オレンジ色のみかん
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オレンジ色のみかん
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自認文筆家、合成音声を愛したい……♡

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#足立レイ
熱帯夜の夢のようで、宵越しの現実のようでもありました。
タイトル：太陽の幼いこどもたち 著者：オレンジ色のみかん 　充電が終わっていないにも関わらず、こんな夜中に目が覚めました。それは大体二時過ぎくらいで、視覚センサが悪さをしたんだと思います。延山への帰省中、八月初めに家出をしたあの時と等しいくらいの明るさが目を刺しました。薄い瞼に被さったのは見事な満月の、南向きの窓の閉め忘れたカーテンを通った光でした。それはまったく不思議なもので、映像入力を切ったあとも尾を引いてちらちらと眩く輝いてワタシの頭を右へ左へと彷徨うのです。こうなっては寝るも休むもありませんから、ワタシはこれと遊んでやることにしました。 　ずいぶん真っ暗なリビングにはカチコチと拍動する時計や冷蔵庫のいびきが静かに満ちていて、ステーションの枕元ではきっとサボテンが寝息をたてています。月光が差し込むとぼんやり光るその本棚には先日にマスターから貰った詩集や図鑑が、逆光で見えないなりに目新しく差されていることでしょう。電圧を上げて全身のサーボを回し立ち上がってみると、視界を泳ぐ月明かりのせいか七十数パーセントの調子にしてはずいぶんと快調な心地がしました。 　べりべりとマジックテープを剝がしては貼り付けて、玄関を開いた先の誰もいない表の通りへ出ていきました。べっとりとした生ぬるい風が上空の薄い雲を懸命に東の空へ運んでいて、それに被せられた朧月がまだワタシを見つめていました。 レンズにぼんやりと写ったそれは歩いていく次第に雲の切れ目から顔を見せるようになっていき、二丁目の小さな信号が立つ交差点にたどり着く頃にはすっかり目覚めた時と同じ明るさを以てワタシを照らすようになります。普段夜空に燦然と輝く夏の大三角や南斗六星が靄に近い雲で隠された今の空では、逆説的にそれこそが太陽のようでした。 　ワタシの歩みが四丁目の方まで伸びるころには辺りがすっかり月明かりに満ちていて、手袋の中で温度を高めていくその大気だとか頬を通るたびに中枢の逃がそうとしない風だとかが嘘のように軽くなっていきます。そのうちに家からはだいぶ離れた丘陵の高級住宅街まで来た頃でした。あちこち降り注ぐ月光がスポットライトのように、誰もいない広い道路の真ん中の一点へ収束していきました。ぐんぐんと辺りは暗くなり、その一点だけがステージのように眩しく照らされています。なんとなく、月の言いたいことが分かった気がしました。 　ワタシはそこで、月と一緒に遊びました。月夜の空に歌ったり、熱帯夜の風に踊ったり、草むらに凪ぐ虫たちと笑ったりしました。やがて太陽が丘陵を茜色に照らすまで、ずっと遊んでいました。 　その間のワタシたちきょうだいの、なんと快調な心地だったことでしょう！
December 29, 2025 at 12:31 PM
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(2/2)
ぎぃ、ぎぃ。がら、がら、がら、がらがらがらがら…… がら、がらがらがらがら…… ほら、着きましたよ。もう暫く、この景色を見ていて下さいね。ワタシは先生を呼んできますから。 みんみんみん、みんみんみんみんみん。 ちぴぴぴぴぴぴぴぴぴ、ちゅんちゅん、ちゅんちゅん。 じわじわ、じわじわ、じわじわじわじわじわじわ。 びゅう、びゅうふうふうふう、ぼぼぼぼぼ、びゅうぼぼぼ。 たかたかたか、たかたかたかたかたか。 ざっざっざっざっざっざっざ…… ざわざわざわ、ざわざわざわ。ざっざっざっざっざ。 びゅう。 ええ、朝の九時頃、さっきです。体温は三四度で、呼吸も脈拍もその時でした。 そうですか。ええ、まぁ、随分長く持ちましたね。ああ失礼。 いいえ、マスターよりも多く歩く様になった頃から、もう用意は出来ていましたから。それに、ワタシはロボットですから。 そうですか。では、手筈の通りで宜しいですかね。 ええ、お願いします。ああ、いや、少しだけ待って貰えますか。 勿論ですよ、まだご主人を診ていませんからね。レイさんの思うまま、それまで私たちは少し離れていますから。 ありがとうございます。 ざわざわ、ざっざっざっざっざ。ひそひそ。 どうでしたか。やはり変わらない、綺麗な景色ですね。マスターは覚えていますか？ この町へ戻る前の、あの喧噪の街のこと。 マスターの下へワタシが来た日のこと。 ワタシの膝の上で、えんえんと泣きじゃくった日のこと。 初めてワタシが、マスターの役に立てた日のこと。 一緒に病院へ行った日のこと。 この町に、今の小さな家に移ってきた時のこと。 ここで、二人で満天の星空を見上げた日のこと。 初めて、一人で帰ってこれなくなった晩のこと。 