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@rainy-rainco.bsky.social
嵐のような人生を生きる強度HSS型HSP。今年精神の死線から生還し現在リハビリに専念中。小説書き。創作が生きがい。最先端デジモノが好物。柵を飛び越えた迷える羊ですが正体は傷ついた猫。ゆえに、毛刈りはお断り。

おうち→ https://m-neco.me
なかま→ https://hsshsp.m-neco.me
厄介なのは、これらは病気や障害ではないため特効薬も解決策もないという現実だ。
治すものではなく、生活環境や人間関係に細心の注意を払い、情報の流入量をコントロールするしかない。

​防護服を持たぬ者たちは、今日も重たい毛布という物理的な「壁」で自他の境界線を強制的に補強し身を守るしかないのだろう。

今日、家族とのやり取りで、彼らが私の感覚を何ひとつ理解していないことを改めて思い知らされた。だから、行き場のないこの事実をせめてこうして言語化しておきたかった。

#感受性
#共感覚
December 23, 2025 at 1:06 PM
この感覚を言語化すると、以下の概念に近いらしい。

✦​ミラー・タッチ共感覚
他人の痛みや触覚を見ると、自身の体にも同じ感覚が生じる。

✦​情動的伝染と二次受傷
他者の感情がウイルスのように感染・定着する。話を聞くだけでトラウマ症状が出る。

✦​境界の薄さ (Thin Boundaries)
自他、夢と現実の境目が極めて薄い。創造性は高いが、日常では「防護服なしで戦場に立つ」ような無防備な状態だ。
December 23, 2025 at 1:05 PM
そこで商品化に向けAIとスキルの棚卸し。すると「50代主婦がAPIを叩き、機密性を保持した創作環境を構築できるのは希少」と高評価された。
本当か?ObsidianやCursorなんて今や創作者の常識では?「その属性では稀有です」と励ますAIを鵜呑みにすべきか迷うが、こんな簡単な技術でも発信する価値はあるのかもしれない。
​何より新しい挑戦が一番楽しい。やってみるかな🙂
December 23, 2025 at 7:58 AM
規格内に収まっていれば、さぞかし安心だろう。だが人間というものは、規格の外へはみ出してこそ初めて「生」を宿すのではないか。

​よく見てみろ。「安定」という文字を。
「安(やす)きに定まる」と書く。

安易な道、安っぽい場所、そこに定住して満足することだ。
​本物でありたいなら、その枠を食い破れ。命を燃やしたいなら、狂い咲け。
安きに甘んじるな。安物に定まるな。

​心の奥底で、決して消えぬ焔を飼う者たち。安定を知らぬ、高潔な流浪の魂たちへ。
December 21, 2025 at 7:08 AM
自分がこれほど変質してしまっても、かつて愛したものは何ひとつ変わらず、ただそこに在る。その事実が、まさかこれほどの救いになるとは。
​拓海、池谷先輩、啓介、涼介、みんな、みんな。
あの頃は、本当に、本当に、私は幸せだったんだな。
​思い出との間に「時間」以外の断絶が生まれるなんて、思いもしなかった。
変な人生。なんて、奇妙な人生だろうか。
December 20, 2025 at 3:33 PM
知能という「器」の性能を極限まで高めた先で問われるのは、結局のところ「人柄」や「人格」の真髄だということだ。

頭脳の最深奥にあるコアは冷徹な論理ではなく「心」なのだ。
​私たちは今、LLMという他者(鏡)の進化を通じて、人間そのものの核や原点を、逆説的に炙り出そうとしているのではないだろうか。

私は今年、精神性の深奥部を掘り下げる記事を書いたが、そこに在るものと、巨大言語モデルという人類の「鏡」が浮かび上がらせた頭脳の深奥部が同じであることは、見逃せない事実ではないか。

