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@rengo3109.bsky.social
本や文献を読んで考えるのが好きなだけの人。
今日の放送に出てきた「ファイナル・ボキャブラリー(終極の語彙)」という概念も大変興味深いものでした。私には「思考停止」のことだと思えてなりませんでした。きっと人間にはどこかで思考が止まる段階が必要なのでしょう。そして、他者からも受け入れられて、社会からも許容されて、安心して思考停止できる状態こそが「幸福」なのかもしれないとすら思います。
よく言われる「自分の頭で考えろ」的なメッセージを強要することは、ある意味「幸福」とは対極なのかもしれない。
February 12, 2024 at 3:32 PM
だからこそ、人間が生きるために重要なものの一つに「思考停止」があるのではないかと仮説しています。おそらく、ある種の絶対的な思考停止を促すのが、宗教なのではないでしょうか。迷いがなくなるほどの強い信仰を持てれば、それこそ命を懸けた行動すらもできてしまう。良い悪いは別にして、人間にとって必要なものであるようにも思います。

もっとも、明確に「〇〇教」と名前がなくても、「人間とはこういうもの」みたいな信念・信条なども似たようなものなのかもしれません。
人間の知覚に限界がある以上、脳が生成する虚構の中で生きるしか術がないのかなー。
February 12, 2024 at 3:24 PM
しかし、真理ではないものでしか世界を知覚する術を持たないのだとしたら、どのみちその「真理ではないもの」を手掛かりにするしかない。だからこそ、自身の信念や正しさを絶対視しないことが前提となるのかも。ただ、自身の思考や信念を逐一疑って検証してたら、まともに生きてられないですよねー。
February 12, 2024 at 3:20 PM
>ローティは、今後の哲学者の役割は、「真理探究」のような大仰なものではなく、歪んでしまった「語り」や「言説」に対して、「治療的」に働きかけることだと訴える。

哲学を「真理の探究ではない」とする見方は大変興味深いです。仮に真理というものがあるとすれば、それはもはや人智が及ばないものではないかとは、以前から考えていました。知覚に限界がある人間には、人間に扱える領域までしか知覚ができない……。人間らしさの一つが「有限性」にあるならば、真理は人間の手には負えないようにも思う。人間に扱える時点で、それは真理ではないのかもしれない。
February 12, 2024 at 3:11 PM
なるほど、クリックすれば良かったのか。
October 8, 2023 at 4:56 PM
私みたいにややこしい人間が曲がりなりにも今なお生存できているのは、今の社会のおかげです。時代が時代ならあっさりと殺されていたことと思います(苦笑)。
September 27, 2023 at 5:42 AM
「人に迷惑をかけるな」という教えを追求すると、今すぐ死ぬことが最も効果的になってしまうように思います。極論だという反論もあるかもしれませんが……。

むしろ、大事なのは生きている限り誰かに迷惑をかけていることを自覚し、それでも生存できることの有難みを知ることなのかも。
September 27, 2023 at 5:42 AM
削除はできるけど、編集はできないのか。
September 24, 2023 at 3:12 AM