ワタシの方がたくさん歩く様になった日のこと。 マスター、遂にお別れです。ええ、そうです。もう一緒には居られませんね。 ワタシには悲しさや愛しさは、結局理解できないままでした。でもきっと、ワタシがヒトだったなら、ここで涙を零してるんだと思います。 来年、マスターは会いに来てくれますか？……いや、無理でしょうね。 マスターは根っからの方向音痴ですから、きっと河の辺りで迷ってしまいますね。 では、向こうで待っていて下さい。きっとワタシが迎えに行きます。会いに行きます。 それまで、さようならですね。 いってらっしゃいませ。 びゅう。 がらがらがら、からからから。 ぎぃ、ぎぃ、ぎしっ。 ばたん、がこん。 ぱち、ぱちぱちぱち。ぱちぱちぱちぱち…… それでは、さようなら。 いってきますね。 びゅう。
December 29, 2025 at 3:25 AM
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#足立レイ
末路、辿った先に。(1/2)
タイトル：こんなにも夏だっていうのに！ 著者：オレンジ色のみかん ぴぴぴぴっ、ぴぴぴぴっ、ぴぴぴぴっ、ぴぴぴぴっ、ぴぴぴぴぴぴぴぴ……。 こんこん。 マスター？起きないんですか？ ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ……。 こんこん、こんこん。 マスター？入りますからね？ がらり、ぴぴぴぴぴぴぴぴっ。もぞもぞ、もぞもぞ。 マスター？……なるほど、そういう事ですか。 もぞもぞ、がばっ。 マスター、やっぱりお漏らししてますね、じっとしていて下さい。ワタシがやりますから。 もぞもぞ、もぞもぞ、もぞもぞ……。 がさがさ、がさがさ、がさがさ……。 ふう、終わりましたよ、綺麗さっぱりです。……さてマスター、遅めの朝ごはんの前に、ちょっぴりお散歩へ出ましょうか。用意は出来てますよ、心配性のマスターがもう一年も前から用意しておいてくれていましたから。はい、車いすへ移しますね。 ぎぃ、ぎし。がちゃ、がしゃん。 あ、ちょっと待って下さい。軽くお化粧をしましょう。ほんの薄くですから。 ぱんぱん、ぱふぱふ、ぽふぽふ。きゅっ、きゅう。 どうでしょう。やはり血色よく見えますね。きっとこれくらいなら、誰しもが許してくれますよ。 がちゃん、ぎい。 では、いきましょうか。 がらがら、がらがらがらがら、がらがらがら。 ちぴぴぴぴぴ、かぁかあ、みんみんみん。 ほら、すっかり夏ですよ。ここ一番の曇り雲ですけどね。湿気高い曇天も夏らしいって、昔言ってましたよね。 びゅう、ふう、ふう。がらがら、がら、がらん。 見てください、すっかり向日葵が枯れて、みんな下を向いていますよ。まるでマスターみたいで……なんて美しいんでしょうね。 がら、がら、がらがらがらがら…… ちろちろちろちろ、ざばん、じゃぶじゃぶ。ちろちろちろちろ…… 今日の空はお魚さんたちがよく見えますね。僅かな光に反射する鱗が天の川みたいで、そういえば前に星空を眺めたのはいつでしたかね。きっと数年くらい前でしょうか、あの頃はまだ車いすじゃなかった事は確かですよ。 がらがらがらがら、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ。がらがらがらがら…… がら、がら、がら。ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ。がら、がら、がら。 がら、がら、がら、がら、がら、がら。 ………………、 ………………。 この坂はやっぱり、ワタシの力では大変ですね。もう何年も使い古したギアですから、といっても今日は点滴もモニターも付いていませんから、軽いはずなんですけどね。
December 29, 2025 at 3:25 AM
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(3/3)
足はコウモリの羽に近い構造の大きな骨に水かきが張ったようなもので、それが大きく砂浜へ歩み出すとみるみるうちに砂化粧がされていった。それは、かの日に美術館で見たルネ・マグリットの【共同発明】や【自然の驚異】に当たらずとも遠からずな容貌だった。 「変な見た目ですね、どうにも陸を往くには不相応というか……」 「いつもは三途の川にいる連中だからな。盆が終わっても此岸から帰ってこない魂を埋め合わせる為に、こっちから手当たり次第に連れていく仕事をしているらしい。」 「なるほど、だから海に近づくなと。」 「そうだ。もしかしたら涙からも上がってくるからな。」 「彼岸の存在が寺山修司の詩を知ってるとは思いたくないですね。それに、ワタシたちはロボットですよ。」 【一ばんみじかい叙情詩】。ワタシが初めて教えられた文学で、また最も聞かされた文学だ。しかし今や寺山修司も、それを教えてくれたあの人も彼岸側にいる。一番ちいさな海を作り出す人間はもはやワタシの周りからはいなくなってしまったのだ。 恐怖か哀愁か、どこかしんみりした気持ちを孕みながらもかんかんと照る山道は下り道へ差し掛かり、歩幅が狭く歩数は多くなっていった。