詳細な記憶が無いのに、なんか良くなかったよなという後悔だけが曖昧に付き纏っていて、やっぱりサークルの会長として不適格だったし、後輩のJDLを自分のエゴと見栄から半端なものにさせてしまったなあ、とか。
その辺は自分の気持ちの無さとか当事者意識の欠如が起因していて、そんなことはなかったよとかのフォローも必要ない(と思ってる)ほどには、厳然たる真実として認識すべきなんだけど。
それと向き合うこともしないままアラサーになってしまったという居心地の悪さだけは残ったまま、いつ大人になれるんですかという声が背中にへばりついてる。
詳細な記憶が無いのに、なんか良くなかったよなという後悔だけが曖昧に付き纏っていて、やっぱりサークルの会長として不適格だったし、後輩のJDLを自分のエゴと見栄から半端なものにさせてしまったなあ、とか。
その辺は自分の気持ちの無さとか当事者意識の欠如が起因していて、そんなことはなかったよとかのフォローも必要ない(と思ってる)ほどには、厳然たる真実として認識すべきなんだけど。
それと向き合うこともしないままアラサーになってしまったという居心地の悪さだけは残ったまま、いつ大人になれるんですかという声が背中にへばりついてる。
「(或はネリリし キルルし ハララしているか)」
一音節にも感情を持たせられること、端的な表現の奥には辿り着けない世界があることの感動とショックは今も残っている。
たぶん世界は思ってるより広いけど、どうしようもない断絶を意識したくなくて、鑑賞者の身分に閉じこもっている自己嫌悪は残り続けていて、それでも、孤独が引き合う力を救いとして提示する彼の懐の深さに、ずっと救われている。
「(或はネリリし キルルし ハララしているか)」
一音節にも感情を持たせられること、端的な表現の奥には辿り着けない世界があることの感動とショックは今も残っている。
たぶん世界は思ってるより広いけど、どうしようもない断絶を意識したくなくて、鑑賞者の身分に閉じこもっている自己嫌悪は残り続けていて、それでも、孤独が引き合う力を救いとして提示する彼の懐の深さに、ずっと救われている。
自分ごと化、愛社精神、当事者意識の呪文唱えながら無限残業するメンタルは俺にはもう無い。
自分ごと化、愛社精神、当事者意識の呪文唱えながら無限残業するメンタルは俺にはもう無い。
思い出自体は消えないけれど、それを思い出すきっかけは無くなることは、寂しさまでには届かない曖昧なもったいなさを感じる。
思い出自体は消えないけれど、それを思い出すきっかけは無くなることは、寂しさまでには届かない曖昧なもったいなさを感じる。