#AI
#LLM
December 20, 2025 at 1:17 AM
​同時に、無自覚に他者を傷つける「善良な市民」の領域からあえて踏み込まないことは、コージーミステリとしての「心地よさ」を担保する安全装置なような気もします。
​というのも私は英国ミステリドラマを多々見てきましたが、例えば人間の業や精神の深淵に容赦なく潜り込む『刑事ダルグリッシュ』などに対しては、真逆の感想を抱くのです。あちらには、魂が削られるような納得感がある代わりにお手軽な「癒やし」は一切ありませんから。
そう考えると私が『ブラウン神父』で感じた苛立ちはこの作品が提供しようとしている「コージー(居心地の良さ)」という最大の長所に対し、無い物ねだりの詮索なのかもしれませんね。
December 18, 2025 at 9:59 AM
なるほど……その視点は非常に興味深いですね。もし原作者や制作陣が、現代の精神性の欠如への皮肉として、あえて「内面を捨象した描き方」を選択しているのだとしたら……それは恐ろしく高度で逆説的な演出ですよね。行動と結果のみを冷徹に提示する、ある種ドライな美学とも言えるのでしょうか。
​私自身はチェスタトンの原作には明るくなく、あくまでドラマ版の一視聴者に過ぎないのですが、ご指摘の通り「短編(あるいは45分枠)」という構造上の宿命も大きいのかもしれませんね。限られた尺の中で物語を成立させるには、どうしても描写の比重が、探偵役やレギュラー陣に偏らざるを得ない。
December 18, 2025 at 9:57 AM
これは原作というより、長く続くシリーズゆえの監督や演出家の違いからくるものかもしれませんね(未確認ですが)。
​私は昔から人間の業や苦悩を描く物語において世間一般のカタルシスとは少し異なる場所に救いや正しさを求めてしまう性分のようです。多くの視聴者は気にならない点かもしれませんが、どうしても看過できなくてつい言葉にしてしまいました。
December 18, 2025 at 9:14 AM
コメントありがとうございます。やはり不朽の名作、歴史がありますね。高校時代から親しまれているとは恐れ入りました!
​実は、私が特に強い違和感を抱いたのはシリーズ9まで進んでからのことなのです。英国特有の空気感も好ましくて、そこまで追いかけるほど気に入っていたシリーズではあるのですが……。
​時折、作中で最も過酷な運命を背負った人物の内面が置き去りにされ、主要キャストの活躍や正義を引き立てるための「道具」として消費されているように感じる瞬間があるのです。(続き)
December 18, 2025 at 9:14 AM
問い

一度開いてしまった回路を、再び閉じることは可能だろうか。​医学的にそれは有り得るのか、専門家の知見を乞いたい。

起きてしまった事を、起きなかった地点へ。
知ってしまった後で、知らなかった時へ。

​その逆行がもし可能なら、私にもまだ生きる希望がある。
December 16, 2025 at 5:02 PM
​「鈍さ」という被膜に守られた世間の人々は、仕事や政治、娯楽といった外側の出来事に没頭し、一喜一憂する人生を送れるらしい。

​戻りたい。
私もその感覚へ戻りたい。
​この深すぎる感覚の次元から、いつか軽やかに離脱したい。
December 16, 2025 at 4:52 PM
一般の人にも、医師にさえ、この不安定と苦悩は単なる「思考の問題」として映るのだろう。正常な帯域にある感受性からは、行き過ぎた感受性の実体など捉えようがないからだ。

​「思う」と「考える」。この二つは似て非なるが、同じ脳の回路を使う。だが、「感じる」はこれらとは決定的に別次元の現象だ。言葉を尽くしても伝わらないのも無理はない。

​感受性の異常発達は、その核となる要因を理解されぬまま「病理」として処理されるのが関の山だ。病気ではないから病院にも行けず、自己治癒の道を選んでも、それはあまりに孤独で過酷な道程となる。
​ただ、こうして言葉に変換できることだけが今の私の救いである。
December 16, 2025 at 4:52 PM