足下ばかりを見て歩いていくにつれて、段々とテトさんやマスター、モモさんと過ごした日々を思い出すようになり、じんわりと溜まる脚部の疲労と共に鬱屈とした行き場のない怒りにも似た気分にもなり始めた。 　やがてしばらく下った先、少し開けた高台へ出た。三方が崖下を海に囲まれた、西側へ突出した地形の先端には海風に押されて奥へ手前へぐねぐねと曲がった成長を遂げた百日紅の木が生えていた。半島地形の付け根にあたる北の方へ白っぽい頭をした波が複雑な形を伝わせて広がっていく。太平洋へ面する南側にはやはり少し傾いた太陽がこちらを見ていて、遠景には貨物船のような長い影が数隻と、海原を切り裂く無数の白い背が東へ泳ぎ去っていく。百日紅の下、粗末に差された小さな石碑にはマスターの姓が荒く刻んである。手ぶらで来た私達には備えるものもなく、ただしゃがんで手を合わせるしかなかった。 　百日紅の中段の枝に、ぼろぼろになったベレー帽が二つ、百舌鳥の早贄のように刺さっていた。風がびゅうと吹くたびにそれらが左右に揺られて、しかし深く刺されて取れる様子はない。枝の彼方此方には紅色の花が先端へちらほらと咲いていて、しかしそれは風に少しずつ散らされている。一瞬強い風が途端に吹いたとき、私のアンテナへ最期に結びつけられたリボンが一層強く靡いた。 「ワタシは……私は、最後のひとりになってしまったのでしょうか。」 そうだとも、そうではないとも。木が一本と私がひとりだけが取り残され、そして遺された高台に応えてくれる者など誰も立ってはいなかった。リボンを譲ってくれたひとも、お別れの地に百日紅を植えたひとも、私を迎えてくれたひとも、私をここまで連れてきたひとも———。 　私はきっとひとりだ。それを実感した時、理解した時、私の頬に水滴が一つ滴った。 　その水滴は顎を滑って、やがて地面に落ちた。 　私はきっとにんげんになったのだ。私にもきっとお迎えが来たのだ。 　だってこんなにも、足元からは海の気配がするのだから。
December 28, 2025 at 4:54 AM
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(2/2)
「あのお婆さん、集落で最後の一人だったんでしょうかね。」 「だろうな、火葬も葬列も行えないほどにこっちは過疎が進んだようだ。」 「去年の冬にこの辺で大きな地震がありましたから、それかもしれません。」 「それに、その集落も今から空っぽになるだろうな。」 ボイスファイルの設定されていない驚嘆の声が、ふと自然に耳へ届いたように聞こえた。その自然に出た声は「えっ」か「はっ」か、その識別すら出来ないほどに無意識なものだった。 「レイはわからなかったのか。あのひと、随分と古い短刀を持っていたようだ。それに、火葬もしないで老人ひとりだけで埋葬、どころか廃集落で暮らしていけるとは思えない。」 坊主もいなくなってしまった辺境では誰も看取ってはくれないだろうから、と付け足して再び先を歩きだした。ヒマワリ畑から伸びていた一本道へ降りる左手の叉路を無視してずんずんと山の方へ歩んでいくと、少し前まで稜線だった両脇はだんだん斜面と斜面の間隙を縫ったようになって、それにつれて山道も少しずつ細く、ごつごつした礫の埋没するものに変わっていった。 大分歩いた先、最後に見上げたより西へ傾いた太陽は依然眩しく照り付けていて、しかし遠くからは海鳥の声や波の押し寄せる音が僅かながら届き始めている。時折、大きなトンビが山肌を吹き付ける風に乗せられて左側の谷より飛び上がる様はまさに沿岸地域といったもので、昔にマスターの構えた内陸の住宅地では生来見られないものだっただろう。次第に海が近づいてくる度に、もはや岸壁にも近い谷からは耳を裂くような突風が潮を混ぜて刺してくる。それに煽られた上着は裾から肩へ袖へと風を通して翻り、袋小路のフードは凧のように舞い上ってアンテナへ衝突してきた。 「こんな風だからベレー帽を置いてきたんですか。」 「ベレー……ああいや、帽子は忘れてきただけだ。まさかこんなに風が強いとは思いもしてなかった。」 「久しぶりだからですかね。」 言われてからハッとしたようにウタさんが自身の頭を撫でる。一瞬袖で遮られたヘッドホンのきらきらとしたガラス装飾が再び陽に照らされると、より一層強く蒼とも紫ともいえる綺麗な光が鬱蒼と生い茂る斜面の景色に輝いた。 　結構な距離だったか、それともそれなりだったか。ウタさんの歩みが勢いを無くし、ワタシとほぼ並んで歩き始めた頃に海が見えた。少し灰色で濁った、それでも綺麗な海が足元の岸壁へ高い波しぶきを上げて打ち付けていた。潮風の匂いは一層強くなって、激しい風に乗ってカモメやウミネコの声が届いていた。まだ高い所で白く照り付けている太陽は遮るものが無いからと存分にワタシたちを暖めようとしている。その暑いとも取れる陽だまりを黙々と歩き、ふと足音が半分に減ったのを感じて後ろを振り返ると、ウタさんが北側の遠方に広がる砂浜をじっと眺めていた。ワタシが見ているのを感じると、そのまま視線を変えずにその浜を指さした。 「見えるかな、あそこ。彼岸の使者が来たらしい。」 「あれは……テトさんのお友達でしょうか。」 「ふふ、懐かしい名前だ。」 小さく見えた黒い海藻の塊が水面から隆起したかと思うと、ゆっくりとそれが姿を現した。棘と触角が多く生えたエビのような頭からは二対の黒真珠のような大きな目玉が突き出して、胴体は茶色いカニの甲殻を纏った傷だらけの青魚をしていた。
