするか非とするかは場合によって変わるし、状況によって変わるのではないだろうか。
と、私は思う。
また長々語っている。どうしたものか。
待つというシチュエーションについては大変文脈が大切になってくるのかもしれない。
何故待つのか、
どうして待つのか。
また同様に何故待たないのか、
どうして待たないのか。
なぜそれが大切かと言えば、
恋愛をしているからではないかと思う。
場合によって待ったり待たなかったり思ったり思わなかったり、不安になったり不安にならなかったりする恋愛。
その中で私が考えたいのは以下のイメージに関してだ。
待つ=受け身
待たない=能動的
会いに行かない=弱い
会いに行く=強い
この言葉の置き換えだけが正解なのかを私は考えたいと思う。
待つことに忍耐は必要である。
それと共に、相手の状況を慮っているということにも繋がるのではないかと私は思う。
上記で考える時言葉は容易く翻る。
待たないということは、自制心が足りない。
相手の状況を慮っていない部分に至っては
場合によって待ったり待たなかったり思ったり思わなかったり、不安になったり不安にならなかったりする恋愛。
その中で私が考えたいのは以下のイメージに関してだ。
待つ=受け身
待たない=能動的
会いに行かない=弱い
会いに行く=強い
この言葉の置き換えだけが正解なのかを私は考えたいと思う。
待つことに忍耐は必要である。
それと共に、相手の状況を慮っているということにも繋がるのではないかと私は思う。
上記で考える時言葉は容易く翻る。
待たないということは、自制心が足りない。
相手の状況を慮っていない部分に至っては
見る側読む側は取捨選択をする自由がある。
そう、取捨選択をする。
ここが大切かもしれない。
存在することは純然たる事実と理解し、
見ない選択、知らずにいる選択が可能なのである。
見る側、読む側は選択する自由において好きにすればよく、創る側はその選択に洩れることを可能性として理解すれば良いだけである。
間違っても、どちらかが存在を否定することはあってはならないのである。
二次創作とは自由に思考することであり、
その自由の範囲では否定されるいわれはない。勿論ルールは存在し、誰かを害してはならない。そこは当然の話である。
盛大に脱線した。
閑話休題。
見る側読む側は取捨選択をする自由がある。
そう、取捨選択をする。
ここが大切かもしれない。
存在することは純然たる事実と理解し、
見ない選択、知らずにいる選択が可能なのである。
見る側、読む側は選択する自由において好きにすればよく、創る側はその選択に洩れることを可能性として理解すれば良いだけである。
間違っても、どちらかが存在を否定することはあってはならないのである。
二次創作とは自由に思考することであり、
その自由の範囲では否定されるいわれはない。勿論ルールは存在し、誰かを害してはならない。そこは当然の話である。
盛大に脱線した。
閑話休題。
💕が会いに行くか否か。
っていう思考実験に関しては、
すでにして結論は出ていて、
私の結論は「場合による」である。
恋愛が成就した場合としていない場合と、
二通りでその結論を言葉に置き直した。
この場合恋愛が成就しなかった場合は除外している。
それはなぜかと言えば、
私が🔥💕が好きであり、
心が通じ合う以外の結論は要らないからである。
二次創作というものは、その部分が好きに設定できる自由があり、公式ではないからこそ、論じる部分を好きにする自由がある。
それは誰がどのように設定しようが正解以外がない。勿論、どういった状態に準ずるかは人によるだろう。
💕が会いに行くか否か。
っていう思考実験に関しては、
すでにして結論は出ていて、
私の結論は「場合による」である。
恋愛が成就した場合としていない場合と、
二通りでその結論を言葉に置き直した。
この場合恋愛が成就しなかった場合は除外している。
それはなぜかと言えば、
私が🔥💕が好きであり、
心が通じ合う以外の結論は要らないからである。
二次創作というものは、その部分が好きに設定できる自由があり、公式ではないからこそ、論じる部分を好きにする自由がある。
それは誰がどのように設定しようが正解以外がない。勿論、どういった状態に準ずるかは人によるだろう。