思えばかつて、親の本棚にあった太宰の斜陽を読んで衝撃を受け、「魂が震えた」とでもいうような感覚をおぼえたり、何気なくテレビで見た下妻物語に夢中になって野ばらちゃんの小説やロリータ文化を遡ったり、それからしばらくして小説をあまり読まなくなった頃ヴィスコンティの映画に魅了され原作小説や古代ギリシャ哲学にもその理解を深めに行ったり…これは一部の例えでしかなくもっとあると思うけど、これらが所謂『耽美』とか『退廃的な美』と呼ばれるものだと後々気付くのである。点と点が繋がるように。
思えばかつて、親の本棚にあった太宰の斜陽を読んで衝撃を受け、「魂が震えた」とでもいうような感覚をおぼえたり、何気なくテレビで見た下妻物語に夢中になって野ばらちゃんの小説やロリータ文化を遡ったり、それからしばらくして小説をあまり読まなくなった頃ヴィスコンティの映画に魅了され原作小説や古代ギリシャ哲学にもその理解を深めに行ったり…これは一部の例えでしかなくもっとあると思うけど、これらが所謂『耽美』とか『退廃的な美』と呼ばれるものだと後々気付くのである。点と点が繋がるように。
「自分の美学に合うか合わないか」を基準に広い範囲のカルチャーに触れている(ようにお見受けする)先生だからこそ、数多くの読者それぞれのどこかにひっかかる文章が書けるのだろう、とも思う。
「自分の美学に合うか合わないか」を基準に広い範囲のカルチャーに触れている(ようにお見受けする)先生だからこそ、数多くの読者それぞれのどこかにひっかかる文章が書けるのだろう、とも思う。
結局は、いつの時代も、このような精神を持った人間は一定数(少数派であろうが)確かに存在していて、それを現代の日本で美しくしたたかに書き綴ってくださ
結局は、いつの時代も、このような精神を持った人間は一定数(少数派であろうが)確かに存在していて、それを現代の日本で美しくしたたかに書き綴ってくださ