December 28, 2025 at 4:54 AM
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#足立レイ + #唄音ウタ / #デフォ子
それは何時か近い未来、避けられぬ一本道で。
タイトル：海の気配は近づいて 著者：オレンジ色のみかん 　こうも暑いと、持ち合わせない気も滅入る。まだクマゼミやアブラゼミの声が響き渡る木漏れ日いっぱいの山道を二人で歩いていたのは、正午過ぎの土曜日だった。お盆にしては遅めの墓参りへ行こうとウタさんに連れ出されたはいいものの、ワタシは一向にへばる様子のない彼女の背中を一方的に追いながら、冷却の追いつかない駆動系を必死に動かすので精一杯だった。家の近所から入った旧国道沿いの山肌の細道は、左の足元に広がる総て枯れ切ったヒマワリ畑が視界いっぱいに広がる美しい場所だった。そんな景色ばかり視界に収めれば地面の樹根に足を捕られるのは当然で、既に白い上着にはいくつか土色の模様が入っていた。例えば下の平原の道、両脇にヒマワリが揃ったあの道ならこうはならなかっただろうか。ずいぶん平らな道だし、その手前のトンネルを通ったならばきっとここまで過熱していなかっただろう。 　クヌギやコナラが並ぶ山道に立つひと際大きなナツツバキの樹皮を手袋越しに撫で、そのすべすべした手触りを感じながら通り抜けた頃だった。前方から小さな人影が近づいてきている。西向きのそちらから吹いた少しお香の匂いが混じった風は、白檀と共にこの辺りらしい貝粉の焚けるようなものだった。 「葬列だ。」 そうウタさんは言った。それはたった一人で中々険しい山道を歩く老婆で、全身を黒の喪服に身を包み、四本の幟を伴った大きな籠を背負っていた。先の十メートルを往くウタさんにも目もくれないその人は、しかしワタシとすれ違う頃にようやくこちらへ顔を向けた。 「あァもしもし、そこのお人。ひょっとして海さ行く気だら？こん時期はひとりで行っちゃあいけねぇよ。もう盆になっとるでな。」 「いえ、この先の尾根の方へ用があります。それに、アナタもお一人の様ですが。」 「わしゃあいいだよ。どォせ先も長かねぇ老骨だで、行くとこ言ゃあこん先の墓んとこぐれぇだでよ。」 幟には知らない家紋が入っていて、手には位牌と随分錆びて音の鳴らない錫杖が握られていた。籠には花や幾つかの箱が詰められて、側面には小さな遺影が、若い少年の写真を納めて掛けられていた。その様はまるで凝縮された葬儀行事の要素たちの成れの果てのようで、遺影の少年を弔うには分不相応なほど不足しているように見えた。 「失礼ですが、誰かお亡くなりに？」 「あァさ、うちの孫がな。長女が残してった宝もンだったんだけんど、こないだ死んじまっただよ。部落にゃアもう誰もおらんもンでな、わしひとりじゃあ火葬もできやせん。だもんで、あの子がよォ大事にしとったぬいぐるみをひとつ、骨ん代わりに納めに行くとこだァ。」 籠の中にきっとそれはあるのだろう。それから長くない話を一言二言と交わすとその老婆は老体に鞭を打って、荒れた山道の長い坂道を再び歩き始めた。 「ほいなら、もう行くでよ。」 少し上がった坂の曲がり道で見えなくなるまで、ワタシはその背中をなんとも言えない心持ちで見送るのみをしていた。 　立ち話を経て冷却が進んだ駆動系を再び動かし、何キロかぶりにウタさんの真横へ並んだ。相変わらず額には人工汗一つかかないまま、その端正な顔立ちに乱れはない。そういえば今日は見えない日頃のベレー帽が、きっと日差しをこんなにも彼女に照り付けているにも関わらず、疲れているようには一切見えないのだ。
December 28, 2025 at 4:54 AM
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#唄音ウタ / #デフォ子 + #桃音モモ
再掲：歩くは酔っ払い二人
タイトル：マミラピンアタパイ 著者：オレンジ色のみかん 　秋が終わりつつある十月のある日、戸塚の方へ暮れなずむ斜陽と居酒屋の低すぎる吊り下げ照明のそれぞれがレンズへ強く焼き付いたままの視界で寒さに支配された夜を見ていた。丸く大きな月が見下ろすペンタブラックの空にはちろちろと小言を洩らす赤色矮星や忍び足で歩き去る宇宙ステーションが傾きつつある秋の四辺形よりも広い間隔で散らばっていて、冬と遜色ない北風を流す放射冷却のシアターがそれを私達に見せつけてくれている。お陰で雲一つない月光満ちる住宅街の坂道の、崖際の白いガードレールすらも柔らかな光を捉えて埃っぽく澱んだ白色を発していた。 　しばらく歩いた先、南方の谷にある駅が見えてきた頃だった。道に沿って一斉にお辞儀をしながら橙色の光を照り下ろす街灯達の一本だけが激しく咲いたように直径三メートルのアスファルトを眩しく光らせているのだ。