よく言われる「自分の頭で考えろ」的なメッセージを強要することは、ある意味「幸福」とは対極なのかもしれない。
よく言われる「自分の頭で考えろ」的なメッセージを強要することは、ある意味「幸福」とは対極なのかもしれない。
もっとも、明確に「〇〇教」と名前がなくても、「人間とはこういうもの」みたいな信念・信条なども似たようなものなのかもしれません。
人間の知覚に限界がある以上、脳が生成する虚構の中で生きるしか術がないのかなー。
もっとも、明確に「〇〇教」と名前がなくても、「人間とはこういうもの」みたいな信念・信条なども似たようなものなのかもしれません。
人間の知覚に限界がある以上、脳が生成する虚構の中で生きるしか術がないのかなー。
哲学を「真理の探究ではない」とする見方は大変興味深いです。仮に真理というものがあるとすれば、それはもはや人智が及ばないものではないかとは、以前から考えていました。知覚に限界がある人間には、人間に扱える領域までしか知覚ができない……。人間らしさの一つが「有限性」にあるならば、真理は人間の手には負えないようにも思う。人間に扱える時点で、それは真理ではないのかもしれない。
哲学を「真理の探究ではない」とする見方は大変興味深いです。仮に真理というものがあるとすれば、それはもはや人智が及ばないものではないかとは、以前から考えていました。知覚に限界がある人間には、人間に扱える領域までしか知覚ができない……。人間らしさの一つが「有限性」にあるならば、真理は人間の手には負えないようにも思う。人間に扱える時点で、それは真理ではないのかもしれない。
むしろ、大事なのは生きている限り誰かに迷惑をかけていることを自覚し、それでも生存できることの有難みを知ることなのかも。
むしろ、大事なのは生きている限り誰かに迷惑をかけていることを自覚し、それでも生存できることの有難みを知ることなのかも。