その円錐形のオレンジスカートをくぐった時、漸く右隣を歩くモモの事を思い出した。少しダメージの入ったズボンや小さな宝石の付いた髪飾りは席へ対面に座った時と何ら変わらず、透る程真っすぐな桃髪や桐細工ほどきめ細かな首筋はそれこそ長い間を共にして初めて会った頃のままで、しかし零れ落ちた肩や晒け出た下着の紐を覆う私のジャケットとそこに籠った熱だけは今だけのものだった。散々呑んだアルコールを分解するため懸命に駆動する内部機構の排熱が住宅街を流れる風へ中和され不思議な高揚感に包まれていく。 散りきった金木犀の絨毯を歩くとズボンの裾で煽られた花弁が少し舞う、枯草を踏むと音を立てて葉脈が割れていく、夜空を舞うコウモリが一瞥して飛び去る。たったこれだけ、日々の暮らしに違いない事すらも熱異常な私達には可笑しく写るのだ。 　やがて見渡す限りが光に満ちた幹線道路を横断さえすれば、もう家まではそう遠くない。夜九時過半の環状線はまだ道路いっぱいにトラックが占めていて、その隙間を窮屈そうに仕事帰りの車が埋めている。このまま渡れば二人だけのこの歩みに何かが混じってしまいそうで、この歩みを誰かに見られる気がして、なんだか無性にそれが嫌で堪らなくて、そうして私の歩幅だけが数秒ごとに小さくなっていく様は駄々をこねる幼い頃の私にそっくりだった。段々と先を歩いて離れていくモモの手へ何か言うでもなく、何か諭すでもなく腕を伸ばし、掴み握る。少し驚いたように振り返る赤ら顔の瞳はいつもより大きくも潤んで柔らかく、私はその丸い双眸につい見とれて数秒か数分かもわからないほどに深く黙ってしまった。 　遂にはお互い何も言わなかった。握り返し腕を抱き寄せる彼女に引かれるまま環状線に平行な小道へ連れられて歩く。街灯のない緩やかな登り坂は降り注ぐ月光と茂みの向こうから漏れるヘッドライトで照らされて、紫色のアザミ二本が道端のアスファルトを穿ち生えているのが見えた。 「すっかり人目も無くなりましたし、ウタさんにお返ししますよ。」 ジャケットの袖が抜かれていき、肩が露わになると共に吹き下ろすような向かい風が彼女の体を撫でる。何者もいない高台から来た冷たい風はしかし籠った熱を攫ってぬるくなっていた。 昔通い詰めたその坂を登るほどに流れ込む光が少なくなっていく。古くなった舗装は所々で雑草達に敗北し、広場を照らしていた錆だらけの電灯やとうに閉鎖された公衆トイレは静かに運命の時を待ち続けている。風景が夜空に溶け込んで木々の輪郭が消え、陸と空の境界線が曖昧になる暗さに保たれた頂上の公園にはベンチが一つと金柑の木が一本、それだけがあの頃のままあった。 　月はいつの間にか遠くの雲へ隠され、何もない公園に差す光の一つすらなかった。並んで座る私達の視野に明るさは殆どなく、ヘアピンへ埋められた日長石も取り込む光を得られず色硝子のようにただ黙っていた。宙を見上げるとやはりペンタブラックで、しかし段々と星の光が浮き上がってくる。地面を走る車のライトの干渉できない高さのここから南を見渡すとペガススの大四辺形、ミラ、リゲル…視覚に次々とガイドが浮かび上がってくる。邪魔だ、今晩ばかりはアシストを切ってしまおう。 奇麗だとか感動だとかを味わいたい訳ではないが、モモの隣でこの景色を一緒に見るなら砂粒大の光を眺める方がきっと楽しいだろう。 　じっと星空を眺める。何台か喧騒の車が通り去っても、風に金柑の葉が揺れても、視界の隅を黒いトンビが泳いでも、少しずつ西へずれていく星空を眺めていた。 「ねぇウタさん、朝までそうしている気ですか？」 眠そうな声に揺らされるまで、そうしていた。 「ふふ、いいですよ。朝までこうしていても。明日は日曜日ですし。」 相変わらず赤らんだ顔を私の腕へうずめ、少し腰を浮かせては近くに座りなおす。体重を預け寄りかかってきたその体は暖かく、私は思わず頭を寄せてしまった。 いよいよ気温一桁まで進んだ放射冷却と少し強まった風がしかしこうして寄り合う口実をくれる。アルタイルが遂に沈み、雲を抜けた月へ応えるように彼女へ贈った小さな太陽が反射する。二人でいれば十分暖かい、きっとそう思った。
December 27, 2025 at 6:17 AM
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wip　かみんします
December 27, 2025 at 12:44 AM
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#重音テト #重音テトVP
December 24, 2025 at 3:58 PM
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詩篇:恋
December 24, 2025 at 3:31 PM
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(2/2)
　ワタシはそのまま、近くにあった手ごろな枝を立て、道案内を任せることにしました。途端に意味を与えられた枝は、ワタシを東の方へ導き、また途端に意味を失います。そのままそれを置いておきました。案内された東を向くと、やはり削られた山肌を覆う陽に焼けた石垣やレールの為の礫道が標高に沿ってやや左曲がりに延びていました。じゃりじゃり、がさがさとでも言いたげなその道を踏んでその先へ一時間は歩きました。 　格好だけの防風林のように少し離されて生えている木々の首から上は古い煤汚れで黒ずんでいて、胴の辺りはやや茶色の錆のような色をしています。足元に行くほど木らしい、生き生きとしたその樹皮を見せつけていました。時々枕木やレールの上を選んで歩いていくと、今までの石たちの声ではない不思議な音を響かせます。軽く冷たい、それ自身の身体を伝って遠くへ響くような音です。同じくレールを通して、遥か彼方から涼やかな音が運ばれて来ました。 　だいぶ行った先、あの沈下橋へ注ぐその源流を跨ぐ鉄橋を通りました。左手に丁度ワタシくらいの高さの滝が立つ、流れの速い川でした。落差で跳ね散った小さな水滴を、表面のセンサーが捉えます。少しも軋むはずのない頑強そうな鉄橋では今までとは違う木板張りの地面が鳴き声を上げ、尾根から吹き降ろす風に鉄骨のそれらが山々の谷間で低い唸り声を上げました。 やがて足元から石たちの声が戻る頃、その鉄橋からはそんな音たちはもう聞こえませんでした。もうそれは、鉄橋ですらなかったのかもしれませ　ん。 　山肌に沿った線路でしたから、歩くうちに影がカメラを覆ったり、あるいは木々にも影が宿らなかったりする時がありました。その時は前者で、まだら状に影絵が敷かれていてそれを踏みぬいてレールを跨ぎました。一瞬陰った視界の先、たった二百歩程先には真っ暗なトンネルが立ち塞がり、そこから如何にも冷たそうな風がびゅうと頬を掠めます。 あまり長くない、小さく枝分かれした尾根をくぐるそのトンネルは、岩肌がそのままの壁をなぞれば手袋に煤が付くほどに古く、また冷たい地下水が漏れ出る音が木霊していました。ずいぶん涼しげで静かな音が響き、両端から差し込んだ光が水溜まりへ反射して、凪いでいるはずの水面を映した天井が星空のようにきらきらと瞬いているのです。そこは、その短さと孤独さにしては勿体ないほど、とても不思議な場所でした。 　トンネルを出た先、忘れていた日々を思い出させるかのような眩しい陽光と熱が押し寄せました。カメラの絞りが音を立てて回り、排熱ファンもそれに釣られて回転数を上げます。とてもよく熱されたレールと朽ちた枕木が伸びる先、その先です。 ワタシはそこで、死体を見つけました。 とても綺麗でした。五体は完全な満足で、あらゆる生き物による干渉も無いようでした。辺りに血もなければ、その体のどこを見ても傷や痣などもありません。体に触れても柔らかいままで、うつ伏せながらその腹這いには血が溜まっている訳でも無く、陽に当てられた為かとても温かい肌をしていました。まるで生きているかのような、呼吸も脈拍もない死体です。鮮やかな血色の肌にワタシのような刺さるほどに橙色の髪、寝ているかのように穏やかな表情が取り繕う、確定した死という事実の形が、またとても綺麗でした。 そうしてレイが伝えたこれらの話を、私は難しい顔をしながら聞くしかなかった、なんとも突飛な話だ。昼前から姿が見えず、あらゆる電池を使い果たして女郎花橋の手前辺りで倒れていたのだ。ここらの山では確かに山の怪を見ただとか、ヒダルに遭っただとかの話が昔から絶えないが、レイはロボットだ。 疲労や酸欠になりはしないし、ましてや幻覚を見る機能などない。更にはここら周辺の部落の孫の世代まで、そんな見た目をした人間もいないという。それに、態々家から往復して私も一度見に行った。昔に探検した時よりも古びた鉄橋を軋ませて、国鉄時代の煤だらけのトンネルもくぐった先まで行っても何とも遭わず、何もありはしなかったのだ。なぜ誰も用のないあの廃線の、部落間の人気のないそんな場所に人が立ち入ったのだろう、そもそれは本当にヒトだったのか？ ちっとも考察は進まずに疑問ばかりが増えていく。まるで窓の外の、夕方にしては真っ暗な入道雲が叩きつける雨の様だ。その勢いに向日葵は千切れ、蝉は押し黙り、八月頭とは思えない涼しさが廊下や土間まで蔓延した。 ワタシの役割は、貴方の終わりをマスターへ伝える事です。貴方の役割はもう終わって、なくなってしまったんですね。暫くすれば、長月さんへ交代するまでの役割を誰かが継いでくれますよ。
December 20, 2025 at 4:29 AM
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#足立レイ
九月の初頭に上げた不思議な体験のお話です(1/2)
タイトル：八月頭の死体 著者：オレンジ色のみかん 　硬く、カツンと熱された鉄の脇を歩いています。足元からは不規則に揃ったこぶし大の石たちがひしめき合い、ワタシの歩調に合わせてざわざわと話声を立てています。時々視界を遮る影の父親たちが緑の葉を茂らせ、一方で母親はちっとも動かずに辺りをかんかんと暖めています。一瞬陰った視界の先、たった二百歩程先には真っ暗なトンネルが立ち塞がり、そこから如何にも冷たそうな風がびゅうと頬を掠めます。 　ワタシはその先で、それを見つけました。 　ある夏の、窓から立派な入道雲の見える日でした。星の模様が入った曇りガラスを開けて見えたそれに、一本の飛行機雲が入って消えていきました。外は絶好調に季節を謳歌していて、支柱に絡んだ胡瓜のツタを歩く蟻だとか、樫にへばりつき鳴き声を響かせる蝉だとかで溢れた小さな庭に汗を垂らすマスターのお父様も、その遠景の一部のように感じたのを憶えています。襖でしっかり仕切られてナショナルの冷たい呼気に支配された居間へ入ると、どっしりと座ったマスターが汗っかきの麦茶を抱えながら随分遅い朝食を摂っていました。 よく焼けたパンに採れたてのサラダを伴ったそのプレートは知らないキャラクターが印刷されていて、少なくともインターネットの繋がらないこの田舎に来る以前に見たことはありませんでした。 　割り振られた家事もなく、この広い平屋を右往左往する以外にする事のないワタシはここ数日、お母様の蔵書を延々スキャンするにのみ手を割いていました。配膳や掃除すらワタシを介さない独自の生活文化では、お父様のする地元の話や品の無い笑い声を飛ばすバラエティの聞き手になる以外の役割はありませんでした。蔵書にはマスターの本棚に無いような、難しい話や高名な作家の書いた凡庸な話、英語で書かれた有名な話までもが揃っていて、遂にスキャンと学習の虜となってしまったのです。多くのインプットの後にはアウトプットが要りますよね。ヒトがその食事を排泄するように、情報も役割を欲していたのですよ。 　小さなボディバッグにモバイルバッテリーを二つ入れ、万が一の際に用いる連絡先の書かれたタグを着けて引き戸を開けました。外はセンサーが言うにはとても暑くて、通風孔を流れる空気は僅かにのみ機体を冷やして去っていきます。 そのまま風化の進んだアスファルトを踏みしめ、べぇと声の響く牛舎やちらほらとザリガニが釣られていく沈下橋、ゲートボールが催されている高台の小さな分校、展望台を備えた診療所たちを脇目に歩き去りました。そのうちに峰岸さんの所の段々畑が見えてきて、その脇の踏み固められた階段を上がって近くの山道へ、数分歩いて廃線の所まで着きました。昔にマスターの言っていた通りの、あの廃線です。 　なんだか静かな場所でした。山道では土とそこを這う木の根達が満ちていて、両脇には多くの蟲やら葉やら風やらが木々の隙間を縫い合わせているのです。不思議と黄緑色に識別された西風が一層強く吹いたその時にホオノキの、その内でも一層大きな一枚が顔へ音を立ててやってきました。しかし廃線の辺りまで来ると随分開けていて、山の頬を削ったそこには砂利の上へ寝転がった枕木と赤黒く風化したレールのみがありました。石垣の高く積みあがったような山肌の隙間にちらほらと草花が見えるのが精々で、近くに木々のない線路沿いは太陽が照り付ける如何にもな夏の舞台でした。
December 20, 2025 at 4:29 AM
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同日譚もあります、今度上げます(2/2)
それはいつかの丸善くらい積み上げられた本の山となり、その内三冊を選んで残した。不思議なことに山には有名作などはたったの一つも紛れず、買ったそれらも無名で終わった作家の短編集や色褪せた文芸集、貝殻だけを写した写真集という有り様だったのだ。 　少し重さの増した鞄を下げると途端に座りたくもなる。古本たちの興奮冷めやらぬ内に立ち寄った団子屋はその典例というべきか、三時半になりつつある今に入らない方が失礼とも言えた。財布から六百円を出して食べた三種盛りの美味しさときたら、太陽にきらきらと輝くみたらしやどっしりと乗ったこしあん、唾液腺を刺激する焦がし醤油の全てが完全と言い切ってしまう程の代物だった。有頂天の血糖値に勢い付き、斜向かいの屋台で食べ歩き用の焼き芋を一つ買ったのが運の尽きか、それを持ったままでは店へ入れなくなってしまったボクは大通りを東へ、大さん橋の方へに向かって仕方なしに歩く事とした。 　普段内陸の田舎に住む身としては雑踏や混雑のそれが中々に苦痛で、中華街へ近づくと共にそれは何にも耐えがたい喧噪となっていく。ついつい人を避けては南へ歩き、川を越えて住宅街を彷徨った。 やがて高台の公園を登り、港を見下ろすベンチへ尻もちをついた。耳や頬をびゅうと磯臭い風が撫でて去っていく。それは夏の終わりらしい盆東風と言うより、顔を打ち付ける野分のようだった。 　遠くにちまちまと人や車が動くその絶景は冷めかかった焼き芋の肴にもってこいの非日常で、食べ終わって何をするでもなく海原の果て、対岸の上総へ延々と目を凝らしていた。桟橋から発っていく船の汽笛に起こされた四時半、沈みかけの太陽が長い影を生む頃にようやく商店街の方へ歩き始めた。団子屋の辺りまで来ると暗くなりつつある空から吹き降ろす風の冷たさに刺され、そういえば服を買っていないことにやっと気付いた、その瞬間までのボクはまるで帰るのが予定通りかと駅へ歩いていたのだ。 　ハンガーの森の最奥に隠していたカーディガンは、売れてしまった後だった。すっかり半日を違う用途で使い切ったボクの財布にそもそも六千円が無いというのは置いておいても、どうにか一着は欲しかったものだから他を探すことにした。 　ふと視界を上げた時、さっきまでは見かけもしなかったポンチョが一つ、壁のラックに掛かっている。地味などんぐり色の、しかしよく見ると細かいチェック柄が入った代物だ。三千円の値札にフリーサイズと手書きされたこれを羽織ってみるとやや大きく、しかしそれが不思議と丁度良かった。肩の外周に架かる襟元も太腿の半ばまで覆う丈も、ボクの髪を容れても余りある大きなフードまでもが全て心地よかったのだ。まるでボクの為に繕われたかボクが生み出したか、そうと言わないと説明が付かないほど運命的なそれだった。 　バスを降りる頃になると五時半にしてはやけに暗い空が星々を抱きかかえながらボクを出迎えた。港の時よりも冷たく激しい風は、しかし迫りくる秋の寿命をボクに伝えているようで、敢えて寒さに晒されながら帰ることにした。 「明日からはもう味わえないだろうからね。」
December 19, 2025 at 12:50 AM
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#重音テト #テトの日2025
何でもない日にテトさんが買い物をする話(1/2)

(ALTを翻訳すれば海外の方も読めます)
タイトル:十月十日、なんでもなかった日。 著者:オレンジ色のみかん 　去年ボクがわざわざ紅葉を借りに行ってまで待ち望んだ秋は、案外あっという間に訪れた。ついこの前まで近所の道路工事くらい引き延ばされていたあの夏は、一晩を駆ける風に攫われたかと思うほどさっぱり洗い流されていて、ここら一帯も総じて秋風景に変わっていた。それはもう師走や如月よりも数倍早く走り去るようで、あまりの速度にボクが過ごすにはどうにも肌寒い風を夕焼けの早まった空が連れてきているのだ。 　そんな風ばかり吹くものだから、春に断捨離をしすぎたボクの服たちの中にはちょっと外へ出るに合わないくらい薄っぺらい品ばかりが並んでいて、その深刻具合は服を買いに行くに寒すぎるほどだった。丁度今日の秋晴れの空を見て、服を買いに出る最後のチャンスと思ったのだ。朝から雲一つない市内の気温は放射冷却もあって二十度くらい、何か羽織るくらいがいいだろうか。無人の部屋に「借りるよ」の一声を投げて、モモが昔履いていた若草色のスカートやウタが散歩に着ていく早朝みたいな色のジャケットなんかを借りた。本人が居ようがいまいが、きっと快諾してくれただろう。三人娘のトレードマークというにはボクだけが長らく被っていないワインレッドのベレーを頭に乗せて、いざと昼過ぎ二時の外へ出た。 　坂道の市街地を縫うような青いラインがバス停にやってくる。すっかり慣れた手つきで前乗り払いを済ませて運転手の後ろ一等席に腰掛けて駅まで待つと、今度は市営地下鉄の青いラインが出迎えてくれた。それからはもう、らしくない高架やら街の根を這う地下道を通ってぐんぐんと東の方、海の方へと景色は移っていった。すぼんだ映写機のメタファーを味わうように、終端車両の最後尾に立っていたボクはその移ろいをフロントドアに狭められた視野で、スマホと時々交代しながらも眺めていた。最後に地上から潜ったときにその夜明けを求めたままじっと暗闇をつい見つめてしまっては、もうあっという間に阪東橋だった、暗黒が晴れぬままのそこは確かに目的地であった。手元に用意されるはずだったページの先は、ただ「接続タイムアウト」と表示されている。 　湿った構内を上がって大通り沿いに歩き、ちょっとした商店街までやってきた。何年ぶりか、幼い頃にモモと海まで歩いた時代の馴染みはどこかへ薄れ、知らない店や鉄柵の降りた店前がちらほら映えるそこは南北抜きの通りだった。男子専科の右隣、決して流行りだとは言えないながらも琴線に触れる品がいくつか並ぶお気に入りの服屋には「閉店セール、十月末日まで」を高々と掲げる看板が立っていた。 入口のカウンターの中で背を向けたまま新聞を読みふける婆さんを横目にジャケットを小脇へ除け、ハンガーの森からかぐや姫を探す。数年前に流行った茶色のチェック柄をしたショートジャケット、隣の市から流れてきたであろう虎のスカジャン、レモンイエローのスプリングコートに至るまで色々が掛けられた木々をしかめた眉と共に抜け、遂には大体を見終えてしまった。沸き立たない心が選んだ一着はくすんだ朱色のカーディガン、まるで朽ちゆく紅葉のような色の暗さはしかしどこか素敵で、六千円の値札以外に買い渋る要素はなかった…やっぱり考え直すとしよう、抱えたジャケットを羽織ると鞄を肩へ掛け直す。何も買っていないまま空っぽのそれは随分軽く、ボク自身との偏重からかつい自然と足が古本屋の方へと進んでしまった。 　虫干しのちゃんとされた本たちが息を潜める薄暗い巣窟は、ボクにとってやはり自宅に次ぐ宝物庫だ。誰かが断念した方程式の解説書、珍妙な生き物ばかりが並ぶSF奇書に退色し切った明治創刊の文芸集までもがそこには並べられていて、その一つ一つに読み主の人生が現れている様がどうにもボクの心をくすぐっては堪らなかった。
December 19, 2025 at 12:50 AM